幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 柄本佑さん」 ”俳優一家に育って”

2019-08-03 08:11:08 | 社会
183cmほど。運動音痴。
1986年生まれ。
14歳で主演。父は榎本明、母も女優、弟も俳優の俳優一家。
NHK朝ドラ「あさが来た」
キネマ旬報主演男優賞。妻安藤サクラさん(主演女優賞)と同時受賞。
受賞の報告を聞いた時、妻も取ったと聞いた。
第73回毎日映画コンクールで主演男優賞、第28回日本映画批評家大賞の主演男優賞も受賞している。
身内の作品を見ると応援しているので緊張している。
親がやっているのを継ぐ感じ。
小さい時から映画好きだった。
父も映画の話しかしなかった。
学校の試験のことなど尋ねられなかった。
家族と話をするには映画を見ていないとできない。
「おもしろかった」というと、父は映画を見に行ったりしていた。

1曲目 チューリップの「青春の影」映画「さよなら、クロの主題歌」
エンドレスで聞いていた。
さよならクロと財津さんの声が一緒になっていた。

最初は映画監督になりたかった。「座頭市」を見た。勝新太郎さんはかっこいいな。それを引き出す監督はもっとかっこいいなとおもった。フェリーニになるんだと作文を書いていた。監督をやっていると、俳優よりももっと見られているのを感じる。OKかもう一回かを皆が注目している。しばらくするとまた撮りたいなと思う。
家庭をもって俳優を続けているなと思った。家族を支えるということなのかもしれない。

「美しい夏キリシマ」映画に14歳でデビュー。両親が背中を押してくれた。オーディションを受けた。
写真面接は合格した。監督面接を受けに行くようになった。かあちゃんに「生の監督を見られるよ」と言われて行った。
「挨拶はきちんとしなさい」
「台本を現場に持っていくな」
と言われた。それでセリフは暗記した。
ずいぶん後になってから控室には持って行くが。
それは今も続いている。当たり前のこと。
2か月撮影した。映画作りを大勢の人がいて、多くの年代の人がいて、一つの作品に向いているのに感動した。撮影するのにこんなに時間をかけるのかと思った。一日に2シーンとかの日も。学生に戻って、決まった時間に学校に行って決まった時間に帰る。日常生活がつまらなくなった。映画作りに早く入れるのは役者だと思った。それからゆっくりとオーディションを受けるようになった。
それから映画の専門学校の監督コースに入った。
かあちゃんは大学に入って欲しかった。違う広い世界の人とかかわっていなさいと言われた。大学行っていればまた違ったかと。その時は映画創りたいと思っていた。
NHK朝ドラ「あさが来た」で人気に。見る人の層が増えるんだと感じた。
父はダメだったときだけメールで連絡してくる。面倒くさいと思うが、一番厳しく見ている。親子関係というより、劇団の仲間のような感じ。
演劇ユニットET×2を弟と一緒に結成した。学生という肩書がなくなった。ユニット結成するまでなにもなくて辛かった。
出演作を初めて見るときは、自分にがっかりする。次は頑張ろうと思う。
映画作りが好き。
すごく落ち込んだ時があった。「落ち込んで次やろうと思ってやってまた落ち込んでの繰り返しで、何やってんだろう」と言ったら、かあちゃんに「待つこととがっかりすることに慣れることがこの仕事だ」と言われた。

2曲目、「ラーメン大国 NIPPON」。全国のラーメン屋を紹介。
ストレス解消になっている。
この行動力がすごい。

検事の役を演じている。映画「火口のふたり」で主演。
大人の恋愛を描いている。

感想
小さい時から映画をたくさん見ていたのが演技にも役立っているのだと思いました。
父との会話なども大きいのでしょう。

映画が好きだから映画に多くのことを費やして来られたのだなと思いました。