大須賀筠軒(天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦9月の項には、
次のような記述があります。山梨の収穫についてのものです。
楢葉山中ニテハ、栗ヲ拾フ後ニ山梨子モ拾フ事ナリ。一人一日ノ得ル所、概ネ二、三斗ニ下ラズ。或ハ細刻シ、或ハ舂碎シテ乾貯ス。之ヲ水ニ浸ス、一宿。其水ヲ以テ酢ニ代フ、味極メテ佳ナリ。特ニ獸肉ヲ生食スルニ用ヒテ氣味ノ透徹スルヲ覚ユルモノナリ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。
楢葉地域の山中では、栗拾いの後に山梨も拾う。
1人1日で、およそ40ℓほどの山梨を拾う。
収穫した山梨は細かく刻むか、臼で砕いた後、
乾かし、貯蔵する。
また、それを食べる時には水一晩、水に浸して戻す。
その際、山梨を浸した水は酢の代用品にもなる。
味わいは格別である。
特に獣の肉を生食する際には風味を格段引き立てる。
山梨の実は、私も食べたことがありますが、
木からを取った生のものは、
ガリガリと硬くて、甘味もあまりなく、
「美味い」とは言いがたいものでした。
昔の人々は、それを乾燥させ、貯蔵し、
それから、食べていたようですね。
明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦9月の項には、
次のような記述があります。山梨の収穫についてのものです。
楢葉山中ニテハ、栗ヲ拾フ後ニ山梨子モ拾フ事ナリ。一人一日ノ得ル所、概ネ二、三斗ニ下ラズ。或ハ細刻シ、或ハ舂碎シテ乾貯ス。之ヲ水ニ浸ス、一宿。其水ヲ以テ酢ニ代フ、味極メテ佳ナリ。特ニ獸肉ヲ生食スルニ用ヒテ氣味ノ透徹スルヲ覚ユルモノナリ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。
楢葉地域の山中では、栗拾いの後に山梨も拾う。
1人1日で、およそ40ℓほどの山梨を拾う。
収穫した山梨は細かく刻むか、臼で砕いた後、
乾かし、貯蔵する。
また、それを食べる時には水一晩、水に浸して戻す。
その際、山梨を浸した水は酢の代用品にもなる。
味わいは格別である。
特に獣の肉を生食する際には風味を格段引き立てる。
山梨の実は、私も食べたことがありますが、
木からを取った生のものは、
ガリガリと硬くて、甘味もあまりなく、
「美味い」とは言いがたいものでした。
昔の人々は、それを乾燥させ、貯蔵し、
それから、食べていたようですね。