海山散歩人

古希を過ぎても、ライフスタイルは変わりようもなく、ジタバタしながら生きている高齢極楽トンボのブログです。

桜坂をウオーキング

2022-03-31 | ウオーキング
満開の桜並木をウオーキングです

いつものコースから外れて、桜並木の坂道を歩きながら花見風景も見ることができた。

いつもは買い物がてら桜のトンネルを通って車窓からの花見コースだが、坂道を歩いてゆっくりウオーキングで花見散歩ができた。

桜のトンネル目当てで、車の往来も多い時期


歩いて通ると振り返って桜坂を鑑賞できる


福山雅治の桜坂でも口ずさめれば気分もいいだろうけど、歌は知らないし息が切れるだろう、マイペースで今が盛りの満開を堪能できる。

老木も多く台風で倒れたりして切り除いたりしているが、切り株から細い新芽の桜が咲いている。

はかないイメージの桜だけど逞しさも魅せてくれる
  


途中から公園に入ると、お花見のグループが彼方此方に


平日で人数も少なく、コロナ禍のせいか静かに楽しんでいる


桜の花で囲われているような高台地域である


帰り道は階段を下りて平坦地をウオーキング、道端の花も賑やかになってきた。

スミレの群生を見たのはいつ以来だろうか


この地域の住所名は桜山といわれているから、昔から桜の木が多い市街地なのだろう。

明日は4月1日、新入学や人事異動の日、桜を観ると子供たちの新入学や現職時の挨拶回りなどを思い出します。


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芝生の雑草除去を始めています

2022-03-30 | 庭、作業、菜園
今頃が綺麗な芝生を維持する大事な時期と思っています

先日エアレーションを終えて、雨の直前に肥料を十分に撒いておいたから、今年も緑の絨毯を期待している。

昨年もあれだけ除草しても、雑草は逞しく彼方此方に生えてくる。
早い内に取り去らないと、増え続けて根が張って取り切れなくなるから、今の内から根気よく小さい内に除去作業を開始する。

我が家の芝生は一人で手入れするには丁度いい広さ


芝生の下には蟻の巣が迷路のように通っているのだろう、毎年何か所も土の小山が現れると蟻の駆除も行いながらの手入れが始まる。

芝生の中の色形の違う雑草を一本一本根こそぎ引き抜く


芝生用の雑草除草剤も売っているが、芝生も枯れてしまうような気がして一面に撒く気にはならない。

雑草の引き抜きはかなり根気のいる作業だが、腰を伸ばしながら毎日一坪くらいを作業している。

数日かけてひと通り抜き終えると、最初の一坪に新たな雑草が伸びて来るから、芝生が緑になっても一年中この作業は続くけど、今の時期の雑草除去は芝生が成長するポイントである。

ついでにベコニアを地植えした


これからドクダミも増えるし、地を這うアイビーも伸びて来るが、その中に花が見えたらいい感じになると思う。

鉢植えとは異なる咲き方を期待している


ベコニアは日陰でも育ちやすいが、芝生は太陽光の中で楽しませてくれる。

今の時期に辛抱強く手入れしながら、最初の芝刈りはゴールデンウイーク頃と予測して、世間の混雑を避けて庭仕事を楽しみたいと思っています。


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高湯温泉から二本松市で智恵子の生家へ

2022-03-28 | 旅行
福島駅から在来線に乗って二本松駅で途中下車しました

旅館で一泊してただ帰るのも勿体ない気がして、何処か観光できる場所がないかと調べていて二本松城がヒットした。

戊辰戦争で落城したが、そのとき戦った「二本松少年隊」の悲劇の舞台となっている。

飯盛山で自決した会津藩の白虎隊は余りにも有名だが、二本松でも同じことが行われていた。

復元作業は今も続いているよう




二本松城下が一望できる


近くに、二本松藩主・丹羽家の菩提寺「大隣寺」がある


境内に少年隊士を供養した供養塔が並んでいる


まだ少し時間があるから市街地マップを見ていたら、「智恵子の生家」が載っている。

高村幸太郎の妻の生家が残っている! 記念館もあるようだ。
これはぜひ寄ってみたいけど交通機関が見当たらない、思い切ってタクシーを使うことにした。

生家は街道に面した造り酒屋・長沼酒店である


智恵子は、ここで何不自由なく育って大学に進学し、当時は画家としても注目された女子だったらしい。

当時の繁栄の中にいるような気になる


高村光太郎も妻と度々東京から戻って過ごしたらしい


智恵子抄で、高村光太郎が愛した可愛い病弱な女性が精神疾患を患って、若くして亡くなったとだけ思っていたが、それだけではないようである。

昭和4年に長沼家は倒産して生家が人手に渡ったことも、長女の智恵子が精神を崩した一因ではないかと推測されている。

3月の安達太良山は意外と雪が少なく見えた


この景色を想い浮かべながら息を引き取ったのだろうか、この空と東京の空とを比べた言葉は余りにも有名である。

その後、高村光太郎は戦後の世相に振り回された後、岩手県の宮沢賢治の生家を頼って花巻市の庵で一人生涯を終えたと記憶している。

在来線で郡山へ出て新幹線で帰路に


今回の湯治旅では予想外の事実に出会うことが出来て、ひと通り歩き終えたらふーっとため息が出るような気分になった。

愛と繁栄、そして没落、精神疾患、若年死、孤独等、一人の女性の人生が詰まっている空間に触れた旅になった。

二本松市街の交差点にはこんな標識が


タクシー代は計画外の出費だったが、時間に使って大正解だった。

生家は二本松市が住人から譲り受けて管理・保存している、二本松市の貴重な文化遺産である。

我々世代には馴染み深い物語を身近に見ることができて、予想以上の感動を味わうことができた湯治旅。
疲れを取るつもりが、少し新しい疲れが出たような、新しい文化史を発見したような旅でした。


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福島県高湯温泉に行ってきました

2022-03-26 | 旅行
先日、3月の初旬に福島県高湯温泉に旅して、やっと画像の整理ができたので、遅ればせながらブログにアップします

今回の温泉旅は湯治気分で疲労回復が目的でしたが・・・・

この地域の温泉質が気に入っていて、秘湯だけど福島駅から旅館の送迎バスを利用できるので、実に便利が良くてここの温泉に浸かるのは三回目である。

標高800mほどの山間の秘湯で路線バスはあるけど、駅からの送迎バスがなければたどり着けないような場所である。

福島駅は春を待つ桃の花で迎えてくれた


福島駅周辺を歩いていると、11年前の東日本大震災からすっかり復興したように見えるが、太平洋側の街々は津波・放射線の影響から、今も復旧を進めているのは間違いないだろう。

人々の記憶から薄れている気がするが、あの時の状況は忘れられない。
小生が定年退職する20日前の出来事だったから、これからも忘れることはできないだろう。

昼食はご当地ラーメンで節約旅である


今回お世話になる秘湯の宿は「安達屋旅館」


高湯温泉では最古の旅館らしいが、掃除が行き届いていて清潔な由緒ある建物である。

例年より積雪が多かったらしい


レトロな囲炉裏や暖炉が迎えてくれる


この地域の温泉は白濁湯で胃腸に効能があり、湯船に身体を預けると泉質の効能を実感できる。
浴場を撮影できないから、湯色を紹介できないのが残念!

翌日はただ帰るのも勿体ないから二本松城に立ち寄っていくことにしたら、高村光太郎の妻智恵子の生家も見学することができた。

智恵子抄の新たな一面に触れることができたので、もう一度だけ続編を描きたいと思っています。


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「鎌倉殿の13人」所縁の地を歩き始めました

2022-03-23 | 近隣散歩
NHK大河ドラマ「鎌倉殿13人」所縁の地を、彼方此方と歩き始めました

鎌倉は隣り街だし時々散歩するところであり、鎌倉幕府が存在した歴史的にも有名な観光地である。
数年前、世界遺産登録を目指して申請までこぎ着けたが、登録承認を得ることはできなかった。

それでも鎌倉は我が国の由緒ある史実が詰まった武家の街である。しかし、観光地化し過ぎているのかも知れない。
文化遺産の直ぐそばに近代的なお土産店やお食事処があったり、いつも観光客でごった返している。

大河ドラマを観て、新しい頼朝・北条家が描かれていて、分かりやすい鎌倉の歴史を見直したくなった。

一日では歩き切れないので、何日かかけて巡り歩くことにした。

まずは段葛から鎌倉八幡宮を通って


あちこちに道案内があるから助かる


今回は宝戒寺、永福寺跡の源頼朝と北条義時の墓所、大倉幕府跡が目的地である。

宝戒寺は北条義時が屋敷を構えた場所


北条家代々の邸宅があった場所で、幕府滅亡後、北条一門の菩提を弔うために後醍醐天皇が足利尊氏に命じて建立したらしい。

境内から離れた山裾に、北条高時腹切りやぐら・墓所がある。
新田義貞に攻め込まれた北条氏一族が自刃した霊所で、やぐらが残っているが、土砂崩れの恐れから立ち入り禁止になっていた。

この奥にやぐらがある  近くを流れる滑川も歴史を感じる
 
 


20年ほど前に訪れたときはやぐらまで行くことができたが、武者の霊が漂っているような霊気を感じるような場所、無用に立ち入ってはいけない凄みのある雰囲気の場所だった。

この時やぐらの中に、故高倉健の塔婆が数本立てられていたが、とても写真を撮る気にはならなかったのを憶えている。

歩け歩けで源頼朝の墓所へ参拝


北条義時の墓所跡は隣地にある 一帯は法華堂跡らしい
 


ここから少し歩くと大蔵幕府跡がある
 

真剣に写真を撮っている人がいて、はにかみながら話しかけてくれた。
「こんにちわ」「いやあ、この石碑を掃除した時、一文字を間違ってしまって」と訂正した仕上がりを記録していた。
この一文字で史実が変わるかも知れないと思うと、なんか面白い。

源頼朝が居所を構えて幕府を開いたところで、この辺りは大倉郷と呼ばれたらしく大蔵幕府と云われたらしい。
有力御家人の宿所や役所が置かれていた場所、現在は清泉小学校の敷地周りになっている。

歩いて歩いて鶴ケ岡八幡宮に帰ってきた


源氏池の中州に白旗神社がある、白旗は源氏の旗、鎌倉にも葉山にも彼方此方にある。

鎌倉駅から歩いて13,849歩の徘徊散策で、とても書ききれなくてダラダラ長文のブログになってしまいました。

それと、史実的文章を部分的に書きましたが、鎌倉市の観光資料から参考にさせていただきましたのでご承知ください。
これからも何回か徘徊散歩する度に参考にさせていただきたいと思っています。



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