恋いを知らない
街上の
笑ひ者なる爺やんは
赤ちゃけた
麦藁帽をアミダにかぶり
ハッハツハツ
「夢魔」てことがあるものか
その日蝶々の落ちるのを
夕の風がみてゐました
思ひのほかでありました
恋だけは――恋だけは
「想像力の悲歌」とだいされている。恋を知らない「笑ひ者なる爺やん」とからかわれているのは永井で、「蝶々」である泰子を手にいれた恋の勝利感を唄ったものか。併し二人の関係はそれほど安定したものではなく、泰子の元に撮影所関係の男が出入りし、中也は嫉妬に苦しめられることになる。
「ノート1924」で恋愛詩よりも重要なものとして注意すべきは、ダダ主張を書きつけたと思われる幾編かの詩編がある。
街上の
笑ひ者なる爺やんは
赤ちゃけた
麦藁帽をアミダにかぶり
ハッハツハツ
「夢魔」てことがあるものか
その日蝶々の落ちるのを
夕の風がみてゐました
思ひのほかでありました
恋だけは――恋だけは
「想像力の悲歌」とだいされている。恋を知らない「笑ひ者なる爺やん」とからかわれているのは永井で、「蝶々」である泰子を手にいれた恋の勝利感を唄ったものか。併し二人の関係はそれほど安定したものではなく、泰子の元に撮影所関係の男が出入りし、中也は嫉妬に苦しめられることになる。
「ノート1924」で恋愛詩よりも重要なものとして注意すべきは、ダダ主張を書きつけたと思われる幾編かの詩編がある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます