キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

世界史上における内村鑑三の功績

2010-03-10 20:33:34 | 無宗教主義
パウロが宣べ伝えた福音は、パウロ在世当時から誤解された。

パウロの福音の真髄である「死人の復活(αναστασισ νεκρων)」は、

西洋人の祖先であるギリシャ人(アテネ人・コリント人)に誤解された。

それは、使徒行伝に記載されているアレオパゴス説教にあるように、

霊魂不滅を信じるギリシャ人にとって、

「死人の復活」という霊魂さえも罪ありとする思想(現実?)は、

何とも我慢ならないものだった。

パウロの言う「死人の復活」が如何に誤解されたかは、

パウロ書簡の言葉使いをみてみればわかる。

キリストの復活を言い表すのに、

前期の書簡では「起き上がる(ανιστημι)」の能動態を用いるが、

後期の書簡では「復活する(εγειρω)」の受動態に変化させ、

今ある肉体そのものが再生するのではないことを意識している。

さらには「死人の復活」という言葉さえも年代を経るごとに少なくなり、

「体の贖い」などという言葉使いに変えている。

これ、「死人の復活」が如何にギリシャ人に誤解されたかの証左である。


西洋人は「死人の復活」なき福音の空虚を埋めるために、

ギリシャ思想の応用によって三位一体や神人論などの教義を形作り、

十字架の贖罪を絶対化して強迫神経症的傾向を表し、

ギリシャの密議宗教の儀式をキリスト教に採用して、

二千年間やり過ごしてきた。

神を対象論理的に見んとする信仰の誤り、

教会を救われた者の閉鎖的な集団と見る誤り、

すなわち存在論と教会論において、西洋世界は福音を曲げてきた。

これらの誤りを打ち破ろうとしたことの中に、内村鑑三の偉大さがある。


内村鑑三といういえば、その「無教会主義」という思想ばかりが注目されるが、

彼の功績の最大なるものは、キリスト再臨、すなわち「死人の復活」を、

他のどの西洋神学者よりも強調したことにある。

ローマ書7章にある罪の深刻さ、ローマ書8章にあるキリスト再臨の希望を、

彼ほど、理解し得た者はない。

西洋文明二千年間の矛盾を、皮肉なことに、非西洋世界の一島国の人間が、

指摘し得たというところに、内村鑑三の偉大さがある。

彼はその再臨思想によって、西洋世界の存在論の矛盾を解決したといえる。


だが内村鑑三といえども、一人の人間である。

西洋世界の教会論の矛盾に、(理論的に)切り込むことはできなかった。

しかし意識的な形で切り込むことはできなかったが、

晩年の日記においては、教会論克服の示唆を吐露している。


全人類を教会と見るのが本当の見方ではあるまいか。
選民と非選民、信者と不信者と区別するのが間違いではないか。
全人類を教会と見てキリストをその首長として仰ぐならば、
自分もその会員たることを辞さない。
無教会主義の積極的半面は、全人類教会主義であらねばならぬ。(1929.10.2)


「哲学の話」にプラトンの伝記を読んで今さらながらに彼の偉さを感じた。
この人を知らずして人生の深い一面を知らずして終わるのである。
イエスの精神をもってプラトンの理想が世に行われる時に黄金時代が臨むのである。
(1927.6.14)


西洋の教会論の誤りを、理論的に、現実的に正すのは、後世の我々の任務である。

しかし、神の摂理は不思議なものである。

アジアの西端で発した福音は、アジアの東端で真に発見されるのだから。


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