読者の皆様、お久ぶりです。仕事等が忙しくて、ブログのことなんてすっかり忘れていました。
あ、でも親はいまだに狂信的なエホなんで日々苦々しく思っていますよ。歳を取ると頑固になる者がいると聞きますが、うちの親はまさにそのタイプで、狂信具合に磨きがかかってきましたね。
たとえばうちの子供は去年生まれたんですけど、誕生に際して、お祝いどころか会おうともしないですからね。まあ、この子はじいちゃんやばあちゃんを知らない子として育つのでしょうね。幼稚園で敬老の日イベントをどうしようか悩みますね~。
そういえば、たぶん今年はエホをやめてから10年のような気がします。ということは、家族と正常な交流を断ってから10年経つということなんですね。10年一昔と言うように、エホはもう昔のことなんですね。でも、家族関係に関してはやっぱり昔のこととしてはあきらめられないですね。エホのことは昔のこととして、もう忘れたけど、受けた傷は癒されるどころか、もっと深く、もっと膿んできたような気がします。なぜかというと、
コミュニケーションを断たれたからです。
人間関係はコミュニケーションに依存していますから、10年もほとんど会話が無ければ、そりゃうまくいくわけ無いですよね。消極的なイメージってのは解決しないでいるとどんどん煮詰まっていきますからね、
だから、ボクが親に対して持っているイメージと、親がボクに対して持っているイメージってのはお互いにもはや妄想の世界に類すると思いますよ・・・妄想を根拠としてあーだこーだ言っているかんじ・・・そりゃまとまる話もまとまらないわな。
今のところは、親を反面教師として、自分の子供には精いっぱい向き合っていこうかと思っています。
最近はエホネタなんかもう忘れたんで、これからはうだうだと自分のことを書いていこうかな
あ、でも親はいまだに狂信的なエホなんで日々苦々しく思っていますよ。歳を取ると頑固になる者がいると聞きますが、うちの親はまさにそのタイプで、狂信具合に磨きがかかってきましたね。
たとえばうちの子供は去年生まれたんですけど、誕生に際して、お祝いどころか会おうともしないですからね。まあ、この子はじいちゃんやばあちゃんを知らない子として育つのでしょうね。幼稚園で敬老の日イベントをどうしようか悩みますね~。
そういえば、たぶん今年はエホをやめてから10年のような気がします。ということは、家族と正常な交流を断ってから10年経つということなんですね。10年一昔と言うように、エホはもう昔のことなんですね。でも、家族関係に関してはやっぱり昔のこととしてはあきらめられないですね。エホのことは昔のこととして、もう忘れたけど、受けた傷は癒されるどころか、もっと深く、もっと膿んできたような気がします。なぜかというと、
コミュニケーションを断たれたからです。
人間関係はコミュニケーションに依存していますから、10年もほとんど会話が無ければ、そりゃうまくいくわけ無いですよね。消極的なイメージってのは解決しないでいるとどんどん煮詰まっていきますからね、
だから、ボクが親に対して持っているイメージと、親がボクに対して持っているイメージってのはお互いにもはや妄想の世界に類すると思いますよ・・・妄想を根拠としてあーだこーだ言っているかんじ・・・そりゃまとまる話もまとまらないわな。
今のところは、親を反面教師として、自分の子供には精いっぱい向き合っていこうかと思っています。
最近はエホネタなんかもう忘れたんで、これからはうだうだと自分のことを書いていこうかな
似たような環境になるんですね、やっぱり。
家族よりエホバとは強く感じますね。
うちは連絡先は辛うじて知っているというレベルで、連絡は取ってないですよ。
ぼちぼち前向きに生きましょう~。
嫁や子供を勧誘するからです。
私の子供が大きくなって、自分の学生時代と被りだした時、狂信者だった親に対して怒りを感じてしまう悲しさ。
次に会うのは葬式のときかな。
最近までひきずってました。こうやって他の人の意見を聞こうと思ったのは、ようやく過去になりつつあるのかなって感じです。
自分は、関わりたくないという気持ちと関わりたいという気持ちで揺れ動く感じですよ。
自分は今子育て中ですので、自分の小学生の時に無意味で有害な縛りをされていたことを思い出し、腹立たしさでいっぱいになります。
狂信者の親を反面教師にして頑張ります。
僕は、やりたいことがやれなかった10代、20代が悔しくてなりませんよ。
まあ何とか社会的にはそれなりの生活をしてますが、やっと這い上がったかんじです。エホを辞める時期をうっかり逃してたら、今頃は生活保護だったかもしれませんよ。
5分の話を作る技術は、悔しいけど役に立ってます。訓示、論文、起案等の文書作成の仕事なんで・・・。
自分はエホバの証人というわけではありません。家族も無信者です。ですが、よく訪問されるエホバの証人の方からお話しを聞いていて、エホバ神とはいったいなんなのだろうか?そういった好奇心から、かれこれ2年程家庭の聖書研究を続けています…。自分は何かの宗教に所属したいわけではないのです。しかし、いつの間にか研究は進んでしまい、集会に出席したら「熱心な研究生」と思われてしまい…やめたくてもやめられないような状態です。最近の研究では、「今、神の道を選ばなければ、ハルマゲドンを生き残る事はできません」とか、「定期的に集会に参加しないと…」みたいな…精神的ストレスをあおってくるものになってきています。この問題にどう対処したら良いのか…どうしたら、エホバの証人の方と接する事無くいられるか…すごく迷っている時に、いれぶんさんのBlogを再発見したところです。
過去のBlogコメント(若干、討論のようにもなっていますが)からも、なんだか励まされます。今回、こういったBlogやコメントを読んで自分は、エホバの証人さんに、これ以上関わらないでほしいとちゃんと言えるようになりたいと思いました。もし「悪魔サタンの世に生きるのか?」と聞かれても、「はい。そうなりますね。永遠の命なんて、そんな辛く重たいものは欲しくありません。でもそれは、命を粗末にするわけではありません。神の組織からは離れたいのです。」とはっきり答えたいです。そんな勇気を持ちたいです。
…お悩み相談でもないのに、長々とコメントしてしまい申し訳ないです(笑。周囲にこのような話をできる方がいなく、つい書きすぎてしまいました…(笑。また、気長にBlogの更新をお待ちしておりますヽ(´ー`)ノ
エホが家族を破壊するというのは真実だと思います。エホ信者の特徴として、自分だけが正しくて、相手(信者、非信者問わず)は間違っているといった枠組みで、すべての事実を理解しようとするので、人間関係(家族、親族関係含む)がうまくいく理由が無いと思います。自己中心主義の究極的な姿だと思います。
こんなくだらないブログを、長い間読んで下さりありがとうございます。
「励まされる」なんて表現は懐かしいですね。個人や社会において宗教の役割は決して小さくはなく、社会において最大限の保護に値するのですが、その本分(魂の救済)を踏み越えたときにいろいろな問題を引き起こすと思います。二者択一を迫るような勧誘は容易に人の判断力を鈍らすために、行うべきではないと思います。冷静に考えれば、エホ信者になったところで世界的な危難から逃れられるわけもなく・・・、せいぜい信仰の世界のお話なんですが、現実と混同すると冷静な判断ができなくなりますね。「永遠の命」ってのはおもしろいテーマなんで、いつかブログで書こうと思っています。これからもよろしくです。