エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて22年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

エスペラントのお金

2007-12-07 | なぜエスペラントなのか?
 詳しいことはよく知らないのだが、昔、エスペラント界(のみ)で通用するお金が発行されたことがある。今でも通用すらしいのだが、どうやって手に入れるのだろうか?
 貨幣単位は「stelo:ステーロ(星)」である。
 ネット検索していたら、硬貨の写真を見つけた。残念ながらエスペラント文ではないので詳しいことは分からない。
 ここは大先輩に解説を願うか?

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ベトナムの3人(3)

2007-09-10 | なぜエスペラントなのか?
 8月19日。今日は休養日。ベトナムコーヒーを入れて、私のベトナム旅行の写真を見てニエムと昔のことを話す。コーヒーは彼らに頼んで買ってきてもらったもの。甘い濃厚な香りがする。私は薄めに入れてブラックで飲むが、彼らはコンデンスミルクと砂糖を入れる。ニエムは粉末クリームを持参していた。
 午後は娘たちと買い物。夜はベトナム料理を作ってくれた。チャ・ゾーという揚げ春巻きである。一見シンプルな料理だが、これもずいぶん手が込んでいる。ベトナムでは外食することが多いが、主婦が料理をする場合はほとんど一日中台所にいるのだとか。
 夜は彼女らに着物を着せて記念撮影に興ずる。

 8月20日。途中のコンビニで弁当などを買って、付知峡へ。ベトナムでは珍しい滝を見せたかったのだが、一番大きな高樽の滝までは交通止めで行けなかった。駐車場から不動滝・仙樽の滝まで歩いて冷たい水に足を入れたりして遊ぶ。近くに静かな東屋を見つけて昼食・昼寝。

 8月21日。帰りの飛行機のリコンファーム。ベトナム航空なのに日本語しか通じない。空港のチェックインカウンターにもベトナム語の出来る人はいなかった。名古屋の親戚の家にニエムの荷物が預けてあったので、みんなで名古屋へ。日本で仕事をしているご夫婦の家で1時間ほど歓談をして、名古屋港のイタリア村へ。ここでピザの昼食をとって、水族館。ベトナムにも水族館はあるといっていたが、巨大なシャチの泳ぐ様は圧巻である。
 帰りは私の好きなトンカツの店で夕食。

 8月22日。中央自動車道ー東海環状自動車道ー伊勢湾岸自動車道ー知多半島道路ー知多横断道路ー中部国際空港連絡道路と乗り継いで中部国際空港へついたのが8:25。さっそくチェックインして、30分ほど空港内を見学。11時発のホーチミン行きでベトナムに帰っていった。

 これでやっと我々のエスペラント世界大会が終わった。また「毎日が日曜日」の日常がやってくる。しばらくお預けになっていた読書などを再開しなければ。このブログも週1回程度に減速しよう。

   写真のTシャツははスイスのお客さんのおみやげ
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ベトナムの3人と八ヶ岳エスペラント館(2)

2007-09-08 | なぜエスペラントなのか?
 8月17日、午前は近くの平山郁夫美術館へ。私も初めてだったが、八ヶ岳エスペラント館に泊まる方は一度は訪れることをおすすめする。午後はまたぐったりして休息。みなさん世界大会の疲れが残っているらしい。
 Y夫妻とグェット、Y.Y、Mの4人が帰り、新しく管理人のOさんが来た。夕方になって町に出かけてスーパーで買い物。今夜はハイ・ミンとマイ・アンが夕食を作るという。私の妻も手伝っていたが、ずいぶん時間がかかる。男たちがそろそろ空腹で死にそうだと言い始めた頃にやっと夕食になった。独特の味付けをした野菜サラダをレタスやエビせんべいのような揚げ物に載せて食べる。独特の味付けといっても酢、砂糖、ニンニクなどでそんなに特別なものを使っているわけではない。他にベトナム風のお好み焼き。一見すぐにでもできそうな料理だが、ずいぶん手間がかかっている。
 夜の交流会は、こんどは歌が中心になった。

 18日、会館の掃除をして、たまったゴミも一緒に積み込んで10時半頃に出発。ベトナムの3人(ニエム、ハイ・ミン、マイ・アン)と私・妻で、車はやっぱり満席である。近くの身曽祇神社に寄る。ここは立派な能舞台を持っている。池にはたくさんの鯉がいて、ハイ・ミンがエサを買ってきて鯉と遊ぶ。昼食に諏訪の名物、ウナギを食べる。ベトナムにもウナギはあって、いろんな料理があるというが、日本の蒲焼きは彼らにも美味しかったようだ。
 いったんわが家に帰って少し休憩。こんどは私の郷里へ花火見物に出かけた。あまり規模の大きい花火ではないが、すぐ近くで見ることができるので迫力は充分である。2001年のテトの花火をハノイで見たが、霧が濃くてほとんどなにも見えなかったことを思い出す。

   写真のテーブルクロスは、マイ・アンの手編み
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ベトナムの3人と八ヶ岳エスペラント館(1)

2007-09-06 | なぜエスペラントなのか?
 8月16日の朝、ルイーザが出発する少し前に、ベトナムのニエムと名古屋の学習グループ、チャンブロ・チャルマのメンバー2人(Y.YとM)がやってきた。駅で短い「Renkontig^o:出会いの会」である。
 この日は、この3人と私・妻が車で八ヶ岳のエスペラント館へ。小淵沢駅でベトナム、ホーチミンのハイ・ミンとマイ・アンを迎える。この2人はJEIがエスペラント世界大会に招待した人で、世界大会後はNさんと私が世話をすることになっている。この日までNさんがお世話をして、今日から私というわけだ。ニエムはハイ・ミンの父親である。
 エスペラント館に集まったのは、もう1人の招待者ベトナムのグェットとその世話人のY夫妻、Y.Y、Mの10人。それに会館の管理人のAさんと、フランスの盲人とイタリア人が飛び入りで参加。この日の午後からいつもの学習会のように各自の話を聞く予定だったのだが、みんな疲れていてそれどころではなかった。
 イタリア人がベトナムの女性たちを誘って、買い物をしたい、村を見たいというので連れて出た。
 「村はどこにあるんだ?」「ここは観光地・別荘地だから普通の村ではないが、ここがそうだ」「ちがう、村というのは家が集まっていて、その中心に教会などがあるものだ」「ヨーロッパでいうような村は日本にはない。日本で村や町の中心部にあるのは役所や商店で、住宅ではないんだ」なんて話をしながら、「三分一湧水」へ。帰りにコンビニに寄って食料を少し買い込む。
 あじ御飯と野菜サラダなどの夕食のあと、交流会。チャンブロ・チャルマの司会は輪番制だが、今回は私の番だった。初対面の人も多いのでまず自己紹介をする。それぞれがそれなりに話をし、質疑応答も続くので結構時間がかかり、一巡したところで終わりにして、近くの温泉に行くことにした。グェットはお風呂にも入ったが、ハイ・ミンとマイ・アンの2人は一緒に来ただけで中には入らなかった。ベトナムの人には日本の風呂には全く入れない人もあるし、わりに平気な人もある。
 夜は自由に交流会。歌の好きな人が多かったのだが、いろんな物語を披露するのが中心になった。イタリア人はエスペラントも達者だが、陽気で自分の好きなように場を盛り上げる。宗教上アルコールは一切飲まないというのだが、常時酔っぱらっているような雰囲気である。

   写真はドイツの薬用酒、今年わが家に泊まった夫婦が置いていったもの。アルコール度数はかなり高い。
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ドイツのルイーザ

2007-09-04 | なぜエスペラントなのか?
 ウラジミールが発ったその8月14日午後、ドイツの19才の女子学生がやってきた。明るくて元気のいい人である。この日も手巻き寿司。何でもよく食べる。刺身やイカなども大好きだという。ヨーロッパではタコは悪魔を思わせるから食べないと聞いていたが、彼女は平気だという。
 夜は町で盆踊りをやっていたので、浴衣と草履で出かけた。浴衣は身幅が狭くて少し具合が悪かったが、なんとか着こなしていた。屋台を冷やかして歩いたり、踊りの輪の中に入ったりして楽しんでくれた。踊りの方は全くさまにならなかった。町の人の注目を浴びたと思うが、欧米の人と違って日本人はあまり好奇心をむき出しにしない。それでも何人かが英語で声をかけて話をしていた。
 8月15日。私の生まれた町へ墓参りに行く。そのあと、甥の結婚披露の会である。ごく内輪の会なのだが、兄が「若い女の子なら大歓迎だ」と言うから連れて行った。料亭での本格的な会席料理だから彼女には貴重な経験になったと思う。甥の1人が塾で英語を教えているが、ほとんど会話ができない。お嫁さんの方は仕事で使っているようで、なんとか会話になっていた。
 恵那に帰って、こんどは「広重美術館」へ。小さな美術館だが、浮世絵の「刷り」の体験ができて、出来上がった絵はおみやげに持って帰ることができる。広重の中山道「大井宿」の舞台になった甚平坂にも行って見たが、御岳が見えなくて残念だった。この日はエビやイカが好きだというからフライにした。
 8月16日、次の宿泊先に向けて出発。短時間にこれだけいろんな経験をしていったお客さんは珍しい。

   写真はウラジミールのおみやげ、香水入れ(高さ8cmくらい)
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ブルガリアのウラジミール

2007-09-02 | なぜエスペラントなのか?
 世界大会が終わったので、このブログも日刊から不定期刊にする。
 8月12日、横浜からの帰りに名古屋から一緒に恵那に来た。70を超えた物静かな紳士である。旅慣れていて、いろんな経験をしているのだろうか、人当たりがよく如才がない。元空軍パイロットで、軍で教官をしていたこともあるという。北京で行われたエスペラント世界大会の時にはシベリア鉄道経由で中国に入り、その後インドまで3か月にわたる旅行をしたという。この日の夕食は何をしたか憶えていない。刺身でも何でも食べると言うから、刺身を買ってきたが、実際美味しそうに食べてくれた。
 旧ソ連が崩壊したあと、ブルガリアも劇的に変わった。
 「あなたにとってどちらがよいか?」
 「どちらとも言えない。以前は自由がなく、気軽に外国旅行など思いもよらなかったが、今はこうしてどこにでも行ける。しかし、今は年金は減り、一方では泥棒が公然と金儲けをしている。」
 「民主的な共産主義というものを想像できますか?」
 「想像できない。しかし、それがあるとすれば理想的だ」
 8月13日、カメラに充電をしたいという。持っている充電器が230V対応で、コンセントの形も異なっている。外国旅行用のコネクタを持ち出してつないでみたが機能しない。電気屋で聞いてみたら、取り寄せればあるかもしれないくらいの話である。秋葉原のようなところでさがすか、国を出るときに用意しておくべきだったとあきらめてもらった。
 昼食に日本ソバ屋に案内したが、これは美味しくなかったようだ。それでも完食(汁まで全部)して「俺は勇者だ!」
 夜は扶桑町・犬山市のエスペラント会との交流会に参加。アジアからの招待者で、モンゴルの女性、同じくベトナムの女性を迎えての歓迎会である。個人宅に十数人が集まって賑やかな夜になった。
 8月14日朝、次の宿泊所に向けて出発。短い滞在だった。

   写真は来年の世界大会の第1報(裏面)
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恵那国際の集いとベルギーの青年

2007-08-03 | なぜエスペラントなのか?
 7月28日、朝食は、パン・おにぎり・バナナ・昨日の残りの肉を使った野菜炒め・ブドウなどなど。他にコーヒー・牛乳など。パンがあっという間に売り切れてしまって、バナナやおにぎりが売れない。参加者の好みを読み切れなかった。
 いくつかの候補地から投票で選んだ「岩村城址と岩村の町」と恵那市の「広重美術館」へ遠足。日本人の多くが車で来ているので、10台の車を連ねる。山の上にある岩村城址から古い城下町の雰囲気が残る岩村の町並みへと歩く。予定していたレストランが消えてしまったので、急きょ選んだのはソバの店。満員の店にいきなり25人ものお客が来て、お店はてんてこ舞い。広重美術館では浮世絵の「刷り」の体験に大はしゃぎ。
 ここで5人家族とオーストラリアの人が次の宿泊地へ行くためにわかれ、6人の日本人が帰って、13人に減った一行は豊田市・Yさんの「山の家」へ移動。みんなで大型銭湯に行き、カレーライスで夕食。夜は花火に興じる。
 ベルギーの青年が携帯用の囲碁セットを持っていて、2人の日本人と対局。なかなか強い。
 7月29日、さらに3人の日本人が減って、10人で足助の川沿いの気持ちのいい遊歩道を香積寺まで散策。昼食にはこんにゃくの田楽(外国人はほとんど食べられなかった)、ソバ(さすが3回目では飽きる!)、五平餅(これは好評)。ここでスイスの2人が次の宿泊地へ行くために別れる。彼らを送っていく日本人も1人いなくなって、残ったのは7人。
 KHさんが準備のために家に帰り、6人は「三州足助屋敷」に入場。ここは古い日本の生活を紹介する博物館であり、実際に鍛冶屋さんや紙漉・竹細工・木工・炭焼きなどなどの職人が働いている場でもある。時間があればこれらの体験もできる。
 喫茶店で涼んでからKさんの家へ。夕食をいただいて、豊田花火大会を見に行く。打ち上げ場所のすぐ近くの橋の上まで行ったのでものすごい迫力だった。少し休んで、ベルギーの青年と一緒にわが家に帰ったのは夜の11時を過ぎていた。
 7月30日、私も疲れていたが、ベルギー青年も疲れていたようで、お昼頃まで寝ていた。私は昨日までの集会の会計整理や雑事に追われ、さらに近所の葬式まで飛び込んできてお客さんはほっておく。夜、碁を2番打ってみた。なかなか強い。2局目は危うく負けるところだった。
 話し好きで気持ちのいい青年だが、ひまなときには部屋に1人でいる。どこかへ出かけようという気はないらしい。早口で発音にかなりクセがあるのでやや聞きづらい。とくにRの音が「H^:ハ」のように聞こえる。そう言うと、これでもいいんだと引かない。日本食は、梅干しと納豆以外は何でも食べるという。東京の築地で大トロを食べたらものすごくうまかった、しかし何日もホテルに泊まれるほど高かったとか。
 7月31日、次の宿泊地へ出発。泊めてくれるエスペランチストが見つからなかったらしく、安いホテルに泊まりたいというので、ネットで見つけたカプセルホテルを紹介した。カプセルホテルは彼もすでに経験済みだという。電話で予約したとき、ホテル側は言葉が通じないからとやや困った様子だったが、何とか受け入れてもらった。大会期間中は格安の集団宿泊所に泊まる。
 世界大会が終わると、8月12日から22日まで、とぎれることなく外国からのお客さんがやってくる。それまでは頑張らなくっちゃ!

   写真はネパール・カトマンズの中心地タメルにて
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スイスからのお客さんと恵那国際の集い

2007-08-02 | なぜエスペラントなのか?
 3日の朝、UK参加のために横浜に出発するのだが、その前に、最近の4日間のことを2回に分けてまとめておこう。大会前で読むひまのない人も多いと思うが、大会後に書いたらますます読んでもらえそうにないので。
 7月26日、スイスから2人の女性がやってきた。背の高いTは日本語を14年も勉強していて、日本に来るのも5回目だという。「エスペラントは下手です」といいながら、なかなか上手に話す。何カ国語もできるということで、エスペラントの単語が楽にわかるようだ。陽気で楽しい人である。2人とも好奇心が強く、スーパーマーケットに買い物に行くのにもついてきた。「朝食はご飯とパンのどちらがいい?」と聞いたら、即座に「パン!」 スーパーでは甘いパンをいくつか買ってきた。
 7月27日、「Internacia Ena-Renkontig^o:恵那国際の集い」の準備で忙しく、昼食は外食にした。4人で行ったのは明日の昼食に予定しているレストラン。ところが、このレストランが建て物ごと消え失せていた! 結局日本ソバの店へ。機嫌良く食べてくれたが、ソバよりも天ぷらが気に入ったようだった。
 そしてこの日は国際の集いの初日である。主催は「恵那学習会」 学習会が国際集会を主催するのは奇妙だが、すでに去年も学習集会を主催している。メンバーが登録している「パスポルタセルボ」を頼ってたくさんの外国人が泊まりに来るので、この企画を考えついた次第である。
 初日は恵那市の「モンゴル村」でモンゴル式テントに泊まる。恵那学習会の構成メンバーは恵那市の3人と、豊田エスペラント会の2人だが、成り行き上、前半はほとんど私が企画した。緻密だと思われているかもしれない私だが、実はまことに大雑把な性格である。みんながやっと集まってきて、16:30頃に「開会式」 ここで日程が全く流動的で成り行き任せであることを強調する。
 集まったのは、スイスの2人、スイスの母娘、ベルギーの青年、ハンガリーの5人家族、オーストラリアの男性、計11人の外国人と14人の日本人、それに盲導犬が一匹である。夜はバーベキューを囲んで歓談し、歌を歌う。夜が更けてからはひとつのテントに何人かが集まって語り合う。

   写真はネパール・カトマンズの中心地タメルにて
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パスポルタセルボの実際(2)

2007-05-26 | なぜエスペラントなのか?
 21日、駅まで送り届ける。南木曽駅まで行って、馬篭まで約3時間程度のウォーキングである。我々(妻と私)も後から行く、運が良かったらどこかで会おうということにする。午後になって我々は車で馬篭へ、ここから彼らとは逆方向に歩く。1時間半ほど歩いて、馬籠峠も越えてしまったが彼らには会えない。時間も遅くなるので仕方なく馬篭に戻り、帰宅。
 結局彼らは妻籠で時間を使いすぎて、予定よりかなり遅れて馬篭に着いたのだった。妻籠から馬篭峠まではかなりの上り坂だが、元気いっぱいである。ビール、じゃなくて発泡酒500ccの缶を3本、自分で買ってきた。
 この日の夕食はウナギ。生協で買って保存してあった冷凍の白焼きである。これを蒲焼きにして食べる。彼らにはむしろ、山クラゲとか大根切り干しの手作りキムチといったものが気に入ったようである。ドイツ人の彼はハシを上手に使い、納豆も食べる。何でも食べてくれる人は受け入れる方も楽である。。
 彼らがおみやげにと持ってきたビデオDVD(エスペラントのドイツ大会の案内)を見て解説してもらった。別にCDに入った写真集も見せてもらった。
 22日、私の薦めもあって、城下町・岩村へ2人で行く。ここでもたっぷり時間をかけて、帰ってきたのはもう夕方近かったが、私の家の付近を歩きたいというので、旧中山道などを案内しながら1時間半ほどの散策をした。岩村でカステラとイチゴを買ってきてくれた。ビールは我々が用意した。
 この日の夕食は鰹のタタキ。何のことはない、わが家の住人の好物を並べただけだ。
 23日、朝食後家の前で写真を撮ったりして、関西へ行く彼らを駅まで送る。私の作った本と折り紙の作品をおみやげに渡す。
 シーツなどを洗濯して、布団をもう一回干して、しまい込んで、おしまい。楽しかったが、少し疲れた。3泊くらいが限界かなとも思うが、お互いにもっと知り合うためには短すぎる。また、この期間中はエスペラント会や学習会での交流の場を作ることが出来なかった。
 私にとってドイツの知り合いははじめてである。彼らもパスポルタセルボに登録していて、ぜひ一度来いという。世界中に行かなければならないところが毎年増えていく。
 世界大会の前後には数組、十人前後が泊まる予定になっている。

   絵は彼が描いた鎌倉
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パスポルタ・セルボの実際

2007-05-24 | なぜエスペラントなのか?
 5月20日から23日まで、ドイツの夫婦がわが家に泊まった。パスポルタセルボのひとつの例として、少し詳しく書いてみよう。
 パスポルタセルボで外国人を泊める場合、あまり世話を焼かない方が長続きするという。客を迎えることが負担になってはいけないというわけである。しかし、そこは日本人、ついあれこれと準備して、もてなしてしまう。
 彼らから最初のメールが来たのは2月25日である。日本名の奥さんからだった。5月1日に成田について、東京・東北を旅行し、関西に行く途中で5月20日または21日から23日まで泊めてもらえないかというものだった。私の住む地方についても知識があるようで、「山歩きや古い町を見るのが好きだ」とあった。
 承諾のメールを出すと、すぐに返事が来た。しかしその後の2か月半は全く音沙汰がなく、5月18日になって電話(私は不在だった)とメールで恵那に着く時間を知らせてきた。翌19日の朝にも日本語で電話をしてきたので、20日に来るのか21日に来るのかを聞くと、20日だという。もう明日である。あわてて客用布団を出して干す。天気が良くてよかった。
 彼らの年齢も旅行の目的も何もわからないまま、20日の午後、駅まで迎えに行った。会ってみると、40才前後くらいだろうか、気さくで感じのいい夫婦である。彼女は日本人だが、すべてエスペラントで会話したので、日本人だとは感じさせない。明日の予定を聞くと、妻籠・馬篭に行くという。手持ちの観光資料をさがして渡す。
 彼のエスペラントにはドイツ訛りがあって、慣れるまではややわかりにくかった。例えば、urbo が オーボと聞こえてしまうのだ。
 この日の夕食は「手巻き寿司」 生野菜やつぶした梅干し、味付けしたシーチキンなど刺身以外の具も出せるから、生魚を食べられない人にも対応できる。客がどんな食べ物が好きでどんなものが嫌いかは実際に食事を出してみるまでわからないから、ついいろんなものを用意してしまう。彼らは実によく食べてくれた。彼女がどのようにしてドイツに恋人を見つけたのか、結婚するまで当地に滞在するための苦労、言葉の問題・・・話が弾む。
 風呂も用意したのだが、浴槽には入らず、シャワーだけですませる、それも朝の方がいいという。ご随意にどうぞ、である。

   絵は彼女が岩村の商家を描いたもの
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エスペラント結婚

2007-04-23 | なぜエスペラントなのか?
 学習を始めて間もない頃、私の妻も一緒に学習していると聞いて「うらやましい、私の妻は全く関心がない」と嘆いていた人がいた。夫婦の一方が熱心なエスペランチストで、もう一方が全く関心がないどころか、家族全体から「道楽者(?)」とさえみなされる場合もないわけではない。一方、夫婦ですてきなエスペランチストという例も多い。
 中にはエスペラントで結びついたカップルもある。MさんやNさんなど、結婚前の愛の電話はすべてエスペラントだったとか、いまでも家庭内ではエスペラントだとか。もちろん、一方がすぐれたエスペランチストで、もう一方がその影響で学習を始める例も多い。身近に先生がいるから学習には好環境なはずだが、なかなかそんなわけにはいかないことも多いらしい。
 エスペラントだから国際結婚も少なくない。日本人と外国人の結婚例もいくつかあるが、ヨーロッパではそれほど珍しくもないのではないかと思う。私の友人にも日本人の妻とフランス人の夫、オーストラリアの夫とフランスの妻、ハンガリーの妻とスエーデンの夫などがあり、近くドイツで第2の人生を始める日本人女性もいる。
 日本人の女性がヨーロッパの男性と結婚する場合、日本人女性に対する先入観に気をつける必要があるという。逆に言えば、ヨーロッパの男性も日本人男性同様に保守的で、日本人女性は従順で家庭を守ると勝手に思いこんでいる場合があるというのだ。民主的で明るい家庭を期待して、結婚してからそのギャップに苦しんで離婚にまでいってしまった例もある。フランス人男性・Gさんは愛想のいいサービス精神に富んだ人で、レディファーストの精神に富んでいる。ところが家庭内ではワンマンで、家事仕事などはほとんどしないと、その日本人の奥さんがこぼしていた。
 ハンガリー出身のBさんはスエーデンに住んでいるが、最近離婚してやっぱりスエーデン人男性と再婚した。3人ともすぐれたエスペランチストである。彼女の離婚の主要な原因は、彼が仕事やエスペラント活動に熱心で家庭を大事にしないことらしい。スエーデンは女性の社会進出が進んだ国だが、それでも「働く女性は、職場では男性以上の働きをしないと認められないし、家事仕事も完全にこなさなければならない。さらに美しさまで要求されるから整形手術が流行している」という。
 もちろん、エスペラントで結びついた夫婦にはすてきなカップルの方が圧倒的に多いことはいうまでもない。

   写真はチベット・ラサのポタラ宮の外壁
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パスポルタセルボ(最終回)

2007-04-02 | なぜエスペラントなのか?
 利用する側は礼儀には気をつけたい。
 Senanonce proprariske:予告なしに来て対応できなくても知らないよ(エストニア)、Lasu min dormi! Ne telefonu 22-7h franca tempo:私の眠りを邪魔しないでくれ、フランス時間の22時から7時までは電話するな(フランス)、Bv. ne alvoki min kiel taksio por preni vin al malproksima stacidomo:遠くの駅に運ぶタクシー代わりに私を呼ぶな(フランス)、Foje ni ne havas tempon ekstre zorgi pri gasto. Agu memstare kaj respektu vivritmon de niaj lernejag^aj infanoj:我々は客の世話をする余分な時間がないことが多い。何でも自分でして、我々の学齢期の子供たちの生活リズムを壊さないでくれ(ルクセンブルグ)

 そして、パスポルタセルボとエスペラントで素晴らしい世界旅行を!
 Mi volas malfermi mian hejmon al vi. Se vi volas koni Brazilon, bonvole akceptu nian inviton:私の家をあなたに開放したいのです。もしブラジルを知りたいと思うなら私の招待を受けてくれ!(ブラジル)、Mi garantias ke via vizito al Cali estos la plej neforgesebla vojag^o de via tuta vivo:あなたの訪問が、あなたの全人生で忘れられない旅になることを保証します(コロンビア)

   写真はチベット・ラサの旧市街にて
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パスポルタセルボ(続々々々)

2007-03-29 | なぜエスペラントなのか?
 宿泊提供者の同居人がエスペランチストでないこともあるし、動物を飼っている場合ももちろんある。
 2 infanoj (2001 kaj 2006), aliaj infanoj bonvenas! Edzino parolas france, angle kaj hispane:子供2人(2001年と2006年生まれ)、子供歓迎!妻はフランス語・英語・スペイン語を話します(フランス)、Anja ne parolas E-on. Vivas ankau^ nanohamstro Beniko c^e ni:アーニャ(奥さん?)はエスペラントを話さない。我々の所にはハムスターのベニーコもいる(ドイツ)
 動物は猫が多い。C^e ni log^as 2 karaj eks-virkatoj:いっしょに2匹の可愛い去勢オス猫がいます(ドイツ)、Ne timu katon:猫を恐がらないで(ブラジル)、Niaj katinoj ne s^atas hundojn:うちの猫たちは犬が嫌いです(フランス)、Mi posedas 2 katojn; ili ambau^ komprenas E-on:私は2匹の猫を飼っています。どちらもエスペラントを理解します(ポーランド)ここまで来ると猫馬鹿?
 最後にちょっとすごいのを。En la urbo vagadas ursoj, hundojn anstatau^as lupoj kaj oni ec^ trovas dinosau^rojn apud Kotelnic^! Vintre terura Antarkto g^is -35?, somere Afriko g^is +30?!:町の中を熊がうろつき、犬の代わりには狼、コテルニッチでは恐竜さえ見つかる。冬は南極ー35度、夏はアフリカ+30度(ロシア・キロフ)。キロフはモスクワから東北へ750kmの町で、コテルニッチは100kmほどモスクワ寄りの町である。

   写真はホーチミンの正月風景。ブタ年です。
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パスポルタ・セルボ(続々々)

2007-03-27 | なぜエスペラントなのか?
 パスポルタセルボは宿泊のみを無料提供するのが趣旨だから、食事については原則として有料とすべきかもしれない。しかし、実際には2~3泊程度、家族と一緒に食べる場合は請求しないことが多い。その場合も、泊めてもらう方は一応食費が必要でないか訊くのが礼儀だと思う。しかし何も言わないときは、家庭料理なら料金は請求しないのが慣例になっているのかもしれない。
 私の家に泊まった人で、食費について尋ねた人は皆無である。もっとも事前の取り決めもしていないが。また私自身アメリカで泊めてもらったときも食費は要らないといわれた。ベトナムではパスポルタセルボではないが、外食したときも私に払わせてくれなかった。
 といわけで、食費についての注意書きもかなり見つけることが出来る。以前、長期の宿泊可能としていた日本のKさんは、「4日目以後は自分で食事をまかなってくれ」としていた。
 Alportu iom da mono por mang^o:食費を少し持ってきてくれ。La gasto mang^os bonguste senpage:お客さんは無料で美味しく食事できます(いずれもセネガル)、8 pundoj por matenmang^o, korespondado kaj c^iuj aliaj gastigaj kostoj:朝食と通信費その他の必要経費として8ポンド(イギリス)、Senkosta matenmang^o, tagmang^o 2 pundoj:朝食無料、昼食は2ポンド(イギリス)、Mi preferas okcidenteu^ropanojn kiuj kunportas monon por mang^o:私は西ヨーロッパの人が好きだ、彼らは食費を持ってきてくれる(ブラジル)。
 最後にアメリカから、Vi estu preta dikig^i per veganaj frandaj^oj:菜食のごちそうで太る覚悟でいらっしゃい。(この項まだまだ続く:パスポルタセルボだけで1か月?)

   画像はWenさんの今年の年賀状
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パスポルタ・セルボ(続々)

2007-03-22 | なぜエスペラントなのか?
 エスペランチストも人間だから、様々である。中にはとても不愉快な人だっている・・・Ne agu strange c^e ni:我々のところで奇妙な行動をするな(ベルギー)・・・いったいこの人の過去に何があったのだろうか? Ne hipinoj, stranguloj, hispanoj, krokodiloj:ヒッピー、変人、スペイン人、エスペラントを話さない人はダメ(スペイン)となると、いくらか具体的である。もっとも、Celas precipe homojn malformalajn/hipiecajn:とりわけラフな、ヒッピーのような人向き(イギリス)という若い人のための所もある。
 すでにいくつか出てきたが、「エスペラントを話せ」という注意書きは多い・・・Ne uzu la anglan:英語を使うな、というのがイギリスに多いのはわかる気がするが、nur fluaj E-istoj:流ちょうなエスペランチストのみ(ブラジル)、Perfekte parolu E-on:完璧にエスペラントを話せ(イギリス)と来ると、私も少々つらい。E-istoj estas bonvenaj:エスペランチスト歓迎(デンマーク)くらいならホッとする。Bonvolu kompreni E-on:頼むからエスペラントを理解してくれ(ハンガリー)とくるとちょっと行き過ぎではないか?
 Krokodiloj ankau^ bonbenas:エスペラントを話さない人歓迎(ロシア)、Societemaj gajuloj kaj komencantoj estas speciale bonvenaj:社交的な人および初心者大歓迎といったものもあれば、登録者自身が初心者の場合もある。Mi gastigas por ekzerci E-on. Nun mi parolas E-on mallerte:私はエスペラントの練習のために客を呼ぶ、まだ上手には話せない(日本)、Mi estas komencantino, sed g^ojas praktiki:私は初心者ですが、使うのが好きです(ドイツ)、Mi estas 'sufic^e' komencanta E-isto:私は十分に初心者です(ロシア)。La dommastrino komprenas sed ne parolas E-on (ankorau^):主婦(登録者自身?)はエスペラントを理解するけれど(まだ)話せない(ハンガリー)。
 そして極めつきは、Kiu malbone parolas E-on, tiu estos instruata per novega lernolibro kaj bastona metodo kontrau^ "alta" pago:エスペラントの下手な人は、最新の教科書と、こん棒と、「高い」代金で教えられるだろう(ウズベキスタン)。(この項まだ続く)

   写真はチベット寺院内部、ローソクの明かり
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