エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて22年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

世界大会第8日(最終日)

2014-09-10 | アルゼンチン旅行


8月2日
 7月31日にホテルのランドリーサービスを頼んだ。昨夕に出来上がっているはずなのでフロントで聞くと、7時以降に来てくれと言う。芸術の夕べから帰って聞いたら「明日の朝」という返事。今朝聞いたら今夜だという。今夜はもうここにはいない。JEI(日本エスペラント協会)旅行団のガイドさんを通訳に交渉したがラチがあかない。今夜もう一晩泊まる人に頼んでおこうかとも思ったが、妻が怒って、出来ていなくてもいいから洗濯屋から取り戻してこいと頑張る。そのうちに「部屋に届けます」という。その5分後、ちゃんと仕上がった衣類が届いた。なんやねん!
 チェックアウトをして、スーツケースはホテルに預けて開会式へ。後藤斉さんが人名辞典発行で受賞、UEA(世界エスペラント協会)会員50年で藤本達夫さんなど3人の日本人が表彰を受けた。
 最後の「ラ・エスペーロ」全員合唱ではコーラスのメンバーが舞台に上がった。私も Bishop さんに引っ張り上げてもらったが、2、3番は歌詞を見ないと歌えない。歌うふりをしていた。
 終了後は大会会場の本屋さんに行って5冊ほど購入。午後はアメリカ人と一緒に少し早めにタクシーで空港へ。空港でお土産を買って残ったペソを使い切った。免税店ではドルで表示してあるが、ペソの場合は1ドル=8ペソだという。アルゼンチン国内で、1ドルを12.3ペソに替えることが出来たから、免税店では1.5ドル分の買い物が出来る計算である。この差はどこから来るのか?
 ネットで調べたことをまとめると、今のアルゼンチンはインフレが進んでいる。ペソの値打ちがどんどん下がるから、人々は安心できるドルを持ちたい。たぶん、銀行に出来ていた人の列はドルへの両替のためである。しかし、政府はドルへの交換を厳しく制限している。従って闇でドルを買うマーケットが出来る。ドルを供給するのは外国からの観光客である。公的レートなら8ペソのところを12.3ペソでドルを手に入れても、闇の両替マーケットが成り立っているのである。安い買い物が出来たのはアルゼンチンの人たちを犠牲にした結果なのだった。
 このあと現地の旅行社にアレンジしてもらって1週間ほどのペルー旅行だが、エスペラントにはほとんど無関係なのでこのブログでは触れない。次回からは写真のみでペルーを紹介する。

 4月にリマのエスペランチスト3人にメールを出した。返事が来ないので、旅行社に任せた計画を立てた。6月末になって「いつ来るのか?」というメールが来たので、すぐに予定を知らせた。リマでは丸1日自由な日があったのだが、エスペランチストからの連絡はなかった。その後、8月になってから「誰かペルーのエスペランチストに会ったか?」という間の抜けたメールが来た。

   
写真は芸術の夕べの一コマ。
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世界大会7日目

2014-09-08 | アルゼンチン旅行


8月1日
 Paroliga Leciono は3人ずつに別れて「近代に流行した奇妙な道具」の写真を見ながらその用途をあてるゲーム。最後に「相関詞ダンス」 相関詞の前半(ki-, ti- など)と後半(-o, -u など)にそれぞれに身振りをつけ、一つの相関詞に対して瞬間的にその2つの動作を行う。
 現地ペソが少し足りなくなったので受け付け(Informejo)で両替できるところを聞いたら、分かりにくい手書きの地図を見せてくれた。住所も書いてあるが、こっちはもっと分かりにくい。なんとか見当をつけて行ってみた。銀行があったが、長蛇の列が出来ている。観光客ではなさそうである。時間もないのでいったん会場に戻った。
 コーラスのあと、Hさんに聞いたら、2箇所の両替所を教えてくれた。パスポートが要るという。その一つを目当てに歩いたら、「カンビオ、カンビオ」と叫ぶ人が大勢いる。両替屋である。ものは試しと、その一人に聞いてみた。1ドルが12.3ペソだという。ずいぶんいいレートである。思い切って100ドルを替えてもらうことにした。
 街の両替屋には悪質な人もいて、渡したドルを持って消えてしまったり、偽札をつかませたりするから気をつけよと言われていた。しかし、その両替屋は、ドルは受け取らずに私を一つの店に案内してくれた。そこで無事に1230ペソを受け取ることが出来た。
 午後はゆっくり休んで、夜は「国際芸術の夕べ」 いろんな国のエスペランチストが音楽演奏、歌、踊り、朗読などを披露する。いずれもプロ級の人たちばかり。我々のコーラスの出番は最後だった。
 夕食にはまた肉を食べてしまった。ステーキはイマイチ。もっと高いメニューを注文しないと本当に美味しい肉にはありつけないのかもしれない。

   
写真は「近代に流行った道具」 これは何に使われるのでしょう? 答えは明日のこのブログで。
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世界大会6日目

2014-09-06 | アルゼンチン旅行


7月31日
 まずはコーラスの楽譜のセットを10ペソを払って受け取る。5曲あるが、実際に歌うのは2~3曲。3曲だと日本の「サクラ」を歌えるのだが・・・。
 Paroliga Leciono。指導者の Sylvain が、私を見るなり「Oh! Verda teroristo」と言う。
 今日のゲームは「Kiu mi estas?(私は何?)」 まず動物や鳥・昆虫などの絵と名前を書いたカードを見る。80近いカードの中には私の知らない単語が4分の1ほど。次にカードの1枚を背中に貼り付けてもらう。2人ずつ組になって、お互いに相手の生き物についてその特徴などを話し、自分が何なのかを当てる。
 最初の相手は「バッタ」だった。「君は上手に飛ぶが鳥ではない、緑色で、足が6本ある・・・」 いろいろ話したが、彼はバッタのエスペラント名を知らなかった(私も知らなかったけど)。この相手は、私には「森の中で隠れている」くらいのことしか言えない。
 相手を変えて、今度は「狼」である。「集団で狩りをする。辛抱強い。寒い地方に住む・・・犬の仲間」とここまで言っても「vulpo(狐)」しか出てこない。この人も「lupo」を知らなかった。私に対しては言葉でなく体中にとげがあるという身振り。それでハリネズミだとわかったが、この単語もわからない。
 カードを張り替えてもらって、また別の人と話す。「君はとても美味しいよ」とひとこと言ったら「エビだ!」とわかってしまった。私には「木を食べる、水の中にすむ」「ダムを造るのか?」「そうだ」 ビーバーだ! でも単語がわからない。
 こんな調子で会話を楽しみ、新しい単語をおぼえる、なかなか楽しいゲームだった。ハリネズミは erinaco、バッタは・・・あれ? ビーバーは・・・忘れた!
 ホテルに帰って休養。午後は Delegita Reto(世界エスペラント協会の都市別・専門別代表者網)の分科会。毎年出る年鑑をエスペラントに誘う道具にしよう、姉妹都市が一目でわかるような印をつけてほしい、代表者にお金などを乞う手紙やメールが来ることがあるが、自分で対処せず事務局に問い合わせをしよう、などなど。
 また部屋に戻って休む。そろそろ健康に戻らないと・・・。

   
写真は写真はコロニア・デル・サクラメント。灯台から見た街の一端。
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世界大会5日目

2014-09-04 | アルゼンチン旅行


7月30日
 今日は水曜日、世界大会のプログラムはなく、全日遠足だけの日である。私ははウルグアイのコロニア・デル・サクラメントへ行くコースを選んだ。一つでも違う国に入ってみたいと思ったからである。
 朝は7時集合だが、ホテルの朝食も7時から。しかたがないから朝食抜きで出かける。世界大会会場前にバスが来て、並んでいた我々は乗車を始めたが、一人一人パスポートを確認するので時間がかかる(朝食を食べてきても間に合った!)。やっと我々の番だと思ったら「満車なので後のバスへ」、もう順番は滅茶苦茶。全員が乗れるのだからあわてる必要もないのだが。
 広いラプラタ川を1時間ほどかけて船で渡る。
 コロニア・デル・サクラメントはポルトガルとスペインが長い間領有を争った街である。ポルトガル様式とスペイン様式の建物が混在する歴史的な景観が1995年に世界遺産に認定された。古い城壁の一部も残っている。
 ウルグアイについて、バスで河岸の景色や古い闘牛場を見学したあと、世界遺産の街で3時間の自由時間。狭い街なので歩き回るだけなら30分で充分である。灯台に登って街を上から俯瞰する。この入場料に1ドルを払って、1ドル札がなくなってしまった。この街ではドルの他、アルゼンチンペソも使えるということだった。しかし、古い家の内部を見学できる博物館に入ろうとしたら、アルゼンチンペソではダメ、20ドル紙幣もお釣りがないからと拒否されてしまった。
 もう土産物店を見る以外にすることがない。時間をもてあましてしまった。土産物店できれいな布を見つけたが「中国製」の表示。昼食はこの街のレストラン。2分の1ステーキ。そろそろ肉には飽きてきた。
 船でブエノスアイレスに戻って、一日遠足の終了。

   
写真はコロニア・デル・サクラメント。左の瓦屋根のある建物がポルトガル様式、右の陸屋根がスペイン様式。
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世界大会4日目

2014-09-02 | アルゼンチン旅行


7月29日
 体調はますます悪いが、頑張って出かける。
 Paroligaj Lecionoj は、Katalin による「Ekzamenoj laux la Referenckadro(基準に基づいた試験)」の話。カッコ内は私の拙訳だが、正式には「Komuna Euxropa Referenckadro」で、「外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠」に基づいた、外国語でのコミュニケーション能 力をはかる試験(日本エスペラント協会のサイト)である。簡単に、KER試験という。これに合格すれば、エスペラント界内部だけでなく、国際的に言語能力が認められる。
 本来、易しい方から A1、A2、B1、B2、C1、C2 という段階があるが、エスペラントでは A1、A2 と C2 は行われていない。試験には大きく「会話部分」と「筆記部分」があり、もちろんどちらの部分にも聞く力が必要である。大会中に試験も実施されて、日本のTさんが C1 を受験された。一流のエスペランティストなので当然合格されたと思うが、試験は結構大変だったとか。
 試験について詳しいことは、ここにあり、リンクをたどれば過去の問題例なども探せる。
 少し休憩して、合唱の練習。
 つづいて KAEM(Komisiono pri Azia Esperanto-Movado:アジアのエスペラント運動についての委員会)の会議。出席していたベトナム、ネパール、韓国、日本、中国の順で自国内の運動について報告、そのあと討議に入った。若い日本人の積極的な発言が良かった。「種をまく話は沢山聞くが、まいた種に水をやり育てる話を聞きたい」
 この会議には KAEM の委員が一人も参加していなかった。質問や提案をしても答えられる人がいない。単なる交流会である。毎度のことではあるが、たまたま参加している国の報告を聞くだけではなく、運動があるすべての国の現状などを KAEM がまとめて報告(出来れば印刷して)してほしいと思う。
 今日はこれで終わりにして、ホテルで休んだ。夕食はテキトーに選んで入ったレストラン。牛のステーキが品切れで、代わりに勧められたステーキ。ずいぶん柔らかくてコクがあまりない肉。何の肉なのかわからなかった。

   
写真はビクーニャ。希少種で最高級の毛が取れる。
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世界大会3日目

2014-08-30 | アルゼンチン旅行


7月28日
 咳が止まらなくて熱も少しある。少々しんどい。
 まず、Paroligaj Lecionoj の第1回に出る。中級と初級とあるが、私は中級に出た。咳が出るからマスクをしていた。当然のエチケットだと思うのだが、外国人はほとんどマスクをしない。旅先で準備していないだけのことかもしれないが。
 指導者は Sylvain という、エスペラント教育で世界的に有名な Katarin の旦那さんである。マスクの上に帽子まで被っていたら、いきなり「君はテロリストか?」と言われてしまった。それ以来、マスクをしているときは帽子を脱いでいることにした。
 まず3人ずつに別れる。一人が小さな2枚のカードを持ち、他の2人がその絵の違っているところを探す。その箇所を指で指したりしないで言葉だけで説明する。
 次は、同じような単語を2つ書いたA4板の紙を一枚ずつ持って、適当に相手を見つけて単語の意味を説明しあう。お互いに納得したら紙を交換して次の相手を探す。こうして語彙を増やしていくというわけだ。かなり難しい単語が使われていた。例えば、intereso とinterezo、impost と imposxto など。
 これらの教材は edukado.net にあるということなので探してみたが、「まちがいさがし」は見つけることが出来なかった。
 きょうは「Kleriga Lundo(月曜教養講座)」だが、体調が良くないのでどこにも行かずに休む。しかし、臨時に合唱練習が入っていた。
 そして、最後は「Metiejo(作業場) kun edukado.net」Katarin による edukado.net の説明。これはエスペラントを教える人のためのサイトで、いろんな人が作った教材が公開されていて、自由にダウンロードできる。現在800を越える教材が公開されていて。全部印刷して積み上げると2m以上になるとか。
 日本の T さんに聞いたら、ときどき教材をダウンロードして教室で使っているということだった。
 日本人の女性2人と一昨日のレストランへ。私は一昨日と同じステーキを注文したのだが、肉が硬くて不味かった。同じメニューでこれほど違うとは!
 夜は「Nacia Vespero(民族の夕べ)」 アルゼンチンの踊りや歌。風邪の症状が少しひどくなって、余裕を持って観賞することが出来なかった。

   
写真は街で見かけたポスト
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世界大会第2日

2014-08-28 | アルゼンチン旅行


7月27日
 朝から咳が出始めた。実は大会前遠足参加者の大部分が風邪を引いていた。遠足最終日の Guira Oga で冷えたことも良くなかったのだろう、私もついに風邪を引いてしまったらしい。
 午前中は開会式。
 ホテルに戻って果物で昼食にする。
 午後からいよいよプログラムが始まる。まず「Estraro respondas(役員が答えます)」という会へ。世界エスペラント協会(UEA)の役員達がいろんな質問に答える番組である。こういう場では世界の最高のエスペランチスト達の話を聞くことができる。彼らの流ちょうなエスペラントが、少し慣れてくるとよくわかってくる。ところが、この日はサッパリ集中できない。ボーっとしていたらエスペラントが頭の中にスムーズに入ってこないのだ。
 おおむね、会員をどうやって増やすか、会員になることの利点をどう宣伝するか、といったことが話されていた・・・と思う。日本のTさんが機関誌 La Esperanto の活用方法を報告、韓国の Lee Junkee さんが韓国ではUEAの会員が増えていることを報告していた。
 Internacia Koruso(国際合唱団)、いろんな国から集まった人たちでコーラスの練習。割合に易しい、歌いやすい歌だった。配ってくれた歌集をまた回収してしまう。この日を含めて4回の練習があり、最後に Internacia Arta Vespero(国際芸術の夕べ)で舞台に立って歌うことになっている。4回のうち3回は練習に出ないと舞台には立てない。男声6人(テノール3,バス3)女声十数人(ソプラノとアルトが半々くらい)だった。
 夜は Bankedo(大会宴会)。主菜は赤肉を煮込んだ料理だった。高級料理なのかもしれないが、パサパサした肉で美味しくなかった。毎度のことなので、会費に見合うだけの料理が出るとは、最初から思っていなかった。

   
写真は歩行者用信号。
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世界大会第1日

2014-08-27 | アルゼンチン旅行


 大会第2書(Dua Bulteno)によれば、このホテルの部屋には kafmasxino(コーヒーメーカー)があるはずである。しかし湯を沸かす道具もない。インスタントコーヒーを日本から持ってきていた。最初に泊まったときに湯をもらったが、部屋まで届けてくれた従業員にチップを払わねばならない。フロントで聞いてみたら、コーヒーメーカーはスイートの部屋だけだという。横浜の世界大会の時「どこでも冷たい水が飲める」としてあったが、実際にはウオータークーラーは設置されなかった。この程度のことで文句を言うわけにもいかない。
 大会会場のホテルは道路を隔てた向かい側である。この道路の幅がものすごく広い。信号1回で渡るのは不可能である。アルゼンチンの運転マナーは悪くない。信号はきちんと守る。しかし青信号になったとたんにものすごい勢いで走り出す。歩行者も信号をきちんと守らないと危険である。
 大会会場の受付で、名札と資料を受け取る。遠足などのチケットが入っているかをまず確かめる。重要なのはプログラムである。90ページほどの冊子で、必要な情報が詰め込まれている。これをざっと見る。まず、チケットに記された時刻とプログラムに記された時刻の違いに気づいた。これはチケットの方が正しいと分かった。
 今日は夜の行事「Movada Foiro(運動見本市)」までは何もない。ところが、その会場や明日の開会式の場所が分かりにくい。プログラムには Movada Foiro は Aliloke(他の場所)とあり、Lopez Luna - Novotel とある。何のことやらである。プログラムをあちこち調べて、Lopez Luna は部屋につけられた名前だとわかった。開会式は Zamenhof の部屋である。
 プログラムには会場案内図があるが、この2つの部屋はどこにもない。Lopez Luna はホテル Novotel に、Zamenhof は Metropolitan という劇場にある。Metropolitan は Novotel ホテルの前にある。プログラムをさんざんひっくり返してやっとこれだけのことがわかった。しかし、Novotel ホテルはどこにあるのだ? Av. Corrienntes 1343 にある。来たばかりの外国人に住所だけでわかるというのだろうか? なぜ簡単な地図くらいつけないのか?
 もらった地図や第2書でホテルの位置を調べて、やっとわかった。会場から600mくらいのところである。実際に歩いて場所を確かめ、帰りにスーパーマーケットを見つけて入ってみた。店内は工事中だったが営業もしていた。サンドイッチと水、果物、ヨーグルトなどを買い、別の店で熱いコーヒーを買って、ホテルの部屋に戻る。
 ホテルにはジムとサウナがあって、宿泊者は自由に使える。ちょっと覗きに行ったら給水器が置いてあって、冷水と熱湯が出ることがわかった。これで大会期間中は自由にコーヒーが飲めるし、水も買わなくて良くなった。
 プログラムをじっくり読んで、参加するプログラムを決める。わが相棒は大会中の遠足ばかりである。
 夜は Movada Foiro に行く。世界中のエスペラント団体やサークルなどが運動についての展示をしている。それぞれの団体がいろんな工夫をして参加者の関心を呼ぼうとしている。見て歩くだけで楽しい。日本エスペラント協会は秋に行われる日本大会や出版物などの紹介をしていた。何か手伝うことがあるか聞いたら、折り紙を折ってほしいというので、ツル、連鶴、角箱、風船などを2人で作った。外国人に渡して少しでも日本に興味を持ってもらおうというわけである。H さんが9路盤の碁盤と碁石をいくつか持ってきていて、外国人に教えていた。
 帰りにホテルの近くのレストランで食事。ステーキが美味しかった。

   
写真は街角で見た等身大の人形。
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イグアスの滝(2)

2014-08-25 | アルゼンチン旅行


7月24日
 この日の出発は9:00過ぎ。今日はブラジル側からイグアスの滝を見る。この数時間のツアーのためにブラジルのビザが必要だった。今回の旅行でビザが必要なのはブラジルだけである。ビザは自分でとることができるが、英語のインターネットサイトに必要事項を記入して申請し、その控えやパスポートなどを持って領事館に直接出向かなければならない。面倒なので手数料はかかるが旅行業者に頼んだ。
 小雨の中、遊歩道を歩く。滝の全体が見渡せ、アルゼンチン側とはまた違った景色である。1時間ほど歩いて、流れに突き出した展望デッキに着いた。「悪魔ののど笛」はガスが濃くて全く見えなかった。
 この滝の迫力というものは言葉ではとても表せない。写真で感じて頂くより方法がない。エレベーターで展望台に登り、滝見物が終わった。
 ブラジル側のレストラン、ビュッフェ形式でいろんな種類の焼き肉もあってなかなか美味しかった。
 ホテルに3:00頃帰着。

7月25日
 9:00出発。まずは Guira Oga という野生動物の保護・展示をしている施設。傷ついたり親が死んだりして保護された動物を見ながらジャングルの中を歩く。ここがかなり寒くて時間が長かったのですっかり冷えてしまった。
 家具用樹木とその彫刻の小さな博物館。この辺りの開拓史の一部でもある。
 La Aripuca という観光施設(?)。大木や竹を使った大きな建物があり、中で生演奏が行われていたりする。ここのレストランで昼食。何種類かのステーキ・ソーセージの盛り合わせ、美味しかった。
 飛行機でブエノスアイレス、最初に泊まったホテルと同じホテルへ。これで大会前遠足が終わった。

   
写真はイグアスの滝と展望デッキ
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イグアスの滝

2014-08-23 | アルゼンチン旅行


 7月23日
 今日はイグアスの滝見学だが、朝から雨が激しく降って雷も鳴っている。
 8:05出発予定だったが、荒天のために遅らせた。1時間後、雨がほとんど止んで、バスで出発。この日は降ったり止んだりだったが、朝のような大雨にはならなかった。
 滝の周辺は国立公園である。入り口から少し歩いて列車に乗る。この列車の終点から1kmほど歩くと、最大の見せ場「悪魔ののど笛」の展望台に出るのだが、そこには行かなかった。途中の停車場で下りて、歩いて展望デッキに出る。さすがに迫力である。
 レストランで昼食。ファーストフードのようなものばかりで、サンドイッチ(牛肉の唐揚げ?)とコーヒー。1個を2人でやっとの大きさである。鳥などの野生動物も多く、アナグマがエサを求めてレストランにもやってくる。かわいいが、うっかり手を出すと噛まれて大けがをするという注意書があちこちに出ている。
 坂を下って船に乗る。荷物は丈夫なゴムの袋に入れてしっかり封をする。この船で滝のすぐ下まで突っ込む。合羽を着ているのだが、まともに水を被ったりして、お腹の辺りからかなり濡れてしまった。
 川を下って上陸。ここからはトラックを改造したバスに乗って戻る。途中、ジャングルの動植物などについての解説があったが、スペイン語なので全く理解できない。
 ホテルに4時前に帰り、数枚の衣料をランドリーに出した。
 夜になって雨がまた激しくなった。その雨の中、エスペランチストガイドのフランツィスコの呼びかけで街のレストランへ。総勢24人のうち15人が参加。生演奏が行われている大きくてにぎやかなレストラン。フランツィスコが美味しくて安いからと注文してくれた野菜サラダとビーフステーキは実際に美味しかった。アルゼンチンではどこで飲むワインも美味しい。私はほとんど飲めないのだが。
 ホテルの部屋に帰ったらクリーニングされた衣類がもう届いていた。

   
写真は滝に突っ込むボート。このあと、カメラが濡れないようにしまい込んだ。
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カファジャテ渓谷

2014-08-21 | アルゼンチン旅行


 7月22日
 8:00出発。雲の列車の返金をあてにして両替をせずに来たが、返金作業が延びに延びて財布が底をついてきた。この日やっとお金が戻ってくることになった。1,580ペソ全額である。ところが、1,600ペソ渡すから20ペソのお釣りを用意せよという。用意できない人は後回しである。休憩に寄ったレストランで余計な買い物をして20ペソを作る人もいた。
 今日はカファジャテ渓谷を走る。次々に現れる赤い奇岩をバスの車窓から眺める。圧巻は「悪魔ののどぼとけ」と呼ばれる断崖である。
 カファジャテの街で昼食。この大会遠足の料金には食事は含まれていない。朝食はホテルの宿泊代に含まれているが、昼食と夕食は各自で払わねばならない。雲の列車の代金が戻ってきて、当面はペソの心配がなくなった。
 この地方はワインの産地としても有名である。ワイナリーに寄って試飲、何種類かのワインがあったが、アルコールに弱い私は一つ一つ試してみるわけにはいかない。付属の博物館でワインの歴史や機械・道具類などを見学。
 来たときと同じカファジャテ渓谷を通ってサルタに戻り、飛行機でプエルトイグアスへ。明日からはイグアスの滝見学である。飛行機が遅れて、ホテルの部屋に入ったのは深夜12時だった。

   
写真は「悪魔ののどぼとけ」
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ウマワカ渓谷とサリーナス・グランデ塩湖

2014-08-19 | アルゼンチン旅行


 7月20日
 朝は少しゆっくり、10時に出発。快適な道路を北上してウマワカ渓谷へ。この辺りの山は赤・緑・青など様々な、鮮やかな色をしている。
 ここからバスはどんどん高度を上げていく。途中、浸食で出来た山の姿がすばらしい。最高地点は海抜4,170m、峠を越えていくと広大な塩湖に着いた。塩湖といえばボリビアのウユニ塩湖が有名だが、ここはサリーナス・グランデという面積212平方キロの巨大な塩の平原である。世界で3番目に大きいということだが、1位はウユニ塩湖だろうか? 最近、NHKの「世界自転車探検部」という短い番組でも紹介された。
 駐車場にはお土産店が並んでいる。素朴なパンを焼いていたので1個買って、同行のエスペランティスト達に少しずつ食べてもらった。「これどこで買ったの?」「あそこで焼いて売っているよ」・・・これが評判がよくて、少なくとも10人以上が買って食べた。「Akiraさん、宣伝料をもらってもいいね」
 同じ道をたどって山を下りる。途中、深く切れ込んだ谷を覗く場所を見学。ウマワカのホテルに宿泊。

 7月21日
 ホテルの前にアルパカが数頭いた。写真を撮って、近づくとすり寄ってきたのでいい気になっていたらいきなり体当たりをかまされてひっくり返された。
 9:30過ぎに出発、まずはウマワカの街を散策。市場でリンゴを買い、お土産店で毛皮を1枚買った。
 次いで「武装した天使の教会」。壁面に掲げられた十数枚の絵が、すべて武器を持つ女性である。
 小さな公園で休憩。ガイドが用意してくれたハムやビスケットなどのオードブルと甘い発泡ワインをみんなで楽しみ、記念写真を撮る。
 サン・サルバドールの街を少し見て、一昨日泊まったサルタのホテルへ。なんだか散漫な印象の一日だった。
 今夜の部屋は大きなダブルベッドが2つ、スウィートダブルらしい。一昨日にはなかった「ウェルカムコーヒー券」があった。ただし、浴室の温度設定のダイヤルが壊れていて、ぬるま湯しか出なかった。

   
写真はサリーナス・グランデ塩湖と土産物売り場。
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雲の列車

2014-08-17 | アルゼンチン旅行


 7月19日、この日は大会前遠足の「フリータイム」である。一日自由行動というわけだ。参加者の多くは「雲の列車」に乗ることになった。この費用が一人1,580ペソ、約16,000円である。
 早朝6時から朝食、6:20にタクシーに分乗して駅へ。座席は指定されていてほぼ満席である。定刻の7:05に発車。まだ外は暗い。まずコーヒーとパンなどの簡単な朝食が出た。コカ茶を飲み、コカの葉も配られた。これを口に含んでいると高山病対策になるという。
 アルゼンチンでもペルーでもそうだったが、コカ製品は普通に売られている。コカキャンディーなどは空港の免税店でも売っている。コカの葉自体は何の問題もないというが、コカインの原料としてたいていの国では持ち込みが禁止されている。とくにアメリカで発見されると場合によっては拘束されかねないから絶対に持っていくなと言われた。
 雲の列車はスィッチバックを3回ほどしながらどんどん高度を上げていく。最高地点は標高4,220mに達する。乗客は450人だという。帰りも列車にするとサルタ帰着は深夜になるが、我々はバスで帰る予定である。
 山々の雄大な風景やサボテンの群落などを楽しんでいると、トンネルの中で突然止まってしまった。脱線だという。高度は3,800mほどであろうか。すぐにでも復旧するようなことを言うのでしばらく待ったが、トンネル内は機関車の排ガスが不愉快なので下りて外に出た。太陽が暖かいが空気は冷たい。
 1時間ほど経ったところで乗客達が歩いて戻りはじめた。1時間くらい歩くとバスに乗れるという情報。エスペラントのガイドに聞いたら6kmだという。それで我々も歩き始める。線路上を歩くので緩い下り坂である。高地なのであまり急ぐと呼吸が苦しいが、快適なハイキングである。しかし、こんな時にはとりわけ元気になる妻の足取りが重い。高山病らしい。高山病は、まず気力がなくなる。この景色が楽しめないのだ。
 私の感覚では8kmほどあったと思うが、約3時間で車の来ているところに到着。列車に残っていた人たちがトラックで「救出」されてきた。ある人は高山病で歩くどころではなかったらしい。バスでサルタへ。
 ホテルに着いたのは夜の9時、レストランでポークステーキを食べてみたが、硬くて美味しくなかった。
 この事故のために通常10月まで運行される雲の列車は、この日で今年の運行が打ち切りになった。来年は再開されると思うが、確かではないらしい。また料金1.580ペソは全額返金された。私としては終点のボルボリージャ鉄橋からの絶景を見ることはできなかったが、景色とハイキングまで充分に楽しんだ上に料金が戻ってきて言うことはない。

   
写真は脱線した列車が見えるトンネル。
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サルタへ

2014-08-15 | アルゼンチン旅行


 アルゼンチンと日本との時差がちょうど12時間だが、ブラジルと同じになっていて、夜が明けるのが少し遅い感じである。日本からはほぼ「対蹠地(たいせきち・たいしょち)」(足の裏が向き合う地)だから、日本から見れば逆さまに歩いていることになる。この「対蹠地」という言葉は「不思議の国のアリス」でおぼえた。アリスがウサギの穴に落ちたとき、このまま落ち続ければ地球の反対側に出ると想像する場面である。エスペラントでは Antipodo だが、アリスはここで Antipatioj と言う。間違っている気がするが、誰も聞いていないので安心する。
 7月18日、今日から大会前遠足である。昨日とは違う空港から国内便でサルタに12:30頃到着、バスで市の中心へ行ってまず昼食。エンバナーダという、形は餃子に似ているがパイのようなもの。チーズ入り、トウモロコシ入り、ひき肉入りの3種。この料理はスペイン由来で、様々なバリエーションがあるらしい。
 ガイドを通じて街の両替屋にドルをペソに交換してもらう。公式には1ドル=8ペソくらいなのだが、ここでは11ペソになった。銀行などで両替すれば8ペソしかくれない。100ペソのものを買うとき、ドルで支払うと普通は12.5ドルになる。ペソに替えておけば9ドルですむ。このことについてはまた後で述べる。
 サルタはスペインが1582年に建設した街で、今も当時の繁栄した面影がカテドラルなどの建物に残る。ウマワカ渓谷やアンデス高地などへの起点でもある。
 考古学博物館。1999年に近くの山で発見された3体のミイラが保存され、そのうちの一体が交代で展示されている。約500年前にインカの生け贄として神に捧げられたが、高所だったので完全にはミイラ化せずほとんどそのままで保存されていた。この時に展示されていたのは子供であった。
 歴史博物館。かつてはスペイン王朝を代表する統治者の館だったところ。1783年建造の由緒ある建物で、内部には先住民の出土品やスペイン統治時代の遺物が展示されている。
 赤の教会・ピンクの教会・・・ヨーロッパが新大陸を支配するとき、キリスト教はその先兵であり武器であったから、どこの街にも大きな教会がある。
 ホテルに入る。アルゼンチンの夜は遅い。レストランは8時半に開く。ビーフステーキは美味しかった。

   
写真は「雲の列車」
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アルゼンチン最初の一歩

2014-08-13 | アルゼンチン旅行


 いろんな要因が重なって、いきなりの大失敗であった。
 36時間の旅行で疲れていた。
 トシのせいか、説明書をきちんと読まなくなった。旅行ガイドには空港から都心まで三十数キロあり、タクシーでおおよそ250ペソくらいと書かれていた。この「ペソ」はアルファベットのSに縦線を入れた記号である。私はこれを「ドル」と読んでしまっていた。ずいぶんかかるのだなとは思ったが・・・。
 6月20日付でUEAの大会アシスタントの名前で次のようなメールが来た:大会前遠足の費用には空港からホテルまでの交通費は含まれていないが、通常よりも安く移動できるようにした。あなたの到着日時・フライトナンバーをできっるだけ早く連絡せよ。当然これにすぐに返事を出した。その後なんの連絡もなかったが、空港に何らかの出迎えがあると思っていた。
 そのため、到着ロビーにあるタクシーチケットの購入をしなかった。事前にお金を払うので、これがもっとも安全な方法だということはわかっていた。
 出迎えの人はどこにもいなかった。仕方なくタクシーで行くことにした。この時、あらかじめおおよその料金を確認しておくべきだった。
 空港では両替をしなかった。レートが低いと聞いていたからである。このことについてはまた後で述べるが、従ってドルしか持っていなかった。運転手にドルでもいいかと、100ドル紙幣を見せながら言うと、さっと手が伸びてきて紙幣を取り「No problem」と言いながら返してくれたのが1ドル紙幣だった。一瞬の早業である。
 運転手は「No problem」を何度も繰り返す。言葉がわからないから私は黙っている以外に手がなかった。それでも料金が250ドルくらいかかると思っていたので大損になるとは、まだ思っていなかった。実際には250ペソ=約30ドルだったのだ。
 ホテルに着いてからも、運転手が何を言っているのかよくわからないままにドルで料金を払ってしまって、この移動はずいぶん高いものに着いてしまった。
 ホテルのチェックインにはまだ早すぎた。知り合ったドイツ人夫妻と、このホテルで昼食。料金298ペソの請求に(ずいぶん高いなと思いながら)300ドル出してびっくりされ、この時にやっと私はSに縦線の記号がドルではなくペソだと知ったのだった。

   
写真はサルタのサン・フランシスコ教会。工事中で、正面の姿は実物大の絵(写真?)である。
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