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脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

昭和44年 転校生

2015年04月23日 09時43分25秒 | わが半生
昭和44年9月 私は転校先の新しい小学校へ登校しました。校舎は1棟 体育館もなければプールもありません。担任はTという男の先生と一緒に教室へ向かいました。まだ新しい小学校のせいか廊下・壁すべてが綺麗です。教室に入ると・・なんと生徒が20名足らずで4年生は1クラス、ちなみに5年・6年は一緒の教室で10名前後(+o+)転校前の学校では4年生が6クラスで1クラス45名前後いたので、あまりの少なさに驚きました。でも、この少なさが意外と学校生活の刺激にもなっていったのです。授業の合間の休憩時間、クラスの子たちとも、すぐなじんだのは全員転校性のようで、おかげで転校性だからと【イジメ】にもあわず、お互いに『前は、どんな学校?』『どこに住んでたん?』と聞きあってましたね。運動場も広く運動場から見える景色がよかった。高台にあった団地なので坂道は辛いですが、とにかく和香で田舎でした。母は買い物が不便らしく『バスに乗って駅まで行かへんと・・』といつもボヤいてましたが、このころから東京出身の母も関西弁??ちょっと変な発音でしたが話せるようになり始めました。少数の生徒のため朝礼も・・(え?こんだけ?)運動会も・・盛り上がりは小さいですが、でも高学年も低学年も、わきあいあいで行ってました。転校して少したった、ある日・・高学年の担任の先生(男)は、いつもジャージを着ていたのですが・・『スポーツクラブ、作るから、みんな入れへんか?朝、体操したり時には野球もええやん?縄跳びでもマラソンでもええ・・来週からするし来れる人は朝7:00集合や!』こんな呼びかけがあったので私のクラスの男子、それと高学年の生徒は参加したのです。でも朝7:00は正直、しんどかったのが本音でした。でも参加して思ったのは意外と気持ちいいなぁ~って。それと参加メンバー全員が仲良くなれたことでした。大きな小学校では味わえない雰囲気は私にとって新鮮でした。朝早く野球とかドッジボール・・時には腕立て伏せとか腹筋運動ばかりの柔軟体操・・これはきつかった。でも汗を流して、そのまま教室に行くのも悪くありません。たった1棟の校舎なのに空いてる教室がいくつかあって、空いてる教室を図書室・理科室・家庭科室にしていました。(以前の学校ではすべて専用教室があったのですが)平成の今、少子高齢化で学校教室の空室も目立ったり学校の統廃合があったりですが・・当時は、どんどん住宅や団地が建設され、私が転校してから数日おきに転校性がやってきたのです。