エホバの証人の下半身事情

厳格な性道徳を実践すると主張するエホバの証人。ほんとはどうなの?全部暴露しちゃいます。うらみつらみも全部ね。

流行りものⅡ

2007-02-20 20:34:54 | Weblog
なんと!!!このブログ、気付かぬうちに開設から一年経ってたんですね~~~。

皆様のご愛顧に心から感謝いたします。


ところで、前回エホバの証人の子息に対するイジメを肯定するような発言をしてみたんですけれど、今日はその理由というか、いわゆる社会通念に照らして考えるところの一方的にエホバの証人の子息の人権を擁護することに躊躇せざるを得ない個別事情について考えていきたいと思います。(長い)

建前としては、イジメは良くないですよ!というか止めるべきである悪ですよ!
エホバであろうとアーレフ(オウム)であろうと、信仰を理由に差別されるコトがあってはいけないですよ。

ましてやその宗教に親が入っているという理由で子供が不利益な扱いを受けることも許せませんね。

子供の人権は守られるべきです!!!


というのが建前。


でも、オウムの事件後、その信者の子供(オウムの子)が小学校に入学するのを地方の教育委員会が認めなかった例があったように(後で、認められた)、子供に関することで、親の信仰を理由にしてその子供が差別的な扱いを受けるのは、よくあることではないでしょうか???

まあ、その差別が悪い!というのは皆さん頭では分かっているんでしょうけど、実際に当事者として、父兄の立場になってみると、そうも言ってられないというのが本音だと思います。

で、エホバの証人に関して言うと、幼稚園も保育所も行っていないいつも鼻水垂らして親に連れられて布教活動をしている子供が、同じクラスになるのはちょっとな~~~・・・と思うのも無理ないかと思いますし、入学後も知り合い面して断れない雰囲気の中、伝道に来られるのも非常に迷惑ですよね。子供も、エホの子からいかがわしいブロシュアーなんかをもらって来たりすると、もう耐えられない!という感じになろうかと思います。

その父兄の空気を察するまでも無く、子供自らエホの子の奇異な習慣に戸惑って、避けるようになるんではないかと思います。


イジメのキーワードとして、「キモイ」「ウザイ」「クサイ」があると偉い人が言っていましたが、エホバの証人の子供はどれに当てはまるんでしょうかね?

前述のように信仰そのものに起因する行動様式が、奇異に映るというのであれば、「ウザイ」または「キモイ」でしょうし、前の記事で書いたような、親の信仰が家庭の経済的な分野にまで影響を与えるような事例では「クサイ」も含まれるんではないかとオモイマス。

と、いうことで、エホバの証人にはイジメられる要素がすべて揃っているわけでして、イジメられるのは仕方がないというべきでしょうか???


ボクも含めた小市民にとって、なかなか許せないのが一方の人権ばかりが強調される時です。

殺人を犯した人が死刑にならないということに義憤を感じる人は少なくないでしょう。ましてや死刑回避の理由が加害者の年齢だけの場合とか、殺害した人数だけという場合には、特にそうだとオモイマス。

ナニを言いたいかと言いますと、一方の人権だけを考えることは心情的に問題がありすぎるということです。

では、エホバの証人の子息がイジメられているという前提で、それが一般小市民的に許されるのかどうか考えてみましょう。


先ほど、殺人犯の話をしましたが、その話で言わんとすることは、殺人という最大級の人権侵害をしたくせに、自分の人権を主張するのか!!!コノヤロー!!!ということです。

それをエホバの証人に当てはめると、人一倍人権侵害をしている団体が、自分の人権だけを主張するのは心情的に許せない!ということです。


嫌な奴って、ナニが嫌かわからないコトが良くありますよね。

よくよく観察すると「空気」が違うことに気付くんですが、それはいわゆる同じ雰囲気を持っていない、とか、同じ感情を共有していない、ということです。

「メリークリスマス!

「クリスマスはキリストの誕生日ではありません・・・

とか

「ハッピーバースデー!

「誕生日を祝う習慣は真のクリスチャンにはありません・・・

とか・・・


それで、それを王国会館でしたならどうなるんでしょうかね???

「○○兄弟お誕生日おめでとうございます!

「クリスマスパーティーを家でしませんか?

などと言うとか、

キリストの命日であるニサン14日に数珠を持って王国会館に行くとか、

巡回監督を見て「ただの世間知らずのおっさんだよね」と聞こえるように言うとか、

集会に来ている若者に「集会楽しいかい?」とおもむろに聞くとか、

いろいろ状況は考えられるんですけど、上記のようなことを言うと、会衆内で間違いなくつまはじきにされると思うんですよね。

つまりシカトされる、「イジメ」られるんです。エホバの証人に!

それに関してエホバの証人は、正当化します。一致を保つため、秩序を保つため等の理由で、エホバの証人の教義、習慣、指導者に疑いを持ったり、茶化したりすることを許しません


このように考えると、エホバの証人自らイジメの構造を持っているわけですし、その効果をいかんなく発揮しているわけです。自らが「ウザイ」とおもう者を徹底的に排除しますし、「キモイ」とおもう者は容赦なく叩きのめしますし、「クサイ」者は蓋をします

でも、このような人が一歩社会に出ればイジメられる訳です。そして、王国会館ではイジメるわけです。

お互い様です。

そのようなわけで、ボクはエホバの証人がイジメられるのは止む無し!と思っています。

「人は蒔いたものを刈り取ります」から・・・