コンビニ店員K君の深い?話を書いている途中だったのですが、
ふと、思い出したコトがありましたので、とりあえず書いて見ます。
毎年9月の終わりから10月の頭にかけては、エホバの証人に復帰することを望んでいるかもしれない脱会した人に対して、会衆の資格ある長老たちが訪問して、援助の手を差し伸べるという、「愛ある取り決め」が行なわれていたと思うんですよね。
ボクも今まで4回ほどその「愛ある」訪問を受けたコトがあります。
最初は、面会を拒否し、
2回目は、やんわり断り、
3回目は、冷たくあしらい、
4回目は、とどめを刺した
といったかんじでしょうか。
それで、どのようにとどめを刺したのかと言いますと。
現役開拓者時代、伝道中に家の人から言われて一番がっかりしたセリフを言って差し上げたんですね~~~。
では、伝道にしろ、長老たちの脱会者に対する「愛ある」訪問にしろ、エホバの証人信者たちは、自分たちと信仰を異にする人に対して勧誘活動をする時に、どのような存在であると相手をみなしているのでしょうか?
それは
まだ真理を知らない世の人々に命に導く正確な知識を伝えてアゲル・・・
とか
哀れにも無知ゆえに真理の道から迷い出てしまった若者に、悔い改めの機会を与えてアゲル・・・
などのように、あくまでも上からモノをいう態度から明らかなように、「見下して」いるんですね。
ナニを根拠に優劣を決めるのかは、傍から見ると全く不明ですが、とにかくエホバの証人信者たちは、「自分は」真理を知っているが故に幸せなんだ!それに引き換え真理を知らない世の人、ならびに真理から迷い出た人たちは不幸なんだ!と、強烈に信じているわけです。
理由はともかく、その自尊感情は、あっぱれ!な感じがします。
ですから、脱会者に対する訪問などは、その優越感丸出しで、
「オラオラ!どうよ!復帰すればいい事あるぜ!親とも普通に話せるし、食事もいけるし、昔の友達も遊んでやるって言ってるぞ!どうせ、寂しいんだろ!お前が俺らの言うことを一から十までキッチリ聞くんだったら、復帰を認めてやってもいいがな・・・。どうするお前???!!!」←心の声です(爆)
といった感じで迫ってくるわけです。
まあ、その、家族や、友人をダシにする、「オラオラ」感は卑怯丸出しで、エホバの証人の程度の低さを象徴しているように思えるんですね。
そこで、
長老に向かって「お前らは卑怯だ!」と言ったとしても、
「不幸な脱会者が、悪あがきしていますね~~、気の毒ですね」←これも心の声(笑)
などと言われるかもしれません。
「今は戻る気ありません」
と言っても、また来年「戻る気になりましたか?」と来るかもしれません。
とにかく、上から見下すやつらを、同じ地平か、さらに下まで引きずってこなければならない訳です。
そこで、思い出した、現役時代言われて一番悔しかった言葉
必要ないです
自分たちが「最高!」と信じているモノ、他のみんなにも「最高!」だと思って勧めれるモノ、
しかも
それに自分は命賭けてます。
それを、
必要ないです
「あなたと私では価値観が全く違いますよ。あなたにとって命を賭けるようなものでも、私にとってはハナクソと同等か、それ以下ですよ。あなたたちのその独善的な価値観を私は拒否します。どうぞ私にもわかる仕方で、あなたたちの価値観が優れていることを証明してください。それができなければ、早急にここを立ち去ってください。」
と言いたいところを、上の一言で表現してみたんですね。
4回目の訪問を思い出して見ますと、
「いれぶん兄弟は、復帰の意思はありますか?」
「全く無いです」
「ああ、そうですか、エホバは憐れみ深いかたなので、いつでも悔い改めるならば迎え入れてくださいます。一つ聖句を読んでもいいでしょうか?」
「必要ないです」
・・・
・・・
・・・
今年はまだ「愛ある」訪問がありません。
よほど堪えたのでしょうか・・・
今年来たら、口汚く罵ってやろうと用意していたのですが、今のところ現れないので、諦めてくれたのでしょうか?
それはそれで、ネタが減るので寂しいよう気がしますが・・・(笑)
皆さんも、エホバの証人の訪問がウザイと感じたら、言ってみましょう!
必要ないです!!!
ふと、思い出したコトがありましたので、とりあえず書いて見ます。
毎年9月の終わりから10月の頭にかけては、エホバの証人に復帰することを望んでいるかもしれない脱会した人に対して、会衆の資格ある長老たちが訪問して、援助の手を差し伸べるという、「愛ある取り決め」が行なわれていたと思うんですよね。
ボクも今まで4回ほどその「愛ある」訪問を受けたコトがあります。
最初は、面会を拒否し、
2回目は、やんわり断り、
3回目は、冷たくあしらい、
4回目は、とどめを刺した
といったかんじでしょうか。
それで、どのようにとどめを刺したのかと言いますと。
現役開拓者時代、伝道中に家の人から言われて一番がっかりしたセリフを言って差し上げたんですね~~~。
では、伝道にしろ、長老たちの脱会者に対する「愛ある」訪問にしろ、エホバの証人信者たちは、自分たちと信仰を異にする人に対して勧誘活動をする時に、どのような存在であると相手をみなしているのでしょうか?
それは
まだ真理を知らない世の人々に命に導く正確な知識を伝えてアゲル・・・
とか
哀れにも無知ゆえに真理の道から迷い出てしまった若者に、悔い改めの機会を与えてアゲル・・・
などのように、あくまでも上からモノをいう態度から明らかなように、「見下して」いるんですね。
ナニを根拠に優劣を決めるのかは、傍から見ると全く不明ですが、とにかくエホバの証人信者たちは、「自分は」真理を知っているが故に幸せなんだ!それに引き換え真理を知らない世の人、ならびに真理から迷い出た人たちは不幸なんだ!と、強烈に信じているわけです。
理由はともかく、その自尊感情は、あっぱれ!な感じがします。
ですから、脱会者に対する訪問などは、その優越感丸出しで、
「オラオラ!どうよ!復帰すればいい事あるぜ!親とも普通に話せるし、食事もいけるし、昔の友達も遊んでやるって言ってるぞ!どうせ、寂しいんだろ!お前が俺らの言うことを一から十までキッチリ聞くんだったら、復帰を認めてやってもいいがな・・・。どうするお前???!!!」←心の声です(爆)
といった感じで迫ってくるわけです。
まあ、その、家族や、友人をダシにする、「オラオラ」感は卑怯丸出しで、エホバの証人の程度の低さを象徴しているように思えるんですね。
そこで、
長老に向かって「お前らは卑怯だ!」と言ったとしても、
「不幸な脱会者が、悪あがきしていますね~~、気の毒ですね」←これも心の声(笑)
などと言われるかもしれません。
「今は戻る気ありません」
と言っても、また来年「戻る気になりましたか?」と来るかもしれません。
とにかく、上から見下すやつらを、同じ地平か、さらに下まで引きずってこなければならない訳です。
そこで、思い出した、現役時代言われて一番悔しかった言葉
必要ないです
自分たちが「最高!」と信じているモノ、他のみんなにも「最高!」だと思って勧めれるモノ、
しかも
それに自分は命賭けてます。
それを、
必要ないです
「あなたと私では価値観が全く違いますよ。あなたにとって命を賭けるようなものでも、私にとってはハナクソと同等か、それ以下ですよ。あなたたちのその独善的な価値観を私は拒否します。どうぞ私にもわかる仕方で、あなたたちの価値観が優れていることを証明してください。それができなければ、早急にここを立ち去ってください。」
と言いたいところを、上の一言で表現してみたんですね。
4回目の訪問を思い出して見ますと、
「いれぶん兄弟は、復帰の意思はありますか?」
「全く無いです」
「ああ、そうですか、エホバは憐れみ深いかたなので、いつでも悔い改めるならば迎え入れてくださいます。一つ聖句を読んでもいいでしょうか?」
「必要ないです」
・・・
・・・
・・・
今年はまだ「愛ある」訪問がありません。
よほど堪えたのでしょうか・・・
今年来たら、口汚く罵ってやろうと用意していたのですが、今のところ現れないので、諦めてくれたのでしょうか?
それはそれで、ネタが減るので寂しいよう気がしますが・・・(笑)
皆さんも、エホバの証人の訪問がウザイと感じたら、言ってみましょう!
必要ないです!!!