エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて22年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

最後のトラブル

2014-07-04 | ベトナム旅行その3


 3月11日
 ベトナム最後の一日。朝8時頃にホテルを出て、数年前に公開された世界遺産・タンロン遺跡を見学。11~19世紀のベトナム王朝の城があったところである。門以外にめぼしい建物は残っていなくて、発掘作業が進められている。いくつかの建物内で出土品などが展示されている。軍に使用されていた時期もあって、緊急時の地下司令室も公開されている。ホアンジエウ18番遺跡という、広い発掘現場も公開されている。ここを出て北正門へ行ったら閉まっていた。昼休みらしい。
 タクシーでいったんホテルに戻る。ハノイではいろんな会社のタクシーが走っている。MAI LINH という緑色のタクシーはベトナム中にあって、比較的安全だというので、我々は出来るだけ緑色を探して利用していた。しかし、この時はすぐに緑色が見つからなくて、別のタクシーをつかまえてしまった。もちろん緑色以外のすべてのタクシーが悪質だというわけではないが、この時は来たときの2倍ほどの料金を請求された。メーターはちゃんと付いているのだが、細工がしてあるらしい。
 午後はホテルの近くにある「革命博物館」へ。ディエンビエンフーの特集コーナーがある。
 夕食は近くの「ビア・ホイ」へ行ってみた。席に座るといきなりビールを持ってきた。一杯だけもらって、鍋料理を注文。豚三枚肉とタロイモ(これが美味しかった)、野菜がたっぷり。ビール一杯が約40円なのに、おつまみのピーナツの小さな袋が50円、サービスかと思ったおしぼりが40円。
 ホテルをチェックアウト。フロントで8泊分を請求された。Mai Lan の家での1泊とディエンビエンフーでの2泊があるから、このホテルでは5泊である。「荷物が部屋に置いてあった」「こっちで頼んだわけではない、ホテル側がそうしてくれと言った」英語ではうまく通じない。そこに Ngoc Lan さんがやってきた。事情をすぐに飲み込んで交渉するとホテル側もすぐに納得した。どうやら、こっちがいいなりに払えば儲けものと、わかっていて吹っかけたらしい。
 Lan さんの息子さんの車で空港へ。空港のチェックインで、今度は荷物の重量オーバー、50ドルを請求された。ドルの持ち合わせが不足していて、30ドル+50万ドン(約2,500円)を払った。
 空港免税店で値段をチェックしてみた。ナイトマーケットで7万ドン(約350円)で買ったランチョンマットが8ドル。おおむね市場の2~3倍の値段が付いている。免税だからといって安いわけではないのだ。

 3月12日
 順調に日本到着。いきなり自動車保険の会社から電話、更新期限が過ぎていて新規扱いになってしまった。

   
写真はハノイ・旧市街のナイトマーケット
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春の集い・ハノイ

2014-07-02 | ベトナム旅行その3


 3月9日
 この日は早朝に Ngoc Lan さんのサイクリングクラブで西湖のほとりを走る予定だった。しかし、預かった自転車の鍵がどうしても見つからなくて参加できなかった。この自転車の鍵は結局行方不明のままである。
 午後は VEA(ベトナムエスペラント協会)の春の集いに招かれた。イタリアの若い夫婦を含めて参加者は30人を超えていただろうか。司会や絵物語の上映など、若い人たちが活躍していた。
 事前に少し話しをするように頼まれていた。実は折り紙以外のことで「講演」をするのは初めてのことである。少々大袈裟な紹介をされたあと、名古屋でのエスペラント学習会などについて15分くらい話した。
 集会後、歩いて西湖畔の船上レストランへ。途中で鎮武館というお寺に寄った。高さ約4mの大仏がある。イタリア夫婦も含めて13人ほどの夕食会。
 いったんホテルに帰って、夜は旧市街の「ナイトマーケット」へ。南の端から北の端まで、1本の街路の真ん中に屋台が連なっている。雑貨店が多く、ベトナム人向けの良心的な値が付いている。ここで竹製のランチョンマットを買った。6枚セットで約350円。ホイアンなどでは3倍以上に吹っかけてきたものである。

 3月10日
 午前中は Ngoc Lan さんに手伝ってもらって買い物。日本の合唱サークルやエスペラント学習会へのお土産などを買い込む。
 ホテルに戻って午後は休息と思ったのだが、ホテルは工事をしていてものすごい騒音である。私は一人で街をうろついた。銀行で両替をしようと思ったが「昼休み」、旧市街の金銀の店で両替。
 夕方になっても工事の音が止まないのでフロントに抗議したら「隣の建物」だという。明らかな嘘である。隣の建物はそんなに高層ではない。
 この長い旅行も明日で終わりである。

   
写真は鎮武館の大仏(銅製)。
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ディエンビエンフー、余分の一日

2014-06-29 | ベトナム旅行その3


 3月7日(続)
 飛行場でチェックインをしようとしたら、1時間半ほど出発が遅れるという。何か雰囲気が変だと感じた。私のe-チケットは1703便、15:40発。しかしディスプレイに示されているのは1705と7703。そのうちに、カウンターに「1703」という手書きの表示板が置かれた。2時間待たされて、セキュリティチェックを通過して待合室へ。飛行場には2機のプロペラ機がいた。1705便には50人ほどが乗って飛んで行ってしまった。残ったのは1703なのか7703なのか、30人ほどの乗客。一向に搭乗が始まらない。
 17:30、何か放送が入って、乗客が一斉に外に出始めた。言葉がわからないから、私は他の乗客の動きから何が起こっているのかを知るしかない。どうやら機体トラブルで飛べないらしい。
 乗客でごった返すカウンターで切符を示すと、明日の16:10発に切り替え、2人に20万ドンの現金。どうやら一人500円の「迷惑料」らしい。客によっては航空券自体の払い戻しを受けていた。
 ホテル券をくれて、タクシーでホテルへ。前日と違ってどうやらここでは最高級のホテル、この旅行では一番いいホテルだった。3食付き、当然だがすべてベトナム航空の負担。夕食はメニューから注文、少々ぜいたくをした。
 ネットで調べたら、1703便は14:45発ですでに飛んで行ってしまっていた。おそらく15:40発の間違った切符が発行されてしまい、7703という臨時便が出され、それが機体トラブルを起こした、といったところであろうか。

 3月8日
 天気が良くて外は暑い。この日はホテルで休養。空港へのタクシーは自費(約250円)。今度は無事に飛んで、夕方ハノイ到着。ハノイはやっぱり雨である。
 この日は Ngoc Lan さんの招待で彼女の家へ。夕食をごちそうになった。

   
写真はディエンビエンフーの旧フランス軍司令部跡。
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ディエンビエンフー観光

2014-06-28 | ベトナム旅行その3


 3月6日
 8時半頃タクシーで空港へ。このタクシー代(片道だけ約2,000円)は航空機のチケット代に含まれている。これがものすごいスピードで走っていると思ったら、警察の検問に引っかかってしまった。
 空港のセキュリティチェックで、妻の折りたたみ式のハサミが発見されてしまった。これまでは無事通過していたので、そんなものを持っていることにも気づいていなかった。
 プロペラ機でディエンビエンフーへ。タクシー(3万ドン+空港への入場料1万ドン)で予約したホテルへ。ラオスとの国境に近い辺境の街だが、1954年、フランスとの独立戦争でベトナム軍が決定的な勝利を勝ち取ったところである。フランスが強固な基地を築き、これに対してベトナム解放軍は重い大砲を人海戦術で山を越えて運ぶなど、想像を超える作戦を実行して攻略した。狭い街で、戦跡を一通り歩いてまわっても半日程度である。
 よく晴れていて暑い。この旅行でもっとも暑いのがこの街だった。この日はホテルの近くの大きな市場をうろついたくらいで、後はホテルで休養。

 3月7日
 午前中は戦跡めぐり。あちこちに戦車や大砲の残骸が保存されていて、激戦の地に立っているという臨場感がある。フランス軍司令部跡(塹壕などが保存されている)、フランス軍兵士の墓、ベトナム軍兵士の墓。ディエンビエンフー博物館ではビデオと連動させたジオラマで戦いの様子を描いている。
 10:45にA1の丘に着いたがすでに「昼休み」で閉鎖されていた。午後は1:30に開けるという。
 この辺りにはいくつかの丘があるが、そのほとんどが戦跡だという。ひときわ高い丘の上に「勝利の記念像」がある。ここからの街の眺望がいい。いったんホテルに帰って休憩、13:00にチェックアウト、ゆっくり歩いて再びA1の丘へ。鉄条網、迷路のような塹壕、戦車などが保存されている。ベトナム軍が数kmもトンネルを掘って基地の直下で爆発させたという大きな爆弾あとも。
 ここから空港へのタクシーをつかまえようと思ったのだが、なかなか来ない。屋台のおじさんが電話で呼んでくれたので、お礼のつもりでサトウキビジュースを一杯飲む。やってきたのはメーターも付いていない白タクだった。4万ドンで充分なはずだが、5万ドン(+入場料1万ドン)を渡した。運転手はもっとほしいという素振りだったが、それ以上は出さなかった。
 あとはハノイに飛ぶだけ・・・のはずだったが・・・。(この項続く)

   
写真は戦跡の一つ「旧ムオンタイン橋」
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村祭り

2014-06-26 | ベトナム旅行その3


 3月5日
 車で Mai Lan の父親の実家へ。彼女の家族は市内に住んでいるが、実家は郊外の村にあり最近新しい家をここに建てた。一つの敷地にいくつかの家があり、それぞれに兄弟の家族が住んでいる。
 近くのお寺へ行く。村の祭りだというが、かなり大勢の人でごった返している。500や1,000ドンのお札の束を持って、お寺のあちこちに置いている人、いろんな像の前で拝む人。前庭では歌を歌う人や獅子舞、竜の舞など。様々な揃いの衣装を着た人たち。着飾った子供たち。
 お供え物を担いで行列を作り、大きな川に出る。ホン(紅)川である。ここで船に乗り込んで川の真ん中を村はずれまで遡る。数艘の船がロープで結びあわされる。目的地に着いたところで、お供え物が川に投げ込まれる。先祖供養らしい。お札が大量にまかれてみんながそれを拾う。後で私も数枚もらったが「幸運のお札」だとか。川に流れたお札は小舟が出て網ですくっていた。
 近くの岸に上陸。行列が寺まで行くというが、我々は近道を通って帰る。昼食をごちそうになって、お土産までいただいてハノイに帰った。
 Mai Lan 夫婦はこの7月に日本に来るが、我々は世界大会に参加するので残念だが会うことは出来ない。

   
写真はお供え物の一つ。
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たまごコーヒー

2014-06-24 | ベトナム旅行その3


 3月3日
 寝台バスの後ろの席で若い欧米系カップルがいちゃつく声に悩まされたが、サパからの帰りは順調、早朝5:30頃ハノイ到着。
 ホテルで朝食。若い欧米系のカップルが、スプーンでオカユの味見をしてそのまま戻したり、おかずをつまんで味見をしたりと行儀が悪い。
 部屋が変わって、電気ストーブがあったので洗濯物はこれで乾かせる。しかし、何枚かの衣料はランドリーサービスに出した。男3人が部屋に来てカーテンの取り替え作業。壁に穴を開けてカーテンレールから取り替える。古い穴はそのまま。作業を手際よく済ませて、ろくに掃除もしないで出ていった。
 この日は休養日にしたが、いくつか連絡が入って、明日からのスケジュールがほぼ決まってしまった。
 夕方食事に出て、帰りに喫茶店で「エッグコーヒー」なるものを試してみた。1杯2.5万ドン(約120円)。コーヒーとプリンを足して2で割ったような感じかな? 美味しかった!

 3月4日
 Ngoc Lan さんと早朝散歩。高齢でバイクに乗るのをやめてから足が丈夫になったという。文化センターのようなところで太極拳のクラブ。なんだかエアロビクスみたいだと思ったが、私は踊らない。代わりに「ふるさと」を日本語で歌った。
 女性博物館を見学。歴史・社会における女性の役割と活躍、少数民族の衣装など。昼食を食べて Lan さんと別れる。
 夕方から Mai Lan の家へ。彼女も独身の時に日本に来て、我が家に泊まったことがある。今では3人の子供がいて、一家の大黒柱としてすっかり貫禄がついている。彼女の長女を迎えに小学校へ、大きな学校で60学級あるという。次女の幼稚園、ここも巨大。一クラスが60人! 幼い長男は私的な保育園に預けている。
 夕食をごちそうになる。最近建てた彼女の家は4階建て、1階の一部を店舗に貸し、各階ごとに彼女の夫の兄弟家族が住んでいる。今夜はたまたま空いている部屋に泊めてもらう。
 夕食後、家族と一緒に散歩に出る。この辺りは新しい鉄道の工事をしている。ハノイに2カ所しかないという横断地下道がある。利用する人は少ない。車の波を避けながら道路を横断するのは危険だが、地下道で強盗にあう方がもっと危険だと。
 近くに新しい巨大な高層住宅があり、その地下に広大な近代的マーケットがある。商品の質が良く、Mai Lan もときどきここで買いものをすると言う。それだけ経済的な余裕があるということでもある。

   
写真はエッグコーヒー
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サパトレッキング

2014-06-22 | ベトナム旅行その3


 3月1日(続)
 午後、若い男の子の案内で近くのカットカットという村に向かって歩く。カットカット自体はまるで観光用の施設、子供たちが商売用に民族服を着て、物乞いのように土産物を売りに来る。少数民族の生活はあまり見えてこない。眼前にはすばらしい棚田の風景が広がる。
 谷底まで標高差300mほどを降りると小さな滝がある。ここでしばらく休憩、民族音楽と竹踊りなどを観賞。ここからはひたすら坂道を登って帰る。バイクタクシーがさかんに声をかけてくる。サパの街に戻ったところで我々はガイドから離れて市場を覗く。試食したアーモンドが美味しかった。4時過ぎにホテルに到着。バスが遅れていなければ、午後がフリータイムのはずだった。
 天気が良くて乾燥している。洗濯物がよく乾く。

 3月2日
 朝は一面の雲海。朝日が向かい側の山を赤く染める。
 9:30頃昨日とは別の村に向かって歩く。ガイドは22才の女性。すでに子供がいるという。何人かの女性が刺繍の袋物などを持ってついてくる。主に女性観光客をターゲットに、英語でおしゃべりして親しくなろうとする。わが妻も情にほだされて藍染めの袋を一つ買ってしまった。
 美しい棚田の風景を眺めながら谷を下り、いくつかの村を通過する。いくらか生活の様子もうかがえた。途中で昼食。1:30頃ツアー終了、車でホテルに戻る。
 少し休憩して、市場へ。カラ付きのまま焼いて味をつけたアーモンドを買った。揚げ菓子、揚げバナナ、肉まんなどが美味しそうだったので買ってきた。おかげでホテルの夕食はかなり残してしまった。
 5:30頃に迎えが来て、歩いてバス乗り場へ。

 すばらしい好天と美しい景色。もう少しサパに滞在したかったが、テレビの天気予報によればこの後のサパは天気が崩れてかなり寒くなった。

   
写真は民族服を着た子供。こんな小さい子でも土産物を売りに来る。
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サパへ

2014-06-21 | ベトナム旅行その3


 2月28日
 このホテルは朝8時半頃に部屋の掃除に来る。3人ほどの女性たちである。一度「30分後に来てくれ」と言ったらそれっきり、何度請求しても来なかった。部屋に入った形跡があってもタオル交換もしてなかったこともある。この日は彼らの作業を見ていた。いつもはペチャクチャおしゃべりしているこの人たちが黙々と仕事をして、一通りのことをやっていった。
 昼頃にいったんチェックアウト(1泊32ドルくらい、早朝にチェックインした初日の分は約1000円)、荷物を預けて外に出た。タクシーをつかまえて民俗博物館へ。途中、そのタクシーと単車が接触、2台の単車が転倒した。運転手がいったん降りて様子を見に行ったが、すぐに戻って何事もなかったように運転を続けた。
 民俗博物館をゆっくり見学。少数民族の風習や生活のビデオ映像をいくつか見ていたら閉館時間になってしまった。
 タクシーでいったんホテルに戻る。18:00頃、バイクの若い男の子が迎えに来て、歩いてバス乗り場へ。寝台バスである。19:00過ぎに出発。ほとんどの乗客は若い欧米人である。
 
 3月1日
 途中、交通事故に巻き込まれてバスが4時間ほども動かず、ラオカイ通過が9時、ここから標高差1,000m以上を登って10時過ぎにサパ。乗客はここでホテルごとに別れる。我々は1kmほども坂道を登ってホテルへ。ホテルのチェックインは13時、今日の午前中の予定だった半日ツアーも13時から。それまでは部屋にも入れない。もらった朝食券で「朝食」、1時間ほど経ったところで今度は昼食。
 サパはかつてのフランス人支配者たちが避暑地として開発したリゾート地である。夏でも涼しく、今の季節は寒い(冬には雪が降ることもある)、雨になるかもしれない・・・という心配はすばらしい好天で吹っ飛んでしまった。むしろ、暑さ対策、紫外線対策が必要である。(この項続く)

   
写真はサパ周辺の棚田の風景。
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ハノイの一日

2014-06-18 | ベトナム旅行その3


 2月27日
 サパへのツアーは、往復夜行、現地で2日のトレッキングで「3泊2日」。列車使用で110ドル、夜行バスなら80ドル程度が標準らしい。業者は、移動手段と現地ツアー、ホテルなどをセットでアレンジしてくれる。
 ハノイの街を歩くと「シンカフェ」「シンツーリスト」などがやたらに目につく。本家の「シンツーリスト」(以前のシンカフェ)の事務所は2つだけである。観光案内所には悪質な業者もあってトラブルが多いとある。
 本家のシンツーリストのすぐ近くにもシンカフェやシンツーリストが数軒あった。短い区間に5つも並んでいたところもある。これだけ堂々としていると、名前をかたるニセモノとは言い難い。実際には「シン××」が旅行業者を意味すると考えた方が良さそうだ。オートバイを「ホンダ」、紅茶を「リプトン」と言うが如しである。「俺のホンダは中国製だ」なんて会話が成り立つ。
 私が利用した「シンツーリスト」は、それなりに誠実に対応してくれたと思う。ここで、ディエンビエンフーへの飛行機の切符とホテルの予約もお願いした。

 ハノイの街を歩く。ここに来てから、ずっと非常に細かい霧雨が降り続いている。「ハンザギャレリア」というマーケットへ行ってみた。かつてはゴチャゴチャした活気のある市場だったところだが、4階建てくらいの近代的なマーケットに変わっていた。元の市場で営業していた人たちが優先的に入居できるはずだが、内部は閑散としていて、空き店舗も目立つ。ベトナムでは古い市場をこのような近代的マーケットに変えようとしているが、今のところ成功しているとはとても言えない。
 旧市街で、プリン(1個15円)、ココナツの菓子(12円)、肉まん(60円)、中味の入っていないまんじゅう(25円)などを買ってホテルに帰り昼食にする。卵が美味しいのでプリンも美味しい。まんじゅうの生地も美味しかった。
 洗濯物が乾かない。テレビにかけてその熱で乾かす。1999年のアジア大会の時はNHKの放送が入ったが、今回はNHKの海外放送しか入らない。韓国ドラマやアメリカのアニメなどは見ることができる。
 夕食はブン・チャーの専門店へ。焼き肉・揚げ春巻き・野菜と麺を青パパイアの入ったスープで食べるつけ麺である。量が多かったが、頑張ってほぼ完食。

   
写真は、旧市街で入り込んだ狭い路地。どんどん入っていくと、広い通りに出た。
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街頭の押し売り靴磨き

2014-06-16 | ベトナム旅行その3


 2月26日、列車でハノイ到着。4時30分着が70分も遅れた。早朝から待っていてくれた Ngoc Lan さんには感謝の言葉もない。彼女は日本に2回来たことがある。きれいなエスペラントを話す。もう80才に近く、バイクに乗るのはやめたということだが、まだまだ元気で自転車を乗り回している。
 Ngoc Lan さんが予約しておいてくれたホテルへ。旧市街の近く、今までで一番良さそうな部屋である。朝食付きで30ドル少々。朝食はこの朝から食べられた。フォーやパン、数種類のおかず、コーヒー・紅茶など。
 とりあえず、いくつかの旅行代理店でサパ、ディエンビエンフーへのツアーやバス便などを聞いてまわった。日系ツーリストもあり、日本語ガイド付きだが料金は高い。
 昼前に2人で旧市街に出かけた。芯に軟らかい飴の入った白玉団子にゴマ入りの蜜をかけたもの、1万ドン(約50円)。芯に芋餡の入った少し大きめの団子に甘いクズをかけたもの、1万ドン。焼いたウナギを平麺に乗せたもの、3万ドン。
 歩いていたら突然高校生くらいの若い男の子が2人、私の靴の先に接着剤を塗って押さえる。少しはがれていたのか? 1分待てと言いながら、粉末の靴墨をつけて磨き始める。交差点のまん中だからと場所を移しながら、両方とも磨いてくれた。この間、妻は「お金を取られるよ」と言いながらやめさせようとしたが、中途半端に磨いたらかえって困るから私は黙っていた。終わる頃から「俺が頼んだことじゃないぞ」「お前たちが勝手にやってるんだからな」などと日本語で、だんだん口調を強めながらしゃべってやる。靴を取り戻したあと、電卓を取りだしてお金を請求しようとするのを無視してさっさと歩き出す。男の子たちは後ろで何か叫んでいたが、追っては来なかった。商品を下げた天秤棒を観光客に担がせて写真を撮らせ、チップを要求するなど、この後も同様の街頭押し売りを見かけた。こういう手合いの言いなりになることはない。
 近くの「シン・カフェ」でサパへの「3泊2日」ツアーの切符を買った。夕食は Com(ごはん)の店。好きなおかずを選んで食べる。3品とって2人で14万ドン(約700円)。
 ホテルにはバスタブがあったが、栓がない。タオルなどを詰めて湯を張ろうにも水勢が弱くてものすごく時間がかかる。そして、やっと15cmくらい湯を出したところで水になってしまった。

   
写真はハノイ旧市街の一角。
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ハノイへ

2014-05-28 | ベトナム旅行その3


 2月25日
 列車の発車まで時間があるのでもう一日フエ観光をすることにした。バイクタクシー(運転手に30万ドン)と Suong のバイクで「古い庭園のある家」へ。かつてのフエ王宮の高官たちの家が何軒か保存されていて、そのうちの一つを見学。庭園にはいろんな果物の木があり、建物はホイアンの伝統的建築に似ている。
 次はタントアン村へ。途中の水田風景が美しい。小さな村だが、入り口に大小のお寺がいくつか並んでいる。商売で成功した人が個人で建てるものだという。この村にはゴイ・タントアンと呼ばれる橋がある。ホイアンの日本橋に似た橋で、内部にベンチがあって村人の憩いの場にもなっている。すぐ横に小さな市場、反対側に農機具博物館がある。この博物館は入場無料なのだが、おばあさんがいくつかの機具を動かす実演をしてくれた。謝礼を5万ドン(250円)。
 ホテルに戻って休憩、3時半頃にホテルをチェックアウト。タクシーでフエ駅へ。45,100ドンのメーターに5万ドン札を出したら「サンキュー」でお釣りを出さずに行ってしまった。

 列車は30分ほど遅れて発車。ベトナムの列車の料金は細かく別れている。堅い木の椅子、柔らかいリクライニングのシート、硬いベッド、柔らかいベッドがあり、さらにベッドは2段、3段とあって下の方が高い。一番安い椅子席と一番高いベッドの料金は2倍程度の開きである。
 我々は4人部屋の柔らかいベッドの上下(2人で190万ドン、約9,500円)だった。すぐに分かったのは、窓ガラスがメチャメチャに汚れていて車窓風景どころではないこと。夜行にして良かった!
 発車してすぐに食べ物を売りに来た。揚げ春巻きとソーセージ、ご飯で4万ドン。
 同室はベトナム人のおばあさんが一人。アンさん、70才。ホイアンの U さんに「旅の指さし会話帳・ベトナム語」という本をいただいていた。これを使って少し会話を試みた。彼女は急に饒舌になって、発音を一生懸命に教えてくれた。難しくて全く身にはつかなかったが、愉しいひとときだった。
 ドンホイでアンさんが下車、代わりに中年夫婦が乗ってきて満室になった。列車は Ngoc Lan さんが待つハノイへ。

   
写真は古い庭園の残る家
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フォンニャ洞窟

2014-05-27 | ベトナム旅行その3


 2月24日
 この日は世界遺産・フォンニャ洞窟見学ツアーに参加。早朝に小型バスで出発。補助席も使って、観光客は12人である。日本人の若い男性が一人、札幌の医大生。何となくふらっとベトナムに来たという感じ。日本人がもう一人、仕事をやめて世界旅行をしているという。あまり人と交わることを好まないようだった。
 フォンニャ洞窟への船乗り場で昼食。スペインの女性2人と会話(?)。舟で川を遡って、そのまま鍾乳洞に入る。ここはすばらしい。フエからの日帰り観光ではもったいない。近くに「世界一美しい」という別の洞窟もあり、もう一度来る機会があったら、ここに泊まってゆっくり見たいと思った。例の日本人女性はここに1泊するという。
 夕方8時頃フエに帰った。「子供の家」のレストランで日本食の夕食。天ぷら定食、カツ丼とビールで約1700円。「子供の家」はストリートチルドレンの救済・職業訓練などを目的に活動している団体が、その子供の働く場として開設したという。

 明日は列車でハノイへ行く。ホテルの人や Suong は夜行列車(14:35発と16:28発、ハノイには早朝に着く)を奨める。しかし私は車窓風景を見たいからと、昼間の列車(5:11発、ハノイには夕方到着)にこだわっていた。しかし、妻が昼間の列車は朝が早すぎるというので、16:28発の切符をホテルを通じて購入した。

   
写真はフォンニャ洞窟
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フエ・DMZツアー

2014-05-25 | ベトナム旅行その3


 2月22日
 ホイアンと最後までつきあってくれた U さんに別れを告げて、朝8時発のバスでフエへ。11:30頃到着。フエには Suong という女性エスペランティストと事前に連絡を取っていた。彼女の夫の車でホテルへ、荷物を預けて彼女の家へ。ここで昼食をごちそうになった。大きな鶏の唐揚げ、魚の煮物、チンゲンサイの炒め物、卵のネギ焼き、サラダとご飯。
 彼女は2年前にハノイで行われたエスペラント世界大会を契機にエスペラントの学習を始めたという。近くにほとんどエスペランティストがいないのでインターネットによる独習である。「まだ話すのがヘタだから・・・・」というが、なかなか上手に話す。しかし、大事なことは十分に注意して念を押して確認する必要があった。わかってもらったつもりがわかっていなかった、ということがこのあと2、3あった。
 彼女の紹介してくれたホテルは、以前彼女が働いていたところ。今までで一番狭い部屋だったが、やっぱり1泊15ドル。ここで明日からのツアーのチケットも手配してもらった。
 この日は彼女の夫の車で、そして彼女の案内でカイ・ディン帝廟と王宮を見学。どちらも以前来たことがあるが、王宮の中の顕臨閣(歴代の王の大きな位牌が並ぶ)は初めてだった。

 2月23日
 この日は DMZ ツアーに参加した。DMZ は demilitarized zone、非武装地帯である。ベトナム戦争では最大の激戦地になった。この戦いのあとを見て回るツアーである。
 ロックパイル(アメリカのヘリコプター基地のあった山)を眺め、ホーチミンルートの橋、穏やかな農村風景、ケサン基地。ケサン基地では塹壕や軍用機などを見学。ここは以前よりも整備されていた。ドンハに戻って昼食は各自で。ヒエルオン橋を通過してヴィン・モックのトンネル(村ごと避難した長い防空壕)。最後に集団墓地を見てツアー終了。弾痕の残る教会へは行かなかったが、以前来たときとほぼ同じルートだった。
 夜は(大衆的な)フエ宮廷料理の店を紹介してもらった。バイン・ベオ(小皿料理)、バイン・ボッ・ロック(エビを包んだ料理)、葉に包んだ平麺、丸い揚げたものに麺を乗せたもの、ネム(発酵させた肉)など。
 雨は降らないが曇っていて湿度が高い。選択しても乾かないのでランドリーに出した。

   
写真は豪華なカイ・ディン帝廟内部
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ダナン観光

2014-05-23 | ベトナム旅行その3


 2月21日
 昨日のタクシーを再び雇って、この日は我々だけでダナンへ。ダナン周辺は新しい市街地を建設中のようだった。あちこちで山を削って土砂を採取しているのはその用地造成のためかもしれない。
 ダナン近郊にはバーナーリゾートがある。フランス支配当時の避暑地だったところで、標高が1,500mに近い。最近ここにテーマパークのような遊園地が出来た。ベトナム人にとっては日本のディズニーワールドのようなものかもしれない。ハノイのランさんがぜひここに行けと奨めてくれた気持ちもわかる気がする。ここには来ないつもりだったが、急にその気になってきてしまった。
 ここにはロープウェーで登る。標高差と長さでギネスブックにのっているという。このロープウェーの往復料金が一人50万ドン(約2,500円)、平均月収が2万円というベトナムではベラボーな高料金である。それでも大勢のベトナム人が登ってきた。外国人観光客はほとんど見当たらない。
 山上はガスの中で、ダナン方面の展望を見ることはできなかった。ロープウェー終点から少し歩いて山頂まで行くとお寺がある。ここにお参りに来る人も多い。「ファンタジーワールド」には入る気がしなかった。
 山から下りて、チャム博物館へ。チャンパ遺跡にあった彫刻などが展示してある。奇怪な動物の彫刻がかわいい。
 次はダナン博物館(無料)。ダナン周辺の動植物、ものすごく大雑把な歴史、人々の生活、とくに葬儀についての展示。戦争の資料がやけに充実していた。
 夕方4時40分頃ホテルに帰って、少し休憩。街に出てレストランで生春巻きやホワイトローズなどの注文を済ませたところに U さんから電話。「夕食に招くからあまり沢山食べないでくれ」と。5分遅かった!
 満腹になってホテルに戻ると、U さんとハー・ミーがやってきた。彼女たちの単車で郊外の食堂へ。オーガニック料理の店だという。街から離れた目立たないところだが、予約制で結構客も多いという。エビと豚肉をハーブで巻いたもの、スープ、魚の煮物、野菜、ご飯など。演出がなかなか凝っている。

   
写真はチャム博物館にて。ドン・ジュオンの寺にあったもの。
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チャンパ遺跡再び

2014-05-21 | ベトナム旅行その3


 2月20日
 ホイアンの近くには有名なミーソン遺跡があり、世界遺産にも指定されている。以前来たときは半日の観光ツアーに参加した。ミーソン以外にもチャンパ遺跡があり、この日はタクシーを雇ってそれらをまわることにした。ミーソン以外は観光コースからは外れており、タクシー運転手でも知らないことがある。今回は U さんと、U カフェのかわいい女の子(ハー・ミー)が同行してくれた。
 ハー・ミーは2年前に大学を卒業したばかり。日本語を少し学んでいるが、昨日から(!)エスペラントを勉強し始めたという。日本語とエスペラントがちゃんぽんに飛び交う彼女との会話がこの日の旅をとても楽しくしてくれた。
 早朝に出発して、まずドン・ジュオンの遺跡へ。この遺跡はかつて東西に1.3km、東南アジア最大級の大乗仏教寺院だったが、戦争で破壊され尽くして、今は崩れかけた小さな建物が一つだけポツンと立っている。周辺はレンガの山である。ハー・ミーがネットなどで遺跡について詳しく調べていてくれた。
 ミーソン遺跡への途中で小さな博物館に寄った。お棺や彫刻など、2,500年くらい前のものから展示してあり、職員が丁寧に説明してくれた。もちろん U さんとハー・ミーの通訳付きである。
 ミーソン遺跡は以前よりも整備が進み、見学順路がわかりやすく示されていた。
 最後はボン・アン遺跡。八角形の平面を持つ珍しい塔である。
 夕方にホテルに帰った。この日のタクシーチャーター料金は120万ドン(約6,000円)だった。
 夜は旧市街に出て袋物や雑貨の屋台が並ぶ川向こうの町を歩き、ホワイトローズの食べ歩き。店によって特徴がある。路上喫茶店でトウモロコシのオカユにココナツクリームをかけたスイーツ。やさしい甘さである。

   
写真はミーソン遺跡
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