エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて22年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

赤ワインと白ワイン、隣のアルコール依存症

2005-04-30 | フランス旅行
 1998年8月エスペラント世界大会「大会後遠足」その6(「言葉の通じない会話」後日談)
 フランスから帰って数日後、ゲラルドにメールであの「言葉の通じない会話」について話した。しかし、我々とワインを飲んだあの男は「誰も来なかったし何も預かっていない」と言い張るというのだ。しかも預けた2本のワインは、我々が飲んだあの甘い赤ワインではなく白ワインだったという。この隣人がどうしても認めようとしないので困り切ったゲラルドに、私は部屋で赤ワインと一緒に撮った写真を送った。
 約1週間後、その写真を持って問いつめたら、彼はやっと認めて私の預けたものを出してきた。ゲラルドはあらかじめ知っていたのだが、彼はアルコール依存症だった。そんな人にワインを預けて無事なはずはなく、彼はその2本を自分で飲んでしまったのだった。私の持っていった日本酒も封が切ってあったが、幸いなことに口に合わなかったようで、それほど減ってはいなかった。暑い時だったから、ゲラルドが飲んだ時にはまずくなっていたかもしれない。
 今度フランスに行く機会があったらもう一度訪れてみたいと思う。その時にはゲラルドの通訳で話すことになるだろう。
 フランス旅行の話はこれで終わる。はじめての海外旅行で印象になったことが多くて長くなった。

   写真はサン・ジェルマン・デ・プレ教会
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パリの半日

2005-04-29 | フランス旅行
 1998年8月9~15日、エスペラント世界大会「大会後遠足」その5(おまけの1日)
 14日のブロア宿泊はオプションで、その日の午後のシャンボールの城が最後の訪問地になった。15日は日本エスペラントのツアーだけになって、バスで一路パリ・ドゴール空港へ。
 旅行社の添乗員はモンペリエまでで、大会後遠足には同行していなかった。我々が大会後遠足に出発する2、3日前に「帰りの飛行機の席がないから4人だけもう1日パリに宿泊してくれないか」と言う。我々夫婦とチャンブロチャルマのYSさん、名古屋のTMさんの4人が喜んでこの申し出を受けた。
 そういうわけで、ドゴール空港からまたパリに戻って、旅行者が用意してくれたホテルに着いたのが11時頃。この旅行の中では一番豪華なホテルだった。半日しかないパリ滞在、YSさんとTMさんはホテルから近いルーブル博物館へ。我々は歩く。
 コンコルド広場からシャンゼリゼ通り。ここでサンドイッチを買って昼食。大きなロータリー交差点の真ん中に立つ凱旋門にはどこから行けるのかわからない。道を横切る人がいたので、我々もそうしたが、運転手に怒鳴られた。着いてから地下道があることがわかった。上に上るエレベーターには長蛇の列。あきらめてエッフェル塔へ。ここでも長蛇の列。料金は同じだったが、階段を昇って展望台へ。上の展望台はあきらめた。ここで水とパンを買って食べ、アンヴァリッドの前ではアイスクリーム。サン・シュルピス、サン・ジェルマン・デ・プレと2つの教会を見学して、ルーブル美術館の前庭を通ってホテルに。疲れたが、ノートルダム寺院に行かなかったのが心残り。エスペラントどころか通じる言葉のない半日だった。
 翌日も朝、オペラ座前から空港行きのバスに乗った。
   写真はエッフェル塔からのパリ市街
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言葉の通じない会話

2005-04-28 | フランス旅行
 1998年8月9~15日、エスペラント世界大会「大会後遠足」その4(言葉の通じない会話)
 ネット友達のゲラルドの住む町アンボアーズにはダ・ヴィンチの館がある。大会後遠足では最終日(8月14日)にこの町を訪れた。ゲラルドは家族でスペインに遊びに行っていたが「あらかじめ近くの人にワインを2本預けておく。1本はおみやげに、もう1本は一緒に飲め」というのだった。
 他の参加者たちがダ・ヴィンチの館に入館した時、我々夫婦は近くのヴィクトル・ユーゴー通りに出かけた。教えられていた番地の家はすぐに見つかった。窓から中年の男が身を乗り出すようにしてこっちを見ていた。ゲラルドの名前を書いた紙を見せ、日本から来たといってもわからない。しかたなく、とりあえずゲラルドの家を見に行って、戻ってくると、その男が家の中に入れというそぶり。
 こぢんまりしたその家は、きれいに片づけられ、壁に掛かる鍋などもピカピカに光っていた。庭には彼の自慢のバナナの木があった。それから不思議な会話が始まった。我々はエスペラントだけ、彼はフランス語。お互いに全く通じない。それでも、我々を迎えるために彼が部屋や調度を一生懸命磨き上げたこと、奥さんと子供を交通事故でなくしたこと、などなど、いま考えてもどうやって理解したのかよく分からない。
 出されたワインはひどく甘い赤ワインだった。たしかもう1本私がもらえるはずだと思ったが、これはどう話しても彼にはわからないようだった。1時間ほどたって別れを言うと、彼は「女にしかしないんだ」といいながら妻にキスまでした。ゲラルドへのおみやげ(折り畳み式の碁盤と碁石のセット、4合くらいの日本酒、手紙)を預けて、なんだかとてもいい気持ちで我々はダ・ヴィンチの館に急いだ。
 この話には後日談があるが、また改めて。

   写真はダ・ヴィンチの館
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ハードなスケジュールと元気な老人たち

2005-04-27 | フランス旅行
 1998年8月9~15日、エスペラント世界大会「大会後遠足」その3(元気な老人たち)
 ヨーロッパからの参加者には高齢な人たちがたくさんいた。大会後遠足の行程はなかなかハードで、朝は8時頃には出発し、次のホテルに着くのが夕方の8時頃である。夏時間なので、9時頃になってもまだ明るい。古都サルラでは40度を超えるような猛暑の中を歩いた。さらに、夕食後のオプションコースが2回あった。1回はフューチャースコープで水煙をスクリーンにした映像や花火を見学。もう1回はトゥールーズの近くの古城、アゼー・ル・リドー。城の壁面と庭園を幻想的な音と映像が彩る。ホテルに帰ったのは深夜を過ぎていた。こんなハードな行程だったが、彼らは実に元気に、よく食べてどん欲に行動していた。 
 普通、ヨーロッパの人たちは退職した後は思いっきり自分たちの人生を楽しむ。定年後も働き続ける(働かなくてはならない)日本人とは大違いである。年金など社会制度の違いも大きいと思う。現役時代でも、長期休暇が保証され、比較的安上がりにバカンスを楽しめる社会的な環境がある。私のメール友達ゲラルドは、毎年夏には家族ぐるみで1か月ほどをスペインで過ごす。

   写真は古都サルラ
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エスペラントの家

2005-04-26 | フランス旅行
 1998年8月9~15日、エスペラント世界大会「大会後遠足」その2(地元エスペランティストとの交流)
 旅行団は、各地で地元のエスペランティストの歓迎を受けた。いろんなところでいろんな人と話が出来ることがエスペラントの旅の魅力のひとつである。
 リモージュでは地元エスペランティストといっしょに記念写真を撮ったが、それが翌日の新聞に4分の1ページほどの記事になったのには驚いた。
 リモージュからポワチエへの途中に、Bouresse という小さな村があって、ここにはエスペラントの家があった。民家風の建物がいくつか集まっていて、図書館・学習室・子供の部屋・宿泊室などがある。ここではある程度長期の講習会なども行われるようだが、個人で滞在することも出来るという。ここでは近くの体育館のようなところを借りて、昼食交流会が行われた。
 同様なエスペラントの家は世界各地にあって、有名なのはフランスの古城をそのままエスペラントの家にしたグレジヨン(ル・マンの近く)があり、日本にも八ヶ岳にエスペラント館がある。
 トゥールの町は地元の人たちが案内をしてくれて、夕食も一緒だった。若いフランス人女性が、「近く結婚するんだ」といいながら、黒人青年の写真を嬉しそうに見せてくれた。彼女は帰国後にチョコレートを一箱送ってくれた。

   写真はカホールの伝説の橋 塔には外敵から守るための落とし扉がある
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フランスを南から北へ縦断

2005-04-25 | フランス旅行
 1998年8月9~15日、エスペラント世界大会「大会後遠足」その1(概要)
 世界大会には「大会前遠足」「大会後遠足」が行われる。それぞれ4コースほどから選ぶ。我々が参加したのは、地中海側のモンペリエからロワール川沿いのブロアまでバスで北上するコース。
 古城カルカッソンヌ、運河クルーズ、トゥールーズ、航空機工場、中世の要塞都市カオール、巨大な鍾乳洞、ラスコーの壁画、中世都市サルラ、スヤックのからくり人形館、陶器の町リモージュ、ポワチエのテ-マパーク(フューチャースコープ)、トゥールからブロアまではいくつかの古城を見学というのがおおよそのコース。
 宿泊は案内では「半民宿」となっていたが、郊外にある低層のホテル。エアコンがなくて、猛暑の日は参った。
 同行はガイド(エスペランティスト)を含めて53人。日本人が約4分の1だったが、フランス・イタリア・ポルトガル・ブラジルなどなど10か国ほど。食事の時など、出来るだけ日本人以外の人と話すように努め、何人かの人と親しくなった。いまでも時々メール交換している韓国人。年に1回新年の挨拶をメールで送ってくるフランス人。フランス人の夫と日本人の妻のカップルは、去年私の家に泊まっていった。
 あまり話をする機会はなかったが、盲人が2人参加していた。いつも介助者を真ん中にして、3人で一緒に歩いていた。この2人の盲人とは去年中国で会った。
 14日、ブロアの宿泊はオプションで、ほとんど日本人だけが残った。そのため、14日の昼食が最後になり、アンボアーズの洞窟レストランは一大交流会になった。

   写真はカルカッソンヌ
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閉会式と巨大寄せ書き、モンペリエ旧市街

2005-04-24 | フランス旅行
 1998年8月8日、エスペラント世界大会(フランス・モンペリエ)第8日。
 今日の行事は閉会式。そのあとポルトガルの夫婦と昼食。大会会場の本屋さんなどはまだ閉まっていないので、戻って絵ハガキなどの記念品を買う。会場の床に大きな紙が敷いてあって、自由に書き込めるようになっていた。我々も何か書き込んだ。
 夕方に町へ出て旧市街を散策。この旅で、2人でゆっくりするのは初めてだ。突然現れた巨大な教会に圧倒される。住宅街は静かである。石の壁の向こうではどんな生活が営まれているのだろう。時々エスペランティストに出あい、挨拶を交わす。昨日乗った観光「列車」に2度も出くわした。運転手やガイドさんが手を振ってくれる。
 この後訪問した所もそうだったが、フランスの都市は旧市街が実によく保存されている。ポーランドなどでも、第2次世界大戦で破壊された都市を何十年もかけて復元したと聞いた。歴史と伝統への誇りを感じる。一方で、日本では「昭和」の町さえ消えていく。
 明日から「大会後遠足」である。

   写真は巨大寄せ書きとモンペリエ旧市街
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囲碁分科会・古代ローマ遺跡

2005-04-23 | フランス旅行
 1998年8月7日、エスペラント世界大会(フランス・モンペリエ)第7日。
 今日は囲碁の分科会である。エスペラントにはいろんな分野の世界的な組織がある。囲碁もそのひとつ。猫愛好家の会、同性愛者の会、労働者の会などなど何でもありである。私は折り紙の会を作りたいと思っている。
 会場には二十数人が集まっていた。高齢の日本人が「私は碁は強いがエスペラントは弱い」とか言いながら司会をしている。とくに会議というわけでもなく、交流会のような感じ。私は名刺を配りながら何人かの人と話した。
 「君はどれくらいの強さか?」という質問には困った。そこらの駅前碁会所で2段で打つ人が2目おくこともあるが、Niftyの通信碁では初段が厳しい。国際的な場ではもっと厳しいかもしれない。こんなややこしいことを何とか理解してもらった。半日遠足の出発時間が迫ってきたので、15分くらいで会場を出た。

 今日の半日遠足はニームへ行く。この町は巨大な水道橋、円形闘技場、神殿など、ローマ時代の遺跡がローマよりもよく保存されているという。
 バスの中でメール碁のアンドレ(アメリカ)と一緒になった。仕事とバカンスを兼ねて家族ぐるみでスイスに来ていて、その途中で彼だけ世界大会に参加したもの。快活で気持ちのいい人である。私は後に彼の家に数日間泊めてもらうことになる。

 遠足から帰って、妻はチェ・メトードの卒業式。そのあと、モンペリエの町を走る観光「列車」に乗って夜の町を一巡り。この町の古い街路は美しい。本物そっくりだが小形の凱旋門、まっすぐ伸びる水道橋も見事。ファーブル美術館に行けなかったのが心残り。

   写真はニームの神殿。レストランに回ってくる生バンド演奏の人たち。夜の凱旋門。
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アニメ「つるにのって」

2005-04-22 | フランス旅行
 1998年8月6日、エスペラント世界大会(フランス・モンペリエ)第6日。
 まず「大会後遠足」の説明会。もちろんエスペラントで説明されるから半分もわからない。ま、他にも日本人がたくさん参加するから心配ないだろう。
 昼にポルトガルの文通友達夫妻に会う。彼の方は、エスペラントはわかるが話せないと言う。一緒に昼食を食べて、我々のホテルに誘い、昨日着た浴衣を着せて写真を撮り、ついでにその着物をプレゼントした。
 夕方、メール碁をやっているアメリカ人、アンドレと会った。
 ついで、フランス在住の日本青年と会う。この人とは、この大会前の数か月、何度か手紙のやりとりをした。日本のアニメ映画「つるにのって」のエスペラント版を作りたいというので、制作会社などに問い合わせて若干の資料を用意してあげた。彼自身は、フランス人の奥さんと一緒に、「ボランティア」としてこの大会に参加していた。
 「つるにのって」は、原爆症で死んだ少女、佐々木禎子さんの話である。彼はこれを世界中のエスペラント会に普及したいというのだ。このあと、大会会場の片隅で十数人が集まってこの企画のための会が開かれた。大会には登録されていない非公式の分科会である。通りがかる人が興味を持って「何をしているのか」と聞いてくる。そのまま残って参加する人もいた。
 わたしはこの企画自体は可能だと思った。原案を書いたミホ・シボさんは、日本人だがフランス在住だから連絡も取りやすい。しかし、この会を見ていて、問題は第1に資金、第2に技術的なことだろうと思った。かなりの企画力と組織力がなければとても出来るものではない。
 その後も日本からいくつかの関連資料を送ったが返事は来なかったから、思いつき的な段階で挫折してしまったのではないかと思う。
 大会中毎日のように、夜遅くまでコンサートや演劇などが上演されている。この夜、初めてコンサートを聴きにいった。

   写真は「つるにのって」の非公式分科会
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運河と古代遺跡、7時間の夕食

2005-04-21 | フランス旅行
 1998年8月5日、エスペラント世界大会(フランス・モンペリエ)第5日。
 銀行でトラベラーズチェックを現金に換えた。手数料で500フランが470フランに減ってしまった。このところ天気が悪く寒かったので、パリに行ったらもっと寒いかもしれないと、何か防寒になるものを買おうとしたが、「S」でも私には大きすぎる。やっと体に合うジャンパーを見つけて49フランで購入。トラベラーズチェックで払って、お釣りは現金で手数料なし。後で気づいたが、胸にマークが入っていて、どこか日本の工場作業着らしい。
 午後は半日遠足。一昨日よりもさらに少し西、ベジェという町の近くで、落差25mのところを7つの連続する閘門で登る運河を見学。さらに西へ進んで、小高い丘から遠景の畑を見下ろす。ここはかつて池だったのを中世に干上がらせて放射線状に分割した所。この丘には紀元前6~1世紀頃の住居跡があって、博物館もある。

 さて今日のもう一つの重要な行事は「大会宴会」である。我々夫婦はこの日のために浴衣を用意していた。少し遅れていったのでほぼ満席だったが、空いた席を見つけて座る。陽気なイタリア人6人、フランス人1人、それに我々の9人が丸いテーブルを囲む。まず我々の着物姿に歓声が上がる。みんなエスペラントは初心者だという。
 一人がさかんに笑い話を話してはみんなで大笑いをするが、内容が理解できても我々には何が面白いのかサッパリわからない。この次の機会には日本の小話を披露しよう!
 食事は全くゆっくりと出てくる。別の会場で「舞踏会」が行われていて、途中でそちらに行ってしまう人もいたらしい。時間があるので、折り紙を作っておみやげに渡したりして会話をつないだ。隣に座ったフランス人が、私の名刺を見て碁について聞いてきた。おそろしく発音がわかりにくい人だったが、延々と碁の説明をした。
 すべて終わったのは午前2時、なんと7時間かけた夕食だった。

   写真は円形の畑。手前に古代住居跡。
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古城カルカッソンヌ

2005-04-20 | フランス旅行
 1998年8月4日、エスペラント世界大会(フランス・モンペリエ)第4日。
 今日は大会行事をすべてお休みにしての「全日遠足」、こういう日が必ず1日設定されるようだ。6コースの中から、カルカッソンヌへのコースをあらかじめ予約してあった。バス6台300人で出発して、10時にカルカッソンヌに到着。12時半まで、観光列車で外郭を一回りし、引率にしたがってカルカッソンヌを見学。ここは2000年以上の歴史を持つ町で、13世紀にほぼ現在の城郭都市が完成、その後廃墟になっていたが19世紀に復元された。城郭内に1000人の人が住み、城郭外にも古い町が広がっている。
 通りによっては静かな所もあるが、土産物店などが並ぶ通りにはたくさんの観光客でごった返している。さしずめフランスの妻籠・馬篭といったところ。そんな所に、住民だろうか車が突っ込んでくる。大きな門、たくさんの塔、中心にある城、回廊、教会などなど。私はこういう所が大好きだ。城郭外の町も含めて、1週間くらいは楽しめそうな気がする。

 昼食のメインは鶏肉入りの豆料理(この地方の代表的な料理らしい)、パン・肉入りサラダ・チーズ・アイスクリーム・コーヒー。終わるまでに3時間かかった。最近わが家に泊まったフランス人夫婦が言っていた。「日本人は食べるのが無茶苦茶に早い」と。フランス人は食事に無茶苦茶時間をかける。食事中同席の人たちと歓談し、名刺を交換。空手の有段者だというスイス女性、スェーデンの盲人男性、キューバの黒人女性、我々のバスの引率責任者のフランス人などなど、国際色豊かだ。バスの中での解説はあまり聞き取れないが、こういう所での会話はなんとかできた。

 この後、2つのワイン工場に寄って、スライドでこの地方の歴史や史跡(美しかったが解説は全く理解できなかった)を見て、工場も見学。モンペリエには9時過ぎについた。このブログの3月18日に使った写真はこのときのものだ。

 この日、深夜に一人で外出してフランス在住の日本人青年に会ったが、このことについてはまた後で触れる。

   写真は東正面入り口、城郭内の住宅、街路
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エスペラント直接教授法・ワインと運河

2005-04-19 | フランス旅行
 1998年8月3日、エスペラント世界大会(フランス・モンペリエ)第3日。
 チェ・メトードというエスペラント教授法がある。開発したのがチェという人なのだが、要はエスペラントを使ってエスペラントを教える、直接教授法である。ヨーロッパの人ならそれだけでよいかもしれないが、日本人の場合は、少なくとも最初に文法事項を一通り日本語で教えた方がいいと私は思う。それに、この方法で教えるには、ものすごく力量が必要だろうと思う。
 世界大会では、このチェ・メトードの講習会が行われた。初心者は実際に4回の授業を受け、上級者はそれを見学しながらこの教授法についての講義も受ける。私の妻が授業を受けることにした。講師は有名な先生で、なかなか楽しかったらしい。
 その間、私は出張郵便局で切手を買い、エスペラントの本ばかり並ぶ「大会本屋」(?)で本を買い、毎日出る「大会新聞」を読み、伝言板にメッセージを託し、人を捜してウロウロし・・・。

 午後は「半日遠足」モンペリエから西南方向へ。マルセイヤンという町でワイン工場見学。試飲した白ワインは木の香りが強く、トロリとして濃厚、おいしかった。赤ワインはあまりに甘すぎた。さらに船に乗って、カキの養殖場を見ながら湖を渡って運河に入った。この運河は地中海から大西洋まで続いているらしい。途中で自然の川と交差し、高さを変える閘門を通過した。Adgeという町で船を下り、モンペリエに帰った。
 「半日遠足」というのは、毎日午前と午後に行われる。私はあらかじめ予約したが、席に余裕があれば現地で申し込むことも出来る。事前に申し込む時には詳しいプログラムがわからないので、自分の出たい行事や会議と重なってしまうことがある。

   写真は運河とAdgeの町。雨が降っている。
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エスペラント世界大会の風景

2005-04-18 | フランス旅行
 1998年8月2日、エスペラント世界大会(フランス・モンペリエ)第2日。
 今日は開会式。会場に入りきれなくて、大会番号によって第2会場に振り分けられる人もいた。挨拶や報告が続くが、言葉が早すぎて内容はあまり理解できない。断片的にわかる単語があり、時に「何について話しているのか」がわかる程度。
 「初めて大会に参加する人のために」という会に参加。世界大会の楽しみ方をレクチャーしてくれるのだが、やっぱり半分も理解できなかった。
 「会話の会」に参加。少し遅れていったので何をやっているのかよく分からないでいると、一緒に行った妻と日本人がさっさと出ていってしまった。一人になってますます心細くなって、私も退出。
 というわけで、私の世界大会参加はさんざんなスタート、自分のエスペラントの力不足を知ることになってしまった。
 夜は日本エスペラント学会(JEI)旅行団の懇談会。心おきなく日本語が話せた。

 世界大会の会場に、伝言掲示板が設置されている。誰かに伝言したい時、相手の大会番号を書いた手紙を係に渡すと、その大会番号が張り出される。自分の大会番号を見つけた人はそのカードを持って係に渡して伝言を受け取る。
 最初に、この伝言板に私の番号を見つけた時にはびっくりしたが、これははるか日本から、通信教育の藤巻先生からの励ましの手紙だった。この後、文通友達や昨日知りあったレーナなどとの連絡にこのシステムがずいぶん役立った。

   写真は開会式の様子と伝言掲示板。
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フランスの田舎のお祭りとフィンランド女性

2005-04-17 | フランス旅行
 1998年8月1日、エスペラント世界大会(フランス・モンペリエ)第1日。
 ホテルの朝食はバイキング方式。いろんな種類のパンとコーヒーが美味しい。ベーコン、卵、ハム、ヨーグルト、プラムなどなど。
 大会会場へは歩いて10分ほど。まず受付をすませて袋に入った資料を受け取る。特に大事なものは、プログラム冊子。プログラムの詳しい日程や、半日・全日遠足の出発時間・集合場所などが書いてある。
 会場で何人かの外国人に声をかけられた。「日本人なら、××さんが来ているかどうかわかるか?」といったものが多い。こちらはエスペラント歴1年半の駆け出し、特にフランス人の発音が聞き取りにくい。
 今日は夕方までヒマなのでいったんホテルに帰る。スーパーマーケットで昼食用にワインやチーズ、果物などを購入、果物ナイフ、ワインの栓抜きなども。
 夕方からの半日遠足「世界市民の祭り」に参加。「世界市民」が何なのかよく分からなかったが、フランスの田舎のお祭りの雰囲気に浸れるといううたい文句に惹かれた。参加者は4台のバスに分乗。バスの中でフィンランドの女性(レーナ)と少し会話。祭りの会場に着いて、たくさんの丸テーブルの一つに、我々夫婦とレーナとがついた。「祭り」は騒がしい音楽と、騒がしくてさっぱり聞き取れない演説。
 我々はもっぱらレーナとの会話に集中。我々よりも少し年長の、こういう場で出会ったからかもしれないが、すてきな雰囲気を持った優しい女性である。
 騒がしさにうんざりして、会場を3人で抜け出した。一転して静かな村の中を歩く、月が青く輝き、足もとに人なつこい猫。
 再びバスに乗って、ホテルに帰り着いたのは、深夜の12時だった。

   写真は、大会会場近くの「コメディ広場」の朝(1998.8.2)
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エスペラント世界大会へ

2005-04-16 | フランス旅行
 今日から短期集中の新しいカテゴリー。このブログ、あまり他人を意識せずに書いていますが、今日の分は特につまらないと思います。明日からに期待してください。

 1998年8月1~8日、フランス・モンペリエで行われた第83回世界エスペラント大会に参加した。
 1月に、日本エスペラント学会(JEI)を通じて参加申し込み。2月、世界エスペラント連盟(UEA)から確認書、次いで第2報というパンフレットが届いた。もちろんすべてエスペラントで書かれているので、辞書を引きひき読んで、4月に大会遠足などの注文書を書いて送る。初めての世界大会、初めての海外旅行だったので、いろんな手続き、特に送金はJEIを通したが、慣れてくればすべて自分で出来る。
 その後の準備については以前書いたので省略。7月、デジカメを購入。このあと6年間使ったが、メディアが最大16MBのスマートメディアだったのでたくさん撮れるように解像度をいっぱいに落として使っていた。このブログの写真はほとんどがこのカメラで撮ったものである。
 7月31日、関西空港を11:10に飛び立ち、パリ着17:00、約13時間の空の旅。さいわい窓際の席だったので、次々に変化する雲の姿や、ときおり見える大地の様子を眺めていて飽きない。パリからモンペリエへは2時間20分、夏時間なので日暮れが遅い。バスでホテルに着いたのは9時半くらい。まだ明るかった。フロントで部屋割りを確認して鍵をもらうのに時間がかかって、風呂に入って寝たのは12:00、日本時間で朝の7時、長い長い1日でした。明日からいよいよ世界大会です。

   写真はどこまでも続く荒れた大地からわき起こる雲。遠景は山?
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