或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

いきなりすぎる、急変化、かな

2013-04-29 22:57:17 | 日記
前述のとおり、SEKAI NO OWARI(以後、「セカオワ」と表記)に、

いきなり心酔してしまったわけですが、

アルバム「EARTH」だけでなく、アルバム「ENTERTAINMENT」も聴きました。

初回盤が手に入ったので、「武道館ライブDVD」も見れました。

いいです。とにかく。

おまけに、うたたねをして、見過ごしてしまった、

YouTubeの「セカオワ生配信番組」を、

ラッキーにも、アーカイブ、として見れるようにしていただいて、

これも見れました。楽しかったです。

いやぁ。ちょっと私の私生活の方向性も変わっていくんじゃないか、

と思わされました。

音楽だけでなく、私生活そのものがですよ。

あんまり言いたくないけど、「Qさま」について

2013-04-29 21:49:37 | 日記
好きなクイズ番組のうちの一つだし、

あんまり批判めいたことはしたくないのだが、

一つだけ、どうしても言いたいことがある。


「小学生で習った」、とは「大嘘」だ。


ということ。

単に今の小学生が習っている内容に準拠しているだけで、

「大人」にとっては、その年代によって、

「全く習っていない」ものや、

「変更・変化があった物事」もある。


大体、学習指導要領が変わるごとに、

昔からの学ぶべき事柄、というものはどんどん低学年へと降りていき、

新しいことがどんどんと追加される。

一体、何歳の人が小学生で習ったのか、が不明である。


更にもう一つ付け加えると、

よく出るのは漢字問題だが、

昔の人は、「旧字体」で習っている。

そのあと、「当用漢字」というものが設定される。

そして、「学習漢字」というものもある。

また、「人名用漢字」というものもある。

「当用漢字」は「常用漢字」へと変更される。

そして、3年前には「改定常用漢字表」が答申され、

詳しくは知らないが、学校においても変化があっただろう。

この各世代間で、「同じ内容」、が教えられている、

なんてことは言えないだろう。


基本的に、「番組批判」、というよりも、

「冠批判」、をしたいわけである。

「小学生の時に習っています」というようなコメントが、

「本気で言ってますか?」と思えるのである。

なぜ、「死ぬ」のか~その2

2013-04-29 13:19:33 | 日記
前のエントリでは、

「科学的には立証されているのだろうけれども」、

と書いた。

今私が持っている科学的な知識から考えてみると、


細胞には、細胞分裂の最大限度が、遺伝子に記されているという。

それに従って、もう細胞分裂できなくなった細胞は、死ぬ。

新陳代謝が出来なくなってくる。老化が進む。

重要な細胞が死ぬ前に、何らかの病気や事故などで、死ぬ。


少し古いかもしれないが、細胞には、テロメアという、

遺伝子にくっつきながら、遺伝情報は持たないものがある。

これが分裂を繰り返すたびに、だんだん短くなってくる。

そして限度が来た時、もう分裂できなくなる。


これは、「細胞死」、といえる。

そして重要な器官の細胞死が進めば、何らかの障害が起き、

個体の死に至る。


ホンマに聴きかじりなものではあるが、一応そういう知識がある。


ただ、問題なのは、

「なぜ、『死ぬ』のか」の、「なぜ」にある。

自然言語で記述していると、一般的な意味と、

専門用語上の意味、との齟齬が起きる可能性が高い。

ここでも私は不用意に、

「なぜ」、

と切り出した。

しかしもっと正しく意味を伝えるとすれば、

前エントリでも書いたように、

「なぜ『死ななければならない』のか」、

が私の本意に沿っている、と言える。

上述のような、「死」、に対する科学的見地、

であれば、正しく言えば、「なぜ」ではなく、

「どのようにして」、

が一番ぴったりとくる。

「Why」ではなく「How」、

の説明をしていたことになる。


そうすると、明らかに上述の文章では、

説明をしていない、

ということになる。


ただ、今の科学に於いては、

「老化」の研究が行われている。

そこから、

「なぜ『死ななければならない』のか」、

という問いの答えが出てくるかもしれない。


ちなみに、「言葉の違い」、の例として、

関連したものを取り上げてみるとすれば、

「寿命」「平均寿命」、

がある。

たとえば、「平均寿命は86歳です」、

と言われた場合、43歳の人は、

「もう人生の半分まで来たのか」、

などと思いがちである。

しかし、「平均寿命」という言葉は、

自然言語的なもの、の影響をずいぶんと受けている。

つまりは、「正確さ」に欠ける。

「平均寿命」と言われているものは、正確には、

「0歳時平均余命」、

のことである。

今まさに生まれた赤ちゃんの、死亡確率が、

86歳、ということを示している。

43歳の人は、

「43歳時平均余命」、

を調べなければならない。

確かこういうものは公表されている筈なので、

それほど手間はかからないと思う。

今まさに43歳の人の、余命は何年か、

ということになるが、当然、86歳以上になる。

もっと言えば、86歳の人の平均余命は、

勿論、「0年」ではない。

多分、90歳は超えるであろう。


ずいぶんと横道にそれたが、

本当のところは、宗教的な側面からも、

書いておきたかった。

勿論すべての宗教に対して造詣が深い、

と言う訳ではないので、

書かなくて正解だったかもしれない。

でも、このエントリの、

「科学性」、

といったものも、ちゃんと担保されたもの、

とは言い切れない。

ScienceとSocial science。さらには、Humanities、

といったもののごちゃまぜ、

と言えるかもしれない。

勿論、私の主観が大きな影響を及ぼしていることは当然。

なぜ、「死ぬ」のか

2013-04-28 23:04:35 | 日記
今更ながら、「SEKAI NO OWARI」について。


ちゃんと聴いたのは初めてだったから、

ちょっとびっくりしたというか、惹かれた。

まだ、アルバム「EARTH」しかちゃんと、

歌詞カードとにらめっこしながら聴いてないから、

さらにどういう世界観が展開されているのか、

わからないけれども。


で、その中で特に考えさせられたのは、

「死の魔法」。

解決策は提示されているようではあるが、

前段にとにかく考えさせられて、

そこに引っかかったまま。


「一体、なんで、『死ぬ』のだろう?」、


と思ったまま。

なぜ、「死」というものがあるのか。

環境によって、あるいは、偶発的に、

「死」、

を迎えることがあっても、

本来、なぜ「死ぬ」のか、

ということに対しては、

多分科学的には立証されているのだろうけれども、

今のところ、私には、

納得する「答え」が見つからない。


寿命?

じゃあなぜ寿命というものがあるのか?

一個体が永遠に生き続けていて不都合があるのだろうか?


宗教的にもテーマとして取り上げられるが、

「なぜ死ぬのか」、

の答えは出ていないように思う。

キリスト教なら、天国か地獄か、煉獄へ行くか。

仏教なら、六道で生まれ変わり続けるか、浄土に行くか。

神道なら、天つ国か黄泉の国かな?(あまり詳しく知らないもので)。

結局、少なくとも、

「なぜ死ぬか」、

の答えにはなっていない。

「死ぬこと」を前提として、

どこかへ行く、生まれ変わる、

ということになる。


あ、キリスト教の場合は、エデンから追放されたから、

「死」というものができた、と解釈するのかな?


いずれにせよ、

「なぜ『死ぬ』のか、『死ななければならない』のか」、

ということからなかなか抜け出せない。


ちなみに科学的な「人間の寿命」は、

最長で、約140歳らしいが。

めんどくさいけど、「ロリコン」再述

2013-04-19 07:59:43 | 日記
私は少し前のエントリで、


元々「日本人」は、「ロリコン」であり、

「日本文化」は、「ロリコン文化」、と言える側面を持つ。


と書いた。

これは昔からの考えであり、

実際に、日本社会というものは、

上述の通り、

だとの考えは揺らぎもしない。


だから何度も書くのはめんどくさい。

しかし、私の周囲でも、そういうことを理解していない人たちが、

意外といる、ということを実感した。


あのエントリで私は、特に例示はしない、とも書いた。

思いつく節はすぐに思いつくだろう、と思い、そう書いた。

しかし、私の周りのある人の言動で、

「あぁ、この人も無自覚か。」、

と思わされた。

彼は大学も出ているし、知能レベルはそれほど低くはないと思うし、

周囲からも、「気は優しくて、力持ち」、と言った風にとらえられている。

だが、

「わぁ、ロリコンやぁ。気持わるっ」、

といった言葉が発せられた。

まぁ、仲間内の戯言、として出ているとも捉えられるような状況ではあったが、

これは、めんどくさいけど例示しないと理解できない人がほとんどかもしれない、

と思い、書く事にした次第である。


例として一番わかりやすいのは、

日本文化のうちでも、

「マンガ・アニメ文化」、

である。

これは日本ではもう定着し、世界からも認められた、

立派な文化である。

勿論、「日本文化の一端」、である。


では、登場人物を思い起こしてほしい。

リアルを追求しているものもあるが、

大抵、デフォルメされていることぐらいはわかると思う。

本当に、あんな感じで顔のパーツができている人がいるだろうか?

いたらおかしい。

目や口がアンバランスなど、色々と指摘ができると思う。

しかし、日本人は、それを、「是」、とする。

さらに、「好ましい」、とさえ思う。

この事をよく観察してみると、

「キャラクター表現の幼児化」、

が行われた結果であることがわかる。

つまり、「かわいらしい」、と思わせるのである。

赤ちゃんを「かわいらしい」、と思うのと、何の違いもない。

というか、「低年齢に見せることで、かわいらしいと思わせ、好きにさせようとする」、

という手法であって、それが通用するということは、

「低年齢=少女・女児」、

を、「好ましいと思う」、

ということに他ならない。

つまりは、「ロリコン」、なのである。


無自覚に発せられた彼の言葉ではあったが、

自らも、「ロリコンの一面」、を持っていることに、全く気付いていない。

短絡的な図式、「ロリコン」=「異常」=「気持ち悪い」、

が彼の中では、成り立っている。

「異常」者を、「気持ち悪い」として捉えている、

「差別主義者」と言われても仕方がないだろう。

そしてもちろん、「ロリコン」=「異常」という図式は、

現代社会的要請で作られた仮構であって、

少なくとも日本人が培ってきた文化の中では、

この図式は成り立たない。

逆に、「ロリコン」=「正常」、の方が全うである。


以前紹介したように、

「日本人の心は、察しと思いやりです」、

という言葉がちょっと虚しく響く。

彼の中では、部分的にではあるが、

「察し」も「思いやり」もない。


まぁ、これ以上書くほど暇でもないし、ホンマにめんどくさいので、

ここら辺で切り上げておくが、一つだけ付け加えておくと、

「ロリコン」=「性犯罪者」、は成り立たないし、

「ロリコン」=「性犯罪者予備群」、も成り立たない。


「日本人はロリコンである」、

めんどくさいので、わかりきったことを、

いちいち例示して証明するようなことは、

もうしない。


勿論このエントリで書いたことは、

「一例」、

であって、まだまだ思い当たる節はあるはずである。

基本的に、字面だけを追って、内容を理解しようとしない、

例となるものがあるのかどうか、という事を考えもしない、

全くもって、そのような人は、表面的な人間に過ぎない。

人間として、「薄っぺらい」としか言いようがない。

「ホンマでっかTV」批判~その2

2013-04-18 07:57:16 | 日記
あの一件以来、私は「ホンマでっかTV」を一切見ていない。

制作サイドの「バラエティ偏向」によって、科学性を失った、

と今でも思い続けているからである。


以前も書いたが、番組の最後に、

「ホンマでっか、という姿勢で見てください」、

との言い訳がある。


科学(science=自然科学)に於いては、

「反証可能性」と「自己否定の論理」、が必要とされるようだ。

ならば、いちいち「「ホンマでっか」という姿勢」を視聴者に強要する必要性はない。

元々科学はそういうものを内包しているからである。


ということは、やはり、「情報バラエティ」ではなく、

「科学バラエティ」という立場をとりたい、ということになる。


では、出演者はどうであろうか?

皆科学者である、と私は認識しているが、

時々胡散臭い人も出てくる。

似非科学臭たっぷりの人たちである。

確かに普段の出演者とは別のセットで収録されていることが多かった。


そして、出演者は皆、「○○学『評論家』」とネームプレートにある。

「○○学者」ではなく、「○○評論家」である。

これなら、似非でも、バラエティに偏向しても、何の問題もない、

という風に、逃げることができる。


そして問題は、さんまさんにもある。

皆「評論家」として出演していて、「学者」とは明言されていない。

そのような「評論家」に対して、

「その道で有名な学者さんなんやから」、

という発言を時々する。

ここに、制作サイドとさんまさんとの意思の疎通がなっていないことが、

浮き彫りになる。

確かにその道の第一人者だったりするのかもしれないが、

あくまでもこの番組中では、「評論家」として、

占い師や、マニアなども同列に出演させることがある。

明らかに、「科学ではない」。


で、さんまさんは、この番組で聞いたことを実践している

(これこそ「ホンマでっか」と言えるのであるが)ことがあると言い、

以前の発言と違っていた場合、評論家たちを非難する。

然し上述の通り、科学とは、「反証」や「自己否定」を内包する。

ちょっと、「権威に弱い」人たちの代表者のようである。


そしてまた、以前の一件に戻るのだが、

市原隼人氏の発言が突拍子もなく、「オカシイ人」扱いされた場面では、

「科学的(社会科学や人文科学を含む)な論議」がバッサリと制作サイドによって切り捨てられ、

そのような人間像を作り上げられた、と言える。

実際には哲学的な話になっていったという。

さんまさんは、それではバラエティにならん、と思い、

「オカシイ」扱いで収束させ、制作サイドは、

「自分たちにとっては必要のない部分」をバッサリと切った。


しかし、「論議」というものは、科学にとって必要なものであって、

そこを、「無かったこと」、にしてしまっては、科学ではなくなる。

だからこそ、いきなり、

「「本能」なんてありません」、

と言われることになる。

見ている方としては、完全に一方的に言い負かされているように映ったが、

実際には、「論議」、があった、ということになる。

そうでなければ、

「本能なんてない」、とは科学者である評論家も言わない。

突然、「現在では"innate"(生得的)と言うんです」、

と言うためには、科学的な話が行われていた、

と言う前提が必要になる。

なぜなら、"innate"なんて、「術語」であって、

一般には浸透もしていなければ、「生得的」なんて言葉を日常で使うこともない。

やっぱりみんな、「本能」と今でも言うだろう。

「術語」まで引っぱり出してくるほどの科学的な論議があって、

そのくせ、制作サイドによって、バッサリとカットされる番組。

そんな番組を、「科学バラエティ」とは言わないし、

「情報バラエティ」の域を出ていない。

そのくせ、何か「科学」を前面に打ち出して、権威付けのようなことを行う。


やっぱり、この番組を見る気にはなれない。

役にも立たないと思う。

さて、久々に晒しますか

2013-04-16 20:11:45 | 日記
一応、"Neustart"、ということで、更新は控え目でしたが、

「維新の会」についていろいろと書いたりもしました。

まぁそれが原因かどうかは、別にどうでもいいんですけど、

迷惑メールが、まさに、アホほど来ているので、

久々に晒しておきます。


mail@konomamaotomari.mobi

 全部、【画像】、から始まる、まぁ低俗なタイトルですわ。

 相手にする気が無いのでそのまま放置してます。

 まぁ皆さんのところには来ないでしょうけどね。

 もちろん、内容を見る気も無いので、中身は知らないですけど。

 一応、受信拒否したい方のために。


ま、以前の「細上商事」みたいなものですかな。

そんなん当然やん~その2

2013-04-15 08:27:46 | 日記
ニュースで、伊丹市長に当選した方の弁を聞いた。

「伊丹の事は、伊丹で決める」、ようなこと。

これって、ちゃんと「地方の声を聞いた結果」、っていうことやね。


「大阪都構想」から「関西州」、そして、全国的な「地方分権」へと、

日本維新の会、橋下共同代表の話は展開していったわけだが、

今回の結果で、痛い「しっぺがえし」をくらったのではないだろうか?


「大阪市長」が、「伊丹市」の事に口を出すのは、「地方分権」ですか?

勝手に、「主従関係」を作ろうとしてませんか?

他の地域に余計な事をするのが目的なんですか?

それがあなたの目指すところですか?

それを「地方分権」と言えますか?

「大阪をトップにした支配構造の構築」ではありませんか?


「兵庫(阪神間や神戸)の大阪への併合」を日本維新の会の幹部が語ったという。

そんなことが実現すれば、ネットでささやかれているように、まさにナチス。まさにヒトラー。

「ナチスドイツによる、オーストリア併合」よりもひどい。


今回はそのような「民意」は示されなかったが、

今後、やはり、日本維新の会の動向に注意していないと、

「日本維新の会にとって有利な、口先だけの地方分権」が起こりかねない。

「日本維新の会による関西州の支配」が当面の目途なのではないか?、と思えてしまう。

そんなん当然やん

2013-04-15 06:40:42 | 日記
「維新、兵庫2市長選で敗北 「橋下氏の名だけで勝てぬ」

 朝日新聞デジタル 4月15日(月)0時16分配信」、

を読んで。


「地方選挙を総括する今井豊副代表は「与党が強い中、態勢もないところで善戦したが、
 橋下徹共同代表(大阪市長)の名前だけでは勝てないという課題が浮き彫りになった。
 良い引き締めになった」と話した」、


らしいが、当たり前やん。本気で「イケる」と思ってたのなら、

ホンマに日本維新の会は「ナチス」やし、橋下大阪市長は「ヒトラー」ってことになりまっせ。


チャラチャラしたタレント弁護士が、2万%の確率をはねのけて大阪府知事になり、

「大阪都構想」の実現を目指して、知事職を途中で放り出して、市長に鞍替えして、

衆院選では比例各ブロックに於いて、かなりの支持を得たことに慢心でもしたか?

ちょっと訂正というか、補足

2013-04-14 21:37:28 | 日記
ちょっと前のエントリに、

「私は感情型」、

というようなことを書いた。

これはちょっと、誤解を招くかもしれない、

と思い、補足をしておくことにする。


これは、「ある人から言われたこと」、と書いた。

そして私も、「そうかも」、と思ったこと。

ただ、「感情型」とは、「何に於いて感情型という分類に入るのか」、

ということを書いてなかったように思う。


これは、「記憶」に関することなのであった。

つまり、「感情型記憶」と、「事実型記憶」の二つに分けた場合、

「私は感情型」、

という意味なのであった。

言動や判断が、「感情型」、と言った訳ではなかったのである。


そしてもう一つ言っておくと、

「感情型」であって、「感情的」ではない、ということ。

「類型」の問題と、「情緒」の問題は、必ずしも一致するわけではない。

「感情型記憶」の人間が、必ずしも、「感情的」な判断によって、

衝動に走る、とは言えない。


ちょっと言葉不足だったかな?

もうちょっと詳しく書くべきやったね。

さっき、「おぉ、それも言えるな」、と思った言葉

2013-04-14 17:08:33 | 日記
柴咲コウちゃんのツイッターで、リツイートされていたもの。


理事長(かぎりなく自由人)
人に気を使っちゃう 女優さんから リツイート 頂きました。(笑)生まれ持った性格は、そう簡単には、変わらないらしいし、変える必要は無いのかもしれない。それが自分らしさ。長所で 短所を 包み込んでしまえ。人には、それが出来る。 (代筆妻)


ちょっと今、まとめる言葉が見つからないので、原文通りに捉えているが、

これも、言い得て妙、かもしれない。

ただ影響されやすいだけかもしれんけど

2013-04-14 16:58:54 | 日記
ここ数日(とは言ってもえらい前のものをようやく気付いた分もあるけど)に、

気になった、というか、影響を受けた言葉たちが4つある。


一つ目:「正直に 腹を立てずに 撓(たわ)まず励め」鈴木貫太郎

これはテレビで紹介されたものやけど、

地域によっては、ほとんどの人が知ってる、という言葉でもあるらしい。

ただ、「撓まず」ではなく、「たゆまず」と教えられた人がほとんどらしいけど。

鈴木貫太郎は、日本海軍軍人であり、首相にもなった人。

実際には、よく腹を立てたというか、怒ったらしいけど。


二つ目:「考えすぎたり ヤケ起こしちゃいけない 子どもダマしさ 浮き世なんざ」宇多田ヒカル

これは超有名なはず。"Goodbye Happiness"、2番の冒頭。

「世の中に煩わされて、クヨクヨしたり、衝動的な行動をとるなんて、意味ない」、

と私は捉えた。


三つ目:「皆各(おのおの)所官の業(わざ)有り 其れに随ふを 人と云ふなり」"正法眼蔵随聞記"

これは有名な、日本曹洞宗の開祖である道元禅師の言行を、弟子である懐弉(えじょう)禅師が書き留めたもの。

ちくま学芸文庫版の水野弥穂子訳によると、

「みなめいめい担当する仕事があり、それに従事するのを人らしい人というのである」となる。

それを逸脱すると、

「天を乱すこととして、天の罰を受けるのである」、

と続く。

私も含めて、本当に、この現代社会に於いて、「所官の業」に随って生きているのかどうか、

考えさせられる言葉である。


四つ目:「日本人の心は察しと思いやりです」FLOWER FLOWER スタッフ

これは旧YUI、現yuiの所属するバンド、FLOWER FLOWERの、多分スタッフさんだと思われる人の、

ツイートである。

よくマイナスに捉えられがちな、日本人の心理ではあるが、

肯定的に、前向きに捉えれば、素晴らしいことだと思う。

「当たり前」「言わずもがな」、と言われそうでもあるが、

少なくとも私は、結構忘れがちになってしまっている、

「日本人の心」である。


以上が、最近の私の思考行動規範とでも言えるものを、

形成する土台である。


この四つの言葉、皆さんはどう感じるだろうか。

「人間として最低」な人?

2013-04-08 17:33:48 | 日記
テレビである著名人が、ある有名人に対して、

「人間として最低」、

と言っていた。

そこになんか違和感を感じた。

その人は、「人間として最低」、なのだから、

テロリストや大量殺人犯、詐欺師や不正を働く政治家、

たちよりも、人間としては、「低い位置にいる」、

ということになる。「最も低い」わけなのだから。

ここから「人間性」や、「非人間的」ということを書いていくと、

何千字になるかわからないし、そんな暇を持ち合わせてもいないので、

ここらでやめておくが。

何かしっくりこない言葉であった。

「ロリコン」のほうは、言葉だけがフツーの大人にも知られているけどね

2013-04-06 07:35:40 | 日記
「「JKリフレ」少女は保護から補導へ 警視庁、取り締り強化

 産経新聞 4月5日(金)10時36分配信」、


を読んで、関連記事、


「捜査員が目を疑った「性体験日記」 42歳ロリコン無職…少女40人と関係

 配信元:産経新聞 2013/03/30 12:06更新 特集 衝撃事件の核心」、


を読んで。


お久しぶりでございます。ちょっと気が向いたもんで、書かせて頂きます。


対象は、後の方の記事。

彼は、少女と関係を持ち、その記録として、

「少女約50人の裸の写真約6千枚と、ポルノ動画約50本」、

を所持し、

「日記には、何人もの少女たちに対して行った犯行の様子が、おぞましいほど細かく描写されていた」、

らしい。

しかし、「被害者」とされる少女たちは、

「自分のブログに、「優しいおじさんだった」と体験記を書いて宣伝していた」、

とのこと。

「被害者」と周りからは決めつけられても、

少女たちは全然そんな風には思っていないのである。


セクハラとかパワハラとか、ハラスメント、というものは、

受けた側が、「ハラスメントだ」、と感じるかどうか、が決め手となる。

やった側の心持ちは一切関係ない。

4月4日(木)に放送された、

「池上×マツコ ニュースな話」でも語られていたように、

いじめも同じである。

受けた側が、「いじめだ」、と思えばいじめ。

やった側の心理なんて関係ない。どうせただの面白半分な奴がほとんどだろう。


この記事のタイトルにも恣意を感じる。

「42歳ロリコン無職」。

「42歳にもなって無職で、しかもロリコンかよ」、

と言いたいとしか取れない。


しかし、元々「日本人」は、「ロリコン」であり、

「日本文化」は、「ロリコン文化」、と言える側面を持つ。

例示はしないが、ちょっと考えてみると、思いつく節はあるはずである。


で、この記事を読んで、まず思い浮かんだのは、

「じゃあ、ショタコンはどうなんだよ」、

ということである。


Wikipediaによると、どうやら「ショタコン」と呼ばれる人たちの多くは、

「お人形さんを観賞する」程度のものであるらしい。

しかし、全員が全員そうである、なんてことはない。

「ロリコン性犯罪者」と同レベルの「ショタコン」もいるはずである。

ただ単に、「ロリコン」に比して、「ショタコン」が少ないのか、

ここでも、「男女性差別」が起きているのかもしれない。


「男女雇用機会均等法」で、逆に、「女性は採用しない」、

との方針を持っていても表には出さずに、「出願だけは受け入れる」、

という、元々採用されないことが決まっているのに、

無駄に出願だけはさせる、という事が頻発した。今もそうかもしれないが。


このように、「男女性差別」も、「日本文化」の一側面である。

だからこそ、「男は強く、女は弱い」との観念がこびりついたままで、

「男は守る側、女は守られる側」という考えになり、

このような犯罪が起こると、

「なんちゅうやっちゃ。男の風上にも置けん」、なんて人が出てくる。


しかし、もうずいぶん前からかも知れないが、

「草食男子」「肉食女子」、なんて言葉が作られて、

「現代では逆転現象が起きている」、とも言われる。

だが、実際にはそうではなくて、

「女性の社会進出」、

などということも合わせて、

「男女同権」、

へと漸く世間が流れ出した、だけにすぎない。

このままの流れで行くと、

「ショタコン性犯罪者」、

が紙面をにぎわす日も近いかもしれない。


ちなみに、「ショタコン」は、「少年性愛者」であって、

必ずしも、「女性が少年を性対象として見る」ということにとどまらず、

「男性の少年性愛者」も含むようである。これはちょっとややこしい。

どうせならここは、「ショタコン」が「正太郎コンプレックス」なのであるから、

それは女性に限定して、男性の場合は、「パタリロ」から取って、

「バンコランコンプレックス」とか「マライヒコンプレックス」とか言ったらどうだろうか。