エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて22年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

キエウの来日(最終回)

2006-02-10 | 外国のエスペランチストを招待する
 キエウは私が個人的に招いた。日本に来るための諸費用は、北京のエスペラント世界大会で出会ったボイを通じてあらかじめ渡してあった。
 日本国内の交通費・宿泊費・食費等々は、別に持たせて、世話していただく方たちにそこから受け取っていただくようにした。使った費用についての簡単なメモ用紙をつけ、これにはたとえカンパしていただける場合も書いて下さいとメモしておいた。
 詳細に費用を書いていただいた方もあり、また費用の一部を取って、一部をカンパしていただいた方もあるが、ほとんどの方はメモ用紙に何も書かず、お金も請求されなかった。逆に1万円を別途カンパしてくれた人さえあった。実際に外国人、とくに発展途上国からのお客さんに対しては多くの日本人エスペランチストが自己負担で世話をすることが多い。わたしもそうだが、たまにしかやってこない外国人エスペランチストだから、交流するのが楽しくて少しばかりの費用は気にならない。もっとも京都や東京のようにたくさんの外国人が押し寄せるところではそんなわけにはいかないだろう。
 私としては、キエウのために使った総費用と、お世話していただいた方の負担を知りたかったのだが、こういうわけで詳細はわからないままだった。キエウは責任を感じたのか、各地で誰がいくら使ったのか一生懸命にメモしていたが、その一覧表はかなり不正確なものだった。

   写真は南フランスのワイン工場
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キエウ再びわが家へ

2006-02-09 | 外国のエスペランチストを招待する
 広島のあと関西にいたキエウが、予定を変更して突然恵那に来たいと電話をしてきた。東京では降りる駅を間違えて一時行方不明になったりしたキエウだが、11月25日、新幹線から名古屋で中央線に乗り換えて恵那まで一人でやってきた。
 駅まで迎えに行った車の中で、菓子屋に行きたいという。恵那には和菓子の老舗がいくつかあるが、そうではないという。何のために菓子屋なのか聞いてもはっきり言わない。そのうちに妻とボソボソしゃべっていたが、和菓子も洋菓子も売っている大きな店へ。
 彼女が買ったのはなんとローソクが数十本立てられた誕生日ケーキだった。私の誕生日を祝うためにわざわざ来たというのだ。ところが彼女の記憶違いで、私の誕生日はすでに1週間も前のことだった。少し間が抜けたが、「誕生日のパーティ」というのは私の人生ではじめてのことだった。
 夕食はキエウの好物のキムチを入れた鴨鍋。
 翌日26日の午後に京都へ行き、11月28日、約1か月半の日本旅行を終えてベトナムに帰国した。

   写真のストックがなくなってしまったので、1998年のフランス旅行の写真でまだアップしていないものを紹介します。今日の写真は南フランス、マルセイヤンという町のワイン工場
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キエウと広島

2006-02-08 | 外国のエスペランチストを招待する
 わが家での5泊6日でキエウとの直接の交流は終わるはずだったのだが、15日から広島へ一緒に行くことになった。広島のO.Mが私たち夫妻も招いてくれたのだ。O.Mはエスペラントの大先輩であり、熱心な平和活動家でもある。奥さんのO.Tとは1998年にフランスで行われたエスペラント世界大会で知り合った。
 名古屋まではK.Hがキエウを連れてきてくれた。一緒に名古屋名物「きしめん」で昼食。新幹線で広島へ。私には「ひかり」でも「こだま」でもない新幹線に乗るのは初めてのことだった。
 広島ではO.Mの心づくしの料理と、広島エスペラント会のメンバーやO.Tの職場の仲間などとの交流で楽しいひとときを過ごした。
 16日は平和公園・原爆資料館などを見学し、「おこのみ村」で昼食。普段小食のキエウがほとんど平らげてしまった。キエウはここで4泊お世話になったが、我々はこれで恵那に帰った。
 O夫妻のおかげで、私もちょっぴり旅行者の気分を味わった2日間だった。

   写真は中国・上海の路地
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キエウわが家に5泊(後編)

2006-02-07 | 外国のエスペランチストを招待する
 11日、午後から犬山市へ。K.Yと待ち合わせ。私とK.Yがエスペラント日本大会の会場費関係の手続きをしている間に、妻とキエウは犬山城を見学。その後、K.Yは帰り、3人で犬山祭りに使われる山車やからくり人形を展示した「どんでん館」などを見学。夕食後、学習サークル「ソンキーソイ」の例会に参加。このときの様子は、「山とエスペラント」で見ることが出来る。
 12日、中津川のクアリゾート施設・湯舟沢温泉へ。バーディーゾーンやプールで遊び、温泉に入る。ベトナムからのお客さんには、更衣室を一目見るなり逃げ出した人もいたし、熱めの温泉につかるのに耐えられない人もいたが、彼女は十分に楽しんでくれた。1日のんびり出来て「今日は幸せな日だった~~」と。
 夜はちらし寿司。さすがに刺身は食べられない。
 13日、これもわが家に泊まる外国人の定番になっている、H.H宅でのお茶会。東海地方のエスペランチストも数人参加。お茶会にもいろんなパターンがあり、本格的にやると1日がかりで、費用もずいぶんかかるようだが、たいていは簡略化した形で行う。この日は濃い茶と薄茶の両方を体験。
 終了後、みんなで上矢作町(現・恵那市)にある「モンゴル村」へ。土産物店やお風呂、それにモンゴル式テントが十棟ほどあって安く泊まることができる。いつかここでエスペラントの行事をやろうかと話が出た。ここで解散にして、キエウはそのままこの日から2泊の予定でK.Y、K.H夫妻の家へ。

   写真は上海の街
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キエウ、わが家に5泊

2006-02-06 | 外国のエスペランチストを招待する
 11月8日の午後、名古屋でキエウを出迎えた。恵那のわが家へは夕方になった。このころは日本大会の後始末、とくに会計整理と報告書の作成で私も忙しいときではあった。わが家には5泊の予定である。
 9日は、名古屋と恵那の学習グループから10人ほどがわが家に集まっての大交流会。外国からのお客さんがあったときに時々やっていることで、バーベキューと五平餅が中心である。今回はとくに、イノシシと鹿の肉がごちそうである。
 参加者の中に視覚障害の方がいた。問題なのはトイレである。わが家でもっとも贅沢な部屋がトイレなのだが、操作がタッチパネルで、目の見えない人には困りものである。急きょ点字の表示板を作って貼り付けた。ついでながら、あまり近代的すぎるのは慣れていない外国人にもやっぱり困りもので、あらかじめ丁寧に説明しておく必要がある。
 10日は休養日。朝はキエウがベトナムから持ってきたインスタントフォーを食べてみた。結構いける。
 ちょうど1年前にホーチミンから自費で日本に来たチャン・ゴクというエスペランチストがいる。この人は日本の食事に慣れることが出来ず、食べ物に苦労した。その人の忠告に従って、キエウはベトナムの食べ物を山ほど持ってきたのだった。しかに、彼女は割に早く日本食に慣れて、持ってきたベトナム食はあっちこっちで「おみやげ」に置いてきたのだった。
 一緒に買い物に出て、キエウが昼は揚げ豆腐と煮魚を、夜は蒸し春巻きを作ってくれた。これならいいお嫁さんになれるぞとからかう。彼女はずいぶん小食である。

 写真はチベット・ポタラ宮から見たラサの街
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キエウ日本を周遊

2006-02-05 | 外国のエスペランチストを招待する
 せっかく日本に来るのだから、1か月以上日本各地を旅行し、エスペランチストとの交流を楽しんで欲しいと思った。キエウの知人や主なエスペラント地方会に呼びかけた。各地から好意的な返事が集まって、あっという間に行動予定ができあがってしまった。
 キエウが日本に来たのは2004年10月16日だった。関西空港への出迎えとその日からの2泊をH.Hの世話になった。その後も関西のエスペランチストのお世話になりながらエスペラント会の例会にも参加。
 10月22日に犬山・エスペラント日本大会へ。22日は杉原千畝記念館への遠足、23、24日は来賓として開会式に参加し、アジアのエスペラント運動、エスペラント女性の会などの分科会に参加。サロンのベトナムコーヒーや民芸品のコーナーも手伝ってもらった。
 私が気楽にベトナムへ遊びに行ったときと、招待されて代表で日本に来るのとでは、まるっきり事情が違うのは当然である。出発ぎりぎりまで働いていたこと、緊張と心労もあって、かなり疲れた様子だった。
 24日に関東へ。関東には10日間近くいたが、I.Y、O.S、M.Kなどなどたくさんの方々のお世話になった。日本エスペラント学会も東京にあり、毎週例会や学習会を行っているエスペラント会も多いから、キエウもずいぶん勉強になったことと思う。
 11月2日には福島へ、その後仙台から米沢に回って東北エスペラント大会に参加。
 ときどき彼女の様子がメールで届けられた。時には写真が添付されていたが、東北にいるときは、見違えるように元気な様子になっていた。日本大会の時とは顔つきまで違ってきた。関東・東北の人たちの暖かい対応に感謝である。
 そして、11月8日、米沢から新幹線を乗り継いで名古屋から恵那へ。

   写真は、チベット・ラサの大昭寺の前にある小さなお堂とその内部
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ベトナムコーヒーの香り

2006-02-04 | 外国のエスペランチストを招待する
 2001年のベトナム旅行の時、ベトナムコーヒー(豆)を少し買ってきたが、それとは別にホーチミンでおみやげにいただいたコーヒー(粉)がとてもおいしかった。他にはない甘い濃厚な香りのコーヒーである。キエウにはこのコーヒーを買ってきてくれるように頼んだ。
 北京のエスペラント世界大会でボイにこの話をしたら、「うん、これはいいコーヒーだ、商売するのにとりあえず10kgもあればいいか」というから「とんでもない、私個人で楽しむだけだから1kgもあればいい」と答えた。
 その後、キエウが少数民族の民芸品を日本大会で売ることを提案してきた。それで、私の渡したお金の範囲内で、コーヒーと民芸品を買ってくるように頼んだ。
 2004年10月のエスペラント日本大会のサロンで、この民芸品の展示・即売とベトナムコーヒーのコーナーを設けた。ベトナムコーヒーの独特の香りに魅せられた人は多かったと思う。
 民芸品には、みんなで適当に売れそうな値段を付けたのだが、我々には品質などがわからず、キエウには安すぎるとうつったようだった。一つだけ、彼女の意見で手の込んだ刺繍のカバンの値を付け替えた。しかし、大会期間中に「完売」するためには我々の付けた値段が妥当ではあった。
 ベトナムへ行けばずいぶん安く買い付けることが出来るから、輸入して小さな店でも開けそうに思うのだが、実際に商売するのは簡単ことではない。
 コーヒーは沢山残ったので、冷凍保存して大事に使ったが、1年くらいでなくなった。

   写真は、中国・チベットの病院で。中国語とチベット語で書かれた看板。
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日本ビザの取得

2006-02-03 | 外国のエスペランチストを招待する
 詳しくは外務省のウェブサイトで調べることが出来るが、世界62カ国からは短期の観光などに日本のビザは不要である。しかし、ベトナムはその62カ国に入っていない。ビザは、渡来する本人が大使館などに書類を提出して申請・取得する。
 必要書類には、日本への渡航目的・滞在日程・行動予定・保証人などが含まれる。この「保証人」には、一定以上の収入が必要である。お金がなくなっても帰国などを保証するためと思われる。そして、退職してわずかな年金だけの私にはこの「保証人」になる資格がなかった。
 こういう場合、日本エスペラント学会が代わりに形式的な「保証人」になってくれるが、唯でさえ忙しい事務局に余計な負担をさせることになる。
 さいわい、キエウが直接頼んで、関西のH.Hが保証人を引き受けてくれた。H.Hはずっと以前からキエウと知り合いで、そのあとキエウが日本に来たときも、関西空港への出迎え・見送りなどのお世話をかけた。
 保証人はできたが、提出書類の内容については、その大部分をこちらで用意しなければならない。しかし、キエウの日程がなかなか決まらなくてやきもきさせられた。日本の友人・知人など、行きたいところはあるかと問い合わせるのだが、「もしビザが取れなかったら申し訳ないから」となかなか返事をしてこないのだ。職場の上司が理解してくれないこともあって、精神的にも大変だったらしい。
 ホーチミンの仲間の励ましもあって、やっとビザの取得に成功したのは来日直前の、2004年9月だったと思う。
 日本に来るための準備や航空券購入のための資金は、北京のエスペラント世界大会で出会ったボイに預けた。

   写真はチベット・甘丹寺近くの村で
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キエウがやってくる

2006-02-01 | 外国のエスペランチストを招待する
 今日から新しいカテゴリーを一つ。
 2001年の1~2月に一人で約1か月ベトナム旅行をした。この時のことはすでに書いたが、ハノイでもホーチミンでもたくさんのエスペランチストのお世話になった。豊かな日本から遊びに行って、こんなにいい目にあってばかりでいいのだろうか? といった思いから、ベトナムから一人を、2004年のエスペラント日本大会に招待することを思いついた。
 ハノイからは2000年から毎年のように、誰かの招待でエスペランチストが日本に来ていたが、ホーチミンからは来ていない。そこで、ホーチミンのエスペラント会に、個人的な招待を申し出たのが2003年の5月だった。とくに個人を指定せず、「あまり高齢でないこと、ある程度エスペラントが使えて、ホーチミンのエスペラント運動などについて話が出来ること」だけを条件に、人選は任せた。
 しばらくして、ホーチミンからキエウと、もう一人補欠を選んだことを連絡してきた。キエウは私がホーチミンでもっともお世話になった人で、若い人たちの中心的な存在である。
 以前に、オーストラリアのエスペラント会が彼女を招待したことがあるが、2回ともビザを取得することが出来なかった。真偽のほどはわからないが、彼女が独身なのが障害になったらしい。オーストラリア政府は、独身女性がオーストラリアの男性と結婚してそのまま住み着いてしまうのを警戒してビザを出さないというのだ。
 彼女は、2002年のエスペラントアジア大会(韓国・ソウル)でも、韓国のビザが取れなかった。
 日本からはほとんど世界中のどこに行くのにも観光ビザなら問題なしに取れるが、逆に先進国のビザを取得するのが困難な国は多いようだ。ネパールの青年も、日本へのビザを取得するのはとても難しいと言っていた。もちろん、その前に経済的に海外旅行の出来ない人が多い。
 次回は、ベトナムの人が日本のビザを取得するまでの経過を述べる。

   写真はチベット・甘丹寺
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