『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

旧暦9月  山梨拾い  

2007年11月02日 | 伝説
大須賀筠軒(天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦9月の項には、
次のような記述があります。山梨の収穫についてのものです。

楢葉山中ニテハ、栗ヲ拾フ後ニ山梨子モ拾フ事ナリ。一人一日ノ得ル所、概ネ二、三斗ニ下ラズ。或ハ細刻シ、或ハ舂碎シテ乾貯ス。之ヲ水ニ浸ス、一宿。其水ヲ以テ酢ニ代フ、味極メテ佳ナリ。特ニ獸肉ヲ生食スルニ用ヒテ氣味ノ透徹スルヲ覚ユルモノナリ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。

楢葉地域の山中では、栗拾いの後に山梨も拾う。
1人1日で、およそ40ℓほどの山梨を拾う。
収穫した山梨は細かく刻むか、臼で砕いた後、
乾かし、貯蔵する。
また、それを食べる時には水一晩、水に浸して戻す。
その際、山梨を浸した水は酢の代用品にもなる。
味わいは格別である。
特に獣の肉を生食する際には風味を格段引き立てる。

山梨の実は、私も食べたことがありますが、
木からを取った生のものは、
ガリガリと硬くて、甘味もあまりなく、
「美味い」とは言いがたいものでした。

昔の人々は、それを乾燥させ、貯蔵し、
それから、食べていたようですね。
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