原典聖書(ネストレ・アーラント27版)にて、ヨハネ文書を読了する。
原語聖書を読み始める前から、ある程度は誤訳が多いことは知っていたが、
驚くべき誤訳の多さである。
毎日1時間~1時間半かけて、10節程度を読むことを日課にしてきて、
明確な誤訳は赤ペンで記してきたが、ノートが赤字で埋め尽くされる程である。
もちろん、誤訳が生じるのは、他民族の書を読むときの性(さが)ではある。
イタリア . . . 本文を読む
イスカリオテのユダ。
イエスに選ばれた十二使徒の一人でありながらイエスを裏切り、
ヨハネ福音書において悪魔の代名詞にように名指しされ、
ダンテの「神曲」において地獄の最深部に落とされ、
2000年間西洋世界で最も忌み嫌われた名。
このイスカリオテのユダの罪とは何だったのだろうか?
ユダがイエスを裏切る際に使われた単語「裏切る」の原語は、
παραδiδωμi(パラディドーミ)という . . . 本文を読む
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。
(ヨハネ福音書1-5/新共同訳)
ヨハネ福音書によれば、光とは神であり、創造のキーであり、
命そのものであり、さらには人間の光である。
すなわち、イエス・キリストである。
ヨハネの論述は、まず結論を示して、
しかしてその後に、事実をもって証明する。
「光は暗闇の中で輝いている」
それはマニ教の教義の如く、善悪二元が闘争しあう . . . 本文を読む
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
(ヨハネ福音書3-16/新共同訳)
「神は愛である」という。
しかし、如何なる愛であるかが問題だ。
上記の聖句は、原語ではωστε(甚だしく)という単語が記載されていることから、
「神は甚だしく世を愛された」という意味になる。
甚だしく、すなわち、異常に世を愛したという意味である。
福音書記者であるヨハネは、明らかに、神の尋常 . . . 本文を読む
聖書を原語で読み始めてから、やっと「最後の晩餐」までを読了する。
原典聖書を研究することの意義は、日本語・英語によっては知りえない原語の意味を、
より正確に知りえることである。
ましてや、コイネーギリシャ語は宗教・思想的表現に豊富であり、
それに比べて日本語は哲学的語句に貧困であるから、なおさらである。
しかし、原語で聖書を研究することの大なる利益は、
より深く精読できるということであ . . . 本文を読む
私が初めて読んだ聖書は新改訳だったが、
どうやら誤訳が多いということで、ある時新共同訳に変えた。
しかし新共同訳にも誤訳があるということで、
昨年より英訳に変えた。
しかし英訳にも誤訳があるということで、
それならばいっそのこと原語で読もうと思い、
辞書があれば何とか読めるようになった。
今年に入ってヨハネ伝を読み始め、やっと5章までを読み終えたところだが、
なるほど誤訳が多い。
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