私が小学校低学年の時『おい!テレビに出る気はないか?』父が何度となく私に言ってきた時期がありました(^^)当時の私は人前に出る事は好きではなく、ましてやテレビ?とんでもない!そんな気持ちでした。今から思うと、もしかしたら運命だったのかも?当時、父は作家でもありテレビの司会などで活躍していた方と知り合いになったらしく私の事を、その方に話したところ『じゃあ連れておいで。』となったらしいのです。その方は当時、イレブンPMの司会もされてた方。そのような方に連れておいでと言われたのは人生の流れではなかったのか?今、思うと(^^;父も強引に連れて行かなかったのは私に選択肢を与えたのであるのかな?そして父は天からの指示で選択肢を与えたのかな。父の気性から考えると、こんなチャンスは強引にでも私を連れて行ったはず。私は行かない事に選択したのは間違いではないものの正解でもない選択だったのかな?正解は連れて行ってもらう事。その後、高校生になるまで父からは『お前、将来は何になるんや?』と何度か聞かれたのですが私は『わからん。でもサラリーマンには絶対になりたくない!』と言いながらもサラリーマンになりました。結局は食べていくには?と言う事になると、何の技能も腕もない私が生きていくにはサラリーマンになる他はなかったのです。引き寄せられた運命に乗らなかったのかなぁ。
北海道の鉄道で留萌線が廃線となりました(T-T)別に鉄道オタクではないのですが北海道に5年近く住んでいただけに残念です。留萌〜増毛『ましけ』(ぞうもう)ではございません(^^)区間を走っていた鉄道。増毛には地元の酒蔵【国稀】があるのです。一度飲みたいなぁと思いながら飲まず仕舞い(>人<;)留萌は北海道の西側海岸に面した地域ですがいった事がありません。特に観光もなく本州からの旅行客は殆ど来ないところです。札幌から西側、石狩湾へ向かっていくのなら中山峠を越えて羊蹄山〜ニセコにむかうのが定番かな。また小樽から余市に行けばニッカウイスキーの工場があり、朝ドラの【マッサン】でも有名になりました。余市は、サクランボやリンゴも採れるところで一度だけサクランボ狩りを家族で楽しんだ事も(^^)話は逸れましたが北海道ローカル線は赤字も大きく今後も廃線となる線も出てくるでしょうね。寂しくなります(T-T)
自宅療養?もう仕事する事が出来ない私は毎朝NHKの朝ドラを見ています(OvO)今は『ペッピンさん』神戸で創業された子供服ブランド社長達の話がモチーフ(^^)その前は主婦の方々に大きな影響を与えた雑誌を創業した方の話などなど。『マッサン』『あさが来た』も見て来ましたが仕事は引き寄せられる?一生懸命に努力し志しを持てば仕事に引く寄せられる人、また運命で仕事に引き寄せられる人。べっぴんさんは創業した女性は、アパレルでは日本を代表するレナウン創業者のお嬢様(^^)でも戦争後、神戸市内の靴屋さんの軒先を借りてスタートさせたわけです。これまでの朝ドラも、そうですが実際の話がらは勿論、脚色はされていると思うのですが根っこは実際と同じだと思って見ていると、どの話も『銭儲け』目的ではスタートされていません。『愛と喜び』が根っこにあったからこそ成功されたのだと思うのです(^^)あさが来たの主人公もべっぴんさんの主人公もお嬢様(^^)ですがビンボーから這い上がって会社を興し成功されてる経営者も少なくありません。経営者に限らず職人にしろ芸能人にしろ多くは富裕層?もしくは貧乏な家庭から誕生しています。この両極端な環境から魂の成長のために使命を受けて生命を授かり使命を無意識に感じ取り流れと出会いを大切にしたからこそかもしれないと思うのです。朝ドラとドラマから発してくる台詞に時々、胸が温かくなる瞬間があります。最近では田中要次さんが奥様に『嘘はアカン、大切な人を失うで。』この台詞は心に染みました(>人<;)この台詞以外でもいくつもありますが朝ドラの視聴率が良い理由は、こういったところもあるからと思うのです。話が逸れましたが仕事は誰でも、その時の心の在り方や志しで引き寄せられていて、それに気づかずに別の仕事をしていると何か心がぎごちないのかな?給料などの対偶は高いに越した事はありません。でも引き寄せられる仕事に巡り会えば必ず後から付いてくるもの。まずはお金ありきで仕事を選んではいけないのかも知れませんね(^^)
魂が成長するにつれて人は少しづつ優しくなると思うのです(*^^*)そして魂が成長し優しくなるにつれて過去を振り返ると当時では何とも思わず、時には無意識で人を傷つけていたことに気づくようになります(^.^)でも気づいた時には何年も前の事なので傷つけた人に謝ることすら出来ないのは勿論、自分の心に痛みが、キューっと、時に、シクシク、時にはチクチクと来ます。そして思い出す度に来るのです( ; ; )会えるものなら会って謝れば心が少しでも軽くなれるのに会えない謝ることも出来ない辛さ。因果応報とは、この事も当てはまるのではないかな。と( ; ; )人に優しくしていればと、つくづく思ったり反面、これが魂の成長を実感できることにもなっているわけで本当に複雑です。そう言えば小学校の時に同級生で優しい人がいました。もちろんクラスの人気者。小学生の頃って自己中が多いのに、その子は本当に優しかった。今にして思うと、その子は過去世で散々、人を傷つけると、どんな思いが自分に跳ね返ってくるか味わったから今世は子供であっても魂は大人。人に優しくする事は、しいては自分自身に優しくなれる事を知っていたのかも知れません。因果応報、鏡の法則は自分が虐めたら虐められるとか、そんな事ばかりでなく、心の痛さとして返ってくる事もあるのかなと。今日は録画していたドラマを見て、『はっ!』と気づいたのですが、とにかく心が痛い( ; ; )もしかしたら守護霊様からのメッセージとしてドラマの中から感じ取れたのかな?今まで気づけてなかったのには心に守護霊様からのメッセージが届かないほど曇っていたから?かも。変な奴と思われるかも知れませんが、自分でも分からないほと何か見えない空気に包まれているように思えてならない今日この頃です( ; ; )
怒りの感情は、その人の器の物差し?の一つではないか?と今年の2月にも述べました(^^)怒りの対象が大抵は些細なことではないか?更には自分の虫の居所が悪いと周りに八つ当たりはホント、小さい器だともd( ̄  ̄)要は自己中心な人や利己主義な人は怒りの沸点が低い傾向にあるのでは?と。この事を踏まえると目の前の現象は自分に原因があると考える人は怒りの沸点は低くないのでは。良かった事、成功自宅に事は周囲の『お陰様』であり良くない出来事や失敗は『身から出た錆』例えば部下が失敗すると怒涛の如く怒りまくる上司が居ますが、チョット待って?部下の仕事の失敗は上司である自分の指導不足、サポート不足ではないのかな?100歩譲って部下が100%悪かったとしても、その仕事を任せた任命責任が上司にあるのでは?器を大きい上司は声を荒げて怒る事はもちろん、むしろ、部下の失敗を自分の失敗と捉えて神的マネジメントを行う事でしょう。話は逸れましたが怒りの沸点が高い温度の人は器の大きい傾向にあるのではないか?と改めた思う今日この頃です。