脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

昭和45年~ 夏の甲子園 日にちをまたいでの延長戦

2015年04月29日 09時07分51秒 | わが半生
夏の甲子園・・思い出深い熱戦がありました。東北・三沢高校 対 四国 松山商業の決勝戦です。双方0対0のまま延長戦となりましたが・・結果、当日では決着がつかず翌日への延長戦となったのです。小学校でも新学期が始まるやいなや男子は、この決勝戦の話題で大盛り上がり(^^♪ 優勝は四国の松山商業でしたが・・クラスのM君が『松山商業はピッチャー・・交代してリリーフをしたやろ?三沢は太田(投手)が一人で投げてたやん・・むっちゃ頑張ってるやん!せやから三沢を応援しててん!』この一言で太田投手を英雄、松山商業は非難の対象・・勝つことにおいては松山商業は伝統校でもあり監督の判断ですしルールを守ってるわけですからOKなのですが・・『あの場は松山商業も井上(投手)でつらぬくのが仁義やと思うで!!』小学生が何を勝手ななこと・・勝てば官軍ではありませんが松山商業も優勝したいのは同じ。あの決勝戦は多くの人たちに感動を与えた名勝負でしたが・・かくいう私も太田投手を応援していました。案の定・・太田投手は当時の近鉄バッファローズにドラフト1位指名を受けプロに入団、その甘いマスクも手伝い女性ファンもつき・・さらにはテレビCMにも出演。ここまで来てしまうと・・小学校では『太田って野球選手やろ?芸能人みたいやな・・野球で投げてるとこが好きやのに・・やっぱり巨人がええわ。』と男子からは敬遠されるものの野球のルールも知らない一部の女子は『太田って、カッコイイやん❤』てな感じでしたね(+o+)でも所詮、当時のパリーグにはお客様を引き付けるほどの魅力はなく日本全国ジャイアンツファンが多い中、スター太田投手だけではバッファローズの本拠地:藤井寺球場を満席にはできません。セリーグでもジャイアンツ戦のカードしか観客数を動員することが出来ない時代でしたから。ジャイアンツの強さ、そして王・長嶋の人気は絶大!!阪神ファンの私ですら当時のスターティングメンバーを覚えています。 1番センター柴田 2番セカンド 土井 3番 サード長嶋 4番 ファースト 王 5番 ショート黒江 6番 レフト高田 7番 ライト国松 8番キャッチャー森 9番 ピッチャー 堀内等・・堀内は当時のエースピッチャーで背番号18番でした。その後 ライト末次もいましたがおおむねVナインメンバーは、こんな感じだったと記憶してます。(間違えてたらごめんなさい) 話を戻しまして夏の甲子園・・昭和の半ばに、こんな名勝負・・たぶん高校野球史に残る試合ではないでしょうか。今でもテレビの前で、この両高の試合をかじりついてみていたことを忘れはしません。
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