エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて22年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

ジャイナ教

2008-06-16 | インド旅行
 インド旅行の番外編として、一夜漬けの知識を披露する。
 インドに行く前には「ジャイナ教」なる宗教をまったく知らなかった。ところが、見てきた古いインド建築にはヒンズー教、仏教と並んでジャイナ教の寺院がたくさんあった。日本に帰ってから少し調べてみた。ここではとくに、インド建築の研究者である神谷武夫氏のウェブサイトや著作を参考にしている。神谷氏によれば、インドで最も華麗な宗教建築はジャイナ教のものである。
 古代のインドで最初に大きな勢力を持った宗教はバラモン教である。現在のヒンドゥー教の前身になる宗教だが、儀式や生贄、カースト制に凝り固まった祭式宗教であった。紀元前 5~6世紀、自由思想家や哲学者が輩出し、バラモン教に反旗を翻して生まれたのが仏教とジャイナ教だった。
 その後、仏教はインド国外にひろがり、13世紀にはインドから姿を消してしまう。一方、ジャイナ教は国外に出ることなく、インド国内でも主流になることなく生き続ける。アヒンサー(非殺生・非暴力)の思想を徹底的に追求し、妥協のない平和主義を貫いた。出家には厳しい戒律・苦行を課し、とくに「非所有」のために全裸で修行をした(のちに、白衣派が分離する)。そのため、ジャイナ教寺院には裸像が多く見られる。
 絶対者・個人崇拝を避け、物事を常に多面的に見る。何かを論じる場合も「~の視点から見ればこうだ」と、絶対的な結論を避ける。
 創始者はマハーヴィーラとよばれる。ブッダとよく似た境遇の人物だったらしい。絶対者を避けるために、マハーヴィーラ以前にも23人の聖者があるとし、マハーヴィーラはそのうちの1人に過ぎないとされる。
 非殺生・非暴力のため、足元の小さな虫にも注意して決して殺さなかった。これを究極まで進めると、植物も含めて生きているものを殺さず、最後は断食して自然に帰るところにまで行き着いたという。軍人や農業・林業は非殺生を貫くことが難しいから、信者には商人が多く、その財力で功徳を積むために立派な寺院を寄進した。

 現在のインドには様々な宗教が併存するが、主流はヒンドゥである。しかしこうしてみると、思想的にはジャイナ教の影響が大きいのではないかと思う。
 今回の旅行では行けなかったが、とくに西インドにはジャイナ教の大規模な山岳寺院がある。シャトルンジャヤには、2つの峰、1つの谷に920の寺院が並び、そこには住居も商店も一切なく、僧侶も巡礼者も夜明けとともに登り、日没前には下山するという。

   写真はジャイナ教の巨大像
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おまけの1日、タイ・アユタヤ(2)

2008-06-10 | インド旅行
 タイの1日観光ツアー、最初はパーン・パイン宮殿。国王の現役の離宮を観光客に公開しているもので、タイ様式はもちろん、ギリシャ、中国風など様々な様式の美しい建物が広い敷地内に建っている。タイの現在の国王はかなりの高齢だが、この国の王制は今のところうまくいっているのだろうか。街のあちこちで、王様の誕生日か何かをたたえる大きな看板を見た。
 ついで旧日本人街。御朱印船貿易の時代に一時は1,500人の日本人が住んだといい、山田長政が有名。それらしいものは何も残ってはいなくて、小さな博物館があるのみ。
 古都アユタヤーに着いて、ワット・ヤイ・チャイ・モンゴンという古寺。白いきれいな涅槃仏、大きな仏塔、金色の布をまとってずらりと並ぶ仏像。礼拝する人たちは金箔を仏像に張り付けている。
 昼食はホテルでバイキング。種類・量とも充分すぎるほどである。食べているのは日本人ばかり、一応タイ料理なるものもあったが、気が抜けたような味付け。果物はおいしかった。他にケーキなどの甘いものがたくさん、日本ソバやスパゲッティなども。数日間のツアー客が多いと思うが、こんなところに来てまで日本食はないだろうと思うのは私だけか。
 ワット・プラ・マハタート。アユタヤの古寺は、かつてビルマの侵略を受けたときに破壊され、とくに仏像のほとんどは頭部を落とされてしまったという。前の寺では修復されていたが、ここはほとんど頭のない仏像が並んでおり、生長する木の中に取り込まれてしまった仏頭がある。広い境内に崩れかかったたくさんの建物が並ぶのも壮観。ベトナムのミーソン遺跡を思い出した。
 次は象の飼育所。新婚の2人が象に乗る予約をしているとかで寄る。象使いが、象と一緒に写真を撮らないかと誘っている。象のしぐさが可愛く、またエサをもらったときに器用に鼻を使うのも楽しい。「象に乗る」のは10分くらい、ネパールで経験した私にはつまらない。
 ウィハーン・プラ・モンコン・ボピット。大仏殿である。金色に輝く大仏が納められている建物は、比較的最近に建てられたもの。このすぐ隣にあるのが、ワット・プラ・シー・サンペット。アユタヤではもっとも有名なところらしい。3基の仏塔が並ぶ姿は美しいが、それ以外の建物はほとんど廃墟同然である。
 ここを最後にバンコクに戻り、大きな免税店へ。私には興味がなかったが、Aはスーツケースを購入。免税店なので、品物は飛行場の中で受け取るシステムである。
 少し街を歩きたかったが、私の腰痛がひどくなってきて、タクシーをつかまえて空港へ。道路はものすごい渋滞、一時は100m進むのに30分もかかった。
 飛行場で冬服に着替える。残った少しばかりのバーツを使い切って、干したジャックフルーツとドリアンを買った。
 3月4日、朝8時少し過ぎに中部国際空港に到着。荷物を宅急便で送り(なんでこんなに料金が高いんだ?)、列車で恵那へ。日本の寒さが少しずつしみこんできた。
 長々と書き継いできたインド旅行もついに終わりである。

   写真はアユタヤのワット・プラ・マハータート寺院にて。
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おまけの1日、タイ・アユタヤー(1)

2008-06-08 | インド旅行
 私が利用したタイ航空は料金は比較的安かったが、帰りの乗り継ぎが信じられないほど不便だった。バンガロールを飛び立ったのは3月2日の23時頃、バンコクに着いたのが3日の朝4時である。そして、バンコクを出るのは4日の0時10分、何と待ち時間が20時間!
 しかしこれはかえって幸運である。タイへの入国にはビザが不要だから、1日外出が出来るのだ。残念ながらタイにはエスペランチストがほとんどいない。そういうわけで効率的にこの1日を使うために、ネットで探した観光会社の1日ツアーに申し込んでいた。日本語ガイドと昼食付きで7,300円である。
 さて、早朝のバンコク・スワンナプーム国際空港、出国手続きが無事に済み、円を少しバーツに替えて外に出ると、さっそくタクシーの客引きが寄ってくる。「公共タクシー」の看板を見つけてそこで聞くと、400バーツだという。車が動き出すと、運転手が「サービスチャージ・高速料金なども含めて400バーツだよ」と言う。Yが「メーターにしたらどうなるのか」と言い出すと、運転手は「じゃあ、そうします」と、さっさとメーターを倒す。いくら何でもメーターと400バーツとの安い方にしてくれなんていうわけにはいかない。
 高速料金60バーツ、サービスチャージ50バーツ、メーターが293バーツ、切り上げて合計で410バーツと、最初の約束より10バーツだけ高くになった。途中、回り道をしたような気がするが仕方がない。むしろこの値段にぴったり納めた運転手をほめておこう。
 バンコクの街は、インドから来た我々にはすごい近代都市に見える。交通量がものすごく多いのに、クラクションがまったく聞こえないのが不思議に感じる。
 ツアーの集合場所はえらく豪勢なホテルである。何となく場違いな3人連れだったが、広いロビーの豪華なソファーで2時間ほど休憩。
 8時出発、11人乗りくらいの小型バスに、我々3人、新婚旅行の夫婦、中年の男性2人連れの計7人と、日本語の出来る現地ガイドの同行8人である。ガイドは手慣れていて、要領よく観光スポットを案内してくれた。少人数なので、多少の時間のズレは気にしない融通性もある。最後には予定よりも遅くなって、中年男性2人組がぼやいていた。
 しかし、やっぱり観光ツアーである。あまりに要領よくまわりすぎて、何となく物足りない。ガイドの説明を聞きながらまわるのもいいが、どうせなら、アユタヤに一泊してもう少しゆっくり見てきたいと思う。実のところ腰痛がひどくなってきて、それどころではなかったのだが。

   写真はタイ・バンコク郊外のバーン・パイン宮殿
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捨てる食べ物が無駄にならない国

2008-06-06 | インド旅行
 去年のエスペラント世界大会に参加したインドのあるエスペランティストが言っていた。「日本はとても清潔な国だった。私は『清潔さ』が快適であることをはじめて知った」
 日本にたいして「清潔」な国だという印象は、ヨーロッパの人にも聞いたことがある。
 一方、インドときたら・・・街を牛・イヌ・ブタなどが自由にうろつく。当然排泄物も垂れ流す。乾燥しているからすぐにホコリとなって舞い上がる。人々も平気でゴミを路上に捨てる。アラビア海に面した漁村の入り口はゴミだらけだった。旅行中、運転手が窓を開けてアメの包み紙を捨てたときには、日本人たちから一斉にブーイングがおこり、Ranga がインド式なんだと弁解していた。
 あるとき、からになったペットボトルを捨てながら、誰かが「もったいない」にあたるインドの言葉はあるかと言い出した。実は日本語の「もったいない」と、国際語になっている「もったいない」とはややニュアンスが違う。Ranga にこれをエスペラントで説明するのはなかなか大変だが、何とかやっつける。
 ペットボトルについては、結局また誰かがひろって利用するからいいのだという。
 「もったいない」の例として「日本ではレストランや売店から毎日大量の食べ物がゴミとして捨てられる」と言うと、Ranga はそれは「もったいないではない」と言う。なぜなら、捨てられた食べ物は、他の動物やアリ・虫が食べて自然に帰っていくからである。そう、ここは食べ物が無駄にならない国なのだ。「清潔さ」の対極にあるような国だが、かつて日本にもあったものがここには残されている。
 我々は長い時間をかけて「清潔さ」を手に入れた。それに伴って失ったものも多い。インドはこれから「清潔さ」を手に入れなければならない。Ranga 自身も認めていたが、衛生面での向上は現在も重要な課題のひとつである。また、最近の経済成長に伴って、自然には帰らないものも増えている。プラスチック系のゴミも今までの習慣に従って捨てられるから、ゴミ問題も大きくなるだろうし、そういうゴミを街にうろつく牛などが食べてしまえば病気になるかもしれない。
 インドが今までに培ってきたものを失うことなく、近代化を実現していってほしい。
 インド旅行をしながら、こんな事をぼんやり考えた。そして、もっとインドの人たちの生活を肌で感じる旅行をしてみたいと思った。

   写真はゴミをあさる牛
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インド最後の1日(2)

2008-06-04 | インド旅行
 昼食後は、ホテルに戻って休憩、そして最後の荷造りである。ズボンも替えて、日本に帰ったら必要な冬物を用意して、これまでずっと裸足にスリッパで通してきたが、靴を履くことにする。
 サブザックを開け手荷物を出そうとしたら、なにやら柔らかくて暖かい、触り心地のいいものが手に当たった。えっ? と思ったら、これが大きなネズミである。浴室から逃げ出したこいつが、私のバッグに飛び込み、それとは知らずに閉めてしまったのだった。ネズミとしては必死に隠れようと奥に潜り込もうとするので、ザックを逆さにして中味ごとベッドにぶちまける。彼(彼女?)ももうその中にはいられないと悟って、大きく飛んでソファーの下に潜り込んだ。少々気分が悪いが仕方がない。私は再び荷造りにとりかかる。
 18:00、ロビーに集合。最後の世話をしにきてくれた Ranga に追加費用のことを言うと、「まだルピーが残っているのなら喜んで受け取る」という返事。日本人たち、とくに女性たちがルピーをどれだけ残して買い物をするか細かい計算をしていたのに対して、ずいぶんおおらかである。
 Ranga に最後のお別れをしてタクシーで空港へ。時間的な余裕を充分にとったのだが、空港の建物には入れない。入り口で切符を見せると、××時まで待てという。ごく最近、新しいバンガロール空港が営業を開始したとのことだが、まだこの時は狭い旧空港である。蚊がブンブン飛ぶ外で30分以上も待たされた。
 そろそろ時間かなと思う頃、突然数人の作業員がやってきて消毒作業をはじめた。辺り一面もうもうたる白煙に包まれ、並んでいた人たちもバラバラに逃げ出す。少し煙が薄くなった頃に建物に入ったが、内部も消毒されていてまだ煙が立ちこめている。
 無事にチェックインとセキュリティチェックもすみ、待合室へ。ここにはいくつか売店があったので少しだけ残っていたルピーを使うことにする。夕食代わりのパンや飲み物はやたらに高いから機内食に期待する。おみやげも残った350ルピーで買えるようなものは少ない。あれこれ見ていたら、コーヒーが割合に安かった。200gの袋を6つ買って、ルピーを全部使うことが出来た。
 ここでシンガポール航空に乗るKとお別れ、残った3人はタイ航空でバンコクに向かう。
 さようなら、インド!

   写真はバンガロールの市場
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インド最後の1日(1)

2008-05-31 | インド旅行
 3月2日。腰の調子がますます良くない。
 朝食後、近くの小さなスーパーマーケットで買い物。私は豆のスナック菓子を4種類買った。Aは豆の粉を何種類か買っていた。どう違うのかわからないが、いろいろ試してみると。
 ホテルの隣には本屋がある。Aは目をつけておいた大きなインド地図を買いに行ったが、どこにあるのかわからなかった、店員も探し出せなかったと、しょんぼり帰ってきた。私は写真がたくさん入ったインド建築の本に食指が動いたが、英語版なので買わなかった。どうしてもほしければ、帰ってから日本語のものを探そう。
 昼前に Ranga と Suresh 夫妻がホテルに来た。Suresh の奥さんは、エスペラントがかなり出来る。アジア大会でも司会などを務めていた。Suresh の車で、まずコットン製品の店へ。外から見るとふつうの民家にしか見えず、我々だけでは絶対に見つけることの出来ない店である。草木染めだけを扱っていてなかなかよさそうだったが、私には買う気がない。
 ついでインド食材の店へ。いろんなインスタント食材を扱っている。私もここで何種類かのカレーなどを買った。帰ってから料理に挑戦しているが、なかなかおいしい。
 いったんホテルに戻って、こんどは歩いて近くの市場へ。マサラティー用の粉末マサラ、何種類かのアメ玉。薄いスカーフを1枚。インドの女性は、サリーを着ている人も多いが、それよりもズボン・上着・スカーフの3点セットを着ている人の方が多い。この民族服を何とよぶのかは知らないが、スカーフを除けば、ベトナムのアオザイに少し似ている。この暑い国でスカーフというのも不思議だが、ズボンとスカーフが同じ色・模様の場合が多く、とてもおしゃれな感じがする。生地は絹だったり木綿だったり様々らしい。薄い絹のスカーフなら日本でも使えそうだから、妻のために一枚というわけである。
 ホテルに戻ってしばし休憩。このホテルに入ったのが昨日の夕方だから、今日のチェックアウトも夕方でいいのだ。先に部屋に入ったAが、なにやら騒いでボーイを呼んでいる。浴室に大きなネズミがいて、部屋の中に逃げ込んだというのだ。テレビの後ろやベッドの下などを探したが見つからなかった。
 Ranga に再度旅行費用の追加分について聞く。ホテルの一泊が1,000ルピー、観光地の入場料などがおよそ800ルピーだが、足りなければそれでもかまわないという返事。他に、空港までのタクシー代が4人で1,000ルピー必要である。他の3人にそのままを伝えた。Ranga も Suresh も、有給休暇を使って我々につきあってくれたし、旅行中もわがままな日本人の要求によくこたえてくれたから、私自身は残ったルピーを全部渡すつもりである。彼らも余分なお金はエスペラント運動に使ってくれるだろう。そもそも今日の1日は自由時間で、彼らも我々につきあう必要のない日だったのだが、買い物の世話をしてくれたのである。
 部屋で休んでいたら、スウェーデンの男性とドイツの女性が訪ねてきた。2人はネパールの人の世話で東インドを回ってきたという。この2人を含めて6人でレストランへ。少し遅い昼食である。ちょうどバンガロールのエスペラント会の人たちが来ていた。前回このレストランに来たとき、隣でインド人家族が食べていたプーリー(揚げたパン)を注文。おいしかった!

   写真はプーリーを食べているインド人家族(2月22日)
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第2のタージ・マハル

2008-05-29 | インド旅行
 3月1日。腰の痛みがだんだんひどくなってきたが、まだ歩くことは出来る。早朝にプールで少し泳いだ。
 今日は飛行機でバンガロールに戻る。「大会後遠足後遠足」の最終日である。時間の余裕があまりないので、朝食をルームサービスでとる。実をいうと、ホテルのルームサービスなるものを経験したのは生まれて初めてである。
 まずはこの町(アウランガーバード)にあるビービー・カ・マクバラーという廟建築へ。これはあのタージ・マハルにそっくりに作られた17世紀の建物である。ただし、規模は本物よりもかなり小さく、スタイルも少し横に圧縮したような、何となく窮屈な姿である。本物のように、全部が白大理石というわけでもなく、ドームを除くと大部分がしっくい仕上げである。学生の団体など、開場前からたくさんの参拝者がつめかけていた。
 ここをあとにして、あとは飛行場のあるプネーへ急ぐ。珍しく中央分離帯のある片道2車線の道路が続く。休憩のために立ち寄った小さな食堂には、ヒンズーの祭壇がいくつかあり、入り口には花飾りと、奇妙な人形を逆さに吊してあった。香のようなものを焚いて、煙で祭壇や室内のあちこちを浄めるのは、バンガロールのホテルでもやっていた。
 プネーは Salam の住む町なので、寄ってほしいようなことを言っていたが時間がない。レストランでチャーハンとヨーグルトの昼食を食べて、すぐ空港へ。
 手荷物チェックでなにやら付箋を付けるのがわからず、少々手間取る。Kがうっかり果物ナイフを手荷物に入れていて取り上げられた。バンガロールに着いたら返してほしいと言うと、Ranga が「預かり証をもらうのに1時間以上かかる、返してもらえるのは早くても明日以降、費用もかかる」からあきらめろという。
 いざ搭乗というときにまたトラブル。我々だけ手荷物チェックに戻される。何が何だかわからずに、係員についていくと、さっき付けた付箋が違う航空会社のものだった。あらためて別の付箋につけなおして無事搭乗。
 バンガロールへは順調。大会中と同じホテルに戻り、少し休んで食事に外出。腰の痛みがだんだんひどくなる。
 これで今回のツアー旅行が終わり、明日は深夜にインドを去ることになる。日本人たちは残ったルピーで買い物をする予定である。バンガロールでの1泊分や観光地での外国人入場料・カメラ使用料など追加の費用にいくら残せばいいのかが気になる。Ranga に聞くと「良いことは今すぐ、悪いことはあとで」と言うのみで、はっきり答えない。

   写真は「第2のタージ・マハル」
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世界遺産アジャンター

2008-05-27 | インド旅行
 2月29日、早朝にホテルの周囲を歩いてみた。高級住宅街らしいブロック。野良犬がやたらに多いと思ったら、首輪をしている犬もいる。やっぱりエサ代節約のために放してあるのか? ホテルに帰って、プールで泳ぐ。爽快!
 朝食時に、インドエスペラント会の会長 Salam がやってきた。全盲の彼にはアジア大会中に盲人の音の雑誌のためにインタビューをした。ここから車で数時間のプネーという町に住んでいる。 
 今日はアウランガーバードから車で約3時間、アジャンター見学である。駐車場からシャトルバスで寺院群の入り口まで行く。ここには、U字形の谷に沿った岩山の中腹に約30の岩窟仏教寺院が並んでいる。時代はエローラよりも古く、2~7世紀に作られた。その後約1,000年以上も、密林の中に埋もれていたが、19世紀の初めにイギリス騎兵隊士官によって発見された。
 硬い玄武岩を彫り込んだもので、寺院には未完のものもかなりある。岩窟寺院自体や彫刻なども見応えがあるが、ここで素晴らしいのは壁画である。
 順番に見ていったが、最初の第1窟のガードマンからビデオカメラは禁止だと強く言われてしまった。寺院は動かないから静止画しか撮らないと主張したが、頑として聞き入れない。Ranga は出来るだけカメラを見せないようにしてこっそり撮れと言う。
 各岩窟に1人ずつガードマンがいて見張っている。途中でビデオカメラが見つかって2回ほど注意されたが、「foto」と言うと納得してくれた。同じガードマンでも物わかりのいい人もいる。
 ゆっくり見て歩いていたら、遅れてきた Salam と Suresh が追いついてきた。岩に彫り込まれた階段を上り下りするのだが、Salam の足取りは健常者とほとんど変わらない。帰る途中でAが滑って転びそうになったとき「足元をよく見て気を付けて歩きなさい」言われてしまった。
 若い女性10人ほどのグループを相手に Salam がエスペラントの話を始めた。もちろん地元の言葉だが、話が面白いのか彼女たちも真面目に聞いていた。足を止めて聞き入る人さえいた。
 ここを出て、かなり遅い昼食をとり、アウランガーバードへ帰る。途中で綿花の畑が続き、その集荷場を見つけて入ってみた。白い綿花が山のように積まれ、十数人の人たちが仕分けなどの作業をしていた。
 夜は Salam を交えての夕食。Salam はかなり高齢だと思うが、大きな声ではっきりと話す。かなり話し好きでもある。
 少し早めに就寝。疲れが溜まってきて、腰の痛みがぶり返してきた。

   写真は綿花の集積場
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世界遺産エローラ

2008-05-23 | インド旅行
 2月28日。早朝にホテルの周辺を少し歩いてみた。大きな交差点の近くで、住宅街が近くにはなくてつまらない。三輪タクシーが数台止まっていて、その陰で男たちがトランプバクチに興じていた。
 朝食後に別のホテルにかわり、すぐに出発。1時間ほどでエローラの石窟寺院群につく。ここが今回の旅行では最大の見所である。
 エローラは岩山の裾に、南北約2kmにわたって34の石窟寺院が並ぶ。それぞれに番号が付けられていて、1~12窟が仏教、13~29窟がヒンドゥー教、30~34窟がジャイナ教の寺院である。異なる宗教の寺院がこのように平和的に共存しているのは、インドの宗教の寛容さを示すものだろうか。
 中でも素晴らしいのは第16番のカイラーサ寺院である。これは石窟寺院ではなく石彫寺院である。ラーシュトラクータ朝の第2代のクリシュナ1世(在位 757~783頃)の夢に現れた神が「巨大な神殿を作れ、数日後にはその頂上が出来ていなければならない」と告げた。王は建築家を呼んでそんなことが可能かどうか問うた。建築家は一日考えて、出来ますと請け合い、まず神殿の最上部から掘り始めた。これは Ranga に聞いた伝説である。
 実際には100年ほどもかけて、岩から彫りだされたこの高さ32m、3層、上から下まで精密な彫刻で覆われたこの大神殿は圧倒的な迫力である。内部も彫り込まれ、柱や梁の形を残して内部空間が作られている。周囲の回廊には未完成の部分も見られる。
 我々は昼食をはさんで、第1窟から第34窟までのほとんどを見て歩いた。最後のジャイナ教寺院には、第16窟ほどの規模ではないが、石彫寺院がある。
 昼食時に、インドではじめて一般の日本人旅行者に出会った。単独で卒業旅行中だという学生である。この人とは、翌日にもアジャンターで会った。
 この日はこれだけではなかった。
 エローラの近くにインドで12の重要なシバ寺院のひとつというグリシュネスバル寺院がある。参道には礼拝に使うのであろういろんな物を売る店が並び、寺院内も参拝する人であふれていた。
 最後にダウラターバードの砦跡。1326年にトゥグルク朝がデリーからここに遷都したが、結局失敗してデリーに戻った。高さ180mの岩山を天然の要害として、壮大な砦を築いた。麓には、15世紀に建てられた、高さ60m、インドで2番目に高いミナレットがある。石を組み上げて作られた城砦は西洋の城を見るようで興味深く、もう少し時間をとってゆっくり見てきたかった。何とか頂上まで登りたかったのだが、途中から上に行く道がどうしても見つからなかった。
 入り口付近に果物屋さんがあった。いろんな果物を試食させてもらったが、ベトナムでマン・カウと呼んでいた果物がおいしかった。青いブドウを買ってきたが、これもおいしかった。

   写真はシバ寺院参道の売店
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一流ホテル?

2008-05-21 | インド旅行
 アウランガーバードで最初に泊まったホテルは、例えば香港などでは一流だという名前を持っていた。Kはここに泊まればホテルの名前だけでも自慢になるという。実際に、このホテルが香港の高級ホテルと関係があるのかどうかはわからない。
 部屋はきれいで設備も悪くないのだが、改装直後らしくてペンキの匂いがかなり強い。実のところ私はこの部屋でも我慢しようかと思ったのだが、同室のAが「こんな部屋に3泊もできない」とどうしても承知しない。夕食後に別な部屋にかえてもらったが、匂いはほとんど変わらない。
 我々は自分であちこちの部屋を覗いてみた。すると、匂いのしない部屋が見つかった。Aはここならいいとさっさと移る。私もついていく。くつろいでから部屋の中を見渡すと、ここはまだ改装が行われる前である。何とか使えないことはないが、壁面のスイッチなどは取り外しかけてコードがむき出しになっていたりする。エアコンが動いていたが、どこで切るのかわからない。メインスイッチを切ったら真っ暗。
 女性たちも部屋をかえたかったが、なにせホテルに着いたのが夜の8時、それから食事をしたので遅くなり、あきらめてしまった。
 ここでは蚊がいたので、持っていた最後の蚊取り線香を使ってしまった。
 Ranga は言う。「我々は1か月以上も前からホテルと交渉をしていた。インドは暑いからみんなあまり熱心に働かない。だから改修工事にも時間がかかるのだ」
 翌28日、朝食後に別のホテルに移った。こんどはきれいなプールのある高級そうなホテルの、かなりいい部屋だった。

   写真は工事中だったホテル
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アウランガーバードへ

2008-05-17 | インド旅行
 2月27日。ビジャープルというのは「勝利の都」を意味する。15~17世紀に栄えたアーディル・シャーヒー朝の首都である。と書いては見たが、インド旅行から帰ってからのにわか仕込みの知識である。
 この街には古いイスラム建築が多いが、我々は「ゴル・グンバド」という17世紀の巨大な廟を見学した。46m角のほぼ立方体の墓室の上に直径38mのドーム屋根が乗る。ドーム天井の高さは50mにもなる。これだけの大空間にはもちろん柱も何もない。4隅に7層の塔状の階段室があって、これを登るとドーム天井の根本に出られる。内側のバルコニーから巨大な室内を見下ろすことができる。ここで声を出すと室内全体に反響する。外側にもバルコニーがあって、ビジャープルの町、とくに城壁や砦を見渡すことができる。装飾もなく、それほど美しくもない建物だが、これだけ巨大な内部空間は一見の価値がある。
 同じ敷地に博物館があった。この地の王様の使っていた衣服などや、珍しい彫刻など。
 この後は昼食休憩を除いて、一路アウランガバードへ。ほとんど変化のないデカン高原を走り、後半は低い山脈が現れて、綿花畑が続いた。カーチェイスが相変わらずものすごい。
 都市間道路を走っているときはいいが、少し大きな町を通過するときには道が分からなくなる。そんなときには運転手が通行人や三輪タクシーの運転手に片っ端から道を尋ねる。交差点のど真ん中で、平気で交通を遮断してでも聞く。通行を妨げられた車はクラクションを鳴らすが、それ以上のことにはならない。道を教えてもらっても「ありがとう」のひとこともなしにさっさと動き出す。実はインドには「ありがとう」に当たる言葉がないのだという。ないわけではないがひどく大げさで、ふだんには使えない。カースト制が厳しい社会では、上の者が下の者に施しをするのは自らの功徳を積むためで、感謝されるべきことではなく、施しを受けた方も「ありがとう」とは言わない。
 時々テント村のようなものを見ることがある。町や郊外だけでなく、山の中で見ることもある。これはホームレスの集団ではなく、ジプシーだという。インドのジプシーはカースト外に置かれた最下層の人々(指定カースト)のひとつである。
 車はカルナータカ州からマハラーシュトラ州に入る。州境を越えると高額の税金が必要だと聞いていたのだが、いつ州境を越えたのか分からなかった。昼食を取ったショラプールという町では、単車を運転する人、とくに女性の多くが布で顔面を覆っていた。まるで月光仮面である。おそらくあまりに空気がほこりっぽいためであろう。
 夜8時過ぎにアウランガーバードのホテルに到着。このホテルで一騒動あったのだが、次回に。

   写真は郊外で見たテント村
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パッタダカル周辺

2008-05-15 | インド旅行
 インドには木造建築ももちろんあるが、雨の少ない地方では石造やレンガ造が多い。他に大きな岩山をくりぬいて作った石窟がある。石材を切り出して積み上げる石造建築よりも石窟の方が作るのが楽かもしれない。
 デカン高原の北西部は石窟寺院の宝庫である。全部で1,200もの石窟寺院があるという。これから訪れるエローラ、アジャンターが有名だが、他にも貴重な石窟寺院がたくさんある。
 石窟も石造も、柱・梁・ひじきなど木構造の形式を持っていることが多い。デカン高原もかつては森林が多く、木材が豊富で建築物は木で造られていたが、現在は残っていない。
 さて、2月26日、Sezamo と別れた我々一行は、7人乗りの車に7人が乗り込んでホスペットの町を後にする。最初の目的地はバーダーミである。片道一車線の巨大なトラックが行き交う道路を車は快調に走る。トラックをどんどん追い越す。対向するトラックにあわや衝突なんてシーンが続いてすごいスリルである。
 バーダーミには昼前に到着。美しい湖があって、湖畔や周囲の岩山に石造寺院が建つ。我々は岩山の中腹に並ぶ4つの古い石窟寺院を見学。6世紀のもので、南インドのヒンズー寺院では最古のものと言うが、壁面や柱の彫刻が見事である。第3窟はかなり大規模である。また第4窟のみジャイナ教寺院である。インドでは、異なる宗教の岩窟寺院が同じ場所に並んでいることは珍しいことではない。
 この岩山の頂上にも何か建物がある。後で調べたら城跡だった。Ranga は登る道がないといっていたが、その後の彼の言動から察するに「登る時間がない」という意味らしい。
 ついでパッタダカルへ。途中でジャイナ教の石造寺院で休憩。最近解体修理したらしく、一個一個の部材に番号が付けられていた。ついでパッタダカルの寺院群。雄大なヴィルーパークシャ寺院など、いくつかの寺院が一カ所に建っている。後ろの川では水浴や洗濯をする人々が見られた。
 さらにアイホーレの寺院群へ。パッタダカルでは南方型と北方型寺院が混在し、アイホーレでは様式が確定する以前の様々な試みが見られるなど、インド建築史上重要な建築物が並んでいるのだが、このときはあまり理解していなかった。少し勉強してくるんだったと後で思うのはいつものことである。
 最後は再びトラック追い越しの街道レース。途中で15連スピードブレーカーによる大渋滞。おかげでデカン高原に沈む夕日を楽しんだ。
 今日の宿はビジャープル。夕食ではカリカリに焼いた薄いパンの上に刻んだ野菜を載せたものがおいしかった。

   写真はバーダーミの石窟寺院
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世界遺産ハンピ(2)

2008-05-13 | インド旅行
 2月25日、やっぱり暑い。明け方になっても30℃を超えている。11過ぎに寝たが、4時頃には目が覚めていた。6時45分頃からホテルの周辺を散歩。おばさんたちが掃除をしていてものすごいホコリが舞い上がっている。豚や馬(ロバ?)・牛などがうろついている。すぐ近くに大きなバスターミナル。道路はすでに行き交う人々であふれていて、店も開店準備にかかっているところが多く、 床屋さんはもう仕事をしていた。こんな早朝に、なにやら人が集まって賑やかなのは結婚式らしい。
 今日もハンピを回る。ハンピは広いので、車で要領よくまわっても2日かかる。個人旅行の場合はタクシーをチャーターするか、自転車を借りるのもいいらしい。今日まわったところは建物がほとんど崩壊して、基礎部分だけが残っているところが多く、日陰がなくて参った。
 地下に造られた寺院、プラサーナ・ヴィルパクシャ。そこから徒歩で遺跡の発掘作業現場を見て、展望台へ。ここからさらに歩いて、ハザーラ・ラーマ寺院、地下室を持つ王宮跡、水道の跡と階段池、大きな水浴場などを見学、大きな段の上に登り、巨大な石扉を見て、最後は女王の水浴場。当時の都市計画やいわゆるインフラ整備がかなり進んだものであったことが分かる。階段池も水浴場もそうだが、水の量が多くても少なくても使えるように作られている。とくに階段池の幾何学的な構成は見事である。
 昼食後、少し長い休憩。皆さんお疲れ。最後は博物館。金属板や木片・紙などの古文書、金属器などなど、なかなか面白かった。
 一緒に行動していた韓国の Sezamo と明日はお別れである。彼女はアジア大会の前に北インドを1か月1人で旅行してきたという。この旅行の後で再びインドを訪問し、ブータンにエスペラントを広げる活動をしている。

   写真は階段池
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世界遺産ハンピ(1)

2008-05-10 | インド旅行
 朝は5時頃に目が覚めてしまった。夕べと同じく、部屋の外がひどく騒がしい。廊下に出てみて驚いた。すぐ近くの広い部屋にマットがたくさん敷いてあって、大勢の人が寝ている。大人ばかりではない。家族と思われる一団もいる。廊下にも何人かが寝ている。最上階(4階)だったので、屋上に上ってみたら、屋上にも寝ている。6時半頃にはみんな出かけてしまって、また静かになった。
 Kが夕べは蚊に悩まされたという。部屋には電気蚊取り器があったというのだが、気が付かなかった。
 さてハンピへ。14世紀前半にヒンドゥ教のヴィジャヤナガラ王国の首都として建設が始められたところ。大規模な都市計画によって、王宮やたくさんの寺院を持つ大都市に発展した。16世紀半ばにイスラーム勢力に攻略され、廃墟と化した。1981年以来修復が進められている。
 現在はほとんど人は住んでいなくて、周囲にはバナナ・米・サトウキビなどの農園がひろがっている。わずかに、観光客相手の人たちが中心部に住んでいるのみである。大きな岩がゴロゴロしている低い山が連なり、その上や間に古い建物が残っている。全体ではかなり広い地域を占めている。
 我々はまず観光の中心ヴィルーパークシャ寺院へ。暑い。メッチャ暑いが、空気が乾燥しているから建物の陰に入ると涼しく感じる。ここは石造寺院がほぼ完全な形で残っていて、結婚式が行われていた。寺の前の広い道路の両側に石の廊下が続いていて、土産物屋が並んでいる。ここはかつての大通りである。この規模を見ただけで、ここがかつての大都会であったことが想像できる。このような大通りの跡はハンピの何カ所かに見られる。寺の反対側にも建物があって、大きな彫りかけの牛の像があった。大規模な石造の建築物や彫像は作るのに時間がかるからだろうか、インドでは未完成の建築物や石像によく出会う。
 ゆったりした岩の山を登って、周辺の遺跡群を見渡す。この岩は、バンガロールの植物園で見た岩と同じものである。30億年前のもので、地球上でもっとも古い岩だという。
 シバ寺院のユーモラスな「怒れる神」ナラスィンハの像と巨大なリンガを見学。建物の下部が石造で上部がレンガ造である。石の部分はほとんどそのまま残っているが、レンガの部分は古びて崩壊している。奇妙なアンバランスである。
 大きなクリシュナ寺院。ここは彫刻が素晴らしい。これで「南の遺跡群」をざっと見たことになる。車で近くのレストランへ。
 昼食後は「東の遺跡群」へ。ここにも大きな町の跡がある。ヴィッタラ寺院が素晴らしい。山車の形をした神殿が珍しい。インドでは建築物そのものが彫刻である。本殿の細い柱は叩くと澄んだ音が出て、打楽器に使われたという。
 石造の建築物は、このあたりにゴロゴロしている岩を切り出してその場で使っている。建物の周辺には切り出した跡や、石を割る作業途中の岩も見られる。
 ついでロータス・マハルへ。ここは宮殿跡で、寺院とはかなり違った建物である。大きな象舎が珍しい。塔に登って、ハンピ全体が眺められた。これでハンピの1日目が終わった。
 昨日のホテルがよくなかったので、別なホテルに移動。エアコンはないが、珍しく浴槽があった。しかし、栓がない。湯を大量に使えないように、浴槽を使えなくしてあるのだ。時間によってはぬるま湯しか出なくなるのは、各部屋で一斉に使うせいらしい。
 別なホテルで夕食にする。ホテルをバックで車が出るとき、後ろから入ってきた車にぶつかった。双方の運転手は何事もなかったように、何も言わずにいってしまう。後で車の後ろを見て、たいしたキズではないとか言っている。これくらいは日常茶飯事なのだろう。

   写真はナラスィンハの像
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ハンピへ

2008-05-08 | インド旅行
 2月23日、9時頃に出発。デカン高原を北に向かって快調に走る。広い農地と低い山が連なる乾燥地帯である。農地といってもほとんど荒れ地に近い。ため池のあるところもあったが、農耕はほとんど雨にかかっているという。雨が降る季節にはトウモロコシや落花生などを植え付けるのだ。低い山の上には無数の風力発電機が並んでいる。
 ハンピの近くまで来て、巨大ダムを見学。高さは三十数メートルだが、長さが2.4kmもあるダムで、ダム湖は向こう岸が見えない。駐車場から1kmほども歩くのだが、カメラは持ち込み禁止だった。この駐車場に着いたとき、小学生の一団がいた。数人の子供が寄ってきて、口々に自分の名前を名乗ったり、我々の名前を聞き、写真を撮ってくれとせがむ。インドでは子供だけでなく、大人たちもカメラを見ると撮ってくれと言う。そこに先生がやってきて、怒鳴りつけて子供たちを列に戻した。
 同じく駐車場で、大きなイノシシがトコトコ歩いていく。イノシシも人々も別に驚いた様子はなく、のんびりしたものである。我々日本人だけがびっくりしている。これは実は豚だったらしい。この後、街の中では犬や牛だけでなく、豚・ロバなどが勝手に歩き回っているのを見た。飼い主がエサ代を節約するために「放牧」ているのだ。
 ハンピというのは世界遺産にも指定されている遺跡である。古い街なのだが、今はほとんど人は住んでいない。隣接するホスペットという町のホテルに泊まる。あらかじめ予約してあった3つのホテルを実際に見て、一番よさそうなところにする。
 ホテルの前で、1人の子供が日本のコインが欲しいという。小さな金色のコインを見せてくれたから、10円玉と交換してやった。子供たちがどっと押し寄せてきたのであわててホテルに逃げ込む。インドのお金はルピー(1ルピーは2.6円くらい)だが、その下にパイサーというルピーの100分の1の単位がある。交換した小さなコインはてっきり5パイサーだと思ったので、いい記念品になると思ったのだ。ところがよく見てみたら、インドのお金ではなく、ポーランドの5グロシュだった。あの子はこのコインをどのようにして手に入れたのだろうか、そして10円玉で次には何を手に入れるのだろうか? まさか「わらしべ長者」なんてことにはならないだろうが・・・。
 夕食には珍しく魚のフライが出た。カレー味なのは、鶏でもブロッコリーでも同じである。昨日買ったお菓子も食べた。適当に選んで買ったので、「あ、これはおいしい」「これはいまいち」と楽しかった。途中で停電してしまって、ロウソクの下での食事もいい雰囲気だった。
 外は涼しいが、部屋の中は蒸し暑い。深夜、12時頃に急に部屋の近くが騒がしくなって、1時間ほどもその騒ぎが続いた。いったいなんなんだ? その謎解きは明朝。

   写真はツアーに使った乗用車
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