昭和18年に、芦原英了を中心とした「東京シャンソン・クラブ」がうまれたことは、一つには取り締まり当局へのカモフラージューであったけれど、反面にはフランス語と日本語との違いがシャンソンの本質を伝え難いことから、日本語によるシャンソンの創作、いわゆる〝日本のシャンソン運動〟という問題意識も含んでいました。
その努力が戦後になって身を結び「水色のワルツ」「爪色の雨」「秋の雨降れば」「墨田川」「雪の降る街を」「アンコール」「雪は降る」「巴里の夜」「ハンドバグの中」「冷たい恋」などの佳作を生んだのです。
この運動の参加者には、野上彰、サトー八チロー、藤浦洸、内村直也、岩谷時子、中田喜直、寺島尚彦、原六朗、原孝太郎などなど多士済済です。
戦後、淡谷のり子、高英男、などにより、シャンソンは早い時期から歌い始められ、フランスのレジスタンス文学が盛んに紹介されたすぐ後、28年5月にダミアが来日したのを皮切りに、イベット、ジロー、ジルベール、ベコー、ジュリエット・グレコ、イヴ・モンタン、アダモ等々が次々と来日、一方、昭和20年代以降、十字路、ラ・セーヌ、銀巴里、サロン日航、ジロー等のシャンソン喫茶も生まれ、ジャズのような華やかさはなかったものの、大物歌手の来日のたびに静かなブームを呼びました。
こうした中で石井好子、芦野宏解いたベテランに続き、岸洋子、高毛礼誠、丸山明宏(美輪明宏)、喜多川祐子、仲まさこ、小海智子、田代美代子、金子由香里、嵯峨美子、阿部レイ等々の歌手も次々と成長して、日生劇場の越路吹雪ロングリサイタルに代表されるような、裾の広い定着振りをみせていきます。
次回は、流行歌と社会的現実との差、つまり社会相をうつしながら流行歌として制作される時点においてどこまでその現実をうつし、どう脚色してゆくかについての一つの典型的な例を取り上げて考えたいと思います。(つづく)
その努力が戦後になって身を結び「水色のワルツ」「爪色の雨」「秋の雨降れば」「墨田川」「雪の降る街を」「アンコール」「雪は降る」「巴里の夜」「ハンドバグの中」「冷たい恋」などの佳作を生んだのです。
この運動の参加者には、野上彰、サトー八チロー、藤浦洸、内村直也、岩谷時子、中田喜直、寺島尚彦、原六朗、原孝太郎などなど多士済済です。
戦後、淡谷のり子、高英男、などにより、シャンソンは早い時期から歌い始められ、フランスのレジスタンス文学が盛んに紹介されたすぐ後、28年5月にダミアが来日したのを皮切りに、イベット、ジロー、ジルベール、ベコー、ジュリエット・グレコ、イヴ・モンタン、アダモ等々が次々と来日、一方、昭和20年代以降、十字路、ラ・セーヌ、銀巴里、サロン日航、ジロー等のシャンソン喫茶も生まれ、ジャズのような華やかさはなかったものの、大物歌手の来日のたびに静かなブームを呼びました。
こうした中で石井好子、芦野宏解いたベテランに続き、岸洋子、高毛礼誠、丸山明宏(美輪明宏)、喜多川祐子、仲まさこ、小海智子、田代美代子、金子由香里、嵯峨美子、阿部レイ等々の歌手も次々と成長して、日生劇場の越路吹雪ロングリサイタルに代表されるような、裾の広い定着振りをみせていきます。
次回は、流行歌と社会的現実との差、つまり社会相をうつしながら流行歌として制作される時点においてどこまでその現実をうつし、どう脚色してゆくかについての一つの典型的な例を取り上げて考えたいと思います。(つづく)
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