第六章を通読することによって、身につまされ、
「痛いところをつかれている」、と感じました。
私自身もそうですが、近所の人々、思惑のある人、
そして普遍的に、全人類にとって、
「人間本来のあるべき姿、或いは目指すべきところ」、
が示されているように思います。
ちょっと引用が多くなりますが、原始経典で示されていたことが、
今でも十分に通用することを知っていただきたく、抜粋して締めようと思います。
「自己を制して悪をなさず、若いときでも中年でも、
聖者は自己を制している。
かれは他人に悩まされることなく、
また何ぴとをも悩まさない。
もろもろの賢者は、かれを<聖者>であると知る。」
―「スッタニパータ」216
「明らかな知慧のない人には精神の安定統一がない。
精神の安定統一がない人には明らかな知慧がない。
精神の安定と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、
すでに安らぎ(ニルヴァーナ)の近くにいる。」
―「ダンマパダ」372
「戦場において百万人に勝つよりも、
ただ一つの自己に克つ者こそ、
じつに最上の勝利者である。」
―「ダンマパダ」103
「自己に打ち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。
つねに行いをつつしみ、自己をととのえている人、
― このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、
神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない。」
―「ダンマパダ」104
「痛いところをつかれている」、と感じました。
私自身もそうですが、近所の人々、思惑のある人、
そして普遍的に、全人類にとって、
「人間本来のあるべき姿、或いは目指すべきところ」、
が示されているように思います。
ちょっと引用が多くなりますが、原始経典で示されていたことが、
今でも十分に通用することを知っていただきたく、抜粋して締めようと思います。
「自己を制して悪をなさず、若いときでも中年でも、
聖者は自己を制している。
かれは他人に悩まされることなく、
また何ぴとをも悩まさない。
もろもろの賢者は、かれを<聖者>であると知る。」
―「スッタニパータ」216
「明らかな知慧のない人には精神の安定統一がない。
精神の安定統一がない人には明らかな知慧がない。
精神の安定と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、
すでに安らぎ(ニルヴァーナ)の近くにいる。」
―「ダンマパダ」372
「戦場において百万人に勝つよりも、
ただ一つの自己に克つ者こそ、
じつに最上の勝利者である。」
―「ダンマパダ」103
「自己に打ち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。
つねに行いをつつしみ、自己をととのえている人、
― このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、
神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない。」
―「ダンマパダ」104