フリマと粗品集めの1つ。住宅展示場(^^)正月など年に何度か福袋とかで粗品をくれる時期があり、そこを、狙って住宅展示場に行くのです。またチラシなど販売強化期間には展示場内で催しもあり時々、ラーメンとか飲み物も振る舞ってくれるのです。『お父さん!今日、ここ!ここに行こう!』札幌市内の或る住宅展示場で子供が遊べて景品もくれて、ラーメンも食べられるとチラシに書いてあり早速、行きました。勿論、お昼どき(^^)『お父さん、今日のお昼はこれね(^^)』え~!これ?このラーメン?と聞き返すと妻は笑顔でうなづくだけ。(・・;)展示場内の住宅は大きく広いので本当に夢のマイホームって感じ(^^;;一通り内覧を終えると決まってアンケートを書かされます。こちらも粗品を頂く以上、記入しないわけには行きません(・・;)何件が内覧を終えると『お父さん、買い物行こうか?今日は福住のエスパ(^^)』エスパはイトーヨーカドー系列のスーパーですが少し店舗も広く、建物内の作りのグレードがイトーヨーカドーより上のランクです。エスパの食品売り場の試食は絶対に関西ではありえない大盤振る舞いなのです。勿論、季節に応じてバリエーションも変わり食品売り場を一回りすると、ちょっと小腹を満足出来るくらいですよ。ミカンは1つ丸ごと(^^)もありますが、品目は、トウモロコシ、ウインナー、近江牛。イクラ、毛ガニ、お刺身、時々、ハーゲンダッツ、正月はぜんざい、たこ焼き1個などなど(^^)凄いしょ?『お父さん、今日は住宅展示場のラーメンだけやったし、ここで少し足しにしよ(^^)』はぁ?ってな感じですが小さな娘達は既にあちこちで試食品をパクパク(^^)お刺身の大きさは寿司ネタになるくらいです。タコ、イカ、マグロ(^^)流石に北海道(^^)魚はおいしいのです。北の大地は心も大きく試食品も本当、いいですよ。こんな試食を大阪のスーパーでやれば大変大変!想像出来ます。小腹も収まり買い物を済ませ自宅に帰ります。さてさて、住宅展示場見学の後遺症、それとは自宅に電話とダイレクトメールの嵐、嵐(^^)しかし、そんなことは、おかまいなしの妻。あるハウスメーカーのダイレクトメールを見て、『お父さん、これ!これ!これ行こうよ!(^^)』妻が差し出すダイレクトメールを見ると驚きました!『え?これホンマかいな?』思わず叫んだのは私です。あ、付け加えます。私の収入は決して低かったわけではありません。年齢の割には高い方だったのですが妻は『贅沢は敵!使わない楽しみ方もあるんよ(^^)お父さんの、お給料は将来のためにのこすの!娘のために頑張ってね(^^)』となかなか財布の紐が固い妻とです。さてさて、このハウスメーカーのダイレクトメール内容は?
人間は輪廻転生するか?しないか?ほんの数十年前は輪廻転生など、あるはずが無い!霊の存在を否定する人は少なくありませんでした。しかし、最近では前世の記憶を持った子供の誕生や臨死体験の例が数多く出て来た以上、スピリチュアリズムに取り組まざる得ない時代へと突入していると思います。この世の仕組みや輪廻について今の自然界や科学は勿論、ゲームに至っても何かを考えさせられます。話しを少し変えますがカブトムシは卵から一旦、幼虫となって土の中での生活を始めますよね?そしてサナギになって殻みたいなところに暫くジッと眠ります。日数を経てから殻から、成虫となって外の世界、木に登ったり、空を飛んだり自由となります。幼虫の間は暗い土の中でモゾモゾとしか動けません。これは見るところを見れば幼虫からサナギになるときの眠りは幼虫としての『死』に見えないこともありません。サナギの眠りで幼虫時代の身体を捨てカブトムシになり幼虫時代な不自由から脱し空を飛べる羽を得て木に登れる足、敵をやっつけるツノ(^^;;カブトムシにとって、土の中に比べると天国のような生活を出来るのです。メスとの恋愛(≧∇≦)も出来てエッチもしちゃいます(≧∇≦)人間も地球という地上生活は肉体という不自由なものを魂はまとってます。そして肉体に限界が来た時、死が訪れるのですが、これは魂の眠りとなるのでは?眠ってる間にシルバーコードが切れることで魂はエネルギー体に戻り本当の自由を得られ異次元へと旅立ちをするのでは?空も飛び時間の概念がなく瞬間移動も出来る。地上のことは未来も見える。まるで水槽の外から水槽の中の魚達を見るようなことも出来る(^^;;カブトムシに例えてしまいましたが勿論、昆虫と人間では違いがありすぎなのは分かっています。でも根っこの部分は、どこか似ているような気がしてならないと思う今日この頃です。
あの世はある?それとも無い?死んだら終わり、『無』になる?私は子供の頃、よく母に『僕は死んだらどうなるの?』と聞いてました。母は『死んだら骨と灰になっておわり(・・;)』と言うので納得できず『じゃあ、僕って、この意識って、何処へ行くの?』すると母は意識も無くなると言うのです。昔から幽霊の話とか神霊写真に不思議な話はあります。本当に人間、死んだら終わりであれば何故?そんなオカルト話が出るのでしょう。何故、亡くなった人を供養したり盆や彼岸があるのでしょう?死んで終わりなら墓は要らないはず。寺や神社も存在しないはず。死んで終わりだと言い切る人。死んだら『無』である根拠な説を言わず、ただ死んだら無になり自分の存在は無くなるとしか言わない、更に霊を信じてる人、あの世があると言う人に対し笑ってバカにしたように言う人もいます。目に見えてるもの、科学が証明できるものだけを信じてるだけ。世の中、科学で証明出来てないものの方が多いはず。目に見えないのは電気や周波数も目に見えないものです。人の吐く息だって目に見えません、寒い時は別(・・;)霊の存在も含めて霊的なことは少しずつ、その存在が見えてきているのに霊的なことを認めず無いと断定する。霊を信じないのは勝手です。かまいません。でも霊や霊界を否定するのであれば、その理由と霊と霊界が無い根拠を述べるべきではないかな?ヤフー知恵袋などで死後の世界について質問している人に対して、ただ無い!と言うだけ。文面から、質問者に対し、見くだし感すら感じます。霊や霊界、スピリチュアリズムは外国でも研究され輪廻転生、霊界、宇宙の仕組みなど、あらゆる研究がなされています。前世の記憶を持つ子供、臨死体験など人間が死んだら終わりでない現象が数多く出てきているのです。私も不思議な経験は2回、知人にも不思議な体験をしてる人がいる以上、やはり人間は死ねば帰る場所がある。私は、そう信じています。そして、その仕組みは、この世に、それとなく神様は教えてくれていると思うのです。
人生を振り返ることが本当に多くなりました。脳出血をおこし仕事も出来なくなって時間が、ゆっくりと進んでいくなか、人生を振り返ると、なんと自分のことしか考えてこなかったのか?いろいろな出来事を思い出す度に胸の奥から何とも言えない苦しさ、時々チクチクと痛む感触、恥ずかしさなど複雑に心を揺さぶられます。セコイことをした出来事など本当にアホや!と反省すると心の恥ずかしさが微妙な感覚で走ります。思い起こせば人を傷付けることを言った当時は、何とも思わず感じなかったのです。例えば太った同級生の女子に『ブタぁ~!』とからかった。太ってる子にホンマの例えを言って何が悪い?こんな感性ゆえに言われた子が傷ついてることなど、どこ吹く風でした。私の魂は愛も無ければ情けもない。思ったことを平然と言う曇りきった魂だったのです。そして、オトナになっても中々、そのままだったのでしょう。そして神様からお灸をすえられました。病気をし入院中、動けないことで人間、多くの人に支えられなければ生きていけないこと、そして看護師さんを通じて感謝の本当の意味を知ると目から涙が(T_T)そして人生を振り返るたびに涙が出ました。自分の愚かさや未熟さに(T_T)涙で少しずつ心の曇が取れてきたと実感したころから、親や。これまで多くの方々との出来事を思い出すと心の奥から何とも言えない苦しさ、もどかしさ、恥ずかしさが時にチクチク、時にモヤモヤ、いろいろな感覚が身体中に走る感覚が来るようになりました。その感覚は、過去の、同じ出来事でも何回も味わうのです。太った同級生に心の無い言葉は1度か2度であっても、それを思い出す度にチクチクと何度でもやってきます。おそらく死ぬまで味わうことになるのでしょうね。そして思ったのです。心無い言葉で傷つけてしまった!でも、それに気付いて謝っていれば、今、チクチクと心を傷めることは無かったのかな?何十年も前のに言った私の言葉は今、何度も跳ね返ってきているのです。でも、私は思いました。これでええんや!と。何故なら気付ける心になれた!魂の曇りが少しずつ取れたからチクチクと感じられる心になれたんや。だから、これからは心の無い言葉は言わないようにしよう!少なくとも例え事実のことであっても、その人がきずつく言葉は言ってはいけない。言うと魂のステージが上がったとき自分に何倍にもなって跳ね返ってくるんだと。知りました。因果は必ず自分に跳ね返ってくる。投げた言葉はブーメランのように返ってきますがブーメランの大きさが大きくなっているのです。そして、死ぬまで心の何処かに残るのです。これを背負いながら。これからの人生を通じて更に魂のステージを上げられるチャンスでもあるからです。八方塞がりになったとき、出口は上に上がることのみが選択肢なのですが心を磨かないと上の出口へ向かうことは出来ないのが、この世の修行。過去を振り返り反省する時、大いに苦しみなければ魂のステージは上がらない。そして苦しんだあと気付けたことに感謝して、それ以降の人生で、人に優しく、人の為に生きていき、自分自身が生まれてくる前に設定した試練を果たして行くんだなぁと思う今日この頃です。
札幌在住の場所は地下鉄南北線平岸駅から徒歩2分のマンションでした。社宅費用は給与天引きで7000円くらいだったかな?3LDKで普通なら75000円に駐車場代の賃貸物件。東京なら15万前後はしたでしょうね。(^^)物価もさほど高くなく、比較的、経済的には安心して安心して生活できます。それでも妻は『子供たちが小さい間な貯めないとあかん!(゜o゜;;』とばかりにコツコツと頑張ってました。そんな、ある日『明日、ススキノの映画館に行かない?』笑顔を見せ言うので『何か観たい映画あるん?』と聞いたのところ『映画なんか観ないよ(^^;;これこれ!』私は妻の右手に目を、やると??映画のチケット。ワンピースのアニメ映画の券だったのです。『これ、新聞屋さんの景品でもらってん(^^;;売りに行こう!』私は『それで何で映画館やねん?チケット屋とちゃうんか?』と言うと『チケット屋なんかに売れば安くなるやん!映画館やの!!とにかくススキノまで行ってくれる?』車で15分も走ればススキノです。妻と子供達を乗せてススキノの交差点を少し北にある、映画館の近くまで行きました。『ここで待っててね(^^)』すると5分?10分?も待ったでしょうか?妻のニコニコ(^^)戻ってきました。』やった!売れたよ。』なんと4枚完売!当日の入館券より1枚あたり200円引きで丁度、御家族4名の方に即効で売れたみたいです(^^)『はぁ?もう売れたん?』妻は『チケット売り場の横で待ってたら丁度、御家族4名が、来て、ワンピースを見に来られたのですか?って聞いたら見にきたって(^^割引きするからって言ったらスグに買ってくれた。もしかしたら値切られるかな?と思ったけど大阪と、違って値切られなかった(^^)札幌の人って大阪みたいに値切られることないし、また、映画券もらったら売りに来ようっと(^^)』その日、ほんの数分で数千円の臨時収入です。『ほな、それで美味しいもんたべに行こう!』と私が誘うと?『何を言ってるん?これは貯金に回すの!』私は妻の言葉に返すこともなく、車を自宅に向けて走らせていました。妻は、兎に角、使わずに楽しむ。その理念いや執念に、まだまだ驚かされることとはるのです。