サンパウロの庶民的生活

わたしの半径1メートル以内で考えたことや感じたことをつづってみようと思います。

確かに理解している

2012-01-30 07:02:57 | Weblog

 二週間ぶりに日本で小学2年生まで勉強していた、今は小学校4年生だったであろうブラジルに一年以上前に帰国したブラジル人の少年に、二年生の教科書が読めるか確認した。

 読むのは難しかった。ひらがなや漢字は、一文字や単語や文節では考えれば出てくることもあるけれど、すらすらと通して読むのは難しかった。(存在するならば)外国人の子供に教える日本語のテクニックが必要なのではないかというのが所感である。

 ところが!!25年ほど前に習った記憶のある、そして今も子供の教科書に掲載されている「スーホの白い馬」に関して、完璧に内容を理解できており、ポルトガル語で見事に説明してくれた。まさか、スーホの白い馬の解説をポルトガル語で聞くことになるとは・・・すごい!!でも、どうしたらこのブラジルの文化が色濃い少年に日本語をマスターさせられるか、ただただ分からず悩むことに。

 よく言われることだけれど、両親の言語と違う社会に子供の時に放り出されても、小学校低学年ぐらいまでなら、両親の国に帰国すれば、すぐに適応可能だと。ほんとうにその通りで、少年も日本の美しい部分の思い出を心に留めながら、ブラジルの毎日を家族の愛に包まれながら送っている。お母さんが日系4世という事もあり、顔立ちはブラジル人といわれても違和感はないけれど、日本で幼少期にいたせいもあるだろう、物腰が柔らかな、将来もてそうな、ユニークな表現力と個性の持ち主の少年である。ブラジルと日本のよい部分がほどよくマッチしている感じの。

 ふりかえって、同じ年頃のわが子を思う。おそらく、日本に帰れば日本の勉強に今なら適応可能のレベルにあるであろう。外地で外地の現地語をマスターさせながら、両親の国の言語を小学校以上の年齢になって日本並みに維持しようとすると、一重に、保護者の忍耐、子供の忍耐、忍耐忍耐忍耐。そして努力と熱意につきると思う。バイリンガルの基礎は、子供の時は、子供の努力が第一ではなく、周囲の努力、熱意、忍耐につきる。ほんとうにたっぷりと時間と余裕があって、教えるのが好きな人がいて・・・と世の中、好条件ばかりとは限らない。

 誰かの献身的努力によって生まれるのがバイリンガルといわれる人だと思う。特に日本語とヨーロッパ言語のバイリンガルの場合。

 アンパンマンやウルトラマンくらいのテレビは喜んで見るけれど、テレビだけでは、多少の言葉は覚えるけれど、アンパンマンやバイキンマンの話し方が身についてしまうのだ~(笑)それもそれで一つの勉強にはなるけれど、日本の学校に準じたような勉強、考える力も養うまでに果ては算数まで教えようとすると、アンパンマンだけというわけにもいかない。せめてアンパンマンが先生になって教えてくれないかな。

 仮にもし、小学校3年生の両親が日本人でブラジルで育っている我が家の子が日本に帰国した場合、日本の学校の勉強にはついていける状態にあったとしても、日本特有の学校環境や人間関係、そちらへの適応はどのようなものかは謎である。とりあえず、日本の習慣よりはブラジル的アバウトな感じの、それでも確かに日本文化が何となく身についているような人間に見える。ブラジル製日本人は、色んな特色を備える人が多種多様に存在する。時に外地であるだけに、頑ななまでに日本的なものを意識する人間となる人もある。

 と、我が家で生まれてからほぼ長い期間をブラジルで育ちつつある日系2世の少年は、ブラジルで仕事をしたいという。まあ、9歳でその決意はすごいなあと親ばかながら感心。自分が9歳だった時、ドラえもんを見て笑っているくらいだった。というよりも、国を選ぶような権利も環境もなかった。日本が唯一だった。でも、今はブラジルにいることを思うと、将来生きる場所は神のみぞ知るのだろう・・・