エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて22年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

魯迅博物館と旧居

2006-01-10 | 中国旅行
 2004年8月10日 上海第3日
 今日が中国旅行最終日である。朝食は洋式レストランへ。バイキング方式でわかりやすいが、中国式の方がおいしかった。9:30、チェックアウトをすませて荷物を預け、ゾフィアと2人で歩いて出発。
 ホテルのすぐ近くに魯迅公園があって、有料なのだが、中国人たちは塀を乗り越えて出入りしている。まず公園に隣り合う「魯迅記念館」へ。
 入館するとすぐに職員が近づいてきて「日本人か?」「この建物は日本人の援助で建てられた。だから日本人のお客さんは大事にする。お茶を飲んでいけ」とかなり達者な日本語である。ついていって、おしゃべりしながらお茶を飲む。ゾフィアのために私が通訳することになる。「あなた方は何語を話しているのか?」「エスペラントだ」「へえ~」
 だんだん話が中国茶の話になってきて、この職員は熱心にお茶の効用について話し始めた。さらに、横で絹織物に絵を描いている男が魯迅の孫だといい、部屋にある即売品の説明をはじめた。このあたりで私は抜け出して展示室に向かった。
 話を熱心に聞いているように見えたのだが、ゾフィアもすぐに来て「展示物の観覧が終わってからならともかく、入ってくるなり物を売りつけようとするなんて!」と怒っている。2階のロビーから売店が見えたが、次の犠牲者がつかまっていた。
 「日本人のお客を大事にする」という割には、展示に日本語の説明がないので割に早く回ってしまった。内部は撮影禁止である。翻訳された魯迅の作品にはエスペラントの本もあった。
 次いで、暑い中を歩き回って魯迅故居を探す。魯迅が3年半ほど住んだ家である。3階建ての長屋方式の住居である。案内人が日本語で説明しながら回ってくれる。
 ホテルに戻って、ロビーで少し休憩。荷物を持ってバス停へ。12時発のバスで空港へ。明日の夜にフランスに帰るゾフィアとここでお別れ。
 空港では出発時間を確認してまず一安心。半分以上残っていた元を日本円に交換、残った半端な20元で麻花という菓子を買った。
 書き忘れたが、ホテルには湯沸かしとお茶があったので飲んでみたが、まずくて飲めた物ではなかった。空港にあった冷水器の水を飲んでみて、それが水のせいだとわかった。
 さて、この旅行7回目、最後のフライトは、またしても予定通りには行かなかった。何の説明もなく(もっとも中国語や英語で説明があってもわからないが)出発時間延期。名古屋空港には約40分遅れて到着、出迎えの妻を心配させた。

 長くなったが、これで中国旅行記を終る。

   写真は魯迅故居
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上海博物館の一日

2006-01-09 | 中国旅行
 2004年8月9日 上海第2日
 朝食は中国式の食堂に行ってみた。システムがよくわからない。点心のようなものを持ってきてくれるので、欲しいものをもらうが、一皿に4つも5つもあって食べられない。テーブルに5~6人座ればいいのだが、知っている人がいない。
 今日は上海博物館に行く。8:00に近くのバス停へ。100m近く人が並んでいる。みんな18番のバスに乗るらしい。並ばない人もたくさんいる。バスが来ると並んでいる人たちが動き出す。割り込みをする人もいれば、それを防ぐために立ちふさがる人もいる。
 冷房してないバスが来ると列が乱れて、並んでない人もどんどん乗り込む。ここまで観察して、列の最後尾に並ぶ。ところが私の後ろにはほとんど誰も並ばない。十数分で乗れたが、短いラッシュ時間だったようだ。
 9:50頃「人民広場」に到着。博物館にはちょうど開館時間の10時に着いた。60元で日本語の解説機つきの入場券が買える。広い館内の主な展示物の説明をイヤホンできくことができる。説明のある展示物にも番号が付けてあってわかりやすい。写真撮影は自由である。
 4階建ての館内は、中国でもっとも近代的な博物館といわれるとおり、整然と区画されて、質の高い展示品でいっぱいである。解説を聞きながらじっくり見ていく。
 1階:古代青銅器館、古代彫刻館、特別展(西洋の古代彫塑)
 2階:陶磁器館
 3階:歴代絵画館、歴代書法館、歴代印璽館
 4階:少数民族工芸館、古代玉器館、歴代貨幣館、シルクロード中亜細亜古銭室、明清家具館
 青銅器や彫刻がまず素晴らしかった。作品は、あるものは非常に精巧であり、あるものはユーモアに満ちている。少数民族の工芸品も素晴らしかったし、古代や植民地時代の貨幣も興味深かった。いい加減くたびれて博物館を後にしたのは午後の4時だったが、それでも駆け足で見た印象である。中国語や英語の解説が読めたら、もっと時間をかけるところだ。
 館内は冷房が効きすぎていた。シャツを1枚持って行くんだった。館内にレストランもあるが、北京の空港で買ったゼリーが残っていたので、それを食べて昼食を省略してしまった。

 ホテルに帰ると、2人のエスペランティスト、ゾフィアとピーターがいた。ピーターの知り合いという中国人少女が一人。英語をいくらか話すが、エスペラントはだめである。今日はこの子の案内で上海を回ってきたという。4人でホテルのコーヒーを飲みながら歓談。彼はこれから列車で北京へ行くと、中国娘と一緒に出発。入れ替わりに上海のエスペランティスト、汪がやってきて、今度は3人で歓談。
 上海にはエスペランティストが200人いるという。大学の講座でたくさんの学生が受講するが、エスペランティストになるのはほんの少数で、大部分は単位を取るだけが目的。上海エスペラント会の集まりがあれば参加したかったのだが、今回は実現しなかった。

   写真は地下鉄の駅で見た「昔の上海」
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上海の交通めぐり

2006-01-08 | 中国旅行
 2時間ほど部屋で休んで、まだ腰は痛かったが出かけることにした。近くを高架鉄道が走っていて、一度乗ってみたかったのだ。途中でミネラルウォーターを買って、鉄道駅へ。自動販売機ではなかったが、上海駅まで2元の切符を買って、10元でお釣りをもらうまで何とかうまくいった。座れなかったが、街がよく見えて快適な鉄道である。もっと長距離を乗っても楽しそうだ。
 上海駅はものすごい人波。暑い。適当に見当をつけて地下街を歩く。「地下鉄1号線」の表示を見つけて、それにしたがって歩く。やっと地下鉄駅に着いたら、切符を買う人の長い行列ができている。数個の窓口が並んでいるのだが、係員がいちいち機械に入力して切符を出している。その機械が故障して、突然窓口が閉まってしまう。そこに並んでいた人が隣の窓口の列にそのまま移動してくるから大混雑になる。
 それでも喧嘩・争乱は起こらず、時間はかかったが何とか窓口にたどり着いた。ここでは行く先を言うのが難しかったが、お釣りが要らないようにお金を出して切符を買うことができた。
 空いた席を目指してものすごい勢いで乗り込む風景は日本と同じだが、混んでくるとお互いに詰め合って一人でも多く座ろうとするマナーは日本よりも良さそうだ。「人民広場」で下車。地下にはかつての市街電車を中心に「昔のよき時代の上海」が展示されていた。
 地上に出て、またまた見当をつけて歩き出す。こういうときには私のコンパスつきスポーツウォッチが便利である。人民広場はすでに閉鎖されていた。大きな交差点に出て、探したらすぐに18番バスの停留所が見つかった。このバスの終点がホテルのすぐ近くである。
 冷房バスが2元、普通のバスは1元である。料金箱に5元を入れたらお釣りが出ない。運転手が、次に乗ってくる人に、私にお金を渡すように指示する。
 バスは混んでいて座れなかったが、若いアベックの女の子が男の子を立たせて私を座らせてくれた。日本では席を譲られるほどの年寄りでは無いと思うのだが、バスの中ではこういう風景はよく見た。時には車掌が若い人を立たせて年長者を座らせる。
 2時間の冒険を終わってホテルへ。夕食のついでに桃とスモモを買ってきた。まずまずおいしかった。

   写真は上海の高速高架鉄道
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上海の日本人街

2006-01-07 | 中国旅行
 2004年8月8日 上海第1日
 夕べは久しぶりに気持ちよく寝られた。朝食は6人のエスペランティストが一緒になって、我々だけ洋式。2人は今朝すぐに出発して、残りの4人で近くの「文化人街」(旧日本人街)へ行くことにした。I.Mと、フランスの女性ゾフィア、オランダの男性ピーターである。
 足の悪いI.Mがタクシーで行くというのでみんなで乗り込んだ。道を間違えて少しウロウロしたが、目的地はホテルから100mほどの所にあった。帰りはもちろん歩いた。ここはいくつかの骨董品や陶器店があるが、著名な文化人の銅像が路傍に建つ落ち着いた通りである。
 ゆっくり歩きながら、骨董品店に入ってみる。骨董品にはあまり興味がないし、適正な値段で買う自信もないが、旅に出ると必ず買う猫の置物やマグカップを探す。いいものは見つからなかった。
 景徳鎮の店でフタつきのカップを見つけて買った。その店ではI.Mが古い茶碗を見つけた。1060元の値段が付いている。15000円くらいである。昔全く同じものを見たが、日本円で10万円以上していたとか。よく見るとヒビが入っているから安いらしい。I.Mが、傷物だからもう少し安くしろと交渉、700元でいいというのを、私が横から500にしろと言ってやる。店員が電卓を持ち出してきて650、わたしが550・・・I.Mはどうしても欲しいから横でハラハラしているが、私は他人の買い物だから気が楽である。結局600元で手を打ったが、安いのか高いのかよくわからない。
 落ち着いた喫茶店を見つけて入る。コーヒー一杯が3~40元とやたらに高い。ピーターが一人で払うと言ってきかないのでごちそうになることにした。3人が参加したエスペラント世界大会の大会後遠足・三峡下りのコースは、川下りの後は上海周辺の観光をしたという。ゾフィアが毎日絹織物の店に連れて行かれたと怒っている。
 いったんホテルに戻って、日本に帰るI.Mを見送る。
 3人で昼食に出る。レストランではやっぱり言葉が通じなくて往生した。一度注文したものを取り消して別な食べ物に変更したのだが、両方来てしまった。それを全部平らげた2人のヨーロッパ人にもびっくり!
 ここでこの2人とは別れて、腰が痛くなってきた私は部屋に戻って休むことにした。

   写真は「文化人街」
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再び上海へ~最大のピンチ!

2006-01-06 | 中国旅行
 2004年8月7日 成都~上海一人旅。
 体調はほぼ回復したが、食欲はまだ半分くらい。私の飛行機は11:30発である。ホテルから空港までのタクシーが60元、シァン・ホンに50元札を渡して20元のおつりをもらう。昨日作った折り紙をおみやげに渡す。
 飛行場ではまず税金券を購入する。私がシァン・ホンに渡した50元札が偽札だったらしくて使えなかった。飛行予定の一覧表を見る・・・あれ? 私の乗る飛行機がないぞ!? 同じ番号の飛行機が9:00発になっている!? なんだなんだ? ボーゼンとしているところに搭乗手続きを終えたシァン・ホンがやってきたので訳を話す。すぐに私のチケットを持ってカウンターに行って交渉してくれる。「今日はここでもう1泊かもね」などといっていたが、何とか13:20発の便に乗れることになった。シァン・ホンと一緒でなかったらどうなっていたことか!
 これがこの旅行6回目のフライトで5回目のトラブルだった。
 実はこの旅行の初日の夜、成都のホテルでシァン・ホンが参加者の航空券とパスポートを集めて、一括してリコンファームをやってくれたのだった。中国では国内便でも必要だというのだ。このときに出発時間まで確認してくれていれば避けられたトラブルだった。実際、クロアチアの夫婦が、私の乗る予定だった飛行機で上海に行ったという。
 シァン・ホンはまもなく北京へ出発、飛行場内では2組の夫婦に出会った。どちらも奥さんの方はエスペラントが全く話せない。彼らは13:20発で北京へ行くという。
 その後は順調に上海へ。着いたのは虹橋空港である。日本から来たときは浦東空港で、ホテルへ行くのにちょうどいいバスがあったが、ここからはないようだ。わかりやすい路線図もない。タクシー勧誘の人たちが群がってきたが、どのバスに乗っても街のほうに行くだろうと、とりあえずバスに乗り込む。車掌に地図で示しながら聞くと、ずいぶん南の方を通っているバスで、途中からタクシーに乗れという。
 教えられたところで降りてタクシーを拾う。後で調べたら、ちょうどいいバスが走っていたのだが、まあしかたがない。タクシーの運転手も親切でよかった。
 そしてやっとホテルへ。中国に来た最初の2晩に泊まったホテルである。
 
 部屋で少し休んで、外食に出ようとしたら、ロビーの一団が何となくエスペラントくさい。近寄っていくと大会カードを首に下げている人がいる。「サルートン!(こんにちは)」「やあやあ!」
 大会後遠足の「三峡下りコース」の人たちで、やっぱり一人だけの日本人I.Mもいた。中国に来る前にメールでコンタクトをとっていた上海のエスペランティスト、汪も来ていた。今日の朝で大会後遠足が終わり、みんなでどこかに行ってきたという。今日帰る人もあり、まだ数日上海にとどまる人もいる。I.Mは明日帰るという。
 夕食はW.Mに教えてもらったレストラン。ご飯の上にナスの炒め物をのせただけのもの、4元、おいしかった。

   写真はポタラ宮最上部
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チベットへは歩いていこう!

2006-01-05 | 中国旅行
 2004年8月6日 エスペラント世界大会・大会後遠足第6日
 朝食はジュースだけ。ホテルをチェックアウト。酸素2個で40元。夕べは日本に電話をかけたのだが、電話代は要らないという。一定時間まではホテル代に入っているのだろうか? そういえば、途中で一方的に切れてしまった。
 このホテルの客は外国からの観光客だけである。日本人が結構多い。いつのことだったかもう覚えがないのだが、日本人に「こんばんは、日本人ですね、私もそうです」と話しかけてハッとした。エスペラントで話していたのだ。あわてて日本語に切り替えた。これだけエスペラントだけで生活していると頭の中までエスペラントになっているらしい。「あのときにはなんだかエスペラントでペラペラしゃべっていたのに、日本に帰ってきたら話せない」というのはよく聞くことではある。
 成都へはこの旅行ではじめて順調に飛んだ。定刻よりも数分早く飛び立ったほどである。チベットを出たらなんだか食欲が出てきたが、用心して機内食はゼリーとトマトジュースのみ。成都について、すぐに昼食。いくらか食べることができた。他の人たちも少しずつ元気になってきて、冗談が出るようになった。
 「今度チベットに来るときは列車にしよう、少しずつ高度を上げれば高山病にはかからない」「チベットへ行く鉄道はないぞ」「じゃあバスだ」「バスはあるけど丸1日以上も危険な崖っぷちを走るらしいぞ」「それなら歩いていく!」 すでに鉄道工事が行われていたが、そのことはまだ知らなかった。
 成都の空港からパンダ研究センターへ。広い園内に数十頭のパンダが飼育されているが、もともと高山の動物で、暑いこの季節は少しかわいそうである。最後にパンダの飼育と研究についての映画を見た。
 ホテルに入って、夕食。最後の夜ということで、スエーデンの盲人がみんなを代表してあいさつ。堂々とした立派なエスペラントで、とくにガイドを務めてくれたシァン・ホンをほめたたえ、感謝を表した。「ずいぶん専門的な質問もしたけれど、彼女がしっかりと通訳してくれた」と。
 今夜で大会後遠足が終わって、明日は各自バラバラに出発である。出発時間が近かったので、シァン・ホンが一緒に空港へ行こうという。家族やグループできている人たちが多く、一人で来ている唯一の東洋人に親しみを感じたのかもしれない。もちろん、私にとってはありがたい。

   写真はポタラ宮
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チベットの中心部を歩く

2006-01-04 | 中国旅行
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。もう少し中国旅行をお楽しみください。
 2004年8月5日 エスペラント世界大会・大会後遠足第5日
 酸素が効いたという感じは全くなかった。腹が減った~と、食堂に行くが、まるっきり食欲がない。特にかむためにアゴを動かすのがしんどい。時間をかければいくらかは入っていきそうだがその気力がない。部屋で一休みしたら眠ってしまった。気がついたら出発15分前。生きる気力が無くなっても、好奇心は健在だから何が何でも出て行く。
 旧市街(バルコル・八角街)へ。何人かがホテルで休んでいるらしく、人数が少し減っている。すごい人である。観光客と、巡礼に来ている信者たち、物売り、物乞い・・・。ここはいくつかのお寺と土産物店と住居が混在している。街を歩いていると、思わぬ所にお寺がある。強いロウソクの臭いがただよう。ロウソクといっても液状のロウに灯心を入れて燃やしている。少し裏通りに入り込むと生活の臭いがするが、ガイドについて行かないと迷子になりそうである。
 人でいっぱいの広場に面して、ジョカン(大昭寺)がある。たくさんの信者が「五体投地」で礼拝している。その前に建つ小さな半地下の建物内部ではロウソクが沢山燃えていて、信者がその間を巡っている。チベットの宗教や生活習慣について少し勉強してくるんだった!
 ホテルに戻ったが、今日は昼食抜きにした。
 午後はポタラ宮である。山全体を覆っているダライ・ラマの巨大な宮殿である。部屋数が千といわれる。上層部は改修工事がされていたが、いまはこの宮殿の主はインドに亡命している。観光客に開放されているのはその一部だけらしい。立派な金無垢の仏像や歴代のダライ・ラマの霊塔など豪華絢爛だが、内部は撮影禁止である。
 山の下で小型のバスに乗り込んで急坂を登るが、途中で歩いて降りてきた人を避けようとして停車したらもう動けない。半数ほどがバスを降りたら動いた。バスの終点が宮殿の最下部で、いきなり急な石段が続く。ここであきらめて帰ってしまった人が数人。実際にポタラ宮に入ったのは半数そこそこだった。
 腰が痛くても、空腹で力が入らなくても、ここまで来てあきらめる手はない。急な登り階段が続くが、ガイドが解説している間は場所を見つけて座り込む。最上部で屋上に出る。ここに小さな売店があった。後は一気に階段を下りる。
 夕食はおかゆと果物をやっと少し食べた。高齢の夫婦と話したが、彼らも食欲がない様子である。今日は一日ホテルで休んでいたとか。明日はチベットから成都に戻る。今晩も酸素を頼んだ。酸素を使ったらかえって頭が痛くなったという人もいた。

 写真は大昭寺の前にて
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山の上、新築の古寺

2005-12-31 | 中国旅行
 お知らせ。明日、1月1日から、3日間お休みにします。次のアップは1月4日になります。

 2004年8月4日 エスペラント世界大会・大会後遠足第4日
 夜はよく寝られず、朝は食欲がない。今朝は少しゆっくり出発。1時間ほどバスを走らせて、未舗装の山道に入る。眺めのいい山の中腹でカメラ休憩。足下に草原が広がり、小さな集落と川が見える。
 さらに登って、ほとんど頂上近くに数十棟の建物がならんでいる。ガンダンスー(甘丹寺)である。かつては数千人の僧がいたという大寺だったが、1950年代に中国軍によって破壊され、廃墟になっていた。再建されたのは1990年代以降だというが、そんな新しさは感じさせない。中央の建物では大勢の僧が勤行をしていた。
 ラサで標高が3650mである。ここは4000mに近いのではないだろうか。動くと息が切れる。ホテルでもらった弁当(パンとバナナなど)もほとんどのどを通らない。
 帰りは山の麓で「カメラとトイレのための休憩」 「トイレはどこですか?」「どこでもどうぞ」
 近くの民家をみんなで訪問する。4人の家族が迎えてくれた。写真を撮りたいと言ったら正装してくれた。子猫が1匹。
 近くの村人たちが10人ほど集まってきた。私だけでなく、ほとんどの人が昼食を食べていなくて、分けてあげた。子供だけでなく大人たちも争って持って行った。彼らにとっては思わぬ食べ物にありついたのか、観光客が来るたびによくあることなのか?
 帰りのバスでは眠り込んでしまった。気がついたらラサの中心、ポタラ宮近くの大きな薬屋の前。「20分の買い物タイム」だったが、みんなが揃ったのは1時間近く後だった。バスを降りると、仏具やメノウかヒスイなどの宝石類を持った物売りが群がってくる。
 高山病にかかった人のために、ホテルで酸素の詰まった大きな空気枕を用意していた。もちろん有料である。枕から、病院の酸素吸入のような管が出ている。今晩はこれを利用してみた。

   写真は甘丹寺の麓の村
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ダライ・ラマの別荘と修行僧たち

2005-12-30 | 中国旅行
 2004年8月3日 エスペラント世界大会・大会後遠足第3日
 朝はなんだか食欲がない。風邪の感じは消えたのだが、やっぱり高山病なのか? お粥を1杯、ゆで卵、メロン3切れ、オレンジジュースとコーヒ。やっと流し込んだ感じ。
 9:30、バスで出発。日傘などを買いたいという声があって、大きな百貨店のような所に寄る。15分ということだったが、皆さん一向に帰ってこない。私も降りて中を見てくるんだった。スエーデンの盲人と話す。とてもきれいなエスペラントを話す。盲人エスペラント界では活躍している人らしく、日本のことについてもよく知っている。
 ラサにいる間は現地のガイドが一人。シァン・ホンがエスペラントに通訳してくれた。
 最初はノルブリンカ。18世紀に造営された、ダライ・ラマの夏の離宮である。現在はインドに亡命中のダライ・ラマ14世の宮殿だが、公園として解放されている。広い敷地内にいくつかの建物と庭園、中心になる建物の前庭には噴水と見事な花壇がある。体調がますます悪くなり、寒い。地方から来たらしいチベット人の家族(?)の写真を撮らせていただく。デジカメの液晶画面で見せたら喜んでくれた。
 ホテルに戻って昼食。ほとんど食べられない。部屋で1時間ほどぐっすり。ガイドのシァン・ホンに電話で起こされた。
 午後はまず(セーラースー)セラ寺。大きなお寺であるが、まず目と耳を引くのが中庭で議論している学僧たちの群れ。赤い僧衣の学生たちが数人ずつに別れて大声で議論している。ものすごい騒音である。声だけでなく、大きな身振りも交えて議論している。そして、この光景自体が観光資源にもなっているようだ。
 建物の内部にはたくさんの金ぴかの仏像がならぶ。「金色」は建物外装にもよく使われて、チベット全体を特色づけている。内部は撮影禁止だったが、許可を得て人の良さそうな僧侶を撮影させてもらった。狭い空間に住んでいるらしく、ベッドを空けて座れというからしばらく話し込んだ(言葉は全く通じなかったが)。
 裏の山には鳥葬の場所があるらしいが非公開である。
 次いで大きな病院へ。チベットの伝統医療についての展示などを見学。一行の中に医者が何人かいるらしく、熱心に質問していた。シァン・ホンが通訳するのだが、専門的なことでガイドも大変だ。
 夕食はみんなでチベット料理。民族音楽の演奏もあって楽しかったが、魚の干物など、塩辛いものが多くて、みなさん1回で懲りたようだった。
 夜はオプションで民族舞踊・歌とお酒の会(150元)というのがあったが、疲れてしまって参加できなかった。参加者は数人だけだったようだ。

   写真はセラ寺
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チベット・ラサへ

2005-12-29 | 中国旅行
 2004年8月2日 エスペラント世界大会・大会後遠足第2日
 今日はチベットのラサに飛ぶ。初日は「高地に慣れる」ために特に予定はないが、朝がやけに早い。5時前に起こされて、6:20頃にバスが出た。空港へは15分。
 7:50頃離陸。バスの中でホテルからの朝食(水・バナナ・サンドイッチなど)が配られたが、機内でもすぐに朝食が出た。おかゆがおいしかった。他にはパン・豆と挽肉の煮物・半切りの塩辛いゆで卵・オレンジジュース・ケーキ。コーヒーも追加。
 席は昨日と全く同じ。隣の女性がスエーデンとわかって、共通の知人がいることがわかったら、急におしゃべりになった。
 9:30頃、そろそろチベット上空かと思ったら、ラサの天候が悪いので成都に引き返すという。この旅行4回目のフライト、4回目のトラブルである。飛行機の窓から見えるのは素晴らしい青空なのだが、雲の上だから当然か。
 10:40頃、成都空港に着陸したが、機内でそのまま待機。11:40頃に再び動き出して、今度は無事にラサへ。14:15頃に着陸。荷物はパジェロにぎっしり積み込んで、我々はバスを待つ。空がきれいで遠くの山も鮮やかに見える。紫外線が強そうだ。思ったより暖かい。標高が4000mに近いはずである。
 3:30、やっとバスで出発。隣に座ったおじいさんが癖の強いエスペラントで話しかけてくる。なんとエスペラント歴が60年だって!
 途中の風景を写真に撮りたかったが、バスの揺れがひどくていささか困難である。1時間ほど走ったところで約30分の休憩。大きな磨崖仏がある。白いふわふわしたショールのような布の一方にこぶを作って、この磨崖仏に向かって投げあげる。うまくいくと岩肌にそれがぴったりくっつく。この布と同じものを、ホテルに着いたときに記念に配ってくれた。
 ラサの街にはいる。中国文字とチベット文字の看板が立ち並ぶ。ラサではたぶん最高級のホテルに入る。大きなホテルで、食堂がチベット式、中国式、洋式などいくつかある。どこで食べてもいいということだったが、みんなでチベット式食堂に行ったら、人数が多すぎて予約なしでは無理だと言われた。それで中国食堂へ。
 ちょうどクレイの誕生日で、ホテルから大きなケーキが送られた。みんなで切り分けたので一人分はほんの少しだったが、それでよかった。クリームが最悪でまずいことこのうえなしだったから。
 風邪が治りきっていないのか、高地のせいかなんとなく体がしんどい。早くも頭痛やめまいを訴える人もいた。今日は早めに寝よう。

   写真はチベットの磨崖仏、白いものが投げあげられた布。
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成都・都江堰

2005-12-28 | 中国旅行
 2004年8月1日 エスペラント世界大会・大会後遠足第1日
 昨日歩きすぎて腰がひどく痛い。今朝は少しのどが痛くて咳も出る。
 今日の朝食券を無駄にしてホテルのチェックアウト。フロントで精算をするときに、なにやら言うのだがわからない。英語や中国語で書いてもらったがやっぱりわからない。身振りでやっとタオルだとわかった。ツインの部屋に一人で泊まったのだが、タオルなどは2組ある。それがいつの間にか1枚になっていた。必要ないものなので気にしていなかったのだが、その1枚をどうしたかと聞いているのだ。「in the room only one」で何とか通じた。今回はトラブルにはならなかったが、こういう場合、1枚しかなかった日に言っておくべきだった。
 今日は成都まで行く。大会会場の前でバスに乗って、空港には8時前についた。まだ2時間半もある。もう少し出発を遅らせてくれれば朝食を食べてこられたのに。ところが、突然出発が2時間も遅れて12時半になるという連絡。事情がよくわからない。この旅行、3回目のフライトで3回目のトラブルである。
 ひどく厳重なセキュリティチェックがあって、待合室に入る。ペットボトルが持ち込み禁止だというのだが、このときは理由がわからなかった。売店で果物のゼリーを買って朝食の代わりにし、用心に風邪薬を飲む。
 搭乗ゲートを確認して、持ってきた本を読みながら延々と待つ。12:00頃、急にあたりがざわついてきた。搭乗口が変わったらしい。掲示板で確認して移動する。かなり歩いて見つけたゲートではすでに搭乗が始まっていた。何とか全員が乗ったらしい。ぼんやりしてたら置いておかれるところだった。
 機内では、左右に座った中年の女性と少しだけ会話。一人は世界大会の会場で買ってきたという「ザメンホフ通り」を読んでいた。もう一人はクロスワードパズルに熱中。
 15:00、成都空港到着。バスで2時間ほどかけて「ドゥージャンイエン(都江堰)」へ。ここは紀元前3世紀に作られた治水と利水を兼ねた堰の跡である。日本の信玄堤にも通じる治水工事と、さらに灌漑用水の取り入れ・分配の用水路など、かなり高度な工事が行われたらしい。
 解説版の前でガイドのシァン・ホンが説明する。人数が多すぎて、3分の1くらいの人しか聞けない。他の人たちは辛抱強く待っているが、2、3人がいつまでも熱心に質問していて終わらない。団体旅行では仕方がないことかも。
 川岸の崖に造られた建物の最上部から入って、都江堰の歴史などの展示を見ながら川岸に降り、さらに吊り橋を渡る。19:00にここを出発して成都へ戻る。21:00から夕食。9人で1卓。箸の使い方や中国料理について話題になった。もちろん、シァン・ホンを除けば唯一人のアジア人である私が一番詳しい。

   写真は都江堰の古い建物の屋根で見つけた亀の彫り物
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リコンファーム

2005-12-27 | 中国旅行
 今日は一つこぼれ話を。
 7月29日、大会会場からホテルに帰ってからカメラの紛失に気づくまでに、洗濯の他にもう一つやったことがある。日本から上海空港に着いたとき、帰りの飛行機のリコンファームをした。その時は、ついてきた中国人の青年に任せてしまったので少し心配になったのだ。それでホテルの部屋から北京の航空会社(中国東方航空)に電話して改めてリコンファームをすることにした。
 リコンファームというのは、予定した飛行機に必ず乗りますという確認である。これをしないと当日になって乗れないことがあるという。最近はリコンファームが必要のない国も多くなってきた。
 電話はすぐにつながったが、日本語が通じない。「リコンファーム」と繰り返したら、英語で搭乗日・時間やフライト番号などを聞く。そして「上海の事務所に電話せよ」ときた。
 上海に電話したら、まずは自動応答電話である。「中国語なら1を、英語なら2を」押せというやつである。それはよかったが、次は選択肢が6つほどあって、私の中学生並みの英語力ではサッパリわからない。テキトーな番号を押したら幸いにも人間が返答してくれた。とてもきれいな声の女性である。「日本語の話せる人はいないのか?」「だめだ、英語で話せ。」
 試しにエスペラントで話してみた。イタリア語やスペイン語のわかる人なら通じるかもしれない。しかしやっぱりだめだった。
 それから10分くらいかかっただろうか。英語による珍妙なやりとりが続いた。こっちの言うことは何とかわかるのだが、相手の言うことがなかなかわからない。彼女のほうも笑いながら辛抱強く対応してくれて、何とか手続きを終わることができた。
 英語の苦手な人は、発着が同じ空港なら、到着したときにリコンファームをすませておくことをおすすめする次第である。

   写真は故宮にて
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故宮を歩く

2005-12-26 | 中国旅行
 2004年7月31日 エスペラント世界大会(北京)第8日(最終日)
 朝はすでに書いたように、行方不明になったカメラが戻ったのでルンルン気分になった。
 閉会式は開会式に比べると和やかな雰囲気である。縁の下の力持ちで大会を支えた地元のスタッフたちが紹介される。エスペラントの初心者も多いはずだ。また世界から集まった子供たちが舞台に上がってかわいい挨拶。世界大会では「子供大会」が同時並行で行われることが多いが、中国では行われなかった。しかし、会場内で子供たちを集めて何かやってはいたようだった。
 閉会式では2007年の世界大会が「横浜」に決定したことが正式に発表された。また2005年の世界大会開催地の、リトアニア・ビリュニスの市長が挨拶をした。エスペランティストではないこの市長さんは、そのためにだけ中国に来たのだろうか?
 閉会式の後、日本人7人とフランスのグロスマン夫妻でグーゴン(故宮)へ行こうということになった。半日遠足に全く参加していない私は、はじめて北京の街に出る。トロリーバスでトンタン(東単)へ。大きな建物のプロムナードから地下の「美食街」をみつけて、タイ料理の店に入る。高かったがおいしかった。歩いて天安門へ。9人もいるとなかなか行動が定まらない。天安門に着いたのは3時半になっていた。
 集合時間を5時に決めて中に入る。奥に入るには60元の入場料が必要である。皆さん、半日遠足で来たからと、入場したのは2人だけ。大きな門を通り抜けて中にはいる。また大きな門がある。その奥にもまた大きな門がある。写真をバシャバシャ撮りながらどんどん奥へ。ゆっくり見るには半日以上はかかりそうである。
 ここは紫禁城ともいわれ、500年にわたって明王朝と清王朝の王宮だったところである。最奥部に見事な庭園があったが、このときにはカメラの電池が無くなってしまった。せっかく戻ったカメラなのに、バッテリーのことを忘れていた。反対側から外に出ることが出来るが、集合場所は天安門である。時間が迫ってきたので大急ぎで戻る。直線距離でも1km近い。
 タクシーに分乗して会場まで戻り、7人で近くの台湾料理店へ。ここは私には初めてだったが、安くておいしかった。
 明日から大会後遠足である。朝が早いからモーニングコールを5:45に頼む。

   写真は故宮
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楽しい行事が沢山

2005-12-25 | 中国旅行
 2004年7月30日 エスペラント世界大会(北京)第7日
 話を1日前に戻す。カメラはなくても世界大会は続く。
 今日の午前中は、私の出るような行事は特に何もなかった。連絡掲示板に私の番号が貼ってあったので、こちらから時間を決めて会ってみた。もしやカメラについての情報かと思ったのだが、それどころかエスペラントにさえ関係のなさそうな人だった。どうやら手当たり次第に大会番号を連絡板に貼っていたらしい。こうなるとほとんどスパムメッセージである。2階へ連れて行かれて、テーブルに置いてあった旗にサインさせられて、「未圓的梦ー英雄少年周?遺作選」という中国語の本を1冊くれた。
 スーパーで買ったパンと牛乳で昼食。「葡萄乾靤」は干しぶどう入りのパイ、「巧克力牛角」は何が入っているのかわからなかったが、甘いパイ。
 「大会後遠足の打ち合わせ会」 私の参加するコースは参加者が27人。日本人は私一人らしい。ガイドはシァン・ホンという中国人の若い女性。他に、世界エスペラント協会のクレイも同行する。最近、2007年の世界大会(横浜)準備に日本にも来た人である。
 次いで国際盲人エスペラント連盟の会議。20人ほどが集まった。毎年、世界大会に引き続いて、国際盲人エスペラント大会が行われるが、中国で開くことはできなかった。会員の多くがヨーロッパ在住だからである。この年は、ベオグラードで開かれる。2007年の横浜の世界大会のときには、日本で盲人大会を行えるだろうか?
 会議では自己紹介の後、インターネットなどの通信手段の進化とユニコードなど文字の問題、音による雑誌の供給が個人の力に頼っている問題、エスペラントの国際試験の問題など、いろんなことが話題になった。
 「競り売り」の会場へ。もう終わりかけていた。テンポのいい本格的な競り市で、ガラクタではないかと思うようなものが高値で売れていく。
 同じ会場で青年雄弁大会が始まった。いくつかのテーマから題を選んで話す。中国の若い女性が5人、初心者が多くて、かなり特訓をしてきたらしいが、司会者が何度も繰り返した「はじめにテーマを言ってください」が理解できない人が多い。それでもそのうちの一人が2位に入賞。あの天才ピアニストで法学者のアンドレイが3位に。ブラジルの人が群を抜いて達者なエスペラントで優勝。
 次いで「これからの世界大会」 来年のリトアニア・ヴィルニスと再来年のイタリア・フィレンツェの紹介である。
 イタリアの盲人たちと夕食。いつもよりもちょっぴり高級なレストラン。「カレー揚げ肉ラーメン」28元、生野菜6元。ペットボトルのお茶は、ボトルもお茶そのものも外見は日本茶と同じようだったが、甘かった!
 夜は芸術の夕べ。世界中の芸達者なエスペランティストが出演。これは楽しかった。隣に座っていたのは世界的に有名な日本人エスペランティストY.Sだった。気さくで面白い人である。後ろでおしゃべりしている人たちをY.Sがたしなめた。その後、私の横に座り込んでおしゃべりをはじめた人たちがいたので、ていねいに、かつ厳しく「外で話していただけませんか?」と言ってやったら、なにやら言い訳めいたことをいいながら、2人ともすぐにどこかへ行ってしまった。

   写真は故宮
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あなた、英語を話せませんか?

2005-12-24 | 中国旅行
 翌30日、早めに会場に行ってもうひと探ししたが、カメラはどこにもない。連絡板にも何の反応もないし、紛失物窓口でも何の情報もない。
 大会では毎日、大会新聞が発行されている。A3版2ページである。昨日あったこと、今日あることなどの他、いろんなお知らせも載る。紛失物の記事も載っていた。そこで、私も「××社製の○○というカメラを探しています」と言う簡単な記事を書いて、3階の大会本部に持って行った。31日の大会新聞に載せてくれるという。
 そして31日、大会最終日で午前中に閉会式がある。暗い気持ちで会場に行き、紛失物窓口や連絡板ではなにもいい知らせがないことを確認。いつものようにまず大会新聞をもらって、閉会式の大ホールで読む。
 1面、ほう、参加者が2000人を超えたのか! 大会に向けての地元エスペランティストの活動について。2面、昨日あったことがいろいろ。「紛失物!」の囲み記事には、メガネをなくした人と、私の記事。姉妹都市計画についての記事。そして・・・最下段に、白抜きで1行記事「カメラをなくした人は3階15番の部屋へ来い」・・・!!
 すぐに私はその部屋に飛んでいった。なんと、そこは昨日記事を頼みに行った大会本部の部屋だった。私はすぐに部屋の隅に置かれた私のカメラを見つけた。たぶん昨日記事を頼みにきたとき、すでにそこにあったのではなかろうか。私は、そこにいた2人の若い女性に勢い込んで話した。「これは私のカメラだ。この記事にカメラの種類まで書いたのは私だ」 ところが、興奮した私に向かって彼女たちは言うのだ、「Can you speak English?」 思わずコケてしまった。
 エスペラントの大会で、手伝いの人たちがろくにエスペラントを話せないのはよくあることかもしれない。すぐにエスペラントを話せる人が来て、私のカメラは無事に私の手元に戻った。さすがエスペランティストの大会である。拾得物を自分のものにしてしまう人などいないのだ! いっぺんに気分が明るくなってしまった。
 それにしても、受付・紛失物窓口・大会新聞の編集者などが連携していれば、もっと早く解決しただろうに。そもそも同じページに「なくした」記事と「取りに来い」という記事が同時に載るなんてのは間が抜けすぎているではないか。

   写真は紅螺山
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