『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦10月10日  もながし祝い

2008年01月08日 | 伝説
大須賀筠軒(天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦10月10日の項には、
次のような記述もあります。

小兒、痘瘡ヲ首尾能ク済(スマ)セタル時、
もながし祝トイフ事ヲ為ス。
是ハ昔日、種痘ノ發明モナカリシ故ニ痘瘡ヲ以テ
小兒ノ一大厄トシ、めゝ定メ、命定メナドイヒシ事ナレバ、
無事ニ済ミシハ此上モナキ幸福トシ、
餅搗キ祝ノ賑、大方ナラズ。概ネ熊野講ト同様ナリ。
熊野講ノ事、五月二十三日ニ詳カナリ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。

天然痘(痘瘡、瘡瘡)に罹った子どもが病気から回復した際には、
「もながし祝」というお祝いをした。
かつて、種痘(天然痘の予防接種)がなかった時代には、
天然痘は子どもの命を危うくする大病で、
これに罹っても無事済めば、大喜びをし、お祝いに餅つきもした。
その際の餅つきは相当な賑わいで、
熊野講の餅つきに匹敵するものだった。
熊野講については、この本(『磐城誌料歳時民俗記』)の
5月23日の項に詳しく記載した。
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