眠れないので、ちょっと打鍵し続けようかな、と。
Mein Ziel ist nicht ein Tolstoianer zu werden,
sondern es ist ein Mensch wie Tolstoianer zu leben.
同じようなことの繰り返しかもしれないが、
まぁ眠れない夜の駄文として読んでいただければ、幸いである。
Ich bin noch nicht ein Christ,
aber meine Sätze sind vielleicht wie so.
Nachdem ich Tolstoismus gekannt hatte,
meine Meinung sich veränderte.
Bin ich Buddist oder Shintoist oder Christ ?
Ich auch weiß nicht.
Ich bin ich.
Also muss ich nicht so viele Sachen denken.
Aber Werke von Tolstoi lese ich,
so denke ich viele Sachen.
単純に「海外作品を読む」とゆうよりも、
「トルストイ主義について勉強する」、という姿勢になっているかもしれない。
コクトーやカミュなどは以前から気にはなっていた作家ではあったが、読むことはなかった。
どうせドイツ語を時折書くのだから、ヘッセやカントとかを読んだ方がいいのかもしれない。
でも、Schicksalでトルストイの作品に出会ってしまった。
だからもう、ローマカトリック系トルストイ主義信者、と言ってしまった方がいいのかもしれない。
なぜロシア正教会系トルストイ主義信者と言わないのかというと、
今までに何度かローマカトリックのミサに参加したり、色々と書物を読んだりもしたから、と言える。
「教会否定」は、当時のロシア帝国と癒着したロシア正教会への批判であったはずだから、
オーソドクスになってもいいのではあるが、いまだにロシア正教会はトルストイを破門したままだという。
どちらかというとソビエトに受け入れられたトルストイであったがゆえに、そうしたままなのかもしれないが、
ちょっと石頭過ぎるのではないだろうか。そろそろ受け入れてもよいのではないか、と思うのであるが。
いまだに、私のようにトルストイに共鳴してしまう者が多数出てきているのかもしれない。
ただ、トルストイは、敬虔なキリスト教徒であり続けた、という事実は覆らない。
まだ世界中に、あるいは新たに、トルストイ主義を信奉する人々が多いのかもしれない。
眠れない、からと言って色々と好き勝手書いているが、そろそろ眠らないといけないのではないか?
明日に響く。