「百年の孤独」の訳者は Fernando de Diego(1909 - 2010)というスペインのエスペランチストである。長くベネズエラに住んでいた。著作の中には翻訳技術に関するものもあり、大量の翻訳作品がある。この本を読みにくくしている最大の原因はその訳語にある。なにせやたらに難しい単語が使われているのだ。
多用されているのですぐに慣れてしまうのは、nul (=neniu) と mido (=tagmezo) である。neniu は形容詞としても代名詞としても使われるが、nul も全く同じ使い方をしている。mido から postmida といった合成語も作られる。散文の翻訳でわざわざこういう単語を使う理由は私には理解できない。巻末には5ページにわたる単語の説明があり、例えば次のような単語があげられている。
antagoni:antagonismo(対立・敵対など)から作った新語。
glekti:neglekti(無視する)から造った新語
ĉendi=ekbruligi
fusili:fusilo を動詞化したもの。
mokra=malseka
あげていたらきりがないが、この他、辞書にあっても散文ではあまり使われない「雅語」や専門用語なども大量に使われている。mava, incidi, raŭto, dirta, poka, ĉipa, adheri, koncipi, ...
また、あまり見ない合成語もたくさん出てくるが、これらは読者が自分でその意味を考えることになる。dekonvinki:〜しないように説得する。despolvi:ホコリを取ってきれいにする。pojndueli:腕相撲をする。
以上、ごく簡単にあげたが、いろんな単語が好きな人にはお奨めの一冊かもしれない。
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