日本史の授業で、
「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」、
というものを習ったのを思い出す。
源氏、平氏、藤原氏、橘氏、が有力な氏族であったと。
橘氏は凋落していったが、
「源平藤」、は未だにその子孫たちが残っているだろう。
「源平」はどうしても対立したものと考えられてしまうが、
元はと言えば、どちらも、
「天皇家から臣籍降下した家柄」、
である。
だから時代をさかのぼれば、双方とも天皇へと直結する。
ただ、武士の家柄、となってしまって、双方は対立することになる。
「源平交替説」というものも耳にする。
貴族化した平氏が政権を握り、
源頼朝によって、幕府が開かれ権力を握り、
平氏出身の北条氏が、後継ぎの絶えた頼朝の家系の代わりに執権として君臨し、
天皇家の南北朝対立から、源氏の流れの足利氏が政柄を握り、
戦国時代では平氏の流れと自称する信長が天下統一を目指し、
基本的に信長の政策を継承していただけの秀吉も平氏として振る舞い、
源氏の流れと称する徳川氏が後を継ぐ。
本当にうまいこと「源平交替」が行われている。
ではその間、藤原氏はどうだったのか。
政柄を握っていた貴族である藤原氏は、「公家」として脈々と生き延び続ける。
徳川幕府が滅び、天皇中心の維新政府が立ち上がった時には、
「華族」として、特権階級に居座り続けた。
これは第二次大戦の敗戦まで続く。
その後もまだ「源平藤」の流れを汲んでいると自称する者、
実際に「源平藤」の子孫である者、は未だに代を重ねている。
まぁそのようなことを私はずっと思っていたのではあるが、
面白い本に出会った。
既に有名、あるいは、「トンデモ」として片づけられる、
関裕二氏の本である。
関史観は面白い。
今のところ私は「関史観入門書」と言われる、
「ここまで解けた!『古代史』残された謎」、
しか読了していないのだが、本当に面白い。
事実、そうではなかったか、とも思わされている。
若いころ、「信長殺し、光秀ではない」という八切史観に触れて、
光秀ファンになって今に至るのだが、
関史観における展開によっては、一般的に「悪人」とされる人物や氏族に対して、
ファンになってしまう可能性は十分にある。
実際には、関史観に出会う前に、
「蘇我氏四代の冤罪を晴らす」と言う遠山史観に出会っている。
これにも私は飛びついた。
蘇我氏は悪人でもなんでもない。聖徳太子(厩戸王子:うまやどのみこ)の方が当時における反体制派であって、
権力欲にまみれた俗人であった、との解釈に賛同した。
ただここで一つ問題がある。
私は浄土真宗本願寺派信徒である。
開基である親鸞聖人の意を決するきっかけとなった、
夢における聖徳太子の顕現、といったものに対して、どう理解するべきか。
結局、この事によって太子信仰は広がりを見せ、
遠山史観における「聖徳太子」は報われたことになる。
関史観で「聖徳太子」がどう扱われているのかは、
まだ核心に触れるところを読んでいないのでわからないのだが、
少なくとも、「現在の太子信仰」が崩れ去ることは確かであろう。
ちょっと私の立脚点も揺らぎ始めているのだが、
どう理解し、どう行動していくか、
読み進めて納得してしまえば、また新たな立脚点を見つけることになるだろう。
「トンデモ」と言われるようなものでも、
少なくとも一人の人間の人生に於ける考え方、立脚点、その他もろもろ、
一気に変えてしまう力を持っているものもある、
という事を知ってもらいたい。
「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」、
というものを習ったのを思い出す。
源氏、平氏、藤原氏、橘氏、が有力な氏族であったと。
橘氏は凋落していったが、
「源平藤」、は未だにその子孫たちが残っているだろう。
「源平」はどうしても対立したものと考えられてしまうが、
元はと言えば、どちらも、
「天皇家から臣籍降下した家柄」、
である。
だから時代をさかのぼれば、双方とも天皇へと直結する。
ただ、武士の家柄、となってしまって、双方は対立することになる。
「源平交替説」というものも耳にする。
貴族化した平氏が政権を握り、
源頼朝によって、幕府が開かれ権力を握り、
平氏出身の北条氏が、後継ぎの絶えた頼朝の家系の代わりに執権として君臨し、
天皇家の南北朝対立から、源氏の流れの足利氏が政柄を握り、
戦国時代では平氏の流れと自称する信長が天下統一を目指し、
基本的に信長の政策を継承していただけの秀吉も平氏として振る舞い、
源氏の流れと称する徳川氏が後を継ぐ。
本当にうまいこと「源平交替」が行われている。
ではその間、藤原氏はどうだったのか。
政柄を握っていた貴族である藤原氏は、「公家」として脈々と生き延び続ける。
徳川幕府が滅び、天皇中心の維新政府が立ち上がった時には、
「華族」として、特権階級に居座り続けた。
これは第二次大戦の敗戦まで続く。
その後もまだ「源平藤」の流れを汲んでいると自称する者、
実際に「源平藤」の子孫である者、は未だに代を重ねている。
まぁそのようなことを私はずっと思っていたのではあるが、
面白い本に出会った。
既に有名、あるいは、「トンデモ」として片づけられる、
関裕二氏の本である。
関史観は面白い。
今のところ私は「関史観入門書」と言われる、
「ここまで解けた!『古代史』残された謎」、
しか読了していないのだが、本当に面白い。
事実、そうではなかったか、とも思わされている。
若いころ、「信長殺し、光秀ではない」という八切史観に触れて、
光秀ファンになって今に至るのだが、
関史観における展開によっては、一般的に「悪人」とされる人物や氏族に対して、
ファンになってしまう可能性は十分にある。
実際には、関史観に出会う前に、
「蘇我氏四代の冤罪を晴らす」と言う遠山史観に出会っている。
これにも私は飛びついた。
蘇我氏は悪人でもなんでもない。聖徳太子(厩戸王子:うまやどのみこ)の方が当時における反体制派であって、
権力欲にまみれた俗人であった、との解釈に賛同した。
ただここで一つ問題がある。
私は浄土真宗本願寺派信徒である。
開基である親鸞聖人の意を決するきっかけとなった、
夢における聖徳太子の顕現、といったものに対して、どう理解するべきか。
結局、この事によって太子信仰は広がりを見せ、
遠山史観における「聖徳太子」は報われたことになる。
関史観で「聖徳太子」がどう扱われているのかは、
まだ核心に触れるところを読んでいないのでわからないのだが、
少なくとも、「現在の太子信仰」が崩れ去ることは確かであろう。
ちょっと私の立脚点も揺らぎ始めているのだが、
どう理解し、どう行動していくか、
読み進めて納得してしまえば、また新たな立脚点を見つけることになるだろう。
「トンデモ」と言われるようなものでも、
少なくとも一人の人間の人生に於ける考え方、立脚点、その他もろもろ、
一気に変えてしまう力を持っているものもある、
という事を知ってもらいたい。