『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

十九夜講 高木誠一の記録

2006年10月09日 | 伝説
高木誠一(1887~1955年)の『石城北神谷誌』には、
十九夜講について、次のように記述されている。

十九夜講
二月と七月の十九日は十九夜様と称し、
村の女達各々一重箱の肴野菜などの煮しめたものを携えて寺に集る。
四、五銭位づつ出金(方言サシ)して、酒を買い、
一同、十九夜堂に詣でて御供えをなし、十九夜血の池念仏和讃を合誦して、
礼拝念仏し、安産を祈禱する。
次に、村内の子供の生れた家から安産の報賽として供えた投餅をまき、
各自、持寄つた肴を出しあつて、御酒を頂戴し、歓をつくし、
平生の疲れも忘れて、黄昏に家に帰るのである。
十九夜様は石に彫りつけた如意輪観音で、寛延二年に立てたものと、
安政四年三月十九日に立てたものとがある。
これは村中の女人講中が月々十九文づつ掛け金して立てたものであるという。
昔は、難産で死んだ人の供養には十九夜様の塔婆を立てたそうである。
わが地方では一般に十九夜を念ずる風があるが、
右の如く一年一度の所もあれば、年に数回集るもあり、
又、宿を定めて、順次廻り番に集る所もあつて一様でない。
我村では近年此講を利用して、農事指導員、小学校長など出張し来り、
農事改良、又は家庭教育の話をして、頗る好結果を収めている。
           『石城北神谷誌』より
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