鳥取県 曹洞宗 松風山 永明寺

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「浦住」から「浦富」へ

2013-01-02 13:34:33 | 【永明寺合併寺 香林寺】
  浦富海岸は、江戸期の古地図や明治期、大正期の古写真を見ると今よりも民家がなく、浦富砂丘といわれるくらいに砂浜がひろがっていました。ただ、町浦富は、鳥取藩家老の鵜殿家の陣屋敷もおかれており、町人や御用商人が暮らし、にぎわっていたようです。
  この浦富地区にも永明寺のお檀家さまがおられます。『鳥取藩史』第一巻(世家藩士列伝)によれば、もともと「浦住」と呼ばれていた同地区を「浦富」と改めたのは、永明寺に位牌が安置されている鳥取藩家老の鵜殿長発だそうです。鵜殿長発は鳥取藩家老の津田元謨の第三子ですが、父の津田元謨も鳥取藩筆頭家老の荒尾成熙の第三子です。永明寺には他にも鵜殿家や荒尾家などの位牌が安置されています。それらの位牌は、おそらく鳥取藩城代家老の荒尾志摩家菩提寺の瑞松山景福寺隠居寺で浦富にあった地霊山香林寺を明治初期に永明寺が合併した時、過去帳とともに殿様たちの位牌ももたらされ、まつられるようになったのだと思います。
  鵜殿家は、法華宗陣門流に帰依しておりますので、鵜殿家に関わりのある寺院は永明寺のほかにもあります。そのうち浦富地区の高性山仙龍寺(法華宗)は、鳥取市寺町にある鵜殿家菩提寺の正栄山妙要寺(法華宗)の末寺で、妙要寺に一大事があったときに備えて建立された寺院です。仙龍寺の寺号は、浦富の鵜殿家三代目の鵜殿長定(仙龍院殿昇雲日寛居士)の戒名に由来しています。仙龍寺の本寺である妙要寺には、徳川家譜代の家臣であった鵜殿家から徳川家康の側室となった蓮葉院(池田輝政に再嫁した良正院督姫の母)などの位牌が安置されています。他には鵜殿長定の母である霊祥院殿禎室元榮大姉を供養した龍華山霊祥寺(黄檗宗)が浦富にありましたが、明治期に廃寺になっています。まだ実際に目にしたことはないのですが、浜浦富の観音堂には、霊祥寺の涅槃図や薬師如来像があり、地区民により大切にされているそうです。  

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