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エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて28年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

モノの値段

2014-05-14 | ベトナム旅行その3


 2月19日(続)
 この日は日本の大学生のグループのワークショップに来るということだった。我々は11時過ぎにU-カフェを出て、歩いてホテルへ。
 川沿いに少し歩くと大きな市場がある。少し気になっていた細い竹ひごで作ったランチョンマットがあった。ニャチャンのいくつかの店で値段を聞いたら、どこでも8万ドン(約400円)だった。ホイアン市場では「25万ドン」という。観光客には吹っかけてくるのだ。このあとも別なところで聞いたら「15万ドン」。「聞いただけだよ」と(日本語で)言って離れたら、電卓を持って10万ドンまで値下げしながら追いかけてきた。
 妻がズボンを買った。60万ドン(3,000円)というのを20万ドンに負けさせた。このズボンがいたく気に入って、フエやハノイなどで探したが、ついに見つからなかった。果物やバナナの葉に包んだ米粉の餅に芋アンのようなモノを包んだ菓子(おいしかった!)などは言い値で買ってしまった。
 旧市街を通り抜けながら、共通チケットを買っていったんホテルへ。夕方に旧市街に出かけた。共通チケットは市内18カ所の施設のうちの5カ所に入場できる。古い家や中国人会館などを見学。
 街頭でトウモロコシを1本。50円。焼いておいたものを温め直してくれた。甘くはないがモチモチした食感で美味しい。
 「クールジャパン」という店があった。オリジナルTシャツとか観光みやげなどを扱っているが、日本人に対して観光情報の提供やツアー予約などもやっている。日本人大学生の別のグループがここに来たという。それぞれに対象の店のプロモーションビデオを作って競い合うのが課題だとか。ホイアン名物「ホワイトローズ」の店を聞いたら、若い日本人社長が「どこのレストランでも食べられますよ」といいながら、「最近利用した安くて美味しい店」までわざわざ案内してくれた。
 そのレストランで、ホワイトローズ、揚げワンタン、カオ・ラウというホイアン三大名物を一つずつ取って、2人で分けて食べた。約800円、まずまずおいしかった。
 ゆっくり夜の街を楽しみながらホテルへ。途中、ベトナム人の若い人が集まっている屋台で小皿に乗せたスィーツを試してみた。芋ようかんのようなものにココナツミルクをかけたもの、50円。妻にはいたく気に入ったようだった。

   
写真はホイアン市場
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U-カフェ

2014-05-13 | ベトナム旅行その3


 2月19日
 ホイアンには早朝6時半に到着。今までと違ってどんよりした曇り空、少し肌寒い。Uさんが待っていてくれた。彼女は日本人エスペランティストで、数年前にベトナムに移住、ホイアンで喫茶店「U-カフェ」を経営している。経営と言っても、つぎ込んだ資金を回収できるとは思えないが、そこには彼女のベトナムへの愛と環境への強い思いがある。
 ホテルへ行く途中に古い家があった。世界遺産の旧市街にある家々と同様、貴重な遺産だという。「Free vizit」とあるので中に入って見学していたら、女の人が来てなにやら怒っている。まだ見学時間ではないというのだろうか。
 Uさんの案内でホテルに入った。彼女が初めの頃に、ここのドミトリーで生活したところだという。1泊15ドル、あまり良い部屋ではなかった。荷物を置いてタクシーで U-カフェへ。Uさんは自転車である。
 タクシーのメーターは31,800ドン、5万ドン札を渡したらお釣りが14,000ドン。足りないよと(日本語とエスペラントで)言ったら、細かいお金がないという素振りである。お釣りの4,000ドンに2,000ドンを加えて渡したら、やっと1万ドン札をくれた。
 U-カフェは4階建て、1階はベトナムには珍しい浄化槽が大きな部分を占め、単車置き場などの他にUさんが愛犬と暮らす粗末な部屋が一つ。2,3階がカフェになっていて、一部が従業員の部屋、4階にも従業員室がある。2,3階には池が作ってあって、ハスの花が咲き、魚がたくさん泳いでいる。水は雨水と浄化槽からの水、魚はボウフラを食べてくれる。
 トゥボン河の眺めを楽しみながら、美味しいコーヒーをいただいた。彼女がこのカフェを開いたのは、自身ベトナムでの生活を楽しみながら、環境を守る活動を広げ、貧しい人への職業指導・人材育成をする、といったことが目的のようだ。近い将来には、自分は引退して経営をベトナム人スタッフに任せるという。
 この辺りにいくつかある民俗資料館の資料の保存状態があまりにひどいということで、Uさんは少しでも役立てようと日本の学芸員の資格を通信講座で取得したという。彼女に初めて会ったのは2003年、エスペラント全国セミナーだった。この時にはおっとりしているが好奇心の強い、上品な雰囲気を持つ人くらいの印象だったが、これほどの行動力と強い意志の持ち主だとは思わなかった。
 ホイアンに行ったらぜひU-カフェを訪ねてほしい。旧市街の東の端、カムナム橋から川沿いに東へ1kmほども歩けば容易に見つかる。

   
写真はU-カフェ内部
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ニャチャン観光

2014-05-11 | ベトナム旅行その3


 2月17日
 妻がダウンしてこの日は休養日。私一人で歩き回った。ニャチャンには広い海浜があって、リゾート地として発展中である。新しい大きなホテルが次々に建設され、以前(2001年)に来たときとは雰囲気がかなり変わっている。
 ニャチャンの次はクイニョンという町に行く予定をしていた。調べてみるとそこまで行く手段がなかなか難しい。いくつかの旅行社で聞いてみたが、扱っていなかったり、「満席だ」と言われたり。列車の駅で調べたら、一日にハノイ行きが4本とクイニョン行きが1本、いずれも夕方か早朝発である。ハノイ行きでもユエウチというところで降りればクイニョンまでは十数キロである。
 クイニョンの周辺にはチャンパ遺跡がたくさんある。周辺といってもかなりの距離に分散していて、タクシーをチャーターしても2日くらいかかりそうである。ここではホテルの予約も難しい。あれやこれや考えて、結局今回は割愛することにした。準備不足のツケである。ホイアンまでのバスチケットを購入。

 2月18日
 チェックアウト時間の12時まで休んで、荷物をホテルに預けてニャチャン観光に出る。海岸を少し歩いて、タクシーでチャンパ遺跡(ボー・ナガール)へ。修復された4基の祠堂と柱列がある。チャム族の聖地であり、ベトナム人の信仰の対象でもある。ここからの港の景色もいい。
 次いでニャチャン大聖堂。1934年建造、石造の、堂々たる建築である。前に来たときは一日2回、ミサの時間だけ入ることが出来たが、今はいつでも入ることが出来る。内部は涼しく、ここからニャチャンの町の眺めもいい。
 歩いてダム市場へ。円形の建物の中は衣料品や雑貨・食品などの店がひしめいている。ここで米から作った平麺を中心にいろんな種類の食べ物を皿に盛った食事。これがとても美味しかった。
 タクシーでホテルの近くに戻って、海岸を散歩。ここは観光リゾート地で外人の観光客が沢山泳いでいるが、学生たちがトレーニングしていたり、バレーボールに興じる人たち、ジョギングしている人など市民の憩いの場でもある。
 夜行バスでホイアンへ。スリーピングバスと言っていたが、車内は3列にリクライニングシートが並んでいる。ほぼ横になることが出来るが、体の大きな欧米人には狭すぎる。最後尾の席だったが、ここだけは通路分も席になっていて5人掛けでいっそう窮屈。おまけに天井が低くて座ることも出来ない。ほとんど拷問のような状態だったが、疲れていたのか割によく寝ることが出来た。

   
写真はチャンパ遺跡・ボー・ナガール。
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海岸のリゾート、ムイネー

2014-05-09 | ベトナム旅行その3


 2月15日
 ベトナム旅行も後半に入る。早朝にホテルを出て、お世話になった Kieu と別れ、タクシーで市の中心地にあるシンツーリストへ。7:20頃出発、13:00頃ムイネー到着。バスを降りたすぐ前のホテルに飛び込む。15ドル。
 翌日のバスチケットを購入。予定していたファンラン行きがなくて、ニャチャンまでの切符で途中下車することになる。ファンランから先は地方バス利用になる。ファンランのホテルを予約しようと思ったが、シンツーリストでは取り扱わず、ホテルから電話をしてもらったがうまくいかなかった。日程を決めて出発前に確保しておくべきだったかもしれない。ファンラン周辺にはチャンパ遺跡がいくつかあるので、ぜひ行きたかったのだ。
 ここはベトナムでも有数の海岸リゾート地である。泊まったホテルの向かい側から細い道で海岸に出ることが出来る。両側は高級そうなホテルで、海岸はプライベートビーチのようになっているが、泳ぐのは自由らしい。この狭い路地一杯にシーツを広げてエステをやっていた。
 海鮮料理で夕食。牡蠣のニンニク焼き、オジヤのようなもの、チャーハンなど。500円。美味しかった。会計の時、飲んだビール(100円)が請求漏れになっていた。路傍で買ったマンゴーも美味しかった。

 2月16日
 タクシーを停めてチャンパ遺跡のチャム塔へ。丘の上に3基の塔が立っている。すぐ近くにフランス時代の砦跡が残っていて、勝利の記念塔が建っていた。1947年6月4日に蜂起したとある。
 チャム塔から戻って、少しだけ海で泳いだ。気持ちのいい海である。
 12時、ホテルのチェックアウト時間。バスは1:30発である。喫茶店でドリアンシェイクとココナツジュースを飲んでいたら、4人の欧米人の若者グループがいた。2人がかなりのケガをしている。どうやらレンタルバイクで事故ったらしい。バスを待っていたら韓国人の若いアベックが話しかけてきた。昨日も同じバスで来たという。彼の方が足にケガをしている。どうやらバイク事故のもう一方らしい。
 バスは2時間近く遅れて出発。ボーイに「Stop at Phan Ran」と書いた切符を見せておいたのだが、ファンランをいつの間にか通過してしまった。おそらくファンランではすでに夜になっていた。
 21:00頃、ニャチャンに到着。さっそくホテルの客引きが寄ってくる。パンフレットを見せながら「すぐそこ、15ドル」という。気に入らなかったら他のホテルを探せばいいやとついていったら、案外にきれいなホテルだった。ここで泊まることにして、客引きのチップ要求は無視した。
 ホテルの近くで夕食。ワニの串焼き、魚の揚げ煮、チンゲンサイのニンニク炒め、ご飯、ビールで約900円。

   
写真はムイネー近くのチャム塔(ボー・ハイ遺跡)。
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ホーチミンの日々(続)

2014-05-03 | ベトナム旅行その3


 おしらせ:明日から3日間休みます。

 2月14日
 今日は旧暦の1月15日、仏教最大のお祭りがあるという。Kieu がボランティアをしているお寺では食事が振る舞われ、3,000人が来るというので大忙しである。それでも今年は平日なので少ないのだとか。
 AEON の店があるというのでタクシーで行ってみた(20万ドン!)。1月1日に開店したばかりの巨大なショッピングモールである。人は沢山入っている(冷房が効いているので涼みに来ているとか)が、店の中にはあまり入っていない。日本食堂などガラガラである。パック詰めの寿司やさんなどには行列が出来ていた。食料品の店ではきれいに処理してパック詰めされた野菜と、市場のように山積みされた野菜もあった。こういうショッピングセンターが今後成功するのかどうか。
 今ベトナムは財政困難である。収入が少なくてモノはあっても買えない。2019年に予定されていたスポーツのアジア大会会場を財政難で辞退した。
 KOMONOYA という4万ドン(約200円)ショップがあった。日本の百円ショップと同じ品揃えである。物価の安いこの国で、ここだけは日本の2倍の値で売られている。

 タクシーで Kieu の親友だという女性の家へ。豪邸、これ見よがしの金持ち主義的豪邸である。大きな木製の応接セットが100万円、木彫りの布袋さんのような像が50万円。高級車に大きな犬。旦那さんが元警察官なのでお金があるということだった。袖の下を沢山もらっていて、それが悪いことだという意識はないのであろう。

 夜は Kieu と Trung(春の集いに来ていた青年)とヤギ肉のレストランで夕食。乳房の焼き肉が名物である。骨髄と肉・野菜の鍋、最後に卵を4個入れたが、2個は孵化寸前のものである。見た目は少々グロテスク。頭も足もあるが、全部柔らかいので食べられる。ものすごく美味しい、というほどでもなかった。
 明日はいよいよホーチミンを離れる。

   
写真は貝類専門のレストラン。
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ホーチミンの日々

2014-05-02 | ベトナム旅行その3


2月12日
 疲れが出て夕方近くまで寝ていた。この日は2人のエスペランティストから招待を受けていた。午後4時頃、ホーチミンエスペラント会会長チャン氏の家を訪問。彼とはインドのアジア大会の大会後遠足で一緒に旅行したことがある。画家であり、ギターを持って歌うなど芸達者な人である。
 次いでハイ・ミンの家へ。彼女は横浜のエスペラント世界大会の時に日本エスペラント学会の招待で日本に来て、私の家に数日間泊まっていった。貝類のレストランで夕食をいただいた。

2月13日
 まず「戦争博物館」へ。ベトナム戦争の資料が展示されている。武器などの展示の他、日本など世界各地での支援活動、報道写真が充実している。
 統一会堂へ行ったら「昼休み」だった。ベトナムでは博物館などは2時間くらい「昼休み」になる。
 ここから歩いて、ベン・タイン市場を通り抜けて美術館へ。古代の出土品から現代アートまで、ここの展示も豊富である。
 タクシーで統一会堂へ。1975年4月30日に南ベトナム政府が陥落してベトナムの統一がなされた最後の舞台である。大統領執務室や応接室、寝室など豪華な部屋が保存され、公開されている。
 妻が、世話になった Kieu の家族に何か買いたいと「日本の店」に行く。あまり大きくない店で、日本の百円ショップの商品が大量に売られていた。値段は4万ドン(約200円)だから約2倍である。ベトナムでは法外に高い。これで商売になるのだろうか?
 Auxtuna の家へ。Auxtuna 自慢の息子さんの料理で夕食をご馳走になった。彼はかつては船で働いていて、日本にも来たことがある。日本語、とくに漢字が大好きで、部屋には大きな漢字の一覧表が貼ってあった。

   
写真はベンタイン市場内部
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ブン・タウ

2014-04-30 | ベトナム旅行その3


2月10日
 ホーチミンからバスで2時間、ブン・タウという町にボイさんが住んでいる。若い頃に留学してエスペラントを学んだ彼のエスペラントは流ちょうである。Kieu・Auxtna とともに、15人乗りくらいの小型のバスで出発、途中の休憩時間に牛乳を買ってみた。新鮮な牛乳はベトナムではまだ珍しい。190ミリリットルのパックで約50円。残念ながら甘く味付けしてあった。
 バスは我々のホテルの前に停まってくれた。少し休んで、ボイさんの家へ。13年前に来たときはアパートに住んでいたが、現在は5年前に建てたという3階建ての住宅である。上部に「Esperanto Internacia Lingvo」の文字が。奥さん手作りの昼食をご馳走になる。
 ボイさんは北部の少数民族タイ族の出身である。タイ族は民族語の文字を持たない。このままではタイ語そのものが消える恐れもあるというので、彼は独自に表記法を編み出してその普及に努めている。ベトナム語のような字上符を使わず、アルファベットだけで表せるように工夫したという。
 午後4時頃、タクシーでキリスト像のある丘へ。世界で2番目に大きなキリスト像である。内部の螺旋階段を昇ると顔の近くが展望台になっている。汗をかきながら丘に昇る。時間が遅くてキリスト像の内部には入れなかった。降りてきたら入り口の扉が閉められていた。Kieu は扉を乗り越えたが、近くにいたタクシー運転手が重い扉を少し持ち上げてくれて、我々はその下から這い出した。
 近くの海で私とボイさんが泳いだ。波が静かで気持ちの良い海だった。
 レストランで夕食。

2月11日
 この日は真っ白に輝く仏像が並ぶ禅林寺、かつて植民地支配者の住宅であったホワイト宮殿などを見学、昼食を済ませてバスでホーチミンへ。
 私は疲れが出て、風邪のような症状。ホテルで休む。
 夕方、オクという青年がやってきた。エスペラントは5年になるという。引っ込み思案なのか話すのはあまりうまくないが、書くのは得意だという。

   
写真はボイさんの家の正面上部。
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ホーチミン市エスペラント会 春の集い

2014-04-28 | ベトナム旅行その3


2月9日
 この日はホーチミンエスペラント会の「春の集い」に参加した。参加者は外国人4人(我々とフランスの母娘)、地元のエスペランティスト5人、その家族たち3人、計12人だった。フランス人のとくに母親が熱心なエスペラント活動家、我々よりも少し前にカンボジアを訪問して Teklong にも会っている。ホーチミン市のエスペランティストは、会長の Tran さん、活発な若い女性 Banbuo、落ちついた若い男性 Trong など。若い2人が今年の年末にホーチミンで行われる KS(Komuna Seminario、アジアの青年エスペランティストの集まり)の中心である。
 小型のバスで郊外の新しいリゾート住宅地 Giang Dien へ。広い敷地には住宅がポツンポツンと建っている。その一角にという人工の川と滝を中心にしたリゾート施設がある。有料施設だがこの土地に住んでいる人がいれば無料で使えるという。ここが KS 開催の候補地にもなっている。
 シートを敷いて持ち寄った食べ物を広げる。妻の手作りフルーツケーキ(フランス人に寄ればプディング)が好評だった。歌や踊りに興じ、何人かが救命具をつけて泳ぐ。チリンさんの家へ。彼女がここに住んでいるので、施設が無料で利用できるというわけである。
 かなりの豪邸。それぞれに部屋が割り当てられて休憩。そのあと少し遅い昼食。近くの大きなお寺を見学。ここでもお坊さんから赤いポチ袋に入ったお金をいただいた。
 17:00頃、ホーチミンに帰った。集いに参加しなかった Auxtuna と Kieu が来て夕食。彼女たちが「集い」に参加しなかったのは、ホーチミンエスペラント運動が少々問題を抱えていることの反映である。
 ホテルの部屋でドリアンを食べる。強い悪臭を放つこの果物はまさに果物の王様である。

   
写真は Giang Dien の滝。この川自体も人工で、水は循環して使用されていると聞いた。
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トンレサップ湖と民俗村

2014-04-26 | ベトナム旅行その3


 2月7日
 貸し切った三輪タクシーでまずトンレサップ湖へ。カンボジアのほぼ真ん中にある巨大な湖である。船で水路(川?)を進む。辺りの樹木に沢山ゴミが引っかかっている。トンレサップ湖は雨期には水位が数メートル上昇する。ゴミはそのなごりである。湖近くの住宅が高床式なのもそのためである。湖上には水上生活者の村もある。住居だけでなく、学校なども浮かんでいる。
 しばらくして広い湖の一端に出た。ワニを飼っている水上観光売店に寄る。
 湖から戻って「アーティザン・アンコール」へ。農村の振興と人材育成、フェアトレード商品の生産といったことを目的とする施設である。シルクの機織り、石彫り、木彫り、漆塗り、シルクなどへの絵付けなどが行われていて、売店もある。
 ホテルに戻って小休止、午後は民俗文化村へ。まず歴史上の有名人や少数民族・現代の生活などを人形を使って展示してある小博物館。次いでいくつかの建物を巡りながら踊りや劇を見る。同じ役者たちが場所を変えながら少数民族・中国・カンボジアの習慣・伝説・歴史などをテーマに踊りや劇を演じる。言葉がわからないので内容がイマイチ理解できない。男性演者の器械体操的な演技が多すぎてややうんざりした。
 これで今回のカンボジア観光は終了である。

 2月8日
 Teklong はシェムリアップの空港までつきあってくれた。順調に飛んで、11時頃ホーチミン到着。わが「定宿」のホテルへ。遺跡巡りが強行軍だったので少々疲れていた。この日は休養日である。
 Kieu が昼食の夕食も持ってきてくれた。こういうときの彼女は実によく気が利き、我々の体調に合わせて食べ物を選んできてくれる。

   
写真はトンレサップ湖に浮かぶ学校。ときどき場所が変わるとか。
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アンコールワットを歩く

2014-04-23 | ベトナム旅行その3


2月5日(続き)
 シェムリアップに着いたときはもう暗くなっていた。三輪タクシーで町に入り、中心部でホテルを探す。3軒ほどが満室、やっと空き部屋を見つけた。すぐ隣に日本語の通じるホテルがあった。
 部屋で少し休んで、夕食に出ようとしたらドアが開かない。ホテルの人が来てあれこれやっていたがどうしても開かない。ベランダから出ることは出来たが、今度はベランダから部屋に入る扉も開かなくなった。
 煮魚や魚のマリネなどの夕食。夕食後はにぎやかな Night Marketo を歩く。漢字で「夜市」と書いてある。日本語でなく、中国人が対象らしい。ホテルに帰ったら鍵が直っていた。

2月6日
 牛肉と肉団子がたっぷり入った麺料理の朝食。Teklong が三輪タクシーを1日20ドルで2日間借り切った。まずアンコール遺跡の「一日チケット」を購入。ゆっくり見るなら3日間チケットや一週間チケットなどもある。そしてこの日は精力的に遺跡巡りである。時間があったらタクシーでなく、自転車で巡るのも良さそうだ。
 まずアンコールワット。建物だけでなく、彫刻の宝庫である。とくに回廊に描かれた浮き彫りの壁画がすばらしい。
 次はプローム寺。よく写真などで見る、巨大な樹と一体になっている建築物。
 バンテアイ・クディ寺。ここだけが仏教寺院(他はヒンズー寺院)であるが、多くの仏像の首がない。Teklong はタイなどが侵略したときに盗っていったという。実はこの寺を作った王だけが仏教徒で、他の王はヒンズー教だったために後代に破壊されてしまったのである。
 運転手の案内で、アンコールワット近くで食事。後で知ったのだが、ここでは客を連れてきたタクシー運転手はただで食事が出来る。我々が何度か食べた街の中の食堂でも、店主が Teklong には半額でいいと言ったらしい。
 午後はバイヨン寺(アンコール・トム)、高く連なる塔と大きな顔が特徴。バフォン寺。12の小寺を遠くから眺めて、ピメアカナス。小さな遺跡を2、3見て最後にプノン・バケンという山に登る。山頂にも立派な寺院があって、沢山の人々が夕陽を待っている。我々もここで1時間半ほど待って夕陽を見る。
 一日歩き回って疲れてしまったが、これでも全部見たというわけではない。しかし遺跡巡りはもうおしまいにする。

   
写真はバイヨン寺
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カンボジアの海で泳ぐ

2014-04-20 | ベトナム旅行その3


2月4日
 早朝にホテルを出てバスに乗る。海岸のリゾート地シアヌーク・ビルまで約6時間もかかった。明日はシェムリアップへ行く予定だが、この調子でプノンペンに戻り、さらにバスで行くとほとんど丸1日かかりそうだ。Teklong は、小型のバスを使えば3時間でプノンペンに着けると言うが、近くに飛行場があることが分かったのでシェムリアップへは飛行機を使うことにした。
 Teklong は現地の旅行会社で値段を調べたりして、結局シェムリアップのエスペランティスト(旅行会社に勤めている)を通じて切符を買うことにした。ホーチミンへの飛行機も含めて、その方が安く買えるという。
 シアヌーク・ビルから船でロン島へ渡る。最近注目を浴びているリゾート地である。今夜はここに泊まる。まともなシャワーもない原始的な小屋で、欧米系の観光客が多くて部屋が一つしか取れず、3人が一つの部屋で寝ることになった。我々は蚊帳で覆ったベッド、Teklong は床である。部屋代が35ドル、法外に高い。
 階段横の少し広くなったところに蚊帳を吊って寝ている人がいた。これで5ドルだとか。海岸では寝袋だけで寝ている人もいた。若いバックパッカーにはおもしろいのかもしれない。ここではあまり泳ぐ気にはなれなかった。

2月5日
 ここにいてもすることがないからと、早く島を出ることにした。船が出るまで時間が少しあったので、島の小さな小学校を訪問。どこか外国の援助ではないかと思うが、最近建てられたばかりのようだった。
 昼前にシアヌーク・ビルに戻った。三輪タクシーで5kmほど離れた美しい海岸へ。近くで水着を購入(予定外だったので水着を持ってこなかった)して海に入った。約2時間、泳いだり休んだり気持ちの良い時間を過ごした。ロン島に渡らずに、この辺りのホテルに泊まった方がよほどよかった。
 三輪タクシーで空港へ、約1時間飛んでシェムリアップ到着。

   
写真はロン島。
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ポルポトの惨劇

2014-04-18 | ベトナム旅行その3


 2月3日、9時半頃にホテルに現れたのは Teklong という30才くらいの男性だった。エスペラントを始めて数年、少し発音のクセが強く、語彙もあまり多くないがかなり早口で話す。カンボジアでは数少ないエスペランティストの一人である。商社のような仕事をやっているが、定職があるわけでもなさそうだった。このあと丸5日間、我々を案内してくれた。
 とりあえず朝食に行く。カンボジアの料理をリクエストしたら、肉や半片が沢山入った麺料理。ベトナムのフォーよりも麺が柔らかい感じだった。
 三輪タクシーを拾ってトゥール・スレン虐殺博物館へ。ここは元は学校だったところで、ポルポト政権時代に政治犯を収容する監獄・処刑場として使われ、1万人以上が虐殺されたところである。拷問室・拷問用具や狭い独房がそのまま残され、犠牲になった人たちや当時の様子を語る写真などが展示されている。人間の残酷さが背筋が寒くなるような生々しさで我々に迫ってくる。
 ホテルに戻って、今後の計画を立てる。Teklong の勧めで、海岸のリゾート地にも行くことにした。ホーチミンで行事が待っているのであまり長期滞在は出来ない。
 午後はまず宮殿見学。現在も王宮として使われているので内部を見学できる場所は限られているが、華やかな建築物が建ち並ぶ様は壮観である。隣接するシルバーパゴダには王族の大きな墓があり、最近亡くなった王女の新しい墓もある。回廊には長大な極彩色の壁画が描かれている。叙事詩「ラーマーヤナ」を描いたものだという。
 出口の近くで民族音楽の演奏をしていた。このあと主な観光地では必ず出会った風景である。地雷犠牲者支援の寄付を呼びかけていて、CDや写真集なども売っている。演奏者の中には地雷による障害者もいる。
 メコン川(トレンサップ川?)の河畔で少し休んで、徒歩で青年学校(?)へ。ここでエスペラントの講習会が行われていて、その先生が Teklong である。講習生は3人だが、この日来ていたのは若い男女の2人。まだ3週間だというが、とくに女の子の方が積極的に話す。不思議なことに先生の Teklong よりも発音がきれいだった。
 タクシーを拾って夜のプノンペンをドライブ。ダイヤモンド島というあたらしく開発されている地区の夜景がきれいだった。

   
写真はトゥール・スレン虐殺博物館。教室の中を仕切って作られた独房。
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カンボジアへ

2014-04-14 | ベトナム旅行その3


 おしらせ:明日と明後日は休みます。

 2月2日、朝5:45分に近くの旅行会社へ。ここで6時にピックアップということになっている。同じバスに乗るベトナム人家族がいた。正月休みを利用して旅行するという。ところが一向に誰も現れない。30分ほど待っていたら会社の事務員がやってきた。さらに待つこと40分、やっと小型のバスが迎えに来た。
 市の中心部まで行って、大型バスに乗り換え。満席である。ちょうど隣に一人旅の日本人青年がいて、カンボジア入国書類の記入を手伝ってもらった。我々はカンボジアのビザを日本で取得してきたが、彼は国境で取得するという。
 9時少し過ぎに国境。バスを降りてまずベトナムから出国、次いでカンボジアに入国。バス2台分の人がごった返していてなんだかよく分からないままに、約1時間でなんとか無事通過。カンボジアに入って、300mくらい走ったと思ったらバスは食事休憩。
 13:30、プノンペン到着。日本人青年はそのままシェムリアップへ。
 我々を待っていると思ったエスペランティストが見当たらない。バスが止まった観光事務所で電話をしてもらったが誰も出ない。途方に暮れて約1時間半待った。再度電話を頼むと、女性事務員が100万ドルをよこせという。しかたがないから1ドル札を1枚渡す。
 なんとか電話が繋がった。甲高い男か女かよく分からない声が聞こえてきた。かなりの早口でエスペラントを話すのだが、クセが強くて何を言っているのかサッパリ分からない。初めての外国人と電話で話すのはなかなか難しいのである。なんとか相手のいうことを理解して「こういうことか?」と念を押したら「ジェジェジェジェ」という返事。これで混乱してしまった。再度聞き直して同じように念を押すと「ジェジェジェジェ」である。
 あとで分かったのだがこれは「Jes ,jes, jes, jes」だった。エスペラントの je は「イェ」と発音するが、慣れていない東洋人はしばしば「じぇ」と発音する。この人の場合は、語尾の -s がほとんど消えてしまうのだ。「ジェ」だけだったら私も理解したかもしれないが、4つも続けるから混乱してしまった。
 「明日そちらに行く」「明日のことではなく、今日これからどうすればいいのか?」なんて会話を繰り返し、やっと、この観光会社の男性事務員の単車に3人乗りしてホテルへ。あとは明朝このエスペランティストが来るのを待つだけとなった。
 ホテルの近くには中国料理店が多い。ベトナムに比べて乗用車が多く、路上駐車もあって渋滞・大混雑である。近くのレストランで夕食。少しぜいたくをして、エビ入りチャーハン、牛肉の野菜炒め、海鮮スープ、豆腐料理の、それぞれ「大中小」とあるのを「小」を注文した。ところが出てきた料理はどれも2人前は充分にある量である。日本だったら「大」だぞと思ったがしかたがない。大量に残してしまった。長い一日がやっと終わった。

   
写真は国境のカンボジア側の建物
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休息日

2014-04-11 | ベトナム旅行その3


 2月1日、ベトナムに来て1週間が過ぎ、少し疲れてきた。我々ももう若くはない。
 カンボジアに行く計画を立てていた。カンボジアのシェムリアップには旅行会社に勤めているエスペランティストがいるという。バスでは時間がかかるので飛行機でと思った。ところがメール交信をしているうちに、プノンペンのエスペランティストが迎えてくれることが分かったので、それならバスで行こうということになった。
 実は、当初ホーチミンのエスペランティストが同行してくれることになっていたので、あまり準備をしてこなかったのだ。あまり頼りすぎてはいけないと反省。とりあえずプノンペンまでのバスの切符を購入した。その先はシェムリアップ(アンコールワット)へバスで、そしてホーチミンまでは飛行機の予定である。出たとこ勝負の旅行だが、まぁなんとかなるだろう。
 Kieu の買い物につきあう。野菜と鶏。鶏は生きたものを選んで,その場で処理してくれる。ノドを切って血を絞り、羽をむしって解体、絞った血も内臓もそれぞれに袋に入れる。「お寺に持っていく」というのだが、お寺では精進料理である。スープのダシには使うのだろうか、それともお坊さんは肉を食べるのだろうか? これはあとから思った疑問。その場では気がつかなかった。やっぱり疲れていたらしい。
 お寺で野菜のみのフォーをいただいた。もちろん無料。
 メコンの水上マーケットや市場でカブのような物が売られていた。「カブかダイコンだろう」「いやいや芋の一種かも」などと話していたのだが、お寺の台所にこれと(たぶん)同じものがあった。聞いてみると「果物だ」という。「えー? うっそー」「食べてみる?」「ぜひ!」
 確かに果物のような感じである。あまり甘くはないが、食感はリンゴに似ている。

   
写真はカブのように見えるが、実は果物。
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お寺参りの一日

2014-04-09 | ベトナム旅行その3


 1月31日 旧正月である。
 この日は Kieu の家族や親戚・近所の人たちと一緒にお寺参りツアーに参加させてもらった。一日で10以上のお寺をまわるのだが、それぞれに変化があって興味深かった。
 早朝に15人乗りくらいの小型バスで出発。
 最初の寺には1,000人を超えるお坊さんが集まっていた。服装で見る限り、タイやチベットのお坊さんもいるようだった。そのお坊さんがずらりと並んで座っている間を札の束を持った参拝者が巡って喜捨していく。なかなか壮観である。
 2番目の大きな寺では逆に参拝者に食事を無料で振る舞っていた。広いホールに参拝者がごった返し、ボランティアの人たちであろうか、忙しく食事を配布している。我々も麺料理をいただいたが「次があるからたくさん食べないように」といわれた。
 3番目のきれいな庭のあるお寺では、なかなか豪華な精進料理の昼食をいただいた。やっぱりお寺が無料で提供しているものだが、こちらは特定の信者だけが対象らしい。
 同行していた十代の女の子がエスペラントに興味を持ち始めた。「勉強してみたい」とは言うが、明日までその気持ちが続くかどうか・・・?
 以下、大小様々のお寺を巡って夕方に帰った。途中どこかのお寺でお坊さんから赤いポチ袋を渡された。中味は不思議な文字を書いた小さなカードと2,000ドン(10円)のお札が入っていた。お坊さんにお小遣いをいただいたのは初めての経験である。

   
写真は大勢のお坊さんが集まっているお寺。
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