『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

高木誠一が書き残した「奥参り」

2006年08月22日 | 歴史
いわき市小川町の「雷様石」は、
男が「奥参り」の途中で拾い、
家に持ち帰ったものとされているが、
その「奥参り」について、
高木誠一(1887年~1955年)が記録を残しているので、次に紹介する。

昔から今も奥参りと云うて、
出羽の三山、月山、湯殿山、羽黒山に参詣する習がある。
湯殿山は農作神で、参詣をすれば、
桝ではかれば箕でかへす御信願で、
村でも四十八度参詣した人の供養塔も立つてある。
きけば語るな、語らばきくな、語つてひろめろ刈田山と云へ、
一切秘密の山とし、参詣して来ても語らない御山である。
刈田山は湯殿山の姉様で、
初詣りの人はこの御山よりかけることになつて居る。
語つてひろめる御心願である。
白單衣の行衣を着、頭には麻糸にてよつたシメ冠をし、
白脚胖、白甲かけ、菅笠にゴザ、
手には珠数、腰にはカンザシを差し、
これにマキ銭をさした。道中で銭をまいた。
道中で河かあれば、水垢離をとつた。
最上に行くと、子供等は御道者御道者とつき来つて、
腰の銭をねだつた。
又、代垢離をして、銭をねだつたものである。
今では此風は少くなつた。
子供等の唄ふことは、

御道者御道者の腰にさした銭かねは、まくがための銭だんべー。
サア、御まきヤレ、御道者御道者。
一文まいたら、道中軽かんべーン。
二文まいたら、御山も軽かんべーン。
三文まいたら、御来迎にもあはシヤンすべーン。
さきの御道者に聞いたれば、あとの御道者は銭持だー、金持だー。
サア、御まきヤレ、御道者御道者。

一切精進で、村中で御山カミゴトをして、道中安全を祈る。
昔は十二日かヽつた。
昔から湯殿山には米一駄、江戸見物も一駄、
伊勢参りは三駄の路金があれば行かれると云つたものである。
     『石城北神谷誌』より

言ってみれば、これはかつての人たちの旅の記録だ。
コメント
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