エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて27年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

ネパールからの通信

2006-04-19 | ネパールからの通信
 ネパールでの騒ぎはますますエスカレートしているようです。市民生活にも重大な影響が出始めています。20日には再度大規模なデモが計画されています。
 心配していた学生からのメールがやっと来ました。
 「毎日毎日、状況は悪くなっています。今日はもう13日目です。道路には車も走っていません。日常に必要なものの値段が高くなっています。この状態が続けば食べ物を得ることさえ難しくなるでしょう。王様が何らかの有用な発表をするまでこの騒動はやみそうにありません。また書きます。」

 写真はデモに参加する大群衆(Razenoさんのブログより)
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エスペランチスト「誘拐」の真相

2006-04-15 | ネパールからの通信
 3月31日のこのブログで、ポーランドのエスペランチストがネパールのマオイストに誘拐されたらしいというニュースについて書いた。最近、その当事者のレポートが公表された。一つ強調されているのは、「誘拐」されたわけではない、ということである。
 4人のポーランド人が一緒に旅行していたが、そのうちの2人はエスペランチストではない。それぞれ2人ずつ別々に行動していたが、ネパールで合流した。
 普通ジリまでは飛行機で行く観光客が多いが、彼らは静かな旅が安くできると、10時間のバス旅行と4日間の徒歩旅行を選ぶ。ポーターも雇わず、彼らだけで歩いた。マオイストがいることは分かっていたが、彼らは観光客には危害を与えないし、1000ルピー(15ドル)の「税金」を払えばいいと聞いていた。
 ところが、マオイストは5000ルピー(70ドル)を要求した。マオイストは通過していく荷物運びの人たちにも同じ金額を要求していた。分かっていたら、飛行機(90ドル)で行くんだった!
 マオイストが言った「近いうちにロケットを買って飛行機を打ち落とすから、この道を歩く方が安全になるだろう」
 いったん来た道を戻って別な道を行こうかと思ったが、武装した4人の男と弾薬の入った袋を担いだ15歳くらいの男の子がついてくるという。恐ろしくなって、結局4人分280ドルを払って歩くことにした。ここでカトマンズのエスペランチスト、ラゼンまたはムクンダに電話して、もし4日後に次の街ルクラから電話しなかったら、大使館に状況を知らせてくれるよう頼むことにした。エスペランチストはつかまらなかったが、ある少年に英語で話し、彼はムクンダに伝えることを約束してくれた。
 280ドルと引き替えに「領収書」を受け取る。これが6か月有効の通行証になる。途中、この通行証が必要になることもなく、順調にルクラに到着。ここで助かった捕虜として警察隊に迎えられ、新聞社、大使館、人権擁護団体などからの電話インタビューを受ける。「誘拐されたわけではない」と言っても誰も受け付けてくれない。
 警察隊が「すべてのヘリコプターを動員して我々を捜した」というのには驚いた。ヘリコプターなど見なかったからだ。もし本当に誘拐されていたとしても、実際には誰も助けに来なかっただろう。
 ルクラからナムチェまではマオイストもいないし、外国人観光客でいっぱいなのに、兵士たちが我々を守ってくれた。ナムチェで取り調べを受け、マオイストの領収証を軍に取り上げられてしまった。山から帰ったあと、安全に帰れなくなるではないか。飛行機で帰るお金はもう無い。抗議すると、隊長はジリかカトマンズまでは無料で安全に送ると約束してくれた。
 さて、エベレスト周辺の旅行からナムチェに戻り、軍を訪れて約束を果たすよう要求した。ここでの宿泊代と食費は軍が払ってくれた。しかし、隊長はルクラまでは歩いていけという。そこでヘリコプターを待てと。
 ルクラに着くと、誰もそんなことは知らないという。ナムチェの隊長に連絡しろと言うと、電話も無線も壊れているという。マオイストの領収書を返せと言っても無視である。いいかげん怒りがこみ上げてきて、「2時間以内に領収書を渡すか、飛行機を飛ばす準備をしろ。さもないとすべてを大使館とマスコミに話すぞ」と言い渡す。
 彼らの態度はすぐに変わった。しかし、実際に助けてくれたのは、航空会社にネパール人並みの料金(外国人の3分の1)で飛行機を飛ばすように頼んでくれた旅行会社の人と、その航空会社の
支配人だった。
 小さな飛行機は乗客4人だけを乗せて飛び立った。午後の首都への便は空っぽのことが多いので、我々をカトマンズまで届けるのはたやすいことではあった。

 写真はアメリカ西海岸、小さな町の古い住宅
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ネパールからの通信(5)

2006-04-14 | ネパールからの通信
 ネパールでは4月6日から7政党の呼びかけで民主主義の回復を求める全国的なゼネストが始まった。これに対して王政府は首都カトマンズと周辺都市で外出禁止令を出して対抗。しかし、街頭デモを押さえることは出来ず、地方でも大規模に発生。政府はデモ参加者を大量に逮捕・拘束。ゼネストは9日までの予定だったが10日以降も継続、参加する一般市民も増えてきた。デモ隊への発砲などで死者も出ている。

 10日に、学生からメールが来た。
 「お元気ですか。たぶん、あなたは今のネパールの状況をもうご存じでしょう。私はもう4日間、外出禁止令のために家を出ていません。すぐ近くで王様に抗議する大きなデモが行われました。明日何が起こるのか私には分かりません。この騒動を私は見つめています。明後日、また書きます。
 彼女のメールは「明後日」を過ぎても来ていない。ちょっと心配である。

 毎日状況を詳しく書いているRazenoさんのブログによると、これまでに6人が殺され、100人が病院にいる。政府の発表では逮捕者は3000人を超えた。けが人を治療したドイツ人医師が国外退去を命じられた。
 デモ隊には容赦なく発砲、棍棒や催涙弾による攻撃が行われている。ある警官は自宅の窓からピストルで撃った。官製テレビは重大な事件など無いように報道し、ただテロリスト(マオイスト)がこの国の平和を乱していると報道している。民間テレビは警察が市民を残虐に攻撃する様子を伝えている。一方でジャーナリストが大量に検束されている。
 様子を描いたなまなましい写真集をウェブ上で見ることが出来る。

   写真は抗議集会の様子
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ネパールで大事件発生!

2006-03-31 | ネパールからの通信
 つい最近、世界のエスペラント界を震撼させる(ちょっと大げさか?)ニュースが伝えられた。エベレストにむかって旅行中の4人のポーランド人エスペランチストがマオイストに誘拐されたというのだ。そのうちの2人はエスペラントを活用しながら、すでに3年間も世界旅行をしている人たちである。あとの2人はエスペランチストかどうかはっきりしない。
 ネパールエスペラント会によれば、彼らが誘拐された理由は分からないが、おそらく要求されたお金を払わなかったためではないかと思われる。
 マオイストの支配する地域の治安はむしろ安定していて、安心して旅行できるが、彼らに「通行料」を払わねばならないと聞いた。もちろん、政府軍との戦闘に巻き込まれる危険がゼロとは言えないが。
 さいわい、捕らえられたポーランド人たちはまもなく釈放された。各方面と必死に連絡を取っていたネパールエスペラント会のムクンダさんは「やっと安心した。これで今日は食事して眠れる」と。
 昨日のコメントでMasakatoさんに教えていただいた Razen Manandhar のブログを読むと、真相がはっきりしない。「24時間の拘束後に解放された」とも「マオイストに拉致されたのではない、土地の人との間でなんらかの誤解があった」とも。
 一方、libra folio というサイトでは、被害にあったポーランド人自身の言葉を紹介している「バンダラ村で7、8人の強盗が我々を停めて、お金を要求した。払わないとこの先には行けない」と。ここではマオイストだとは言っていない。
 インターネット時代である。ニュースはたちまちにして世界中を駆けめぐる。

 なお、世界旅行中の2人のポーランド人エスペランチストは、自分たちの旅行の様子を美しい写真付きのウェブサイトに公開している。それによると、去年の秋から今年にかけては中国奥地~パキスタン~インドをさまよっていたらしい。いずれ、今回の事件について彼ら自身の報告が読めると思う。

   写真は今日からアメリカ旅行(2000年)・最初に宿泊したミコの家の居間
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ネパールからの通信

2006-03-30 | ネパールからの通信
 読書ノートを中断して、「ネパールからの便り」の3回目。
 この先も続くかどうか分からないが、今回からカテゴリーとして独立させることにした。
 独裁的強権政治を続ける王様と、議会の復活を要求する政党との対立が深まり、一方で武装集団マオイスト(毛沢東主義者)の活動も活発になって、ネパールの政情不安は続いている。主要7政党は4月6日から9日まで、ネパール全土でゼネストを計画しており、8日にはカトマンズで大規模な抗議行動も予定されている。
 観光が重要産業のこの国では、マオイストも外国人観光客には手を出さない。エスペラントの「第6回ヒマラヤの集い」(2月26日~3月10日)も58人の参加者(ネパール人45人)で成功した。私の友人夫妻も参加して、無事に帰国した。
 カトマンズなどの学生には、地方から来ている人も多い。彼らは、時には親戚から借金をしてきている。郷里に帰るのは費用の点でも非常に困難である。
 私の友人はそんな学生の一人だが、最近の便りで「私の村のすぐ近くで政府軍とマオイストとの戦闘があり、双方に死者が出た。すぐに実家に電話したが、さいわい何事もなかった」という。遠く首都に来て、平和の来るのをひたすらに待つ気持ちが伝わってくる。

   写真はベトナム・フエ城
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ネパールからの第2報

2006-02-02 | ネパールからの通信
 心配していたネパールから第2報が届いたので、キエウ招待の話は明日以降に延ばして、今日はそれについて書く。
 メールをくれるのは学生で、政治的なことについての自分の意見は書かない。以下はその要約。

 内乱は続いているが、それほど悪い状況ではない。テレビなどの報道は平常通りである。携帯電話の使用が出来なくなったが、毎朝料金を払う別のタイプの携帯電話があり、今はみんなそれを使っている。
 夜間外出禁止令が出ていて、夜はほとんど誰も外出しないが、日中はいつもと同じである。
 カトマンズ市内での抗議行動で、300人(注:その後さらに600人)が逮捕されたりしているが、一般市民には影響はないし、とくに外国人は安全である。エスペラント会の活動にもとくに影響はないし、2月末から始まる「ヒマラヤの集い」は問題なく行われるだろう。

 去年の3月に予定されたエスペラントアジア大会も、ネパールエスペラント会は実施の意向だった。アジア大会は世界エスペラント協会のアジアエスペラント運動委員会が責任を持つので、延期を決めたのはアジア委員会だったと思う。実際、急に延期されたので数十人の外国人が予定通りにネパールに来て、「プレアジア大会」とでもいうべき集会が行われた。「ヒマラヤの集い」はネパールエスペラント会の行事だから、少しくらいの政治的混乱には無関係に実施することになりそうだ。

   写真はネパール・カトマンズの街
   
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ネパールが心配です

2006-01-30 | ネパールからの通信
 ネパールのカトマンズ近郊で反政府武装勢力が警察や行政施設を襲って警官12人が死亡したと報じられたのは、2週間前(1月15日)のことだった。
 去年の8月にカトマンズで行われたエスペラントアジア大会に参加して、ネパールは私にとってベトナムの次に知人の多い国になった。あの大会は3月の予定が8月に延期されたのだった。ちょうど1年前に国王が議会を解散して全権を握り、政治的に不安定になったためである。大会中も、観光地の中心部にさえ武装した兵士の姿を見たし、長距離バスは何度も軍の検問を受けた。
 今年は、国王が地方選挙を予定しているが、政党活動を大幅に制限したままでの選挙は名ばかりの「民主化」になり、現体制を維持・強化するものだと各政党が反発している。そこに、国土の一部を実効支配している武装勢力も活動を活発化させてきたというわけだ。
 ニュースに接して、私はすぐにカトマンズの若い友人にメールを出してみた。2、3日後に返事がきて、彼らがわりに正確な情報を得ていること、インターネットが使えていることが確認できた。
 1週間後の22日、今度はカトマンズ市内で大規模な抗議行動が行われて300人が逮捕され、夜間外出禁止令が出され、それが日中にまで拡大されたこと、携帯電話の使用が出来なくなったことなどが報じられた。私は再度メールを送ったが、まだ返事が来ない。その後の報道によれば、混乱がますます深刻になっているようだ。
 今年の3月には、エスペラントの「ヒマラヤの集い」が予定されている。まだそれについての情報は出ていないが、この情勢では実施が難しいかもしれない。

   イラストは、ネパールから来たメール年賀状
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