遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

同人誌という詩神~舟川栄次郎論(富山昭和詩誌の流れ)

2019-07-04 | 富山昭和詩史の流れの中で

今日は以前に書いた朝日町の詩人舟川栄次郎について、地元の人もあまりにも知らなすぎるので、以前の文章を再掲します。
(今日は序文のみですが機会を見計らって以前に書いた文章を、掲載できたらとおもっています。)

富山の昭和詩史の流れの中で
同人誌という詩神ー舟川栄次郎論
(1)
 いま、詩を書くとはどういうことか。「詩などどこにもない場所」で、しかも「求められもしない詩」をただ、あらしめようとする詩とは何か。詩人とは何か。一つの躓きに踵を接しながら、世界の全体的な必然性を越ええないと言う諦念の見えない、薄い皮膜に覆われているわが国の時代感情にあえて反することは意味のないことだろうか。どんなに自由に振る舞ってみても、言葉に纏わりつくものから、詩は免れることは出来ない。そのような詩の居場所を訪ねるために詩が書かれるというよりも、そのような場所のないところで詩は表される。それは求められることでしか表せえないモノやコトを越えている。詩は理論や倫理や正義といったことがらからも、なにも求められはしない。求められないから「ただ、あらしめる」のである。
 ここでは、富山の昭和詩史の流れの中で、ひたすら詩を表すことに生涯をかけた詩人のひとり、舟川栄次郎の詩的軌跡をたどりたい。戦前から前後にかけて全国的にも無名に近い詩人の「ただ、あらしめる」詩への希求は、現在にも通じるものがあるのではないか。未熟な豊かさと言うものを排除しようとする過去の詩的状況の中で、書くべき詩とは何であったか。詩人の存在とはどういうことであったか。舟川の作品を通して詩人としての心の軌跡をたどりたい。

(2)詩人の偶像化
 室生犀星が自らの著書で、生涯の好敵手であったという高村光太郎について、あらゆる面でかなわないものを感じていたと書いている。あらゆる面という中には詩そのもの以外の事柄にも十分な比重が含まれている。たとえば、光太郎が芸術院会員を断ったことや、『中央公論』のような大雑誌には書きたくないと断りながら、名もない同人誌から頼まれた時はしっかり書いて、おまけに同人費まで為替にくんで送金していたという、光太郎の詩人としての態度に、どこか偽善的なものを感じていたのかもしれない。さらに、犀星はつぎのように書いている。
 「光太郎は自分の原稿はたいがい自分で持参して、名もない雑誌をつくる人の家に徒歩で届けていた。紺の絣の筒袖姿にハカマをはいて、長身に風を切って、彼自身の詩の演出する勇ましい姿であった。」ここには、詩人の風貌まで書いて、それとなく言動を非難しているように見える。だが、内心では大詩人として認めているからこその文章でもあるのだろう。このような外聞は俗な耳に入りやすいのだけれど、ありふれた通俗的な言動も含めて当時は高村光太郎の詩に、詩人としての振る舞いに、心酔し、私淑した若い詩人たちも多かったということである。まさに舟川栄次郎もそのひとりであった。
 
 舟川栄次郎はは昭和六年九月に第一詩集『戸籍簿の社会』を上梓、地元で反響を読んだ。そこでかねて私淑していた 光太郎を訪ねて上京するのだが、高村光太郎は 寄せ付けなかったという。
 「地方での詩活動こそが、本来のありうべき姿だ」と舟川は諭されるのである。それ以来、舟川は生涯、その言葉をこころに、泊(現、朝日町)で、しっかり根を張って詩活動を展開したのだった。舟川のせめてもの小さな野望はあっけなく消し飛んだともいえる。光太郎の人道的な詩が、外聞を越えたフィクションとして受け止めることのない当時の詩的状況のなかでは、高村光太郎という詩人を世間的に偶像化することが起きてしまうのは当然かもしれない。
 舟川栄次郎という詩人が後に同人誌仲間や地域の人々に大変慕われたという詩人像の外聞をつうじて思うことは、詩人として生まれてくる数少ない運命の人と、生涯を通じて詩人に近づこうと努力する圧倒的に多勢の中の人との違いなど、単なる星のめぐり合わせという一言で済ませられない微妙なものを感じる。むろん諦念ではない。諦念の先に見据えたあるかないかの微かな希望でもない。舟川栄次郎は泊町図書館司書として終生地域に挺身したと言う、ここではその事実だけをしっかり受け止めておきたい。

(3)同人誌『日本海詩人』とその詩友
 舟川栄次郎の詩の世界を戦前にさかのぼってみていくと、昭和の初めに生まれた同人誌『日本海詩人』に行きつく。この詩誌は私にとってまぼろしの詩誌であったが、近年は稗田菫平氏の発掘による著作(『牧人八一号、八二号』の巻末特集)によって、徐々に明らかにされている。今に思えば『日本海詩人』は北陸の文学の拠点としての役割を担っていた歴史的に重要な意味を持つ詩誌である。
 この『日本海詩人』 には、井上靖(旭川市生まれ)と源氏鶏太(富山市生まれ)のふたりの作家の文学的出発に大きく関わっていることからも、富山では希な詩誌であったと思う。このふたりの作家の初期の作品等は、先の稗田氏の著書にあったってもらえればいいが、ここでは特に舟川栄次郎と関係深い源氏鶏太の初期の作品について、簡単にふれておきたい。


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