・ツアーに同行して、フレディに関して気がついたことが2つほどあった。ひとつ目は彼は感情的に安定することを欲していたものの、パフォーマンスへの触媒として葛藤や衝突も欲していたということ。彼は頭の中で自分に必要な事柄を明確にわかった上で、自分の理想通りにことが運ぶよう癇癪を起す準備までしていた。フレディは自分が癇癪を起した時に価値を良く分かっており、何らかの大きな効果を狙った上で、その矛先をバンドや仕事の仲間たちに向けていた。
そして、二つ目はフレディは完璧主義だということ、彼のことを知る者は誰も、彼が多くの物事にたいする自分の知識や理解に関してはとても謙遜していた一方で、最後まで100%完璧に理解できていると確信の持てないものに関しては足を踏み入れない質であることを知っていた。フレディは人並みはずれた洞察力を備えており、彼が「だから、そう言ったじゃないか」というセリフを言う場面に多くでくわした。
・フレディが他人にドラッグを強要するようなことは1度たりともなかった。
・フレディがこう尋ねた「この飛行機、どこのなんだろう?」。私はおおよそ察しはついていたが、緊急用の手引きを手に取った。そこには飛行機がDC10型機であることが記されていた。それを見るなり、フレディは「Dなんて縁起が悪い!」と叫んだ。DC機が巻き込まれて大きな飛行機事故がちょうど2件続けて起きたばかりだったからだ。フレディは自分の手荷物を引っつかむと客室乗務員に「僕はこの飛行機に乗らないからね」と告げて、ポールと私を従えると飛行機からターミナルへとスタスタ引きかえしてしまった。
・恋人とまたしても感情的なもつれから破局を迎えてしまったフレディだが、彼の創作活動は感情的なバランスを失うと輝きを増すようなところがあった。まるで彼が自らの創造の泉を溢れさせんがために、情熱の波を必要としているようにさえ見えた。ツアーや曲の創作活動に集中している時など、彼はあえて他人との関係を終わらせたり、逆にドラマティックな方向にもっていこうと口論をふっかけたりすることがしばしばあった。
・日本へのツアーは彼の買い物ツアーの口実といっても良いだろう。フレディにしてみれば買い物の谷間にステージがあるようなものだった。
・フレディは突然私のほうを向いてこう言った「いい言葉が浮かんだんだ。ペンと紙はあるかい?」
・<ラ・ジャポネーズ>は、フレディにとってこの世で最も美しい宝である日本のものがすべてに対して愛情を表した曲だ。
・フレディがひとめで気にいったのはスペイン絵画の巨匠ゴヤの絵だった、絵の持ち主は50万ぽんどの値を付けたが、フレディは即決した。しかし、契約を結ぶ段になって、思わぬ障害が生じた。国の財産である芸術品を国外に輸出するためにはスペイン政府の許可が必要だったが、下りなかったのだ。・・・ 最終的には、手に負えそうにない問題が山積みしたためにすべての計画は流れてしまったが、たかだ1枚の絵を飾りたいために、家を買うことまで本気で考えるような人物はそういないだろう。
・誰かの家でぶっ続けのパーティが行われることもあり、入り口で興奮剤が手渡されたら、その場でそれを飲まなければいけなかった。ゲストがみんな同じようにハイになるためにも、ホストはそういった気配りが必要だ。フレディが自分のドラッグをみんなに寛大にあたえていたのは、いつも彼らが自分のために飲み物を持ってきてくれたりすることへの感謝の意味も込められていた。
・フレディは「イエス・マン」を憎んだ。なんでも「イエス」としか言えないような人間は「自分」を持たない都合のいい人間だとみなしていた。フレディが好んだのは自分のままにあろうとする人々だった。そして時には自分を遠ざけようとする友人や仲間も必要だと思っていた。そんな友人たちとの平和な葛藤を通じて、自分自身の本当の感情に気がつくこともあったからだ。
・しだいに体が衰弱していたにもかかわらず、フレディはこれまで同様に寝室の大きなベッドの上で愛する猫たちに囲まれて過ごしていた。彼は生涯を通じて、たくさんの猫を飼った。彼にとって猫たちは人間と同じように大事な存在だった。
・薬を摂るのをやめた時、フレディが自殺を考えているのではと考えた人間もいたかもしれない。しかし、彼はそれを問答する必要はなかった。避けられないものが近づいてくるなか、くよくよ悩んでいる時間すらないことを彼は痛いほど分かっていた。フレディの会話は、ただ時間を過ごすだけの簡単なおしゃべりだった。
感想;
創作活動においては、辛い時にこそ輝きを増すことがあるのでしょう!
意図的に癇癪を起すことにより、感情から湧き出るものを創作活動に生かすこともされていたのでしょう。
それが素晴らし作品を生み出しエネルギッシュなコンサートを創り出しましたが、命を削ってしまったのかもしれません。
そして、二つ目はフレディは完璧主義だということ、彼のことを知る者は誰も、彼が多くの物事にたいする自分の知識や理解に関してはとても謙遜していた一方で、最後まで100%完璧に理解できていると確信の持てないものに関しては足を踏み入れない質であることを知っていた。フレディは人並みはずれた洞察力を備えており、彼が「だから、そう言ったじゃないか」というセリフを言う場面に多くでくわした。
・フレディが他人にドラッグを強要するようなことは1度たりともなかった。
・フレディがこう尋ねた「この飛行機、どこのなんだろう?」。私はおおよそ察しはついていたが、緊急用の手引きを手に取った。そこには飛行機がDC10型機であることが記されていた。それを見るなり、フレディは「Dなんて縁起が悪い!」と叫んだ。DC機が巻き込まれて大きな飛行機事故がちょうど2件続けて起きたばかりだったからだ。フレディは自分の手荷物を引っつかむと客室乗務員に「僕はこの飛行機に乗らないからね」と告げて、ポールと私を従えると飛行機からターミナルへとスタスタ引きかえしてしまった。
・恋人とまたしても感情的なもつれから破局を迎えてしまったフレディだが、彼の創作活動は感情的なバランスを失うと輝きを増すようなところがあった。まるで彼が自らの創造の泉を溢れさせんがために、情熱の波を必要としているようにさえ見えた。ツアーや曲の創作活動に集中している時など、彼はあえて他人との関係を終わらせたり、逆にドラマティックな方向にもっていこうと口論をふっかけたりすることがしばしばあった。
・日本へのツアーは彼の買い物ツアーの口実といっても良いだろう。フレディにしてみれば買い物の谷間にステージがあるようなものだった。
・フレディは突然私のほうを向いてこう言った「いい言葉が浮かんだんだ。ペンと紙はあるかい?」
・<ラ・ジャポネーズ>は、フレディにとってこの世で最も美しい宝である日本のものがすべてに対して愛情を表した曲だ。
・フレディがひとめで気にいったのはスペイン絵画の巨匠ゴヤの絵だった、絵の持ち主は50万ぽんどの値を付けたが、フレディは即決した。しかし、契約を結ぶ段になって、思わぬ障害が生じた。国の財産である芸術品を国外に輸出するためにはスペイン政府の許可が必要だったが、下りなかったのだ。・・・ 最終的には、手に負えそうにない問題が山積みしたためにすべての計画は流れてしまったが、たかだ1枚の絵を飾りたいために、家を買うことまで本気で考えるような人物はそういないだろう。
・誰かの家でぶっ続けのパーティが行われることもあり、入り口で興奮剤が手渡されたら、その場でそれを飲まなければいけなかった。ゲストがみんな同じようにハイになるためにも、ホストはそういった気配りが必要だ。フレディが自分のドラッグをみんなに寛大にあたえていたのは、いつも彼らが自分のために飲み物を持ってきてくれたりすることへの感謝の意味も込められていた。
・フレディは「イエス・マン」を憎んだ。なんでも「イエス」としか言えないような人間は「自分」を持たない都合のいい人間だとみなしていた。フレディが好んだのは自分のままにあろうとする人々だった。そして時には自分を遠ざけようとする友人や仲間も必要だと思っていた。そんな友人たちとの平和な葛藤を通じて、自分自身の本当の感情に気がつくこともあったからだ。
・しだいに体が衰弱していたにもかかわらず、フレディはこれまで同様に寝室の大きなベッドの上で愛する猫たちに囲まれて過ごしていた。彼は生涯を通じて、たくさんの猫を飼った。彼にとって猫たちは人間と同じように大事な存在だった。
・薬を摂るのをやめた時、フレディが自殺を考えているのではと考えた人間もいたかもしれない。しかし、彼はそれを問答する必要はなかった。避けられないものが近づいてくるなか、くよくよ悩んでいる時間すらないことを彼は痛いほど分かっていた。フレディの会話は、ただ時間を過ごすだけの簡単なおしゃべりだった。
感想;
創作活動においては、辛い時にこそ輝きを増すことがあるのでしょう!
意図的に癇癪を起すことにより、感情から湧き出るものを創作活動に生かすこともされていたのでしょう。
それが素晴らし作品を生み出しエネルギッシュなコンサートを創り出しましたが、命を削ってしまったのかもしれません。