エホバの証人の教義の中で、「地上の楽園で永遠に生きる」というものはかなり大きな位置を占めていると思います。
まあ、建前上は、宇宙主権の論争に関して、神に有利な答えを出す為に信仰の生活をしているわけで、「永遠の命」はあくまでも贈り物に過ぎない。ということになるんでしょうが、エホバの証人信者の個々の生活とか言動を見る限りでは、「宇宙主権」云々は全く感じられないんですね。
エホバの証人信者を見て強く感じるのは「自分」が永遠に生きる。という極めて自己中心的な考えが支配的であると言うことです。
「えっ!!!おまえが???」と言うような人が平気な顔して「私楽園に行ったら~~~○○するの~~~」とか、「結婚は楽園に行ってからですね」とか、「子供は楽園に行ってから作ります」とか言うのを聞くと、仮に楽園があったとしても、「お前が楽園行くのは別問題じゃないか?」と思ってしまうわけです。
でもって、不思議なことに、自分がナニ者かを忘れて「楽園」を語る人に限って、「煮ても焼いても喰えない」人が多いんですね。
自分の例ですが、ある長老夫人とトラブルになったコトがあるんですが、その口げんかの最中にその婦人は「ハルマゲドンのときお前の顔を踏みつけてやる!」とボクに向かって言い放っていました・・・。
またあるうだつの上がらない長老様はお茶会の席で、「ハルマゲドンは来年の春に来る!」と予言しちまったんですね。「えっなんで???」と尋ねると「仕事もないし、お金も無いし、身体も最近疲れやすいし、ナニやってもうまくいかないので今年イッパイで限界だから・・・」とおっしゃったわけです。お前の都合で60億人が死んでもいいのか???というツッコミをするのもバカらしいくらい、自己中心的ですよね。
とまあ安易に「楽園」を語る人に限って人としておかしい場合が多いと言うコトがなんとなくいえるような感じがしています。
実際に現実の世界で、エホであろうともそれなりにやっている人はぶっちゃけ「今ハルマゲドンが来たら困る」と思っているんではないですかね???
ボクは自称「旅人」なんですが、旅先では町を見渡せる展望台とか、展望露天風呂とか、日本三大夜景とか、まあ高いところに上って景色を楽しむのを常としているんですね。そういう景色のきれいなところって大抵広い駐車場があって、若者がたむろしていて、フルスモークの車が小刻みに揺れていたりするんですが、現役のころは高台から景色を見るたびに「この町が滅びるのか~~~」と悲しくなっていました。
エロビデオ見てオナニー三昧の日々を送っていたものとしては、いま審判が下されては非常にまずいわけです。結婚して、下半身の方が落ち着いてから「はるまげ丼」が来てくれたらいいのに、と常々思っていました。
確かに、前述の「長老様」のように、「楽園」でも来てくれない事には非常に困ったことになると考える人は少なくないでしょう。就労経験が極端に少なく、しかも単純作業しかしたコトが無く、体力も無く、気力も無く、厳格に定時を主張し、年休以上の休みを要求し、容貌も貧乏くさい40代後半ともなれば、働き口が無いのも納得です。そういう人にとっての最後の望みとして「地上の楽園」は必要でしょう。
しかし、健康な若者が若いうちにしか出来ないことをしようともせずに、そのしない言い訳として「楽園」を口にするとしたら、その宗教上の教えは非常に不健全と言わざるを得ないと思います。
勉強しない理由=「楽園」 進学しない理由=「楽園」 就職しない理由=「楽園」 恋愛しない理由=「楽園」 結婚しない理由=「楽園」 子作りしない理由=「楽園」・・・。今しか出来ないことをしない理由=「楽園」
人生とは残酷なもので、二度と後戻りは出来無いんですね。「あ~あの頃に戻りたい」と思っても、それは絶対に無理なんですね。ですから、「今」を大切に生きるコトが大切だと思います。エホバの証人の「地上の楽園で永遠に生きる」という教義をくだらないものとして捨てた今となっては、より一層健康に長生きすると言うことが現実味を帯びたような気がします。かつては「楽園に行けば解決されるからいいや」と先送りしていたことでも、今はすぐに解決に乗り出そうとしています。
「寿命」と言う言葉にも敏感になりました。今ボクが死んだら何人葬式に来てくれるのかな~と無駄に考えることもあります。
こうして、日本の標準的な時間の感覚の中で生きて行く事に慣れると、より一層エホバの証人がオカシク見えてしまいますね。まあ、そういうオカシイ人たちだと思って割り切って接するしかないんですね。アハハ
ボクは今を大事にこれからも生きたいと思っています。
ところで、5月19日土曜日に札幌にイクんですが、18時以降に札幌駅近辺で、飲みに付き合ってくれる人なんかいないですかね~~~。興味のある方はeleven49@mail.goo.ne.jpまで。
まあ、建前上は、宇宙主権の論争に関して、神に有利な答えを出す為に信仰の生活をしているわけで、「永遠の命」はあくまでも贈り物に過ぎない。ということになるんでしょうが、エホバの証人信者の個々の生活とか言動を見る限りでは、「宇宙主権」云々は全く感じられないんですね。
エホバの証人信者を見て強く感じるのは「自分」が永遠に生きる。という極めて自己中心的な考えが支配的であると言うことです。
「えっ!!!おまえが???」と言うような人が平気な顔して「私楽園に行ったら~~~○○するの~~~」とか、「結婚は楽園に行ってからですね」とか、「子供は楽園に行ってから作ります」とか言うのを聞くと、仮に楽園があったとしても、「お前が楽園行くのは別問題じゃないか?」と思ってしまうわけです。
でもって、不思議なことに、自分がナニ者かを忘れて「楽園」を語る人に限って、「煮ても焼いても喰えない」人が多いんですね。
自分の例ですが、ある長老夫人とトラブルになったコトがあるんですが、その口げんかの最中にその婦人は「ハルマゲドンのときお前の顔を踏みつけてやる!」とボクに向かって言い放っていました・・・。
またあるうだつの上がらない長老様はお茶会の席で、「ハルマゲドンは来年の春に来る!」と予言しちまったんですね。「えっなんで???」と尋ねると「仕事もないし、お金も無いし、身体も最近疲れやすいし、ナニやってもうまくいかないので今年イッパイで限界だから・・・」とおっしゃったわけです。お前の都合で60億人が死んでもいいのか???というツッコミをするのもバカらしいくらい、自己中心的ですよね。
とまあ安易に「楽園」を語る人に限って人としておかしい場合が多いと言うコトがなんとなくいえるような感じがしています。
実際に現実の世界で、エホであろうともそれなりにやっている人はぶっちゃけ「今ハルマゲドンが来たら困る」と思っているんではないですかね???
ボクは自称「旅人」なんですが、旅先では町を見渡せる展望台とか、展望露天風呂とか、日本三大夜景とか、まあ高いところに上って景色を楽しむのを常としているんですね。そういう景色のきれいなところって大抵広い駐車場があって、若者がたむろしていて、フルスモークの車が小刻みに揺れていたりするんですが、現役のころは高台から景色を見るたびに「この町が滅びるのか~~~」と悲しくなっていました。
エロビデオ見てオナニー三昧の日々を送っていたものとしては、いま審判が下されては非常にまずいわけです。結婚して、下半身の方が落ち着いてから「はるまげ丼」が来てくれたらいいのに、と常々思っていました。
確かに、前述の「長老様」のように、「楽園」でも来てくれない事には非常に困ったことになると考える人は少なくないでしょう。就労経験が極端に少なく、しかも単純作業しかしたコトが無く、体力も無く、気力も無く、厳格に定時を主張し、年休以上の休みを要求し、容貌も貧乏くさい40代後半ともなれば、働き口が無いのも納得です。そういう人にとっての最後の望みとして「地上の楽園」は必要でしょう。
しかし、健康な若者が若いうちにしか出来ないことをしようともせずに、そのしない言い訳として「楽園」を口にするとしたら、その宗教上の教えは非常に不健全と言わざるを得ないと思います。
勉強しない理由=「楽園」 進学しない理由=「楽園」 就職しない理由=「楽園」 恋愛しない理由=「楽園」 結婚しない理由=「楽園」 子作りしない理由=「楽園」・・・。今しか出来ないことをしない理由=「楽園」
人生とは残酷なもので、二度と後戻りは出来無いんですね。「あ~あの頃に戻りたい」と思っても、それは絶対に無理なんですね。ですから、「今」を大切に生きるコトが大切だと思います。エホバの証人の「地上の楽園で永遠に生きる」という教義をくだらないものとして捨てた今となっては、より一層健康に長生きすると言うことが現実味を帯びたような気がします。かつては「楽園に行けば解決されるからいいや」と先送りしていたことでも、今はすぐに解決に乗り出そうとしています。
「寿命」と言う言葉にも敏感になりました。今ボクが死んだら何人葬式に来てくれるのかな~と無駄に考えることもあります。
こうして、日本の標準的な時間の感覚の中で生きて行く事に慣れると、より一層エホバの証人がオカシク見えてしまいますね。まあ、そういうオカシイ人たちだと思って割り切って接するしかないんですね。アハハ
ボクは今を大事にこれからも生きたいと思っています。
ところで、5月19日土曜日に札幌にイクんですが、18時以降に札幌駅近辺で、飲みに付き合ってくれる人なんかいないですかね~~~。興味のある方はeleven49@mail.goo.ne.jpまで。