しばらく愛する息子が入院していまして、やっと退院できたのですが、したらしたで家中歩き回って大変です~
先ほども子供が使用中のPCの電源を切り、ヤキ入れたところです
ところで前回某市の連続女子高生中出し妊娠事件について書いたのですが、その女子高生を妊娠させた「たいしたことのない男」たちが宗教裁判においてに執行猶予がついたのはどうも腑に落ちないということを今回は説明したいと思います
簡単にエホ証の宗教裁判について説明しますとね、内部では「審理委員会」と言う呼び方をされています。3人以上の経験豊かな長老と呼ばれる幹部がメンバーとなります。
最初に告白、密告、証拠などにより容疑が固まった時点で、「聴聞会」が開かれます。これは2人の長老が当人と直接連絡をとり、容疑の罪状認否を行なう機会です。
これが最初の鬼門なんですが、不思議なことにこの「聴聞会」の存在は曖昧で、うっかりしていると見逃してしまうくらいあっけなく終わります。
どのくらいあっけないかというとまず電話で「これこれの時間に行ってもいいですか?」と聞かれて、「ああいいですよ~」と答えて、その時間に2人の長老が家に来て、「これこれのことって本当ですか?」なんていうとうっかり「ああ・・・~」なんて生返事をしてしまいます。そうすると「わかりました、また後で連絡します」といって彼らは帰っていきます。時間にして1分以内ですね。
中には集会後に急に「第二会場に来てください」なんて言われてのこのこ行って、いきなり「これこれって本当ですか?」なんて聞かれる場合もあります。
つまり自分で告白したのでない限り寝耳に水状態でこの「聴聞会」は行なわれます。またこの集まりはすべて非公開で、自分に有利な証拠、証人を集める時間はほとんどありませんし、自分の正確な容疑すら曖昧なまま始められるコトが多いです。
この「聴聞会」で罪状を認めてしまった場合、「有罪」が確定します。たった1分で有罪が確定します。もしここで否認した場合ほぼ「無罪」です。
エホの裁判制度では自白主義を取っていますので、自白がすべてです。証拠と自白が相対する場合でも自白を優先します。そもそも自白を覆すほどの証拠を集める能力や意思はエホの長老にはありません。
次が「審理委員会」です。これは先の「聴聞会」で罪状を認めた人に対して行なわれるものですから、いまさら罪を否定しても無意味です。これは量刑を決めるところです。刑は2種類あり、「戒め」と「排斥」です。戒めとは数々の宗教活動の制限のことで、ポジションの高い人であればそれなりに懲戒の役目を果たすものとなります。一方ポジションの低い人であれば、もともと宗教活動なんぞしていなかったのですから活動を制限されても痛くも痒くも無いと思います。
「排斥」とはエホの中の最高刑で、無期市中引き回しとでもいいましょうか、エホは排斥者とは一切会話挨拶をしてはならず、家族であっても例外ではありません。冠婚葬祭火事などの災害のときも一切の手助けは禁止です。懲戒期間は当人が再入信するまでです。ほとんどの人にとって「死ぬまで」排斥者でしょう。
「戒め」と「排斥」の分かれ目はといいますと「悔い改め」です。
「悔い改め」とは6つの要素で構成されています
1.罪を悔い許しを請う祈りを神に捧げたか
2.聴聞会の前に長老に自ら近づいて告白したか
3.償いをしたか、被害者に謝罪をしたか
4.神のみ名と会衆にそしりをもたらしたことに悔恨の情を持っているか、また再び神の好意を得たいと誠実に願っているか
5.犯した罪に対して敬虔な悲しみや後悔の念を抱いているか
6.当人の態度には悪の道を心から拒否する態度があらわれているか
以上の6つの要素を考慮して判決を下すわけです。
おつむの弱い長老たちにそんなことできるのか???という至極まっとうな疑問は置いときまして、こんな決まりになっているんです
このような前知識をもってして例の女子高生妊娠事件を見るとハテナ???なことだらけでして、眠いので続きはまた書きます。
先ほども子供が使用中のPCの電源を切り、ヤキ入れたところです
ところで前回某市の連続女子高生中出し妊娠事件について書いたのですが、その女子高生を妊娠させた「たいしたことのない男」たちが宗教裁判においてに執行猶予がついたのはどうも腑に落ちないということを今回は説明したいと思います
簡単にエホ証の宗教裁判について説明しますとね、内部では「審理委員会」と言う呼び方をされています。3人以上の経験豊かな長老と呼ばれる幹部がメンバーとなります。
最初に告白、密告、証拠などにより容疑が固まった時点で、「聴聞会」が開かれます。これは2人の長老が当人と直接連絡をとり、容疑の罪状認否を行なう機会です。
これが最初の鬼門なんですが、不思議なことにこの「聴聞会」の存在は曖昧で、うっかりしていると見逃してしまうくらいあっけなく終わります。
どのくらいあっけないかというとまず電話で「これこれの時間に行ってもいいですか?」と聞かれて、「ああいいですよ~」と答えて、その時間に2人の長老が家に来て、「これこれのことって本当ですか?」なんていうとうっかり「ああ・・・~」なんて生返事をしてしまいます。そうすると「わかりました、また後で連絡します」といって彼らは帰っていきます。時間にして1分以内ですね。
中には集会後に急に「第二会場に来てください」なんて言われてのこのこ行って、いきなり「これこれって本当ですか?」なんて聞かれる場合もあります。
つまり自分で告白したのでない限り寝耳に水状態でこの「聴聞会」は行なわれます。またこの集まりはすべて非公開で、自分に有利な証拠、証人を集める時間はほとんどありませんし、自分の正確な容疑すら曖昧なまま始められるコトが多いです。
この「聴聞会」で罪状を認めてしまった場合、「有罪」が確定します。たった1分で有罪が確定します。もしここで否認した場合ほぼ「無罪」です。
エホの裁判制度では自白主義を取っていますので、自白がすべてです。証拠と自白が相対する場合でも自白を優先します。そもそも自白を覆すほどの証拠を集める能力や意思はエホの長老にはありません。
次が「審理委員会」です。これは先の「聴聞会」で罪状を認めた人に対して行なわれるものですから、いまさら罪を否定しても無意味です。これは量刑を決めるところです。刑は2種類あり、「戒め」と「排斥」です。戒めとは数々の宗教活動の制限のことで、ポジションの高い人であればそれなりに懲戒の役目を果たすものとなります。一方ポジションの低い人であれば、もともと宗教活動なんぞしていなかったのですから活動を制限されても痛くも痒くも無いと思います。
「排斥」とはエホの中の最高刑で、無期市中引き回しとでもいいましょうか、エホは排斥者とは一切会話挨拶をしてはならず、家族であっても例外ではありません。冠婚葬祭火事などの災害のときも一切の手助けは禁止です。懲戒期間は当人が再入信するまでです。ほとんどの人にとって「死ぬまで」排斥者でしょう。
「戒め」と「排斥」の分かれ目はといいますと「悔い改め」です。
「悔い改め」とは6つの要素で構成されています
1.罪を悔い許しを請う祈りを神に捧げたか
2.聴聞会の前に長老に自ら近づいて告白したか
3.償いをしたか、被害者に謝罪をしたか
4.神のみ名と会衆にそしりをもたらしたことに悔恨の情を持っているか、また再び神の好意を得たいと誠実に願っているか
5.犯した罪に対して敬虔な悲しみや後悔の念を抱いているか
6.当人の態度には悪の道を心から拒否する態度があらわれているか
以上の6つの要素を考慮して判決を下すわけです。
おつむの弱い長老たちにそんなことできるのか???という至極まっとうな疑問は置いときまして、こんな決まりになっているんです
このような前知識をもってして例の女子高生妊娠事件を見るとハテナ???なことだらけでして、眠いので続きはまた書きます。