『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

旧暦9月 栗拾い

2007年11月01日 | 歴史
大須賀筠軒(天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦9月の項には、
次のような記述があります。
栗拾いについてのものです。

是月ハ果實類ノ採拾多キ中ニ、栗拾ヒヲ第一トス。磐城山中、栗樹多シ。栗毬(クリノイガ)罅折(エミ)、其子ヲ落トスヤ、村里ノ老幼男女、毎戸出デヽ拾フ。深山幽谷ノ間、歌唱相応ジ、談笑相聞フ。一人一日ノ拾フ所、少キモノ壱斗左右、多キモノハ四斗前後。或ハ一把ノ團茅(コヤ)ヲ山中ニ假設シ、旬日ノ間、此ニ寝食シテ捃拾スルモノアリ。之ヲ貯フルニ蒸籠(セイロウ)ニテ湯蒸シ、庭上ニ鋪シ、晴日ニ暴乾シ、藁俵ニ納メ、爐上ノ屋梁ニ上ス。十数俵ヲ貯ルモノアリ。亦、凶荒豫備ノ一助ナリ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。

旧暦9月には、さまざまな果実の収穫が行われる。
なかでも栗拾いは特筆されるべきものだ。
いわき地域の山中には、栗の木が多い。
栗のイガが割れ、栗の実が地面に落ちる頃合を見計らい、
村里の人々は総出で栗拾いをする。
深い山の中や谷の奥深くまで、人々が分け入り、
歌を歌い、楽しげに言葉を交わしながら栗拾いをする。
1人が1日に拾う栗の量は少ない人でも18ℓぐらい、
多い人は70ℓほどの栗の実を拾う。
なかには山の中に仮設の小屋を作り、
そこで寝食をしながら栗を拾う者もいる。
拾った栗を貯蔵するには、まず、蒸籠で蒸し、
蒸しあがったものを庭に並べて乾燥させ、
その後、藁俵に入れ、囲炉裏の上、家の梁に上げ、貯蔵する。
10数俵の栗を貯蔵しておく家もある。
飢饉や凶作などの際の食糧として、
栗は大変役に立つものである。
コメント (2)
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