遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

昭和歌謡曲の軌跡(72)

2008-12-26 | 富山昭和詩史の流れの中で
昭和35年に、橋幸夫が「潮来笠」でデビュー。38年舟木一夫が「高校三年生」で、39年西郷輝彦が「君だけを」でそれぞれデビューを果たし、いわゆる〝御三家時代〟を形成したことは興味深い。
ロカビリー歌手が歌謡曲の世界でヒットをとばし、松島アキラ、平野こうじ、井上ひろし、佐川ミツオ、北原謙二、坂本九、吉永小百合と言ったアイドル性を具現した人々がもてはやされたが、〝御三家〟とよばれる三人はその集大成として登場したといえよう。

日常性はひとつの価値基準となり、個人の主張が集団と切り離されて存在しうる時代であったからこそ、伝統的な形式を借りて、そのアイドル性を具現することができたのであろう。
たとえば「高校三年生」や「学園広場」「修学旅行」と言った唄は教育というもののたてまえ部分を是認することで成立しているし、青春歌謡とよばれる北原や平野や西郷の作品も、既成概念の上に築かれてはいる。従って単に唄そのものに新鮮な魅力があるというよりも、歌手自身に備わるキャラクター、すなわちかっこいいとか、甘いとか評価される部分が、より強く人々にアピールしたのである。

股旅者でデビューした橋幸夫にしてからが、従来のこの種の唄が伝統的にもっていいた規範から自由になった地点で、アイドル性を強調して歌いかけた。だからこそ「寒い朝」「チェッチェッチェッ」「江梨子」「霧氷」と言ったレパートリーに無理なく移行できたのだし、舟木一夫が「絶唱」を、西郷輝彦が「星のフラメンコ」や「星娘」をヒットさせることが可能だったのだと思う。

「太陽の季節を謳歌した青年たちだけが戦後いたのではない」と書いた高橋和己(『憂鬱なる党派』)は、敗戦後の混乱と無秩序の中で精神形成をせざるを得なかった若者たちの、あたらしい理念が樹立されないままに挫折してゆく青春に「一片の真実」があったことを証明しようとしたが、青春期と高度成長期とが、がっちする世代には、そうした痕跡はない。むしろ彼らは戦争とか敗戦とかの実体験を持たず、従ってアメリカへの違和感もない。~そうした日常性を突き破って自分自身の生の意味を模索したいという衝動が、ヒッピーであり、アングラであり、アイドルを生んでいく。

「御三家」というとらえかたは明らかに、ひばり、チエミ、いづみの「三人娘」からの発想だが、そのきわめて古くさい呼称は、この時期の好況を示す「神武景気」や「岩戸景気」の名付け方と関連していろいろなことを考えさせるし、その存在もまた、新安保成立後のしらけ時代を表現するものだったのである。

先にふれた「歌声運動」も。60年安保闘争に関連したひとつの表現としてブームを起こした。36年第三回日本レコード大賞を受賞したフランク永井の「君恋し」を頂点として、リバイバル・ブームがこの時期の歌謡界の特徴でもあった。

次回はリバイバル・ブームについて考えたい。


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