エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて22年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

ベトナムからの報告 第2版

2007-08-01 | エスペラントの本を作る
 この本を作る経過については、ずっと以前のこのブログ(2005年10月)に書いた。原稿集めから編集、印刷、製本まで私1人で作業したが、校正だけはベテランのエスペランティストに手伝ってもらった。
 収録した17編の作品と付録に付けたベトナムの出版物リストは、いずれも貴重な記録だと思っている。エスペラントとしては模範的な文章ではないかもしれないが、この本で学習会をやったエスペラント会もあった。
 この本を出したあと、柳の下のドジョウをねらって2冊目を計画した。若い人に自由なテーマで書いてもらう。またベテランにはとくに今の若者について書いてもらう。こうして「現代のベトナム」を浮き上がらせたいと思ったのだ。しかしこれは全く甘かった。ベトナムの何人かの友人たちが協力してくれたが、若い人たちからの原稿は全く集まらなかったし、ベテランたちの書いてくれたものはテーマにそぐわなかった。
 1冊目の本がうまくいったのは全くの僥倖であった。本気でベトナムについての何らかのテーマをまとめたかったら、自分自身がベトナムに根を下ろして体験し、取材しなければできるはずがないのだった。
 しかし、新たに集まった十数編の作品を無駄にはできない。一方、最初に出した本は在庫がなくなってしまった。ということで、「Raportoj el Vjetnamio:ベトナムからの報告」の増補版を作ることにした。
 今回の校正はベテランのエスペランティストAさんに引き受けていただいた。第1版の再校正もしていただいた。なお、旧版にあった日本語訳は割愛した。これはネット公開してある。増補部分の日本語訳を作る予定は今のところはない。
 世界大会期間中は、旧版の日本語版「生き抜いた人々」と「Decido pro Amo」とともに一般公開番組が行われるZAIMで販売される。
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2匹目のドジョウは・・・

2005-10-07 | エスペラントの本を作る
 2002年8月、韓国のソウルで、第3回エスペラントアジア大会がありました。私の本の出版はこの時に合わせました。
 1冊目の成功に気を良くして、私は2冊目の出版を企てました。テーマは「現代のベトナム」として、若い人たちの作品を主に集めようと考えました。今の生活、仕事、家庭、友達、恋、希望、社会、国、世界について、飼い犬、趣味、等々、何でもいいから気楽に書いてくれと依頼しました。いろんな作品が集まってくれば、全体として今のベトナムの様子がわかるだろうと考えたのです。若い人も含めて、何人かのベトナムのエスペランティストが協力を約束してくれました。
 しかし、私の企画は見事に失敗しました。何人かの人が若い人に呼びかけてくれたのですが、わずか一編の作品も集まりませんでした。
 考えてみると、「本にする原稿」がそう気軽に書けるものではありません。それに、戦争の時代のことは、ある程度歴史的に評価が定まっているのに対して、現在のことは書きにくいかもしれません。
 おそらく、本気で「現代のベトナム」についての本を作るには、1年くらい現地に住み着いて、自分の足と目で取材しないといけないのでしょう。1冊目のように、パソコンの前に座っていればいいというわけにはいかなかったのです。

 出版から3年経って、在庫がなくなってしまいました。一方、この間に、実は数編の原稿が集まっていました。1冊目の続きのような内容のもので、書いた人も若い人ではありませんし、2冊目を作るほどの量でもありません。せっかくの作品でもあり、1冊目に付け加えて「増補版」を作ることにして、今準備にかかろうとしています。発行には順調にいっても半年以上かかるでしょう。

   写真はカトマンドゥ、スワヤンブナートにて
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本を作る・・・製本

2005-10-06 | エスペラントの本を作る
 印刷ができたら次は製本です。製本にはいろんな方法がありますが、私はごく簡単な方法を選びました。ホチキスでは見栄えが悪いので、ボンドで貼付けるのです。写真を見ていただければわかりますが、まずまずの出来上がりです。
 作り方については、最初はこの道のベテラン、Y.Tさんに教えていただきました。
 製本用のボンドは普通の文房具屋さんやホームセンターには売っていないので注文します。3kgの大ビンでもずいぶん安いものです。1冊分(慣れたら数冊分)をきちんと揃えて、板で挟む、またはおもりで押さえておきます。ボンドをつける側を金ブラシでこすったりカッターで切れ目を入れたりしてボンドがしみ込みやすくします。薄くボンドを塗って、少し乾いたらまたボンドで表紙を貼付けます。それだけです。
 そろえた紙を押さえておく道具とか、見栄えを良くするための工夫がいろいろありますが、何冊か作ってみて自分でも工夫しました。インターネットで調べれば親切に方法を教えてくれるサイトがあるでしょう。

 最後の裁断が一番の困りものでした。業者に頼むとずいぶん費用がかかります。小型の裁断機を購入しましたが、切り口がどうしても斜めになるのです。1cmほども厚さがある本なので、はっきりわかってしまいます。これをうまく解決する方法を知っている人がいたら教えてください!
 この方法で、私は例えばデータをインターネットでダウンロードして世界に一冊だけの本を作っています。エスペラント版の「ムーミン」「不思議の国アリス」「シャーロックホームズシリーズ」などなど。
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本を作る・・・印刷

2005-10-05 | エスペラントの本を作る
 出来上がった本を見せて、印刷から製本まで私一人の作業だと聞くと、たいていの人が感心してくれます。しかしこの作業は意外に易しいのです。
 問題はむしろ印刷です。1,000部を超えるような場合は、印刷屋さんにお願いした方がいいかもしれません。レーザープリンタで自分で印刷すると、トナー代が高くてずいぶんお金がかかります。リソグラフなどを使えば安くできますが、写真の質がかなり落ちてしまいます。
 また、普通のレーザープリンタは両面印刷に対応していません。数枚程度ならいいのですが、大量に印刷するとトラブルが起きます。私はこれでずいぶん失敗しました。
 用紙は安価な市販のコピー用紙を使いました。紙問屋に安い紙を注文しても、裁断料などで結局高くつくようです。
 用紙の「向き」(T目とY目)にも注意が必要です。A5版にしたのですが、普通、A5の用紙は市販されていません。A4の紙を2つに切ると向きが逆になって、硬くて開きにくい本になってしまいます。A3を4つに切ればいいのですが、正確に裁断するのが難しいし、自分で裁断した紙は印刷時にトラブルを起こしやすいのです。結局私は、B5の用紙に印刷して、製本後に裁断することにしました。断ち切れがたくさん出ますがやむを得ません。どうせ製本後の裁断は必要です。大量のメモ用紙が・・・。

   写真はスワヤンブナート(カトマンドゥ)にて
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翻訳そして公開

2005-10-04 | エスペラントの本を作る
 原稿の校正を始めたとき、少なくとも私の力で読める程度のエスペラントにしようと思いました。それで、校正をしながら日本語に訳していました。エスペラント原稿が完成した時には、私の日本語訳も出来上がっていました。もちろん素人の翻訳ですから自慢できるほどのものではありませんが、せっかくなのでこれも付け加えることにしました。こうして、A5判で180ページを超える立派な本が出来上がりました。
 しかし、この日本語訳部分は余分だったかもしれません。エスペランティスト、特に外国に普及するにはかえって邪魔になります。
 一方、この本をもっとたくさんの、エスペラントを知らない人にも読んでほしいと思いました。そこで、日本語部分だけを別に作りました。
 アメリカのエスペラント会などからも注文が来ましたし、2つの外国のエスペラント雑誌に書評が載ったりもしましたが、実際に普及したのはあちこちに贈呈した分も含めて、400部に足りません。エスペラントは世界中に普及していますが、「広く薄く」なのです。
 このまま埋もれてしまうのは惜しい、そう思ったので、日本語訳だけでもウェブ上に公開しようと考えたのでした。
 あるエスペランティストの先生から、「イラク戦争はアメリカにとって第二のヴェトナム戦争になっているといわれていますから,いまこのようなページが果たす役割は大きいと思います。」という言葉をいただきました。

   写真はパシュパチナートの老人ホーム
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戦火のベトナムで出版活動

2005-10-03 | エスペラントの本を作る
 かつてベトナム戦争が激しかった頃、ベトナムではたくさんの本がエスペラントに翻訳されて世界各地に届けられていました。内容はアメリカの世界戦略を批判する論文集からベトナムの風土や歴史の紹介、小説集まで実に多岐にわたっていました。
 何册かの小説集は日本語にも翻訳されて出版されました。「トー・ハウ(ベトナムの若い母)」新日本出版社 1965、「袋小路」柏書房 1967、「南ベトナム小説集 炎の中で」東邦出版社 1975、などなどです。
 戦争が終わって30年、これらの出版物は散逸し、ベトナム本国にも保存されていませんでしたが、3年ほど前、日本に残っているこれらの出版物を集めてベトナムに送る運動がおこなわれました。
 校正を手伝っていただいたM.Tさんは、これらの出版物の大部分を保存していました。そこで、出版物のリストを作成して、私の本の付録につけることになりました。ベトナムエスペラント協会の協力もあって、ほぼ完璧に近いリストができたと思います。
 またベトナム戦争当時、日本のエスペランティストの有志が「ベトナムに平和を」という機関誌を出していましたが、その目次リストも付け加えました。
 こうしてこの本は、私の自費出版とはいえ、非常に貴重な歴史的資料を含むことになりました。

   写真はネパール・パシュパチナート寺院、大きなお尻が見えるが、シバの乗り物神の牛である。イスラム教徒以外は中に入れない。
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原稿集めから校正まで

2005-10-02 | エスペラントの本を作る
 本を作るのはなかなか楽しい作業でした。
 まず原稿が集まってきました。普通はこの段階で苦労するものかもしれません。実際、2冊目の本を作る計画も立てたのですが、原稿を集めるのが難しくて頓挫しています。しかし、このときは順調に集まってきました。私が立てた企画とその実際については、HPを見てください。
 さて集まってきた原稿の多くが手書きでした。それで、まずワープロに打ち込むことから始めました。外国人の手書き原稿はとても読みにくいことがありますが、ここでは原稿通りに正確に打ち込みます。
 次に、わからない単語を調べました。どうしても分からない単語の多くは、フランス語をそのまま使ったもので、他の単語に置き換える必要がありました。ベトナムでは高齢者の多くがフランス語を話せるのです。さらに、文法・単語・語法など、明らかな間違いをチェックしました。校正した原稿を作者に送って、再度修正した原稿が送られてきました。
 当初は、素人の作文集として、多少の間違いはそのままにしておくつもりだったのです。しかし、実際に校正作業を始めて見ると、どこまで直すべきか、どう直すべきか等々、非常に難しくて私の手には余ることが分かってきました。それで、優れたエスペランティストであり、また優れた編集者でもあるM.Yさんに校正のお手伝いをお願いすることにしました。
 再度打ち直した原稿をM.Yさんに校正していただいて、その内容を再度原作者に送って確認してもらいます。時には原作者が自分の間違いを認めようとしない場合もあります。これを何度か繰り返してやっと完成原稿になります。終わるまでにほぼ1年かかりました。M.Yさんのおかげで、エスペラントの作品としても恥ずかしくないものになりました。

   写真はルンビニの夕日
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自費出版

2005-10-01 | エスペラントの本を作る
 ベトナムで会った初老の女性、アンは気象観測機器の技師だった。彼女は1954年、ベトナムがフランスを打ち破った直後にハノイに移住した。そして1975年、サイゴン政府が陥落してベトナムの統一が実現した直後にサイゴン(現在のホーチミン)に戻った。その後、カンボジアにも行ったという。
 彼女の話を聞きながら、この人のいいおばさんが、解放直後のハノイで、サイゴンで何を見たのか知りたくなった。解放闘争の闘士ではなく、ごく普通の市民の目で見た当時の様子はどんなであっただろうか。私はこのことをぜひ書いてくれるように頼んだ。エスペラントで書くことが難しければ、ベトナム語で書いて、誰かがエスペラントに訳してくれてもいい。
 日本に帰ってからこのことを考えていたが、こんな普通の市民が長い戦争の間にどんな生活をしていたのか、そんな記事を集めて本にできないかと思いついた。さっそく、ハノイとホーチミンの友達に意見を聞いてみた。彼らはすぐに賛同して、原稿を集める手伝いをしてくれることになった。
 アンには書いてもらえなかったが、17編の作品が集まった。時代は日本の占領していた時からサイゴン解放まで、内容も様々であった。これを校正・編集して、日本語訳もつけて、レーザープリンタで印刷、自分で製本までやって自費出版したのは翌年、2002年の8月だった。本のタイトルは「ベトナムからの報告ー彼らは戦争をどのように生き抜いたかー」とした。
 その後、日本語訳部分だけを別冊で作った。このときの本のタイトルは「生き抜いた人々ー戦争のベトナムでー」とした。
 このブログを始めた時は、この本の公開を目的としていた。ベトナム旅行記が終わったら、1ページ分くらいずつ公開していこう。1ヶ月半程度の量になる。しかし、ブログの著作権関係の利用規程を読んでこれをアップするのはやめにした。かわりに、最近自分のHPを立ち上げて、これを公開した。ぜひ訪問して読んでいただきたい。

   写真はネパール・パクタプルにて
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