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脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

私の障害は試練(^。^)その1

2017年09月01日 16時34分01秒 | スピリチュアル
平成25年6月私は脳出血の中でも比較的、死亡率の高い視床部出血を発症しました(>_<)

そして左半身麻痺、体幹機能障害のため身体障害者手帳二級を頂いたのです。
この障害は私の地上で与えられた試練??
それは病を発症することだけでなく、病を発症してから、その後の人生の課題を障害を持ちながら乗り越えなければならないという課題なのだと最近、強く思うのです(^。^)
いま、分かってる課題だけでもいくつかあるのですが(^。^)
そこには一つ目。
会社を相手取り訴訟提起する課題。
訴訟目的を自分の利益を考えてするか?
それとも利他愛のために考えているか?
恐らく裁判は勝って多額のお金を手にすることになると予想しています。
そのお金を?
自分の贅沢に使うか?
それとも利他愛を込めて使うか?
訴訟の志を高く。そしてお金は利他愛。

二つ目の課題(^。^)
妻の母の認知症。
どう向き合って義母へ愛のある行動と言動を心を込めて実行出来るか?
そして薄情な義兄夫婦に感謝の心が芽生えるか?
これが、中々、気づきませんでした。
最近になり漸く?『??こういうこと?』
先ずは頭で理解はしたものの。
心は理解できておらず葛藤が続きました。
そして、ほんと最近
妻に言葉で『義理の兄さんが薄情なお陰で俺は、お義母さんへ孝行させてもらえたんと違うかな?俺は実の両親に親孝行を何一つしてなかった息子やったしな。』と言えるようになったのです。
そして夜、寝る前に心の中で義兄夫婦に先ずは言葉で『貴方のお陰で親孝行が出来る事は感謝しています。』と呟けるようように。
先ずは言葉ありき。(^。^)
こう呟けるようになってから、それまで義兄夫婦に対する怒りは無くなってきました。

もし、今後、お義母さんの介護や施設費用でお義母さんの預貯金が底についたら私が負担しようと思っています。

今、私が労災保険認定され生活には困らずやっていけてるには守られているから。
何故?守られているか?それは私が守らなければならない人達がいるから。
そう思えてきました。
今、義兄と家庭裁判所で義母の扶養に関して係争中ですが、これも義兄夫婦を責める手段にしてはいけないのです。
何故か?それは少し長くなるので次回としますが、恐らく私が今後、死ぬまで、あといくつか障害を持ちながら乗り越えなければならない課題はあると思うのです(^。^)
魂を磨くために。

運転手さんが大動脈瘤。過労死されました(>_<)

2017年09月01日 14時39分27秒 | 過重労働
また、過労死がありました(>_<)
日本の労働環境は良くなっているのでしょうか。
この方はコンビニに商品を運ぶ仕事をされてたのですがハンドルを握りながら、おむすびを食べるほど時間に追われていたようです。

会社は遺族の労災申請を拒んだらしく、遺族は弁護士に相談すると会社は手のひらを返すような対応をしたそうです。
労災隠しをしようと?平成25年以降、過労死防止法まで出来ているご時世なのに?
バレなければ社員を使うだけ使って死んだら労災すら隠そうとした、この会社に果たしたホントに罪の意識。人の命の尊さがわかっているとは思えません。

平成25年以降だけで、どれだけの過労死の方がおられた事でしょう。
メディアに報道されてないもの。
また過労死ラインには至ってなくとも、その手前で亡くなった方もおられると思うのです。
それに過労死だけでなく私のように労災が原因で後遺障害を抱えている方など含むと、どれだけの人達が会社の犠牲となり、そして、その家族を悲しませているのか?
この会社は弁護士が介入した途端、認めるところは認め恐らく遺族の方から訴訟をさせないようにしているのかな?
手前味噌で恐縮ですが私の場合。会社は労災申請には素直に応じたものの。残業代は訴訟し和解で払いまさした。
そして現在、後遺障害損害賠償請求訴訟の係争中ですが会社は全く悪くなく悪いのは私だと主張し続けている始末。
安全配慮義務違反は十分にあり会社は、経過としては私に分があります。
それは、さておき
労災問題が発生したとき。その会社の本性が浮き彫りとなるのが改めて分かった今回の過労死事件でした。
1日でも早く日本の労働環境🇯🇵が良くなり就業者も会社経営者も共に幸せなウインウインの関係になれるのはいつでしょうか。

もうホントに
これ以上、就業者の過労死や後遺障害が出ない事を心から祈るばかりです。

両親の愛情って(=^x^=)

2017年09月01日 08時15分20秒 | わが半生
過去の人生を振り返ると反省することも少なくありません(=^x^=)
そして、つくづく振り返ると、娘達の行動とか?
言動とか?若い頃の自分そのままな事も。

長女が未だ10代のときに言われた言葉とか。
『なんて事を言うねん!』と怒った私でしたが
私も同じような事を言ったりしたなのをおもいだしました。

また中学生の頃。新聞配達をしていた私。
自転車を買ってもらえず父親に欲しいと言ったら『自分で新聞配達して稼げ。』と言われ新聞配達を始めたのですが毎朝四時に🕓起こしてくれたのは母でした。寒い冬の朝。ストーブを点けてくれてから私を起こしに来てくれたのです。
私はストーブで部屋を温めてくれてから起こしてもらってることに何の感謝の気持ちもなく、朝早く新聞配達にこれから行く俺は大変なのに!お母さんは又、布団で寝られるやんけ!みたいな気持ちしかなかった(>_<)
今、思うと毎朝四時🕓に息子を起こす。
これって大変なこと。
でも中学生の私は『何で?こんな思いして自転車を自分で買わないとかあんねん!』そんな事ばかり。ふと。何日か前に既に他界した父親と夢の中で口喧嘩したことを昨日、思い出し、ふと?中学生の頃も思い出したのです。

新聞配達以外のことも。

やっぱり親って有難い存在でした。勉強よりも働いてお金の大切さ。を父親は私に教えてくれて、その私をシッカリ母は支えてくれました。
父親から生きる術を体験させてもらったのは
どんな教科書よりも。大切な教えでした。
母も黙って毎朝四時🕓起きしてくれました。

言葉ではなく
行動で親の愛情を示してくれたこと。
57歳にして
漸く心で分かる事が出来ました。
夜中の三時に目が覚め。ふと思い出し過去が自然と蘇ると反省と感謝。

思わず両親に『ありがとう。』と布団の中で呟く自分がいました。