アヒルのミューズ~LOHASの森~

アヒルのミューズが棲む
“LOHASの森”から発信するブログ

節電の街の様子から

2011-03-14 | Weblog
早朝から、「計画停電」で都心部はじめ多くのエリアで、
混乱が続いた今日一日。
綾乃さんの事務所のエリアも、第4グループに入るとのでことで、その準備に追われた。
ラジオを付けたままで、状況を見守り続けたけれど、
幸いにも停電が実施されたのは第5グループからだった。

でも、停電するならするで決めてしまわないと、
するかしないかわからないというのが一番困ったりするように思う。
コンピュータのように、急に電源が落ちるとシステム的によくない機器類は、
あらかじめ電源をOFFにしておく必要があるでしょ。
データのバックアップは、意外とそういう時に限って、怠っていたりするよね。

夕方急用で、渋谷のセンター街の付近を通って目的地へ向かっていた時のこと、
日ごろの渋谷の夕暮れ時の街の情景とはたしかに違っていた。
ビルの看板に電気が付いてないところが多く。
多くのお店が18時で閉店になり、節電に協力していた。

海外のメディアが、非常時における日本人のマナーについて、
賞賛していたけれど、その気配りは人や企業によって差があるとは思うけれど、
広大な被災地の状況がテレビで映し出されたり、
新聞の一面他の写真で、被災地の惨状を見た人は、
心のどこかで想っているに違いない。
「被災した人に比べたらこれくらいは何のその・・・」と。
と、みんなの心が、どこかでつながっていれば、
まだ日本は、捨てたもんじゃない。
日本は、立ち上がれるとは信じている。

明日は、計画停電、あるのかな・・・・

福島原発の二転三転する会見に、
不満や不安を感じている福島県をはじめとする多くの人が、
今夜も心穏やかに休むことは出来ないのことだろう・・・。

今夜も、なれないさまざまな対応に明け暮れて疲れ切った体を
少しでも休めるよう、努力してみよう。
祈りながら、床に就くことにしよう・・・


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世界中の祈りが、一つでも多くの奇跡を起こすこと祈って

2011-03-11 | Weblog
今日午後に、度々繰り返して起きた広範囲にわたる地震で、
被害にあわれた方々に、心よりお見舞い申し上げます。

5年ほど前にコンサートをさせていただいた、
岩手県三戸ほか、東北の太平洋岸の被災地で、
いまだ安否のわからない方々の
ひとりでも多くの方々の無事が確認できますよう。
今も助けを待っている方々に、
日本中の、世界中の祈りの力が届きますよう。
そばに、いないけれどつながっている
心をつなげていけるよう。

祈っています。

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あな、あやかりたし・・・この看板

2011-02-14 | Weblog
何気に普段、街中を歩いていて
目にする“営業中”の看板。

先日、東横線都立大前の駅近くにあるとあるお店の前で、
思わず立ち止まってしまったすごい看板に出くわした

その店先の看板は、
「荒稼ぎ中」

す、すごい

実際にその店の中が満席状態なのかは確認しなかったが、
このウィットにとんだ看板は、
意識が釘付けになった。

しかし、ここまではっきり“提示”されると、
中では、看板に書かれている営業内容だけなのか・・・
と、ちょっと別の興味も惹かれた。
いつか機会があれば、その“荒稼ぎ”の様を
確認してみたいものだ。


いずれにしても、
世の中、まだまだ知らないものがいっぱいだと
感じ入ったであった。
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作風に現れる人の想い

2011-01-19 | Weblog
綾乃さんは、ジャンルによっては本を読むのにとても、
文字の間に多くの想像の世界を広げることもあって、
時間がかかることがある。
科学書のように事実や現象がそのまま書かれてるものはともかく、
心象風景描写や、情景の描写にこだわりのある文章は、
その“様”を彼女なりにいろいろと思い浮かべて
想像したり、時には妄想?したりして楽しむこともあるようだ。
そんな時は、同じ場所を行きつ戻りつ、
何度も繰り返してついつい“楽しんでしまう”らしい・・・


しかし、今綾乃さんが呼んでいる本は、
かなり“スムーズに読む”のが大変な本らしく・・・。

で、本を読むこと自体がいやにならないようにと、
ふと目にとまったオークションに出品されていた
うさぎ柄の単行本サイズのブックカバーを落札して買ったのだそうだ。

手元にすぐにその品が届いてきて、
さっそく付けて読んでいるとか。

が、綾乃さん曰く、
そのブックカバーの出来がとても素晴らしいのだと。
なんでも出品者の方とのやり取りで、
コンピュータをしないお母様が趣味で作っている作品を、
息子さんが母の生きがいが、わずかなお小遣いになり、
孫たちとの楽しい時間や会話につながればいいので、
いわゆる店舗やプロとして作品を出している形と違うことを
それとなく書いてくれたらしい。

だから、何時、どんなタイミングで、作品ができるかわからないし、
同じものは一つもなくて、
作者のなかの“マイブーム”から、その時の作品がある日、完成するのだとも。

綾乃さんは、気にいた2点を合計1,000円で購入したのだそうだが、
その丁寧な作りと、配慮の行き届いた仕様に1つ500円という値段では、
安すぎるというか、欲の無さをも感じたのだそうだ。
しかし、それらの作品ができてくる上での制作者の心の過程を
かいま知ったことで、
そうか、そういうことなんだ・・・とある種納得もしたのだそうだ。

音楽業界も、CDが売れなくなって大変だということは、
色々なところで耳にするけれど、
作品に込めた思いと流通システムという業界的な手法によって付けざるを得ない
値段とが、必ずしもニアリーイコールとは言えない今日、
いくらで大事に作った作品を世に出すかという際に、
安かろう悪かろう・・・とか、
高いから高品質・・・とは限らない昨今、
“作り手の心意気がちゃんと作品に命を吹き込む作品作り”を
これからも大事にし続けるべきだとは思う。

そんなの理想だよ…という人がいるかもしれないけれど、
ものを創るうえで、決して手抜きをしてはいけないことがあること、
日本人は、知っていてと思うんだけどなぁ・・・


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2010年末年越しと春へとつながる情景

2011-01-01 | Weblog
みなさん、明けましておめでとうございます!
今年も、よろしくお願いいたします。



2010年大晦日に、綾乃さんの事務所近くで感じた、
年越しの情景と、春へとつながる情景を捉えたショットを
今日は年の初めにお届けしたいと思います。


各家に飾られた門松やしめ飾りもそれぞれの趣をかもし出しているよね。
難を福に転じる・・・ということわざから門松に、あえて“南天”を使ったものを発見!

そのほか目にとまったものは、
お手製の小さな日の丸を、門松に“ちんまり”と飾ったもの。
真ん中の赤い丸の部分が、刺繍で出来ていたのには、驚いた。


それから、門松の竹の切り口もいくつか手法があるみたいで、
その一つをちょっと変わった方向から撮ってみたものだよ。



謹賀新年の飾りのちょっと横の方を見上げたら、
そこには“巣箱の団地”が!
巣箱の中は、年末で建物の主と同じように、留守だったけどね。
帰省中かな・・・



そして、よく見渡すと、
春へと続く自然の情景がちらほらと・・・
はたまた、温暖化現象の功罪なのか、
季節にはちょっと不釣り合いな光景も。
でもには、
なんかすべてが、ああ、新しい年をむかえようとしてる感じがして
仕方がなかった。


白いサザンカの寒さに凛とした佇まい。


南天や千両や万両も、見劣りするぐらいに
実をたわわに付けたリンゴ科のピラカンサ。


花屋の店先には、
早く誰か買ってね・・・とばかりに、
黄色の千両がたくさん。


その店の隣には、お蕎麦屋さんがあって、
年越し蕎麦の支度で忙しそうだった。


そして、そして、その隣の店先には、大きなオリーブの木があって、
よく見たら、摘み残したのか、オリーブの実が4つほどなったままになっていた。
オリーブも、この寒い中で年越しだね。



公園へ向かう途中の目黒川には、
川で年越しするカルガモが、一生懸命、
川底の苔を食べていたよ。
でも、その多くはつがいでね、なんかそれだけで、
春をちょっと感じた





公園への道すがら、
まだ春にはちょっと遠いかなと感じるような、
桜の固いつぼみを見上げて、
でも、その太い幹には、
アイビーの若いツルがしっかり生え上っていたよ。





公園の花壇や散策路脇には、
花屋さんではすでに満開のものが売っているけど、
自然界では、まだ少し先にならないと咲きそうにないスイセンのつぼみ。



まだ、茎がそんなに伸び始めていない、白や紫の葉ボタンは、
冬の花壇をとても賑やかに飾っていたよ。





小さな畑には、大根の葉っぱを見つけた!


そして、植え込みの根もとのわずかな土の空き地には、
なんの種かわからないけど、
若い芽が出てきていて、思わず綾乃さんと座り込んで見とれてしまった。



さあ、いよいよ2011年の始まりだね。
みんなにたくさん、“福”が来るといいと祈っているよ。
ある店先で見つけた屋号の中の“福”を
届けるね。



見上げたら、空が、いつもより青かった。
なんか透き通っているようでもあり、
車が少ないからだね。

こういう日は、富士山や遠くの景色もよく見える。

2011年が、世界中にとって少しでも幸せを感じることのできる歳であって欲しいと
と綾乃さんは思っている。

綾乃さんは、何やらクリスマス明け位から、
すでに意識は、2011年に馳せていたようだけれど、
この青く澄んだ空を見上げながら、
“飛躍”の象徴の兎年の始まりを、
なにか期待と小さな興奮で今、胸がちょっと高鳴っている・・・









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XmasケーキとK先生の想い出

2010-12-24 | Weblog
明日は、クリスマス。
今夜は、みんなはどんな夜を過ごすのだろうか・・・。


いつも、この時期になると思いだす中学の時の
英語科のK先生を思い出すという、綾乃さん。

K先生?
クリスマスの時期に、何か特別なことでもあったのか?
あこがれの先生とかで、その先生にクリスマスケーキでも
プレゼントしたのかと思ったら、
なんでも、「クリスマスケーキ」の
表面によく書かれている“文字”についての思い出なんだとか。

文字?

そう。
現在でも、この時期になると巷で目にする
“日本で”クリスマスを表す表記のひとつである、
X'mas

綾乃さんが、教わった中学の英語の先生だったK先生は、
当時、外国にも頻繁に行っていらしたそうで、
クリスマスが近い2学期のとある英語の日、
授業中の余談で、ケーキの表面にある文字のことを
話し出したのだそうだ。
当時は、巷で見かけるほとんどのクリスマスの表記が、
“X’mas”だったとのこと。
そして、K先生が言われたのには、
この用法は、“間違い”だと。

海外では、Xの後に、’なんて付けません!!!
もし、英語の試験でちゃんとChristmasと単語が出てこなくて、
「’」を付けてX'masなんてもし書いていたら、絶対×にしますよ・・・と。




今でこそ、ようやくその間違いな用法に気が付いた人や企業が、
「’」を取って表記するようになってきたものの、
実はまだ目にする半数以上の表記が間違った「’」付きのものだとのこと。

そもそも、なんで、クリスマスが、Xmasなのかも、
日本ではあまり知られていなかったりする。

Xは、英語の「エックス」じゃなくて、
ギリシャ文字の「Χ(カイ)」からきているそうだ。

19世紀の英語圏では、たしかに「X'mas」あるいは
「Xtmas」(Xの後のtは、’と同じ位置に、小さく「t」と表記)と書かれた時もあったそうだが、
日本では、“省略”の意味で、’を使うと英語の文法でよく教えていたせいなのか、
Xmasには、’がついたX’masという表記が当たり前に使われてきちゃっているとのこと。


それと、クリスマス・イブは、Christmas Eveで、
クリスマスを迎える夜、evening(頭が大文字で始まる場合は、特別な意味を持つイブ)で、
つまり“聖夜”のことをさすから、
日本でやはり誤用されている“イブ”=前日も、
大変な間違いなのだそうだ。

ましてや、12月23日を指して、イブイブなんていったら、
もう大変

みなさん、気をつけましょう。

さて、今年は、“クリスマス寒波”が襲来中のようですが、
みなさん、素敵なクリスマスを

そして、もしケーキに“’”が付いていたら、
K先生の教え通り、指でかきとって、その部分だけ食べてなくしてしまいましょう!


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エコプロダクツ2010で北極グマと出会う

2010-12-12 | Weblog

ここ数日、COP16の話題がニュースや新聞に取り上げられているが、
そんなさなか、12月9~11日、東京お台場の東京ビッグサイトで開催されていた
「エコプロダクツ2010」に行ってきました

補注:COP16の“COP”とは、Conference of yhe Partiesの訳で、
(気候変動枠組条約に限らない)国際間で締結される条約の締約国が集まって開催される会合のこと。
COPの後ろに着く数字は、何回目の開催かを表してる。

環境問題が世の中で語られ始めて久しくないが、
なぜ今回綾乃さんと一緒に会場へ足を運んだかと言えば、
このブログのタイトルにも注目くだされ

つまり“LOHAS(ロハス)”ということばに基づいて、
このブログはスタートしたからなんだ。
現在日本では、一つのライフスタイル的にも使われるこのLOHASという言葉だけれど、
“持続可能な”という点で、無理して、言葉を無意味に放出するのでなく、
言葉を大事に、思いを大事に、無理のないペースで、
発信できたらと言う思いからこのブログはそもそも始まったんだよ。

で、LOHASというのは、Lifestyles Of Health And Sustainability (健康と持続可能性の(あるいはこれを重視する)ライフスタイル)の略だけれど、
環境問題でもしばしば取り上げられる“持続可能な(Sustainability)”という点について、
エコプロダクツという環境問題に企業や団体として取り組んでいる人たちの集まりの場に
是非行ってみようということで、綾乃さんと行ってきました!


環境問題といわれるなかには、
たくさんのことがあるのだけれど、
その中でも今年もとても注目されているのが、
“生物の多様性”ということ。

生物の多様性は、この地球の色々なバランスを保つ上で大事なことなのだけれど、
最近、多くの種が、絶滅の危機に瀕しているんだ。
ご存知の方も多いと思うけれど、環境の激変によって、
生息が不可能になったために種が絶えてしまったり、
今まさに、外来種によって在来種が絶滅の危機に瀕していたりと
課題は山積なんだ。
もちろん、世界中で問題になっている、
CO2(二酸化炭素)の排出問題による
地球の温暖化によって、北極や南極の氷がかつてないスピードで溶け出し、
そこに棲む生物たちも、激変する環境と戦う日々を送っているんだ。
で、綾乃さんとツーショットの熊くんは、
絶滅が危惧されている“北極グマ”です。

会場は、企業の社会的責任という言葉の浸透によって、
多くの企業や団体が、環境にやさしい取り組みを如何にわが社はこういう風にして取り組んでいます!
ということを一般に知ってもらう良い機会の一つでもあるこの会場では、
各社が“環境に配慮した”展示や宣伝を努力しているように見えた。


たとえば、家庭で一般的に使うようになってきた“インクジェットプリンター”の
使用済みカートリッジが再生利用できることをご存じだろうか。
普通のゴミとして据えていなかな・・・




環境問題への意識は、身近なところからコツコツと・・・
というのが、大事なように思うし、
それが“持続の可能性”を上げることにもつながっていくように思う。

ビッグサイトでのたくさんの催しに足を運んだことがあるけれど、
今回の環境をテーマにした会場で少し感じたのは、イベント全体としての環境への配慮を
強く心がけているように思った点だ。

たとえば、各ブースの説明や宣伝に流される“音”は単一指向性の配慮がされているようで、
そのブースの前に来た時だけ、よく聞こえて、
他に“騒音をまき散らす”ような音の出し方がないように気を配っているようにも思えた。
会場全体が、他のイベントに比べて音的に配慮されていたように感じたのは、
気のせいだろうか・・・

ゴミを出さない、再生できるものは再生利用しようという試みは、各会場の出入り口に、会場ででる“ゴミの分別回収場所”を設置していたりと工夫を感じた。



会場には、たくさんの出展ブースがあったが、
環境関連図書のコーナーも、なかなか興味をそそられるものがあった。



環境問題の原点を投げかけた書といわれる
1962年に出版されたレイチェル・カーソンの著書『沈黙の春』も並んでいた。

綾乃さん曰く、高校時代、地理の先生が当時としては画期的な授業を1年間してくれたのだそうだ。
それは、この『沈黙の春』はじめ、ローマクラブによって1972年に発表された
「成長の限界」を勉強した先生が、独自の膨大なプリント教材を作って、それをもとに
今地球では、何が起ころうとしているのかを絡めた地理の授業をして下さったのだとか。

補注:ローマクラブとは。~以下、ウィキペディアより部分引用~
ローマクラブ(Club of Rome)は、イタリア・オリベッティ社会長だったアウレリオ・ペッチェイ(Aurelio Peccei)とイギリスの科学者で政策アドバイザーでもあったアレクサンダー・キングが、資源・人口・軍備拡張・経済・環境破壊などの全地球的な問題に対処するために設立した民間のシンクタンク。世界各国の科学者・経済人・教育者・各種分野の学識経験者など100人からなり、1968年4月に立ち上げのための会合をローマで開いたことからこの名称になった。1970年3月に正式発足。本部は2008年にドイツのハンブルグからスイスのヴィンタートゥールへ移転した。

定期的に研究報告を出しており、デニス・メドウズらによる第一報告書『成長の限界』(1972年)では現在のままで人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇(あと20年で石油が枯渇する)や環境の悪化によって100年以内に人類の成長は限界に達すると警鐘を鳴らしており、破局を回避するためには地球が無限であるということを前提とした従来の経済のあり方を見直し、世界的な均衡を目指す必要があると論じている。その続編『限界を超えて-生きるための選択』(1992年)では、資源採取や環境汚染の行き過ぎによって21世紀前半に破局が訪れるという、更に悪化したシナリオが提示されている。その後も環境・情報・経済・教育などをテーマとした報告書が引き続き刊行されており、日本語版はダイヤモンド社から刊行されている。

近年の動向としては、「世界発展のための新しい道」として環境問題など五つの分野で提言を行なっている。2007年には、OECD、欧州議会、WWFと共同で「Beyond GDP」という会議が開催され、進歩と富と幸福を計る尺度について議論が交わされた。2008年11月にはローマクラブ創設40周年の会議がスイスで開催され、スイスの氷河の後退など地球温暖化の脅威に関する報告などがあった。



さて、話はもとに戻って、
今日のニュースで、今回のCOP16で、
ポスト京都議定書の見えないなかでの閉会と書かれていた。

産業革命依頼、先にCO2を大量に排出してきた先進国と、
これからの発展を望む途上国や、その“狭間にいる国”など、
立場の違う国が同じテーブルで話し合うことのむずかしさを感じるけれど、
地球は、待ったなしだ。

環境問題的には、“地球環境”をカレンダーで表わすと、
19世紀に産業革命が起きた時点で、
なんとすでに12月31日23時間59分58秒なのだとか。

次の世代に地球をつなぐための努力に、
小さくてもたゆまぬ努力が、
ひとりでも多くの人に必要な時期にあることを、
是非一緒に認識して、頑張ろうよ。



追伸:
それにしても、北極グマとのツーショットにとっても嬉しそうな綾乃さん。
で、その北極グマに一言尋ねた。
『ねぇ、きっとすごく暑いし、大変だよね?』
ホッキョクグマが、一言。
『うん。まるでこの(着ぐるみの)中、ものすごい温暖化状態だよ!!』

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延命治療の選択と苦悩

2010-12-09 | Weblog
巷は、道の混み具合や、店先の商品に、
“師走”を感じるようになったね。

昨年の今頃は、初夏のころから騒ぎが拡大した“新型インフルエンザ”を
心配しながらの暮れだったけれど、
今年は、ほとんど新型インフルエンザという言葉も、耳にしなくなった。
たった、1年で、新型は、“新型でない”ものに世の中でなったのかな。

そして、最近ニュースで取り上げられるのは、
下痢や嘔吐を引き起こす“ノロウィルス”の話題。
幸いにも軽症の人が多いようだけれど、
おなかの具合が今一つと言う人が、
LOHASの森の散歩で出くわす人の中にも何人かいるんだ。
皆は、元気かな。


昨夜、テレビである少女の“延命治療の選択”についてのドキュメンタリーをやっていたようだが、観た人はいるかな。

綾乃さんはかつて、その延命治療のある現場に立ち会ったことがあるそうだ。

自発呼吸ができなくなって、
患者本人はすでに意識がない状態。
その中で、人工呼吸器を挿入するかしないかで、
近しい親族の間で、さまざまな思いが錯綜したのだそうだ。

昨夜の番組でも、娘の延命治療に
「少しでも生きる望みがあるならば、親としてわが子に生きていて欲しいと願ってしまう」父親の切なさと鉢合わせの“本音”が語られていたが、
綾乃さんが遭遇したその病室でも、
やはり二つの“思い”を巡って、
短い時間に、葛藤と祈りが錯綜する事態が展開されたのだそうだ。

一つは、先の父親のように、
「少しでも生きる望みがあるならば、出来る限りの手立てで、延命して欲しい」という
家族や親族の思い。

そして、もう一つには、
「本人は、もう十分頑張ったのだから、できるだけ早く楽にしてあげて欲しい。苦しむ時間が、できるだけ短くあって欲しい」という家族や親族の思い。

綾乃さんが遭遇したその場所では、
患者の二人の子供が、この二つの立場で意見が分かれたのだとか。

親と子の間の、複雑で微妙な関係の違いが見え隠れもする気がしたそうだ・・・

だた、そのとき感じたことは、
どちらを選択するにしても、
“死”を受け入れるための気持ちの覚悟と整理と勇気が必要に思ったそうだ。

悩み、苦しみ、葛藤。
涙や、思いが深いが故に、自然と発せられる“怒号”が病室を埋め尽くす。

しかし、その時その場に立ち会った関係者が最後に出した結論は、
患者本人の気持ちはわからない中で、
もし、たったひとりでも延命治療を強く望むものがいるならば、
その人が“目の前の死”と向き合う準備ができるまで、
皆で待つ努力をしようと。


意志を伝えることができない病床のその人は、
自らの目の前で近しい家族が苦しみ、悩む様に、心を痛めていたかもしれない・・・

ドキュメンタリーの中では、
もう自分は十分頑張った、
自分は延命を希望せずに、死を受け入れる心の整理がついたと
携帯電話の画面に文字を刻む二十歳にも満たないけれど“凛とした大人”の娘の姿が、
たまらなかった・・・と、綾乃さん。

自殺者年間3万人を超す昨今の日本。
生きるのも、死ぬのも、
色々とそれぞれに大変だとは思う。

大河ドラマ『龍馬伝』の最終回、
坂本龍馬が死ぬ間際に、中岡慎太郎に問うように発するセリフが
印象的だった。

わしは、自分の、この命を
使い切ることができたかのぅ・・・

「まだまだだ!」と言葉を返す瀕死の中岡の言葉も
印象的だ。

綾乃さんは、永遠の風の丘から、遥かに遠くまで広がる海を見つめながら
つぶやいた・・・
“命を使い切る”人生をおくれるかなぁ・・・
おくりたいなぁ・・・・






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音に感じる“心の糸”

2010-11-27 | Weblog
何気につけたテレビで、
『心の糸』というドラマをやっていた。
聾啞者の母親に育てられた“聞こえる”息子。
その息子は、芸大受験をめざしてピアノを弾く日々にありながら、
自分が母の、母親から息子を取り上げよとした人たちへの
復讐いや、証明の道具として“ピアノを弾かされている”と
反発を強めてゆく。
息子に限りない夢を果たして欲しいと、
そう願い続けることで、
自分を励まし続けてきた・・・・母。

ドラマの終盤、
息子が、母に向かって
「もう、そこから、その復讐から、僕は逃げてもいいですか?」と訴える。

ずっと以前に亡くなったと聞かされていた母が離婚した
息子にとっては実の父親の死と葬儀の連絡を再婚相手の女性からの連絡で知り、
彼の心は、激しく揺れた。

母は、首を縦に振った。

そして、彼が幼いころから弾き続けてきたピアノが、
ある日、業者に引き取られてゆく。

その引き取られていったピアノをつんだトラックを必死に自転車で追いかける息子は、
本当の意味での自分にとっての“ピアノ”への思いに気づく。
そこには、母との間に長い時間をかけて築き、育まれてきた
“心の糸”がまるでピアノの弦のように、
いくつもなびいている。

そして、そのバックには、切なく美しい、
ピアノの音色が流れていた・・・。

彼に、本当の意味での“心の糸口”を気づかせたものは、
かつて聾学校の生徒だった母が、
後輩達へ託した言葉だった。

聞こえないことによる3つの“ネガティブ”を
聞こえないからこそ感じることのできる3つの“ポジティブ”に
強く意識を持ち替えることで、
“限りない可能性ある未来”を
自分だけでなく、後輩たちにも
夢見て欲しいという言葉だった。

でも、その3つのポジティブな出来ることに象徴されていることは、
聞こえない人だけものもではなく、
誰にでも当てはまることだと、
は強く感じた。
「限られた現実の中での夢を持つこと」は、
“限りない可能性ある未来”への始まりだと、
信じている。

そこに、とても感動して、が、
流れてきた。

日ごろ、音楽に寄り添う世界にいる綾乃さんは、
きっと、歌を通じて、音楽を通じて、
たくさんの“心の糸”を感じてきているに違いない。
そして、これからも、
たくさんの“心の糸”をたくさんの人と
紡いでいって欲しいと、
は、願っている。
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あれから4日

2010-11-18 | Weblog
根ミツバの水耕栽培のことを
お知らせしてから、
はや4日。
もうこんなに、育ったよ

さあ、お吸い物かみそ汁に入れて、
温かいその汁で、体を温めて下さいな。


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紅葉の季節の発芽に願う

2010-11-14 | Weblog
世間では、年賀はがき、クリスマスケーキ、おせち・・・
と、はや年越しの季節を感じ始めているけど、
昨日根を残して、上の方を使った“根ミツバ”を
水耕栽培して、再発芽させてみようと思い立った。

ときどき、捨ててしまいそうなものを
水に浸しておくと、
新しい細胞の増殖で、
新鮮な“命の芽吹き”を感じさせてもらえることがある。

たった1日半くらいしか経っていないけれど、
ほら、もうこんなに芽が出てきた・・・


もっと、もっと伸びて、
もう一度、美味しく食べてあげるからね・・・

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!! 返事してくれた

2010-10-09 | Weblog
だめもとで、
呼んでみた。
探してるよ~
って、叫んでみた。


返事されたような気がして、
そこの袋をがさがさしてみた・・・。



あった!!

探していた、
LEDのE17口径電球。
思ったより、小さくて、白っぽい箱に入ったものだった。

もっと、目立つ色だとばかり
“思いこんでいた”から、
その場所、探したにもかかわらず、
「素通り」・・・・してた。

ゴメンネ。

忘れていて。
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もしこんな発明をしたら、ノーベル賞ものだよね・・・

2010-10-09 | Weblog
多忙により、
ふと目についていながら、
ああ、あとでやろう・・・

とか、

そこにあったか・・・

とか、

とにかく、その時は「記憶」の隅にあるにせよ、
後で引っ張り出せると思っていた
“後回しにした”物やこと。

とりわけ、後回しにした“物”は、
それに「すねた」のか、
やっとそれに取りかかれる段になった時に、
往々にして、
【姿を隠す】ことが多いように思う・・・

(;一_一)

そんな時、
へそを曲げた“それ”を呼んだりすれば、

「はい!ここにいます!!」と返事をしてくれるような
実に画期的な埋め込み式チップでも
発明してくれる人、
誰かいないかなぁ・・・

携帯ですら、
マナーモードにしておいた時には、
直付けの電話などから、電話をしたところで、
“だんまり”を決め込んで、
発見されることを
まるで拒んでいるかのようだ。


誰か、発明してくださ~い

この結構広いLOHASの森で、
探し物をするとなると、
相当な根気がいるんだよね。

ああ、
1ヶ月前位に試しに買ってきた
LEDのE17口径の電球は、
いったい、どこに拗ねていっちゃったのかなぁ・・・・


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コンサートご来場御礼

2010-09-30 | Weblog
昨日9月29日(水)夜、
代々木上原ムジカーザにて開催された
「綾乃ひびき~秋の夜のほろ酔いコンサート~」に際しては、
たくさんのご来場を頂きありがとうございました!


晴れ女の綾乃さんらしく、
昨日は、秋雨の日々にぽっかり穴があいたように晴れ、
も、お客様と同様に喜んでいました。

初パンツルックに、ウエスタンブーツで1部に登場した
綾乃さんも、いつもとちょっと違った一面で
それも、ありでしょ

また、ステージで、みんなと会えるのを
楽しみにしているよ



ありがとう。
コメント (1)
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涙のわけ・・・

2010-09-28 | Weblog
急に涼しいを通り越して寒くなってきたので、
体を温めようと羽休めに、咸の湯へ向かっていたところ、
森の道端で、美容院帰りの綾乃さんと出くわした。


ところが、綾乃さん、目が少し赤くて、
ん?泣いたのかな・・・
という顔をしていた。
かといって、元気がなさそうなわけでもない。

こういうときは理由を聞くのは
“やぼ”というものだが、
やっぱり、気になって
聞いてみた・・・。

綾乃さん、どうしたの?
何かあった?

すると、なんでも、行きつけの美容院で、
時間つぶしに出してくれた何冊かの本や雑誌の中に、
悲しい物語というわけでないのに、
涙が出てきちゃう物語が短編でいくつも載っていて、
それを読んでたら、
こうなっちゃったんだそうだ。

まぁ、映画のタイトルを見ただけで、
その先を予見して感動のあまり、
ひとり先に盛り上がって“涙”しちゃう綾乃さんだから、
さもありなん・・・だけど、
美容院でしょ。

暗くないよね。
ほかにもお客様いたんだよね。
ちょっと心配になった。

運よく、その時ほかのお客様は帰ったあとで、
スタッフの人たちしかいなかったそうだが、
でも、スタッフの人たちがいたんでしょ・・・

でも、綾乃さんがその本に感動してぽろぽろしてたら、
若い男性のスタッフの一人が、
ティッシュの箱とゴミ箱を持ってきてくれたんだとか

ティッシュはとにかく、
ゴミ箱
これで、心おきなく泣いて下さい。大丈夫ですよ・・・
ということか

綾乃さんも、そこまでは大丈夫と、
それにちょっとゴミ箱は大げさかな・・・と可笑しくなったそうだが、
自体は、そのゴミ箱が役に立つ方へと進展していったそうだ。

ページをめくり。
絵を見て、ぽろっ。

ページをめくり、
次の短編のタイトルを見ただけで、ぽろっ。

綾乃さん、どうも完全に涙腺全開モードになってしまったようだ・・・。
その後、ティッシュの箱の中身はどんどん減り続け、
小さな籐製のごみ箱には、涙を拭いたり鼻をかんだゴミで
あふれかえることになったようだ。

その事態を、予見してたのかしていなかったのかはともかく、
スタッフの心遣いにも、感動したのだとか。

まったく。

何に、そんなに涙したの?

綾乃さん、指折り数えながら。

お爺さんとおばあさんの自転車でしょ。
猿でしょ。
桔梗でしょ。
それから、石でしょ。
・・・・

まだまだ、何やらキーワードらしきものが続いた。

綾乃さんの涙腺を壊した本のタイトルを一応
記しておきますので、
興味のある方は、お試しあれ。

『てのひら童話2』著:お~なり由子 角川文庫

その本を綾乃さんに持ってきた
美容院の女性美容師さん曰く、
ある人は、それで何なの?
という反応の人もいるし、
綾乃さんみたいに、じわ~~~~
なる人もいるし、
本当に世の中いろんな人がいると
つくづく思うのだとか。

でもは、いつまでも、絵本を読んで
ぽろぽろする綾乃さんのそんな一面も、
結構好きだ。

追伸:明日9月29日の夜19時よりそんな情緒豊かな、
綾乃ひびきさんのソロライブが、あります。
残席は僅少のようですが、
当日券も用意があるとのこと。
お時間あれば、是非遊びに来て下さ~い

詳細は、
この前のブログに!




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