ポーランドからの報告

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ヨハネ・パウロ2世ゆかりの地を歩く ① クラクフ大司教座宮殿・法王の窓

2006年09月12日 | ヨハネ・パウロ2世

敬虔なカトリックの国ポーランドが生んだローマ法王、ヨハネ・パウロ2世。
クラクフは、このヨハネ・パウロ2世の街としても知られています。

ヨハネ・パウロ2世は、1920年クラクフ郊外の街ヴァドヴィツェ(Wadowice)で生まれ、大学卒業後、クラクフ大司教を経て、バチカン枢機卿へ選任されました。ローマ法王になってからは、在位26年で130回以上の外遊をこなし、とりわけアルメニアやイスラエルを訪問するなど、異宗教との融和に努めました。さらにポーランド出身のコルベ神父を始め、多くの聖職者を聖人としたことでも知られています。昨年4月2日に逝去された際には、葬儀が行われた4月8日まで国全体が喪に服しました。そしてバチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂で行われたヨハネ・パウロ2世の葬儀には、ポーランドから50万人を超す人が参列しています。

  
  

クラクフ旧市街を中央広場から歩くこと徒歩1分、フランチェシュカンスカ通りに面した黄色い建物の入り口をくぐり中庭に入ると、ヨハネ・パウロ2世の像に出迎えられます。クラクフの教会区の管轄本部、 クラクフ大司教座宮殿 です。ヨハネ・パウロ2世は、この大司教座宮殿で大司教を務めた後バチカンに移られ、ローマ法王となってからも、ポーランド凱旋の際には必ずこの大司教宮殿に滞在されています。クラクフにおけるヨハネ・パウロ2世の足取りを辿る上で、一番重要な場所です。
  

そしてこの大司教座宮殿の象徴的な存在となっているのが、入り口のアーチの真上にあるお部屋の窓、 法王の窓 (Papieskie Okno) です。クラクフ凱旋の際に、いつもこのお部屋の窓から通りに集まった人に手を振って挨拶するのを好まれたことから、いつの間にか 法王の窓 と呼ばれ親しまれるようになったものです。先日ベネディクト16世がクラクフを訪問された際も、やはりこの法王の窓に立って挨拶を行いました。


クラクフには、このほかにも南部ワゲヴニキの サンクタリウム(Sanktuarium Bożego Miłosierdzia)や、2002年に250万人以上の信者を前に演説を行った ブウォーニア(Błonia)など、ヨハネ・パウロ2世ゆかりの場所がいくつもあります。



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