1998年8月エスペラント世界大会「大会後遠足」その6(「言葉の通じない会話」後日談)
フランスから帰って数日後、ゲラルドにメールであの「言葉の通じない会話」について話した。しかし、我々とワインを飲んだあの男は「誰も来なかったし何も預かっていない」と言い張るというのだ。しかも預けた2本のワインは、我々が飲んだあの甘い赤ワインではなく白ワインだったという。この隣人がどうしても認めようとしないので困り切ったゲラルドに、私は部屋で赤ワインと一緒に撮った写真を送った。
約1週間後、その写真を持って問いつめたら、彼はやっと認めて私の預けたものを出してきた。ゲラルドはあらかじめ知っていたのだが、彼はアルコール依存症だった。そんな人にワインを預けて無事なはずはなく、彼はその2本を自分で飲んでしまったのだった。私の持っていった日本酒も封が切ってあったが、幸いなことに口に合わなかったようで、それほど減ってはいなかった。暑い時だったから、ゲラルドが飲んだ時にはまずくなっていたかもしれない。
今度フランスに行く機会があったらもう一度訪れてみたいと思う。その時にはゲラルドの通訳で話すことになるだろう。
フランス旅行の話はこれで終わる。はじめての海外旅行で印象になったことが多くて長くなった。
写真はサン・ジェルマン・デ・プレ教会
フランスから帰って数日後、ゲラルドにメールであの「言葉の通じない会話」について話した。しかし、我々とワインを飲んだあの男は「誰も来なかったし何も預かっていない」と言い張るというのだ。しかも預けた2本のワインは、我々が飲んだあの甘い赤ワインではなく白ワインだったという。この隣人がどうしても認めようとしないので困り切ったゲラルドに、私は部屋で赤ワインと一緒に撮った写真を送った。
約1週間後、その写真を持って問いつめたら、彼はやっと認めて私の預けたものを出してきた。ゲラルドはあらかじめ知っていたのだが、彼はアルコール依存症だった。そんな人にワインを預けて無事なはずはなく、彼はその2本を自分で飲んでしまったのだった。私の持っていった日本酒も封が切ってあったが、幸いなことに口に合わなかったようで、それほど減ってはいなかった。暑い時だったから、ゲラルドが飲んだ時にはまずくなっていたかもしれない。
今度フランスに行く機会があったらもう一度訪れてみたいと思う。その時にはゲラルドの通訳で話すことになるだろう。
フランス旅行の話はこれで終わる。はじめての海外旅行で印象になったことが多くて長くなった。
写真はサン・ジェルマン・デ・プレ教会