1998年8月のアジア大会参加の話はこれで最終回である。
期間中、当時の世界エスペラント連盟(UEA)会長、エンダビーさん夫婦と朝食の席でいっしょになった。エンダビーさんはオーストラリアの労働大臣などを務めた人である。UEA会長として、言語権など国際政治的な課題にも積極的に取り組んだ。我々がまだ2年半程度の初心者だと聞いても、気持ちよく会話を楽しませてくれた。彼自身エスペラント歴はまだ12年ほど(それで世界の頂点!)であること、初心者の頃、日本の梅田善美というすばらしいエスペランティストの話を聞いたが、ほとんど理解できなかったこと、などなど。
この人とは、2004年の世界大会(北京)の、一日遠足のバスの中でも会った。「エンダビーさん、私を覚えてはおられないでしょうが・・・」「いやー、申し訳ない」「ベトナムのアジア大会の朝食でおしゃべりしたことがあります。当時まだ初心者の私にとっては名誉なことでした」「いやいやとんでもない、私の方こそ名誉なことですよ」
オーストラリアのフランツィスカとベルナード夫妻には中部ベトナムへの大会後遠足で知りあった。フランツィスカはフランス人である。SAT(民族を超えた世界協会)の熱心な活動家で、ヨーロッパにもよく行っている。ベルナードはオーストラリア人で、養蜂などをしながら自然の中で暮らしている。アボリジニの生活についてもよく知っている。旅行中、彼の足が虫に刺されて腫れ上がり、裸足で歩いていた。
その後、彼らの紹介で、オーストラリアの高齢のエスペランティストと文通をしている。またフランツィスカはベトナム・ホーチミン市を何度か訪れてエスペラントを教えている。
彼らとは、2002年の第3回アジア大会(ソウル)の大会後遠足でもいっしょになった。ベルナードが、近く家を建て増すから是非一度遊びに来いと誘ってくれた。
写真は夕暮れのホイアン(トゥ・ポン川)
期間中、当時の世界エスペラント連盟(UEA)会長、エンダビーさん夫婦と朝食の席でいっしょになった。エンダビーさんはオーストラリアの労働大臣などを務めた人である。UEA会長として、言語権など国際政治的な課題にも積極的に取り組んだ。我々がまだ2年半程度の初心者だと聞いても、気持ちよく会話を楽しませてくれた。彼自身エスペラント歴はまだ12年ほど(それで世界の頂点!)であること、初心者の頃、日本の梅田善美というすばらしいエスペランティストの話を聞いたが、ほとんど理解できなかったこと、などなど。
この人とは、2004年の世界大会(北京)の、一日遠足のバスの中でも会った。「エンダビーさん、私を覚えてはおられないでしょうが・・・」「いやー、申し訳ない」「ベトナムのアジア大会の朝食でおしゃべりしたことがあります。当時まだ初心者の私にとっては名誉なことでした」「いやいやとんでもない、私の方こそ名誉なことですよ」
オーストラリアのフランツィスカとベルナード夫妻には中部ベトナムへの大会後遠足で知りあった。フランツィスカはフランス人である。SAT(民族を超えた世界協会)の熱心な活動家で、ヨーロッパにもよく行っている。ベルナードはオーストラリア人で、養蜂などをしながら自然の中で暮らしている。アボリジニの生活についてもよく知っている。旅行中、彼の足が虫に刺されて腫れ上がり、裸足で歩いていた。
その後、彼らの紹介で、オーストラリアの高齢のエスペランティストと文通をしている。またフランツィスカはベトナム・ホーチミン市を何度か訪れてエスペラントを教えている。
彼らとは、2002年の第3回アジア大会(ソウル)の大会後遠足でもいっしょになった。ベルナードが、近く家を建て増すから是非一度遊びに来いと誘ってくれた。
写真は夕暮れのホイアン(トゥ・ポン川)