遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

無名の郷土詩人舟川栄次郎論(6)

2009-12-30 | 富山昭和詩史の流れの中で
(7)城山の詩碑
 この『夢の橋』では、「世の母親たちの心に、憩いを与え、自信を培い、更に力となる自然のささやき」(あとがき)を目指して詩集が編まれている。
 それは詩の後退ではなくて、たぶん詩の摂理なのだ。高村光太郎を生涯心の師とあおいだ舟川が、戦時中の光太郎のいわゆる「戦争協力詩」をどのような気持ちで読んでいたか、当時の記録は残っていないので判断するすべもないが、戦後十年目に発刊した『夢の橋』には、自らの孫に託したという集中の多くの童謡詩がそのことの証明になるかもしれない。詩もまた摂理どうり歳をとっていくのだ。ごく希な詩をはぶいては。詩という言葉にはどんな美しい韻律の中にも、人を突き放す残酷さを秘めているものである。あらためて私が書くまでもないことだが、自らの世界を突き動かす言葉の力の強靱さが舟川の時代はまだ信じられていた頃である。現在のような相対化され衰弱している詩の言葉に、舟川の詩は美し過ぎると言わざるを得ない。舟川と同時代の詩人の詩を対比して検討するといった時間はいまはもちえないが、生きることと詩を書くことが同義の時代の詩人には、美しすぎるとは極上の褒め言葉である。
 同人によって朝日町の城山公園にたてられた詩碑には親知らずの海をうたった詩編がきざまれている。
 この城山公園は、かつて国鉄の職員だったシンガーソングライターの伊藤敏博のデビューヒット曲『さよなら模様』が生まれた場所でもある。その真下の海岸は先にも記した「ヒスイ海岸」と呼び習わされている。そしてその公園の詩碑には次の詩が刻まれている。

 秋深き 親不知
君と来て佐渡を呼べり
君遠し 海は鳴れども
 とどろきて 心打つのみ
山の道 小鳥も啼かず

 右の作品は「碧落塾々歌(君知るや)として、黒坂富治の作曲で歌われていたもの。この『夢の橋』には、ほかにも童謡や高校校歌などの詩にメロディがついて歌われる作品が十数編納められている。このことは詩の後退とみるよりも新しい詩的ジャンルの挑戦と見るべきだろう。少なくとも創作意欲に何ら変わりははないのだから。
 城山の公園には私もなんどか登ったことがあるし詩碑も目にしている。詩碑はまさに日本海を見下ろしている。同人誌という詩神の存在に魅入られた舟川栄次郎のまっすぐな精神が荒波に対峙している。それは、北陸人という謙虚な意志のようにもみえた。
(完)
   
(注)引用の作品等は旧仮名遣いのままにしてあります。




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