ボクはお仕事の日の朝は高確率で近くのコンビニに寄るんですね。
おにぎりを買ったり、お茶を買ったり、ヤングマガジンを立ち読みしたり(読むのは頭文字Dと湾岸ミッドナイト)とかいろいろ。
その店に半年前から若いオトコ(20代中盤から後半)がいるようになったんですが(仮名K君)、
そのオトコが醸し出す雰囲気がどうも「エホバの証人」クサイんですよね。
エホバの証人クサイってどんな感じ???
日傘に手袋
街角に群れる集団
亀のような速度の歩き方
無駄な微笑み
寸分たがわぬ7:3分けの髪型
とまあいろいろあるかとオモイマス。
その中で、ボクが気になるのが、「無駄な微笑み」です。
ヒトが微笑む時ってどんなときでしょうか???
誰かと親しくなりたいとき、幸せなコトがあったとき、営業成績を上げたいとき、などなど・・・。
自然とこぼれるときもあれば、手段として必要になるときもあるのでしょうか。
で、
先のエホっぽいコンビニ店員Kくんは、いつも微笑みをたたえているんですね~~~。その微笑と、実際のコンビニ店員としての仕事っぷりに大きなズレがあるために、どうも奇妙な人のような気がしてしまうんですね。
コンビニ店員が微笑みをたたえているのは自然なこととオモイマス。お客様に気持ちよく買い物していただくのは大切なことですからね。
例え、朝の忙しい時間帯にも、笑顔を絶やさずにてきぱきと仕事をこなす店員は、見ていて気持ちの良いものです。それが美人のお姉さんであればなおさらです。
しかし、もし笑顔と仕事の効率どっちかをとらなければならないとしたら、どっちをとるのが店員として正しいのでしょうかね?
朝の忙しいときに、微笑みながらちんたらレジ打ちして、しかもお釣りを間違えるのと、仏調面でテキパキと正確にレジ打ちするのとでは・・・。
ボクが望むのは後者ですね。
そう、Kくんは前者なんですね。しかも、悪質な前者です。
同じ商品を3回くらいレジに通していた事もあります。どんなに行列が出来ていようと、手の動きは変わりません。なぜか高頻度でレジの打ちなおしをしています。
そして、どんな状況でも微笑を絶やしません。
「笑ってるヒマあったら早く仕事しろや!!!」
と、ボクも含めた並んでいる人たちは思ったことでしょう。
まあ、Kくんがエホバの証人かどうかは定かではありませんが、彼のその場違いな表情と、空気を読めない無神経さを見て、エホバの証人の特徴的行動を思い出すに至ったわけです。
エホバの証人信者は、いつなんどきでも笑顔を要求されています。「霊の実」の一つに「喜び」があるからだそうです。
どんなにつらくてもエホである以上「喜ぶ」理由があるのだそうです。
極めつけは「迫害されても喜ぶ」のだそうです。
痛めつけられても快感に身を捩じらせて喜ぶ人たちは、SMクラブと王国会館にいるということですね。
そのようなマゾヒスティックな感覚を身につけているが故に、怒られてもエヘラエヘラしていますし、怒られているという屈辱を理解できないのでしょう。他者からの冷たい視線も快感に感じるのかもしれません。
まあ、そうでなければ全くもってみすぼらしく、くだらないエホバの証人の教義を自分で信じるだけならまだしも、人様に宣伝したりは出来ないですからね。
「人の家庭に口出す暇あったら自分の家庭をなんとかしろや!」
という一般人の自然な声も、エホバの証人信者にとっては褒め言葉に聞こえ、快感なのかもしれませんね。普通の人なら、恥ずかしくてタマラナイはずですが・・・
彼らにとっては、「微笑み」は、決して溢れ出るものではなく、義務に過ぎないのでしょう。「いいから笑え!」といわれているようなもんでしょうか。
一流といわれている営業職のひとは、確かにどんな状況でも「微笑み」をたたえています。表情も含めた人間性すべてを道具として何億もの仕事をもらうのですからね。営業ツールとしての「微笑み」の価値を適切に理解していますから、目的意識がしっかりしていますね。
一方、エホバの証人信者は、ムダに微笑んでるにすぎないので、自然でもなければ、その「微笑み」を道具として何かを成し遂げようという目的意識も無いでしょう。その故、場違いな「微笑み」と受け取られることになり、キモイと思われるのが関の山でしょう。
実は信者側にしてみれば、霊の実の一つの「喜び」を示せば、心の正しい人はエホバの証人に引き寄せられる。と考えるのかもしれません。でも、仕事しないで笑ってばかりいる人をマトモな人と見る常識は、今の日本にはアリマセンヨ!
と、
コンビニ店員Kくんから話は広がっていきましたがね、まあ、Kくんがエホであるという証拠は無いのですが・・・
地域大会の3日間はコンビニに出勤していなかったよな~~~。
おにぎりを買ったり、お茶を買ったり、ヤングマガジンを立ち読みしたり(読むのは頭文字Dと湾岸ミッドナイト)とかいろいろ。
その店に半年前から若いオトコ(20代中盤から後半)がいるようになったんですが(仮名K君)、
そのオトコが醸し出す雰囲気がどうも「エホバの証人」クサイんですよね。
エホバの証人クサイってどんな感じ???
日傘に手袋
街角に群れる集団
亀のような速度の歩き方
無駄な微笑み
寸分たがわぬ7:3分けの髪型
とまあいろいろあるかとオモイマス。
その中で、ボクが気になるのが、「無駄な微笑み」です。
ヒトが微笑む時ってどんなときでしょうか???
誰かと親しくなりたいとき、幸せなコトがあったとき、営業成績を上げたいとき、などなど・・・。
自然とこぼれるときもあれば、手段として必要になるときもあるのでしょうか。
で、
先のエホっぽいコンビニ店員Kくんは、いつも微笑みをたたえているんですね~~~。その微笑と、実際のコンビニ店員としての仕事っぷりに大きなズレがあるために、どうも奇妙な人のような気がしてしまうんですね。
コンビニ店員が微笑みをたたえているのは自然なこととオモイマス。お客様に気持ちよく買い物していただくのは大切なことですからね。
例え、朝の忙しい時間帯にも、笑顔を絶やさずにてきぱきと仕事をこなす店員は、見ていて気持ちの良いものです。それが美人のお姉さんであればなおさらです。
しかし、もし笑顔と仕事の効率どっちかをとらなければならないとしたら、どっちをとるのが店員として正しいのでしょうかね?
朝の忙しいときに、微笑みながらちんたらレジ打ちして、しかもお釣りを間違えるのと、仏調面でテキパキと正確にレジ打ちするのとでは・・・。
ボクが望むのは後者ですね。
そう、Kくんは前者なんですね。しかも、悪質な前者です。
同じ商品を3回くらいレジに通していた事もあります。どんなに行列が出来ていようと、手の動きは変わりません。なぜか高頻度でレジの打ちなおしをしています。
そして、どんな状況でも微笑を絶やしません。
「笑ってるヒマあったら早く仕事しろや!!!」
と、ボクも含めた並んでいる人たちは思ったことでしょう。
まあ、Kくんがエホバの証人かどうかは定かではありませんが、彼のその場違いな表情と、空気を読めない無神経さを見て、エホバの証人の特徴的行動を思い出すに至ったわけです。
エホバの証人信者は、いつなんどきでも笑顔を要求されています。「霊の実」の一つに「喜び」があるからだそうです。
どんなにつらくてもエホである以上「喜ぶ」理由があるのだそうです。
極めつけは「迫害されても喜ぶ」のだそうです。
痛めつけられても快感に身を捩じらせて喜ぶ人たちは、SMクラブと王国会館にいるということですね。
そのようなマゾヒスティックな感覚を身につけているが故に、怒られてもエヘラエヘラしていますし、怒られているという屈辱を理解できないのでしょう。他者からの冷たい視線も快感に感じるのかもしれません。
まあ、そうでなければ全くもってみすぼらしく、くだらないエホバの証人の教義を自分で信じるだけならまだしも、人様に宣伝したりは出来ないですからね。
「人の家庭に口出す暇あったら自分の家庭をなんとかしろや!」
という一般人の自然な声も、エホバの証人信者にとっては褒め言葉に聞こえ、快感なのかもしれませんね。普通の人なら、恥ずかしくてタマラナイはずですが・・・
彼らにとっては、「微笑み」は、決して溢れ出るものではなく、義務に過ぎないのでしょう。「いいから笑え!」といわれているようなもんでしょうか。
一流といわれている営業職のひとは、確かにどんな状況でも「微笑み」をたたえています。表情も含めた人間性すべてを道具として何億もの仕事をもらうのですからね。営業ツールとしての「微笑み」の価値を適切に理解していますから、目的意識がしっかりしていますね。
一方、エホバの証人信者は、ムダに微笑んでるにすぎないので、自然でもなければ、その「微笑み」を道具として何かを成し遂げようという目的意識も無いでしょう。その故、場違いな「微笑み」と受け取られることになり、キモイと思われるのが関の山でしょう。
実は信者側にしてみれば、霊の実の一つの「喜び」を示せば、心の正しい人はエホバの証人に引き寄せられる。と考えるのかもしれません。でも、仕事しないで笑ってばかりいる人をマトモな人と見る常識は、今の日本にはアリマセンヨ!
と、
コンビニ店員Kくんから話は広がっていきましたがね、まあ、Kくんがエホであるという証拠は無いのですが・・・
地域大会の3日間はコンビニに出勤していなかったよな~~~。