2004年8月10日 上海第3日
今日が中国旅行最終日である。朝食は洋式レストランへ。バイキング方式でわかりやすいが、中国式の方がおいしかった。9:30、チェックアウトをすませて荷物を預け、ゾフィアと2人で歩いて出発。
ホテルのすぐ近くに魯迅公園があって、有料なのだが、中国人たちは塀を乗り越えて出入りしている。まず公園に隣り合う「魯迅記念館」へ。
入館するとすぐに職員が近づいてきて「日本人か?」「この建物は日本人の援助で建てられた。だから日本人のお客さんは大事にする。お茶を飲んでいけ」とかなり達者な日本語である。ついていって、おしゃべりしながらお茶を飲む。ゾフィアのために私が通訳することになる。「あなた方は何語を話しているのか?」「エスペラントだ」「へえ~」
だんだん話が中国茶の話になってきて、この職員は熱心にお茶の効用について話し始めた。さらに、横で絹織物に絵を描いている男が魯迅の孫だといい、部屋にある即売品の説明をはじめた。このあたりで私は抜け出して展示室に向かった。
話を熱心に聞いているように見えたのだが、ゾフィアもすぐに来て「展示物の観覧が終わってからならともかく、入ってくるなり物を売りつけようとするなんて!」と怒っている。2階のロビーから売店が見えたが、次の犠牲者がつかまっていた。
「日本人のお客を大事にする」という割には、展示に日本語の説明がないので割に早く回ってしまった。内部は撮影禁止である。翻訳された魯迅の作品にはエスペラントの本もあった。
次いで、暑い中を歩き回って魯迅故居を探す。魯迅が3年半ほど住んだ家である。3階建ての長屋方式の住居である。案内人が日本語で説明しながら回ってくれる。
ホテルに戻って、ロビーで少し休憩。荷物を持ってバス停へ。12時発のバスで空港へ。明日の夜にフランスに帰るゾフィアとここでお別れ。
空港では出発時間を確認してまず一安心。半分以上残っていた元を日本円に交換、残った半端な20元で麻花という菓子を買った。
書き忘れたが、ホテルには湯沸かしとお茶があったので飲んでみたが、まずくて飲めた物ではなかった。空港にあった冷水器の水を飲んでみて、それが水のせいだとわかった。
さて、この旅行7回目、最後のフライトは、またしても予定通りには行かなかった。何の説明もなく(もっとも中国語や英語で説明があってもわからないが)出発時間延期。名古屋空港には約40分遅れて到着、出迎えの妻を心配させた。
長くなったが、これで中国旅行記を終る。
写真は魯迅故居
今日が中国旅行最終日である。朝食は洋式レストランへ。バイキング方式でわかりやすいが、中国式の方がおいしかった。9:30、チェックアウトをすませて荷物を預け、ゾフィアと2人で歩いて出発。
ホテルのすぐ近くに魯迅公園があって、有料なのだが、中国人たちは塀を乗り越えて出入りしている。まず公園に隣り合う「魯迅記念館」へ。
入館するとすぐに職員が近づいてきて「日本人か?」「この建物は日本人の援助で建てられた。だから日本人のお客さんは大事にする。お茶を飲んでいけ」とかなり達者な日本語である。ついていって、おしゃべりしながらお茶を飲む。ゾフィアのために私が通訳することになる。「あなた方は何語を話しているのか?」「エスペラントだ」「へえ~」
だんだん話が中国茶の話になってきて、この職員は熱心にお茶の効用について話し始めた。さらに、横で絹織物に絵を描いている男が魯迅の孫だといい、部屋にある即売品の説明をはじめた。このあたりで私は抜け出して展示室に向かった。
話を熱心に聞いているように見えたのだが、ゾフィアもすぐに来て「展示物の観覧が終わってからならともかく、入ってくるなり物を売りつけようとするなんて!」と怒っている。2階のロビーから売店が見えたが、次の犠牲者がつかまっていた。
「日本人のお客を大事にする」という割には、展示に日本語の説明がないので割に早く回ってしまった。内部は撮影禁止である。翻訳された魯迅の作品にはエスペラントの本もあった。
次いで、暑い中を歩き回って魯迅故居を探す。魯迅が3年半ほど住んだ家である。3階建ての長屋方式の住居である。案内人が日本語で説明しながら回ってくれる。
ホテルに戻って、ロビーで少し休憩。荷物を持ってバス停へ。12時発のバスで空港へ。明日の夜にフランスに帰るゾフィアとここでお別れ。
空港では出発時間を確認してまず一安心。半分以上残っていた元を日本円に交換、残った半端な20元で麻花という菓子を買った。
書き忘れたが、ホテルには湯沸かしとお茶があったので飲んでみたが、まずくて飲めた物ではなかった。空港にあった冷水器の水を飲んでみて、それが水のせいだとわかった。
さて、この旅行7回目、最後のフライトは、またしても予定通りには行かなかった。何の説明もなく(もっとも中国語や英語で説明があってもわからないが)出発時間延期。名古屋空港には約40分遅れて到着、出迎えの妻を心配させた。
長くなったが、これで中国旅行記を終る。
写真は魯迅故居