大須賀筠軒(天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦9月29日の項には、次のような記述があります。
二十九日 城南三里、中藤原村熊野三社権現ノ例祭ナリ。
社ハ延暦二年、紀州熊野三所ヲ勧請セシモノナリトゾ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。
旧暦9月29日
磐城平城の南12キロメートル、常磐藤原の熊野三社権現の例祭が行われる。
この神社は延暦2(783)年に紀州の熊野三所を勧請し、ここにお祀りしたものだと伝えられている。
明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦9月29日の項には、次のような記述があります。
二十九日 城南三里、中藤原村熊野三社権現ノ例祭ナリ。
社ハ延暦二年、紀州熊野三所ヲ勧請セシモノナリトゾ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。
旧暦9月29日
磐城平城の南12キロメートル、常磐藤原の熊野三社権現の例祭が行われる。
この神社は延暦2(783)年に紀州の熊野三所を勧請し、ここにお祀りしたものだと伝えられている。