遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

中原中也ノート7

2019-07-31 | 近・現代詩人論
 このノートでは中原中也の晩年から(千葉寺の入院)書きはじめたので(①、②で)あらためて幼い頃の記憶をもとに書かれたという詩等と生い立ちについてみてゆきたいと思う。
数え年満二歳で山口に居た頃の中也は「その年の暮れ頃よりのこと大概記憶ス」と、自身で記してもいるのだが、中原家の中庭には大きな柿の木があったという。先の詩の「三歳の記憶」の初出は{文芸汎論」一九三六(昭和十一)年六月号。たぶん二九歳頃の作と推定される。
  三歳の記憶

 縁側に陽があたつてて、
 樹脂が五彩に眠る時、
 柿の木いっぽんある中庭は、
 土は枇杷いろ はえが唸(な)く  

 稚厠の上に 抱えられてた、
 すると尻から 蛔虫(むし)が下がった。
 その蛔虫が、稚厠の浅瀬で動くので、
 動くので、私は驚愕(びっくり)しちまった。

 あゝあ、ほんとに怖かった
 なんだか不思議に怖かった、
 それでわたしはひとしきり
 ひと泣き泣いて やつたんだ。

 あゝ、怖かった怖かった
――部屋の中は ひっそりしてゐて、
 隣家は空に 舞ひ去つてゐた!
 隣家は空に 舞ひ去つてゐた!
    ({在りし日の歌」所収より)

一九〇七(明治四十)年十一月、生後六ヶ月の中也は母フクと祖母スエにつれられ、門司から船で大連へ向かい、汽車で父謙助の赴任地・旅順に赴くことになる。その時の記憶を題材にした随筆に「一つの境涯」があり詩編として先に掲げた{三歳の記憶」がある。一家がが山口に戻った頃(明治四十一年八月~翌三月)二歳に満たない中也の記憶がここにはうたわれている。中也が二十八、九歳の頃に書かれたものであろう、といわれている。

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