たっきーです。
天気予報通り雨が降っています。
今日は0のつく日、5月20日です。
シリーズは最終章①です。
がん患者の方、その家族の方の何かの参考になれば幸いです。
「癌から奇跡の復活・最終章 ①」
【肺転移から奇跡の復活へ・・・】
2回目となる前回の検査結果の診断は「肺転移はさらにやや縮小」でしたが、年末の第3回目の検査結果は「明らかな再発転移なし」というものでした。
順調に回復していると自分の中で確信をしてはいましたが、検査報告書のこの文字には正直驚きました。ただただ喜びを噛み締めていました。
2013年の目標を「一日1回大声で笑う」と決め、スタートした私ですが、奇跡を一層実感し、作り笑顔さえ辛かった状況からは想像すら出来ないほどの自然な、力のある笑いをするようになっていました。
元旦には久々に親戚の家族が我が家に集まり、楽しい新年会が出来ましたが、私の食べる量が増えたことに、皆さんビックリしておられ、笑いの絶えない本当に楽しい新年のスタートとなりました。
しかしながら、手術から一年経った頃でも、首・肩周りの筋肉はまだ元の状態には程遠く、右手はほとんど上に上がらず、首も回らずといった感じで、何をするにも不自由で、時にはそんな自分にイライラすることもありました。
健康な時でさえ激しい運動の後の筋肉痛は悩ましいものでしたが、この頃の状況はそんな生易しいものではなく、これまでに経験したことのない、また考えられないほどの痛みを伴うとても辛いものでした。
これを解消するにはリハビリのマッサージと運動しかなくリハビリについては治療院の先生に毎週状況を見ながらマッサージを受けていました。また、運動は軽めにということでウオーキングを20~30分程度行い、体力増強に務めていました。
筋肉をほぐすには温めるのが非常に効果的ということで、この時期には本当によくサウナや、動ける範囲であちこちの温泉に通っていました。 体全身が温まると本当に何をするのにも楽になり、のんびりリラックスできるし、何より嫌なことを忘れられました。
そんなある日、ショックな出来事がありました。 それは2人目の担当医であった先生の異動が決まった事です。病気が発覚して徐々に良くなりつつある中で、私にとって担当医がまた変わるというのは本当に残念なものでした。
自分の都合ですが、何でも話せる信頼のおける先生とのお別れは毎度のことながら辛いものです。 私は常々、医師と患者の関係は、お互いの信頼関係によってその後の病気の様子も違ってくるのでは、と考えています。
しかし、自分の都合だけで物事がすすむはずもありません。これまでお世話になった先生には私が元気になって恩返しするのが一番だと自分に言い聞かせつつ、先生にお礼を申し上げました。 新たに担当していただける先生は女医さんと聞いて、次回の診察が楽しみとなりました。
ところで、この歳の冬は本当に寒かったので、いろいろな楽しみの中で温泉旅行にもあちこち出かけていました。
そんな中で、突然、親友から台湾にがんに良いとされている温泉があるということでお誘いを受けたのです。まだ、体力的に自信がなかったので飛行機を使っての旅行には若干ためらいがありましたが、家族も勧めてくれたので勇気を出して、出かけることにしました。
ちょっと心配なところもあったのですが、大きな気分転換&チャレンジということでいざ出発。
ところが、広島空港で飛行機のトラブルが発生し、予定の時刻を大幅に過ぎたあと、一度広島空港を出国して待合室で約3時間待っても出発できず、説明もないまま足止めをくらい、挙句一旦出国取り消し、その場で帰国(入国)手続きという自分の中では前代未聞の珍事が起きました。後で聞いた話では朝、機体の整備中、足りない部品があることが判り、それを成田から取り寄せていたのだそうです。その飛行機は朝一の便で、多分前日からここに到着していたと思うのですが。向こうは春節まっただ中。そのせいかどうかはわかりませんが、その際のパスポートには「出国中止」の印が押してあります(笑)。
このパスポートは私の宝もののひとつになるかもです・・・。
結局当初予定の6時間後に台湾への旅路となりました。朝5時起きだったので、さすがに疲れましたが出発迄にこれだけのストレスにも耐えられたので、体力的にも大丈夫で楽しい旅になるよと励まされもしました。
台湾旅行ではやはり温泉に入っている時間が至福のひとときで、最高の思い出となりました。台北の温泉地・北投温泉は体の心から温まり色々なお風呂がありリラックス出来ました。また、温泉地から発掘された北投石で作られたブレスレットやネックレスなどが販売されていて、何でも微量の放射線とマイナスイオンが放出していることから癌にもいいと言われていました。
石ですから当然重たく、普段時計はおろかブレスレットなどしたことのない私には物凄く邪魔なものですが、いわゆるプラシーボ効果も期待して、腕輪と首飾りを買ってみました。
購入後は毎日肌身離さず付けています。
寒くて温泉通いだった冬が終わると、いよいよ私の大好きな春が訪れ、ガーデニング作業も始まります。
ショップに行ってプランターや重たい培養土等を買って帰って、庭に沢山の花を植え付けるなどの作業も、ある程度はこなせる状況まで回復していました。
体を動かしながら勉強部屋から庭の花が見渡せるようになり、本当に癒されました。
気持ちの良い時期になっての定期検診は新しい先生です。
先生は女医さんでもちろん初めてお会いしましたが、先生から「今度私が担当します。」と挨拶されたので、私も挨拶し頭を下げました。この時私は直感で、“この先生とは気が合いそうだな”と思いました。聞けば、最初に担当医でいらっしゃった片桐先生と、何と同期で顔馴染みとのこと。ここにもご縁のようなものを感じてほっとしました。その日の経過観察の結果もよかったこともあって、とても爽やかな気分で帰宅したのでした。
とても過ごしやすい時期でしたので行動範囲も少しずつ広くなり、田舎に帰って田植えの手伝いなどもできるようにまでなりました。また自宅にいろいろなお客さんをお迎えしてパーティーをしても、疲れをあまり感じないほどに回復していました。
しかし、この時期になっても、相変わらず副作用での口が渇くことと、首筋のハリが戻らないことが悩みのタネでした。特に唾液が出にくいことで食事するのも一苦労です。何も入っていない口の中もくっついてしまい、そうなると、しゃべることも出来なくなるのです。このため、常に外出時には温かいお茶かぬるま湯を入れた水筒を持ち歩く事が必須で、一時足りとも水分を欠かすことはありませんでした。 もちろん通院時にも水筒は持ち歩き、大声で笑うという目標を掲げて始まった新年も折り返しを迎える頃となり、また定期検診の時期となりました。
最終回へ続く
天気予報通り雨が降っています。
今日は0のつく日、5月20日です。
シリーズは最終章①です。
がん患者の方、その家族の方の何かの参考になれば幸いです。
「癌から奇跡の復活・最終章 ①」
【肺転移から奇跡の復活へ・・・】
2回目となる前回の検査結果の診断は「肺転移はさらにやや縮小」でしたが、年末の第3回目の検査結果は「明らかな再発転移なし」というものでした。
順調に回復していると自分の中で確信をしてはいましたが、検査報告書のこの文字には正直驚きました。ただただ喜びを噛み締めていました。
2013年の目標を「一日1回大声で笑う」と決め、スタートした私ですが、奇跡を一層実感し、作り笑顔さえ辛かった状況からは想像すら出来ないほどの自然な、力のある笑いをするようになっていました。
元旦には久々に親戚の家族が我が家に集まり、楽しい新年会が出来ましたが、私の食べる量が増えたことに、皆さんビックリしておられ、笑いの絶えない本当に楽しい新年のスタートとなりました。
しかしながら、手術から一年経った頃でも、首・肩周りの筋肉はまだ元の状態には程遠く、右手はほとんど上に上がらず、首も回らずといった感じで、何をするにも不自由で、時にはそんな自分にイライラすることもありました。
健康な時でさえ激しい運動の後の筋肉痛は悩ましいものでしたが、この頃の状況はそんな生易しいものではなく、これまでに経験したことのない、また考えられないほどの痛みを伴うとても辛いものでした。
これを解消するにはリハビリのマッサージと運動しかなくリハビリについては治療院の先生に毎週状況を見ながらマッサージを受けていました。また、運動は軽めにということでウオーキングを20~30分程度行い、体力増強に務めていました。
筋肉をほぐすには温めるのが非常に効果的ということで、この時期には本当によくサウナや、動ける範囲であちこちの温泉に通っていました。 体全身が温まると本当に何をするのにも楽になり、のんびりリラックスできるし、何より嫌なことを忘れられました。
そんなある日、ショックな出来事がありました。 それは2人目の担当医であった先生の異動が決まった事です。病気が発覚して徐々に良くなりつつある中で、私にとって担当医がまた変わるというのは本当に残念なものでした。
自分の都合ですが、何でも話せる信頼のおける先生とのお別れは毎度のことながら辛いものです。 私は常々、医師と患者の関係は、お互いの信頼関係によってその後の病気の様子も違ってくるのでは、と考えています。
しかし、自分の都合だけで物事がすすむはずもありません。これまでお世話になった先生には私が元気になって恩返しするのが一番だと自分に言い聞かせつつ、先生にお礼を申し上げました。 新たに担当していただける先生は女医さんと聞いて、次回の診察が楽しみとなりました。
ところで、この歳の冬は本当に寒かったので、いろいろな楽しみの中で温泉旅行にもあちこち出かけていました。
そんな中で、突然、親友から台湾にがんに良いとされている温泉があるということでお誘いを受けたのです。まだ、体力的に自信がなかったので飛行機を使っての旅行には若干ためらいがありましたが、家族も勧めてくれたので勇気を出して、出かけることにしました。
ちょっと心配なところもあったのですが、大きな気分転換&チャレンジということでいざ出発。
ところが、広島空港で飛行機のトラブルが発生し、予定の時刻を大幅に過ぎたあと、一度広島空港を出国して待合室で約3時間待っても出発できず、説明もないまま足止めをくらい、挙句一旦出国取り消し、その場で帰国(入国)手続きという自分の中では前代未聞の珍事が起きました。後で聞いた話では朝、機体の整備中、足りない部品があることが判り、それを成田から取り寄せていたのだそうです。その飛行機は朝一の便で、多分前日からここに到着していたと思うのですが。向こうは春節まっただ中。そのせいかどうかはわかりませんが、その際のパスポートには「出国中止」の印が押してあります(笑)。
このパスポートは私の宝もののひとつになるかもです・・・。
結局当初予定の6時間後に台湾への旅路となりました。朝5時起きだったので、さすがに疲れましたが出発迄にこれだけのストレスにも耐えられたので、体力的にも大丈夫で楽しい旅になるよと励まされもしました。
台湾旅行ではやはり温泉に入っている時間が至福のひとときで、最高の思い出となりました。台北の温泉地・北投温泉は体の心から温まり色々なお風呂がありリラックス出来ました。また、温泉地から発掘された北投石で作られたブレスレットやネックレスなどが販売されていて、何でも微量の放射線とマイナスイオンが放出していることから癌にもいいと言われていました。
石ですから当然重たく、普段時計はおろかブレスレットなどしたことのない私には物凄く邪魔なものですが、いわゆるプラシーボ効果も期待して、腕輪と首飾りを買ってみました。
購入後は毎日肌身離さず付けています。
寒くて温泉通いだった冬が終わると、いよいよ私の大好きな春が訪れ、ガーデニング作業も始まります。
ショップに行ってプランターや重たい培養土等を買って帰って、庭に沢山の花を植え付けるなどの作業も、ある程度はこなせる状況まで回復していました。
体を動かしながら勉強部屋から庭の花が見渡せるようになり、本当に癒されました。
気持ちの良い時期になっての定期検診は新しい先生です。
先生は女医さんでもちろん初めてお会いしましたが、先生から「今度私が担当します。」と挨拶されたので、私も挨拶し頭を下げました。この時私は直感で、“この先生とは気が合いそうだな”と思いました。聞けば、最初に担当医でいらっしゃった片桐先生と、何と同期で顔馴染みとのこと。ここにもご縁のようなものを感じてほっとしました。その日の経過観察の結果もよかったこともあって、とても爽やかな気分で帰宅したのでした。
とても過ごしやすい時期でしたので行動範囲も少しずつ広くなり、田舎に帰って田植えの手伝いなどもできるようにまでなりました。また自宅にいろいろなお客さんをお迎えしてパーティーをしても、疲れをあまり感じないほどに回復していました。
しかし、この時期になっても、相変わらず副作用での口が渇くことと、首筋のハリが戻らないことが悩みのタネでした。特に唾液が出にくいことで食事するのも一苦労です。何も入っていない口の中もくっついてしまい、そうなると、しゃべることも出来なくなるのです。このため、常に外出時には温かいお茶かぬるま湯を入れた水筒を持ち歩く事が必須で、一時足りとも水分を欠かすことはありませんでした。 もちろん通院時にも水筒は持ち歩き、大声で笑うという目標を掲げて始まった新年も折り返しを迎える頃となり、また定期検診の時期となりました。
最終回へ続く