或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

情報化社会ゆえの、情報の絞り込み

2012-12-31 21:50:31 | 日記
民放にサヨナラして一週間。

全然不便さを感じることなく、

生活しています。


まぁNHKを見ているわけですが、

年末という事もあって、

特番が下支えしているところがあるかもしれません。

でも番組表を見てみれば、また、実際に放送を見ていると、

NHKだけでも十分、マスコミ、マスメディアとして成立しています。

ネットの併用もしてはいますが。

ニュースだけでなく、情報番組、バラエティ番組、ドラマ、

音楽番組、アニメ、教養番組、などなど、ラインナップは多彩です。

地デジの総合とEテレだけで、十分なわけです。ネットも使ってはいますが。


今振り返れば、逆に情報過多であった、と言えるでしょう。

確かに「偏向」の危険性はあるでしょう。

しかし、ずっと、多くのマスコミの報道などを見比べている人でなければ、

私と同じ、「偏向」の危険性を抱えているわけです。その人たちは。

私の場合は、NHKの補完として、ネットを併用している、

と言えるかもしれません。


今年の残りは民放を一切見ないで終わるでしょう。まぁあと数時間ですが。

新年は既に、meine Liebsteが見るつもりにしている民放の番組があるので、

それだけは見ます。それ以外は、NHK。


何かホンマにNHKの宣伝のようになってしまいましたが、

CMに意外と執着はなかったんだな、という事が確認できました。

小さな頃、出かける際に、CMが変わる度にTVと玄関を行ったり来たりしていた、

というのは、もう遠い昔話なんでしょう。

中村屋!

2012-12-27 20:38:11 | 日記
中村勘三郎さんの葬儀、告別式が行われましたね。

本当に、惜しいです。


ところで、「野田版 研辰の討たれ」を見ました。

歌舞伎ではないのかもしれません。

でも、生前おっしゃっていたという言葉、


「『型』をちゃんと知って、できるからこそ、

 そこを外れれば、『型破り』になる。

 『型』を知らず、できなければ、

 ただの『型なし』になる。」。


私は歌舞伎の「型」というものを理解しているわけではありませんが、

この作品は、まさに、


「『型破り』の歌舞伎」、


だと思いました。

エンタテインメントとしても一級品だと思います。

とても面白かった。とてもよかった。


本当に、惜しいです。

さよおなら、民放

2012-12-25 17:34:33 | 日記
今、「桜流し」を一旦視聴停止して、

楽曲をランダム鑑賞中。

YUIちゃんの「Simply white」がかかった。

状況にヒットしたかな?

私にしてみれば、「民放」を捨てる、ということだな、言わば。

考えすぎて困る、というところは、

meine Liebsteの影響、不可抗力、偶然、そういったこと以外では、

「民放」を捨てる、ということで解決する。

ま、そういったことで、「民放 Good bye!」。

The TV stations strike back ?

2012-12-25 15:51:46 | 日記
偶然かもしれないが、面白いことをフジ系列のテレビ局がやった。

前のエントリで取り上げた、「関ジャニのCM」を二度放送したのである。

まぁあれから何度か目にはしているので、なんてことはない、

とも言えるのではあるが、ちょっと恣意的っぽくて苦笑できるので、

書いておこうかな、と思ったわけである。


まず一度目。

「いいとも」を見ていて、そろそろおなかがすいたな、と思って、

昼食に行こうとした時、流れた。

まぁそんなこともあるやろ、と出かけた。


すると二度目。

丁度帰ってきて、「ごきげんよう」のエンディングだったので、

「ヒルナンデス」にでも替えようかと思ったその時、流れた。


別にまぁ二度かかろうが三度かかろうが、そこに因果関係を求めるのは、

非常に難しい。

しかし、人間というのは面白いもので、

「テレビ局の逆襲?」との可能性を捨てきれない私がいるのである。

まぁこんなふうに書いていることでまた、「私の逆襲」、

と言えなくもないのだが、マスコミ、マスメディア、への信頼が崩れかけているのは確か。


日本では一般的に、新聞社とテレビ局が対応する。

毎日新聞とTBS(東京放送)系列、朝日新聞とテレビ朝日系列、産経新聞とフジテレビ系列、

読売新聞と日本テレビ系列、日経新聞とテレビ東京系列。

不信感というものは増幅する。

「精神衛生上悪いCMを流しまくった」、として、TBS系列「Nスタ」を見ない、と私は書いた。

そのあと、「これがそのCMやないんやけど」、と書き、

今度は具体的に何のCMかわかるように、「関ジャニの『一人っ子か』と言ってるCM」、

について書いた。

この二つは本当に同一のものではなかった。

しかし、具体的に誰にでもわかるように書いた、私には単なる、「ブログの種」、でしかなかったCMを、

今度は大量に流し始めているのである。

ここに私は恣意を感じるわけである。


そういうことで、とばっちりを受けた新聞社やテレビ局もあるだろうが、

この五大メディア群を、以後、meine Liebsteの影響などが無い限り、

「絶対に見ません」。

ちなみにネットニュースも、よく見ればわかるが、

配信元はこのメディア群であることが多い。

だから、「ニュースならYahooのトップページから見ればいいや」、

なんて考えは、浅薄である。

「これはなんやろ?」と思った時には必ずクリックし、配信元を確認する。

そして、五大メディア群によるものなら、「はい、スルー、スルー」、

と消し去る。


それでも多分困らないと思う。テレビを全く見ない家庭、というのも存在するらしいし。

見るなら、ちゃんと残ってますよ、おっきなところが。

そう、NHK。

テレビが見たかったら、ニュースを知りたかったら、NHK。

あ、NHKの回し者ではありませんので、あしからず。


食事時など、受動的な状態であるときには、NHKだけでなく、音楽もいいですな。

実際、上述の出来事ののちは、もう手に入ってしまった「桜流し」を流しっぱなし。

PCには、まだまだ何十何百時間といった楽曲があるので、十分対応できるはず。


情報の取り扱い方って(この場合の「情報」とは、大きな意味で)、難しいけど、

面白いし、楽しくもあるね。

人類は終末論がお好き?

2012-12-22 17:28:55 | 日記
「マヤ暦が予言する人類滅亡は2012年ではなく2015年だった

 2012年12月22日(土)10時0分配信 週プレNEWS」

を読んで。


「1999年7の月、世界は滅ぶ」、

というのはあまりにも有名な、「ノストラダムスの大予言」。

ノストラダムスが残したという「諸世紀」、

にこの事が書かれてあった。そして、その他の、

様々な予言が的中していた、というところから広まってしまった。

しかし、信じ切っていた人もいるだろうけれど、専門家はそれほどでもなかった。

なぜなら、「諸世紀」は、難解な言葉で書かれた四行詩で、

解釈が諸説あり、「意図的」にされてきたのではないか、

と思われるからである。

実際に、「予言」と言われたものは、あらかじめ確認されていたのではなく、

「後付け」で、「ほら、この部分はあの出来事を予言していたんですよ」、

的なものだらけだったのであった。

あるフランス文学者の解釈によれば、あの部分は、

イスラエル・パレスチナ周辺の事を指しているのだろう、

ということが、1999年7月以前より言われていた。

結局、「世界的な滅亡」、なんてことは起こらなかった。

しかし、人々はこういうものが好きなのか、また新しいものを持ち出してきて、

「世界が終わる」などと言って騒いでいる。

そう、マヤ暦による、「世界の終わり」である。

ただ、今回はちょっと違う。

上記したネットニュースを読んでみるとわかる。

マヤとエジプト、二つの文明による、「終末」の符合。

さて、3年後、どうなってるんでしょうねぇ。

中国人のファンはどう思うのだろう?

2012-12-21 20:00:08 | 日記
「精神衛生上悪い」と言ったCMはこれじゃないんだけど、

関ジャニが出てるCMで、プリンを独り占めしたメンバーを皆で非難して、

「一人っ子か」と最後に二度聞こえるやつは、面白い使い方があるかもしれない。

関ジャニが中国で人気があるのかどうか知らないけど、

中国の人に、このCMを見てもらう、というもの。

何でかというと、中国はご存じのとおり、長らく続く、

「一人っ子政策」、

の国。

そのわがままさは日本の比ではなく、

「小皇帝」、

と言われるほどだという。

もし中国で人気があるとして、このCMを中国語に訳してテロップをつけて流したら、

どうなるでしょう?

ちょっと楽しみだな。

私の肩書

2012-12-20 06:28:01 | 日記
え~、更新頻度が少なくなったので、

後付けで「Interlude」「Zwischenspiel」、

とブログ名を変えて、

「一休み中」、

という事を標榜したわけですが、

何かそんなことをした後に、

選挙やら、自分が書きたくなったりやらで、

全然「Zwischenspiel」になってない、

という状況にはまりこみました。

で、やっぱりまたブログ名を変えて、

書いていこうかな、何て思ったりもしているわけですが、

「一休み」、とした理由はそれだけじゃあないんですよね。


中村勘三郎さんの死去に衝撃を受けましたし、

「自己紹介欄」に、「もう一寸したら肩書きが増えます」、

何て書いたりもしました。

実際には、一応書いていない肩書きが既にあるんですが、

勘三郎さんの死で、「死生観」「宗教観」といったものがガラリと変わってしまったこともあって、

追記するのに一寸躊躇してしまうところがあったわけです。

(こう書くと、「宗教関係」であることはバレバレでしょうね)

で、増える肩書きの方も、正式には来春になるので、

一寸「Zwischenspiel」とするには早すぎたのかもしれません。


というわけで、「自己紹介欄」で常時表示されることは避けて、

ここに一応書いておこうかな、と思います。

来春からは本当に更新頻度が下がるかもしれない、

という事は理解してもらえるはずです。


「現在、中央仏教学院通信教育部学生。

 来春より、放送大学教養学部学生(予定)」


もっと違うことを予想していたり、期待していた人がいるかもしれませんが、

これが私の肩書です。

学歴ってなんなんでしょ?

2012-12-19 21:02:57 | 日記
さて、7時台になって、「爆問パニックフェイス2hSP」、

つまりTBS系列に戻ってきたわけですが、

問題発生。


一発屋たちが集まって、「We are the world」を、

「We are the 一発屋」、として歌ったんですが、

♪We are the 一発屋~、というところで、

♪ウィー アー ザ いっぱつや~、と歌わせてしまったんですね。

意外と気付きにくいかもしれませんが、初歩の英語ミスが隠れています。

そう、

"the"は、普段は”ザ”と発音しますが、

母音の前では、”ジ”になるんですよね。

多分、制作スタッフは私よりも学歴が良かったりするんだろうなぁ~、

なんて思いながら、見ていました。


ちなみに、FUJIWARAの原西さんは流石ですし、本当に面白かったです。

でも精神衛生上悪いものは避けます

2012-12-19 18:58:53 | 日記
TBS系列「Nスタ」を見ることをやめました。他の局にします。

それに伴って、地方局のニュース番組枠も変わることになりますが、

それは整合性を保つためには仕方の無い事。


まぁ理由があるわけですが、別に「今回の報道」ではありません。

CMです。

精神衛生上悪い、と判断されるCMが大量に流れていたからです。

ま、仕方ないですね。

私は「撤回」ぐらいで怒りませんけどね(笑)

2012-12-19 08:27:06 | 日記
さあ、また朝から書かなきゃいけなくなってしまいました。

橋下氏はもう日本維新の会共同代表になったんでしょうか?

まだ代表代行のままでしょうか?

まぁ肩書は今のところどうでもいいか。

いずれにせよ、橋下氏の「変遷」が理解できました。

「安倍氏を推すのが民主主義」から、「未経験だから取り違うことを言った」となったわけですが、

絶対に「撤回ではない」、と毎日新聞に対して言っていたわけです。

先に書いたとおり、「日本維新の会の意思決定過程の透明化」の上で、話しているに過ぎず、

「安倍氏推し」は、その時点における橋下氏の「個人的見解」、なわけです。

「民主主義」を出さなきゃよかったんですよ。そこが失敗のもと。

結局、「暴走老人」に諫められて、「個人的見解」の「変遷」、が起こったわけです。


説明すると、「自公連立の首相指名に於いて、そこに乗っかってしまえば、

他の事項についても承認したような印象を与えてしまう」、という事と、

何かあった時、「一度承認したから、内閣不信任案が提出しづらくなる」、

という事のようですね。


今日、フジテレビ系列「めざましテレビ」の報道で確認できたわけですが、

「とくダネ」でもトップでこの事をやっていました。

私が書いた元ネタは、TBS系列「Nスタ」が土台となっています。

基本的に全国ニュースを見るのは、この「Nスタ」と、

時々「報道ステーション」。時間があれば、「めざましテレビ」と「とくダネ」。

やり玉に挙げられた毎日新聞系列のテレビ局の報道だけで書いたことが、

私を納得させなかった、ということです。


「メディア」というものの扱い方も大変ですし、そこで取り上げられる「情報」、

といったものの取り扱い方も、慎重にすべきなのかもしれません。


ただ、もう一度言っておきますが、橋下氏の「個人的見解」の上での「民主主義」によれば、

「安倍氏推し」が妥当だと判断していたことは、事実ですからね。

「暴走老人」と共同代表でホンマにやっていけるんかいな、と思いますが、

今回はテクニカルな面についての「レクチャーを受けた」と言えるでしょう。


大阪の選挙区で躍進したのも、「暴走老人」のお蔭ではなく、

「独裁者」たる橋下氏だからこそ、なわけで。


「船頭多くして、船、山に登る」ようなことが無いように。ご注進ご注進。

そういえば「暴走老人」が「「独裁者」を止める」、と言ってましたね。それもまた変な話ですな

2012-12-18 18:35:52 | 日記
「お休み中」なんですけどねぇ。このブログは。

でも橋下氏は私を休ませてくれません。

さすが「独裁者」ですかな?

いや、「暴走老人」に操られた「傀儡」に成り下がったかな?


TBS系列「Nスタ」で見たんですが、

橋下氏は、私のブログの一つ前のエントリに書いたようなことは、

「個人的見解」として述べただけであって、

日本維新の会の、意思決定過程までも透明化している、

というような事を言っていました。


まぁ、党としての行動を逐一言ってくれる、というのはいいんですけど、

ちゃんと、「個人的見解」ではあっても、「そうするのが多数決、民主主義」なんだと言ってましたよ。

橋下氏の中にある「民主主義」概念と一般的な「民主主義」の概念が食い違っているんですかねぇ。

党の代表代行であり、共同代表制にしようか、とも言われている中、

その人の中にある「見解」、というものは、内に秘められている状態ならともかく、

いくら「個人的」であろうと、「公人」なんだし、公表してしまった時点で、

「公的発言」になるのが当然じゃないんですかねぇ。


おまけにまた出てましたよ、「報道規制するぞ」との恫喝。

毎日新聞の取材は受けないとか。前は朝日でしたっけ?

こうなったら産経と読売もそのうち標的にして、

「報道規制恫喝グランドスラム」、ってーのはどうですか?橋下大阪市長・日本維新の会代表代行「閣下」。

橋下氏は「民主主義」を理解してなかった?

2012-12-18 15:21:14 | 日記
「首相指名は石原代表 維新が確認 「共同代表制」を検討

 産経新聞 12月18日(火)7時55分配信」及び、関連記事、


「橋下氏、朝ズバリポーターに苦情「勉強してから質問して」

 産経新聞 2012/12/17 01:01」、

「橋下氏、NHKアナに「しょうもない質問やめて」

 産経新聞 2012/12/16 22:32」、


 を読んで。


このブログでも取り上げたが、橋下氏は、

「16日夜、「自公両党に従うのが民主主義だ」と自民党の安倍晋三総裁に投票する意向を示した」、訳だが、

石原氏との見解の相違に対して、

「両氏は17日午前、電話で会談し、橋下氏は「未経験だから取り違うことを言った」などと釈明した」そうだ。


これは笑えるのではないか?関連記事2つを読んでみればわかる。

自己矛盾というか、自己否定になっていないか?

これでは「石原氏の言いなり」に成り下がったとしか思えない。


「自公両党に従うのが民主主義だ」と言った訳だから、

橋下氏には、「民主主義」というものを、


「勉強してから発言して」、


と言いたい。

「民主主義」に対して、


「未経験だから取り違うことを言った」、


と同義になってくるのだから。


「しょうもない発言はやめて」、


とも言える。

今の状態の日本維新の会にとっては、十分すぎるでしょう

2012-12-17 07:09:54 | 日記
自民党の大勝に終わった今回の選挙ですが、

日本維新の会も十分健闘したと思います。

大阪の選挙区で議席を獲得し(太陽の党などからの合流者にはもともとジバン、カンバン、カバンがあるので省いて話しますが)、

比例では近畿ブロックで自民党をおさえての第一党、

他のブロックでも自民党に続き第二党、

これって大善戦でしょう。

これ以上何を望む?


小選挙区の方にもっと立候補者を出したり、他党との選挙協力ができていたりすれば、

もっと議席を得ていたかもしれません。

でもそれはできなかった。

その状況では民主党に迫る第三党になったことだけで充分でしょう。


「前都知事閣下」を首相にしたいんでしょうけど、

既に橋下大阪市長は「自民党の安倍氏の首班指名を支持する」と言い、

「前都知事閣下」は「他党の長を認めるなんて政党の体(てい)をなさない」、

と反論してますね。


まぁもう言われていることですが、「太陽の党」との合流が、

更なる議席増化を妨げたのか、逆にここまで議席を伸ばせたのか、

どちらかはわかりませんが、「反民主」の受け皿が、

結局は自民党になった、という事は確かでしょう。


大阪の選挙区と比例の近畿ブロックを除いて。

投票日ですが、「政治の世襲」について

2012-12-16 06:12:31 | 日記
さて、そろそろ投票が始まるわけですが(不在者投票や期日前投票もあるけど)、

ここで一つ、疑問をば。


「なぜ政治の世襲はいけないのか」


まぁ政治を握ってしまって、カバン、カンバン、ジバン、

のどれをとってみても、新しい候補者が太刀打ちできない、

というところから出ているんでしょうけど、

私が以前に書いたはずのところから考えてみると、

それほど「異常」というものじゃあない、と思うんですよね。


つまり、「政治家」でなくて、「政治屋」なわけです。

これだと納得いきませんか?

「八百屋」「魚屋」みたいに、息子などが後を継ぐ。

「家業」を継いで、何が悪いんでしょう?


日本の宗教界などにもその傾向はあります。

最近、「お寺を継ぐために、引退する」といったミュージシャンがいましたね。

なぜ、息子がお寺を継ぐのでしょう?

これは日本以外では珍しいことだと言われています。

「肉食妻帯」が、是、とされ、近親者による寺院の世襲が当たり前、と言われ、思われています。

しかし、元々はそうではなかったはずです。仏教も、「世襲禁止」の中に入っていた筈です。

しかし時代が下るにつれて、日本では、なし崩しになってきた。「世襲」が当然、とされるようになった。

なら、「政治家」だって同じじゃないですか?「世襲」のどこがいけないんでしょう?


「~家」というと、何か自分の才能で勝ち取った、というイメージがわきますが、

「~屋」なら、あぁ、跡を継がはったんやな、と思うでしょう。


「政治の世襲」も、そんなもんです。「政治屋」の代替わりなだけです。